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2006-06-19

[]日々雑感060619 20:49 日々雑感060619を含むブックマーク

また1日更新しなかったわけですが、故あってのこと。

昨日は墓参>図書館>知人宅で延々ゲーム、という流れに。そして最後でトラップに嵌りました。

ぼくらの間では「プエルト・リコ」の1番手は不利、という共通了解が出来上がっているのですが、「1番手で勝てるってば!」と主張してやまない友人がいたので、彼を1番手にしてプレイ。案の定負ける。しかしそれでも譲らない友人。プレイ>彼敗北>再戦要求の繰り返しで、気がつくと8時間くらい経っていました。とんだ東一局五十二本場だ、とか思いましたが、あれほど凄惨な戦いではなかったので良しとします(あんなものが実際にあってたまるか)。

そのため、本当ならば夜には帰宅していたはずが、帰宅しそびれて深夜延々アニメを見る羽目に。帰宅できたのは今日の午前3時半でした。都合12時間以上知人宅にいたことになります。飯も食わずに。さすがに少し堪えました。昔は飯も殆ど食わずに72時間ゲーム篭城とかやったこともあったんですが、今はもう無理かな。

そんなわけで、昨日は更新しそびれていたのです。

[]アニメ雑感060619 20:49 アニメ雑感060619を含むブックマーク

そんなわけで色々まとめてアニメを見てきたわけですが。ほぼ1周遅れ。

観たもの

  • 涼宮ハルヒの憂鬱」。昨日見たのは「射手座の日」。
    • そのままアニメ化したら延々パソコンに向かってゲームしているだけの話を盛り上げるために、ゲーム描写をゲーム内容(宇宙艦隊戦ゲーム)に准じて艦隊戦描写にしているところは良いと思った。
    • 艦隊戦の描写は銀英伝はじめ様々な作品のパロディが織り込まれていたけど、少しベタに過ぎるかなと思わないでもなかった。まあヲタの描く宇宙艦隊戦のイメージの戯画って感じなんだろうケド。
    • ものすごい速さでノイマンコンピュータの操作に習熟して行く長門萌え。十分計算された演出によって喚起される萌えというのは非常にスムースに受け入れられるものだなと再確認。
  • BLACK LAGOON」ロベルタ編最終話とタケナカ編前半。
    • ほぼ原作風味でとりたてて、という感じ。コンサバに収まってますがロベルタ編で繰り込まれてる回想シーンは良かった。空挺時代のバラライカとその愉快な仲間たちとか、ロベルタのFARC時代とか、なんとも生々しくも凄惨な雰囲気で。ラストのロックの台詞が聴いてくるというものです。で、次がタケナカ編なので、話の流れとしては自然。シリーズ構成の妙を感じます。
  • 桜蘭高校ホスト部」。猫澤先輩の話。
    • ハルヒホスト部面々がメインにならない枝な話なのですが、コメディの中にも「自己から見た自己」「他者から見た自己」「自己から見た他者」「他者から見た他者」という視点が織り込まれてそれが相互に関連していくホスト部フォーマットは今回も適用されます。まあ少女漫画フォーマットというべきか。
  • うたわれるもの」第11話。
    • あー? 原作改変部分が雑な演出のせいで変になってない? とか思ったけど、原作プレイしたのは数年前なので勘違いかも知れず。ともあれおやっさんの死ぬ辺りの演出はダンドリズム的に雑じゃないかなと思った。その分はキャラクターの演技がフォローしていると思うのですが、ダンドリズムは重要ではないかと。

[]なぜころ問答、あるいは儒子の童問 02:07 なぜころ問答、あるいは儒子の童問を含むブックマーク

http://d.hatena.ne.jp/ityou/20060618

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20060619#1150719160

伊藤悠氏がコスト/ベネフィットの問題から「人を殺してはいけない理由」を語っているのを見かけて、そのときはスルーしていたのですが、それをみちアキ氏が取り上げていたので少しエントリを書きたくなりました。

まず、前提について。「人間が高価だ」ということに関しては、一概には云えないでしょう。人間が安価な社会というのは比較的多く存在していたし、現代世界を見てもどの社会の人間がどれだけの価格か、ということは各種国際機関の統計資料からおおまかに算定できます。各国辺りの平均教育費、人件費医療費、その他諸々。

