書評『情報の文明学』

情報の文明学

時は昔、昭和38年。

当時、一般にニュースを扱う企業といったら新聞社で、新聞記者こそが「情報」を扱う職業の代表でした。

そんななか、新しく生まれてきた仕事の一つに、民放テレビ・ラジオの放送事業がありました。

民放で働く人たちは「放送人」などと呼ばれて注目され、もてはやされていたようです。

この仕事の特徴は、テレビ・ラジオ番組を作って、みんなのテレビやラジオに放送するものでした。

この民放の仕事の不思議なところは、「モノ」を売って商売をするのが一般的な時代に、「情報」を電波に乗せて放送し、お金を得るという点にありました。

「モノ」でない「情報」にも価値が存在することに、ぼんやりと気付き始めた「情報」の黎明期に、「情報」を扱った業種である「情報産業」について、鋭く考察したのが梅棹忠夫氏でした。

彼は長年に渡って「情報産業」について向き合い、いくつかの論文を発表し、それらをまとめたのが本書『情報の文明学』です。

『情報の文明学』の目次
放送人の誕生と成長
情報産業論
精神産業時代への予察
情報産業論への補論
四半世紀のながれのなかで
情報産業論再説
人類の文明史的展望にたって
感覚情報の開発
『放送朝日』は死んだ
実践的情報産業論
情報経済学のすすめ
情報の文明学
情報の考現学
『情報の文明学』への追記
解説

当時、「情報」というものに意識をしていなかった時代は、おそらく新聞紙を買っていても情報が掲載されいてる「紙」を買っている意識が強く、「情報」を買っている気持ちではなかったのでしょう。

しかし、「放送人」という新しい人種が生まれたことで、広く多くの人たちが「情報」の価値の存在に気付き始めたのです。

ただ「情報」の価値があることがわかっても、まず「情報」とは何なのか、それがどれほどの価値なのか、どうやって伝播していくものなのか、疑問は絶えることはありません。

こういう疑問は、何も当時の人だけが持つものではありませんよね。

現代の私たちも、この疑問は持っています。

昔「放送人」がもてはやされた時代は、民放に勤める人だけが「放送人」でしたが、今となってはインターネットが普及し、誰もが「放送人」になれる時代です。

当時の人たち以上に、現代の人たちのほうが、この疑問に直面しているはずです。

そんな疑問に鋭いメスを入れたのが、梅棹忠夫氏です。

当時存在していた「情報」にまつわる様々な形態を視野に入れて、その疑問に答え、将来の「情報」のあり方などを展望しています。

「そこまで予測していたか!」と感嘆の声をもらしそうなほど、その考察は深いです。

ちなみに「情報産業」という言葉を最初に作ったのは、何を隠そう梅棹忠夫氏でした。

梅棹忠夫氏が始めに論文を発表したのが昭和38年で、そこから一連の論文が発表されましたが、今でも色あせることない内容が記されており、氏の鋭い洞察力に驚愕します。

また、アルビン・トフラーが発表した書籍『第三の波』も「情報産業」について指摘していますが、それよりもずっと前にこの『情報の文明学』が出版されている事実も凄いです。

とは言え、文庫本で手に入るため、すごくお手軽に読めます。

この本を読むことで、「情報」に関する過去・現在・未来を見通すことができそうな一冊です。