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2011-04-10
■[社会][批評論]世界内戦のアスペクト――世界システム史的観点と実存的観点

Twitterからの転載・改稿。
世界内戦において、ぼくが世界システム史的観点より、クラスタ性・親密圏にまで及ぶ他者性に注目するのは、そこで生きる個人の心理的なありかたというものを重視するからであるという話をしておきたい。
戦う相手が明確にヴィジョンとして見え*1、それに対して素朴コミュニタリアニズム的に共闘できるなら、それは単に友=敵関係の世界的延伸に過ぎない。グローバルなレベルでの非対称戦など、911以前から展開されていた。911がなにか具体的なものをもたらしたとしたら、グローバルな非対称戦が衆目のもとに立ち現れたことであり、その当事者としてのわれわれと、敵としての「他者」=ジハディストが立ち現れたこと、そしてそれにより例外国家の例外状態性が前景化しつつなお是認されたことであるが、それは事実上「過去のこと」として後景化した。結局「911的想像力」――国家の内外における危機のもとに結集し、例外状態を是認する危機の想像力は、その日常化とともにかえって後景化し、無効化してしまったのだ。われわれは都合よくそれらから目を逸らし、ドミノ・ピザやスターバックスの普遍性に埋没する。どこかの戦場で戦っている兵士やジハディスト、どこかの農園で搾取される貧民、孤立国家で虐殺される大衆などを無視して。現代の例外国家は、例外状態をその外部にアウトソーシングしつつ、それを忘却することによって成り立つ。*2
つまりわれわれ個人の生において、例外国家の世界システム史的な観点からの問題である、グローバルな非対称戦とそれを引き起こすグローバルな経済システムがもたらす影響は割合隠蔽されてしまっている。むしろわれわれは個人の生と社会的・政治的ファクターが重なりあう「今ここ」でこそ進展しつつある、実存的例外状態を強く感じているといえるのではないか。例外国家は危機という物語でわれわれを動員しつづけることに失敗し、自らが進めている例外状態の常態化を隠蔽することでかろうじてその権力を保持している。その権力の枠組の中では、権力自体の脆弱化が進んでいる。法や権力に対する無関心が一般化し、動員のためのヒエラルキー的な社会統合が分解し、われわれは原子化した個人――孤独な実存として、過剰流動性のなかで生存を追求しつつ、つねに他者性と向き合わねばならず、そこにおいて先鋭的な「友=敵」関係が立ち現れやすい状況に陥りつつある。そこにおいて重要なのは、例外国家が提示する危機という物語ではなく、われわれのそれぞれが抱く固有の生に根ざした物語であり、それを紡ぎ出すための原初的な他者との対峙である、というのは、ごく自然な流れではないだろうか。
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