これらから、ある特定の社会集団に属する人間のコストをおおまかに見積もることは簡単でしょうし、そうした場合、大半の人間はけして高価でない、という結論を導き出すことが可能です。極端な例を持ち出すならば、世界各地の狩猟採集民や自給農耕民のコストは、貨幣という価値に置き換えた場合、明らかにぼくらのそれより低い。そして、貨幣的価値に変換しなくとも、例えば狩猟採集民の生命維持コストがぼくらのそれより低いことはマーヴィン・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」辺りを読んでいただければ一目瞭然ですし、殆ど自給自足に等しい生活を送る自給農耕民のコストもまたぼくらのそれより少ない。もちろんこのような極端な例を挙げずとも、各国で人間のコストには大きな差がある。ひとり当たりGDPの低い国の人々はぼくらよりコストも生み出すベネフィットも低い。

ならば――このように極度にコストの低い人間、またはぼくらより生涯のコスト/ベネフィット比の悪い人間――例えばアフリカ南米中央アジアの人々は、あるいはいわゆる「下流社会」における「下流」の人々は、ぼくらより「殺されても良い」人間であるのでしょうか。また、その存在に幾らコストが掛かっていようと、そのコストより彼ら自身の生み出すベネフィットや存在し続けることによる他者のコストが高くなるような存在――例えば重度障害者や犯罪者やニートに対してはどうでしょうか。「コスト/ベネフィット」の論理は、これらに対して最終的には「是」という答えを導き出すものです。「人を殺してはいけない理由」のみならず「人を殺してよい理由」――しかも、コストの安い人間ほど殺しても良い傾向を帯びた論理なのです。ゆえに、「コスト/ベネフィット」の論理は「人を殺してはいけない理由」としては不完全であり、両義的です。

そこを「ヒューリスティック」という言葉で糊塗しようとするなら、他の社会におけるコストがベネフィットを上回る状況に基づいた「人を殺しても良い」という論理もまたヒューリスティックなものとして受け入れなければならないでしょう。実際にぼくらはその一部を受け入れています。死刑や戦争はそうした論理に一部なりとも立脚したものであり、ぼくらはそれを支持することもある。コスト/ベネフィット論からなる「人を殺してはいけない」という規範は、その裏側に必ず「でもこいつは殺していい」という規範を持つことになるのです。

実際問題としては、そうした規範や論理を受け入れつつ、それをいかに穏健かつプラスサムの方向で展開して行くか、その過程で一時的にコストがベネフィットを上回ることがあってもそれを耐え忍べるか、が、成熟したオトナやシャカイのありようであると思います。無制限の生の肯定なんて寝言は殴られて強制でもされない限り口にしたくありませんが、かといってコストに見合わないものを観念論的に切って捨てるのは弱者に対するテロルであると思います。

それはそうと、大体儒子の童問ほど返答に窮するものはなく、本当にヒューリスティックに構えているならばこのような不完全な理屈で対抗言論を張る必要などないのです。なんというか、いかりや長介と中本工事のバカ兄弟問答コントの方がよっぽど深いし、なんだかわかった気にさせてくれる代物だと思います。なのでぼくはドリフのビデオをTSUTAYAに借りに行くのでした。いや、われながら儒子であると思います。

追記

人が人を殺してはならないのは実装された運用のおかげだと思うんですが。遺伝学的に刷り込まれた命令。空飛ぶスパゲッティモンスターさまによってあらかじめそう定められているのでしょう。「汝人を殺すべからず」と。まあ絶対的命令ではなく嫌悪感として現れるので、つい殺してしまうこともあるわけですが。すいませんこれ宗教でしたね。相変わらずなぜコロ問答に対して斜め上な回答しか返せないぼくでした。

追記2

くだくだしく言葉を並べるより、「だって人間は殺していいことになってるし実際に殺されてるじゃん。殺しちゃいけないって、なにそれ?」って書いたほうが良かったかな。同じようなことは昔もっと簡潔に書いていたので引用しておきます。

http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20050819#1124406699