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2011-03-31
■[日記]日々雑感110331

またも1ヶ月に1回の更新ノルマを破ってしまったので、この日記は4月8日に書いてます。
AGSで岡和田晃氏がエクリプス・フェイズを「世界内戦下のポストヒューマニズム作品」として一押ししていて、まあそれはそうなんだけど、日本には10年も前からダブルクロスというポストヒューマンSFTRPGがありましてね……というもにょり感を覚えていたら、id:xenoth氏がある程度代弁してくださったので、とりあえず安心していたりする昨今。とはいえ、もう少し掘り下げた意見もあるので、そのうち機会があったら書いてみたい。
ちなみに、ダブルクロス3rdEditionは最近プレイする機会が多いTRPGなので、これを用いて世界内戦下のポストヒューマニズムをある程度明確な形でゲーム的に再現してみたいという気分はある。まあ、プレイヤーと要相談、なんだけど。
■[ゲーム]TRPGにおける世界内戦の再現性(メモ)

ずいぶん昔にメモしていた文章の再掲。
「TRPGにおける世界内戦の再現性」について少しメモしておこう。
世界内戦とは、ポスト9.11における、世界の誰しもがどこにいても必ず何らかの先鋭的な友=敵関係に包含されそれによる脅威にさらされざるをえないという状況を指す、というのがぼくの解釈だ。その理由は経済・宗教・イデオロギーなど様々であるが、ここにおいて、世界は無数のクラスタに分断され、それぞれが先鋭的な友=敵関係に晒される。そして個人の主体も、そのような環境の中で再帰的に陶冶される。彼らは生き残るためにそれぞれ有意に友的である存在と共通利害によるバンドを形成し、敵なるものと対峙=闘争することとなる。敵はただひとつの方向にいるのではない。トポロジックに展開されたコミュニケーションのネットワークを通じ、あらゆる方向に存在する。一方で、友となりうるものもまたそのように無数の方向に複数存在している。そしてある条件のもとでは敵である存在が、別の条件では友となりうるという両義性をも備えている。それは自らの所属するバンドの内部においてすら通用する規則である。常に破綻の危険性を抱える同盟関係と、常に和解の可能性を秘める敵対関係が無数に張り巡らされた状況下で、主体はその関係性によって縛られながらも突き放される危うい情況にあり、自己同一性を関係性の中に求める限りにおいて深刻なアイデンティティ不安に陥るとともに、その反動としてのダイナミックな自己変革を要求される。
このような不安定な情況と実存をTRPGで再現するに当たって、FEARのゲームに頻繁に採用されている「関係性やそれにまつわるロールを動的なリソースとして捉えると共に、物語生成の中でそのリソースを積極的に運用する」システムは好適である。間断なき関係性の変化とそれによる自己の実存的変化をダイナミックに描き出すと共に、それを明確化されたルールのもとでゲーミングに利用できるというのは、そうしたシステムを実装していないTRPGに対する大きなアドバンテージであり、現代的な世界感覚をフィードバックしやすいものである、といえるだろう。そして、それは単に不安定さを描き出すのみならず、不安定さをバネにしたダイナミックな物語創造へと繋がっていくということを注記しておきたい。
