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2008-09-15 (月)

No. 7 責任という虚構

責任という虚構

責任という虚構

小坂井氏の著作なので、書店で見かけるとすぐに購入した。ただ、失礼ながらタイトルを見た第一印象は、つまらなさそう。責任は虚構であり客観的根拠に欠けるなどと当たり前の事実を論じたところで、不毛な議論に終わるのではないかと感じたからだ。しかし、そんなことは著者も重々承知の上で書いているはず。きっと何か面白い話が書かれているに違いないと信じて読み始めたところ、やはり期待通りに楽しめた。


行為と意志とを生み出す過程はそれぞれ並列的に生じるので、行為が起こってしまってから意志が現れたとしても理屈上はおかしくない。人を殴ってしばらくしてから「気に食わない奴だ。殴ってやろう」という意志が後になって現れる。

<P.23>


行為の後に意志が生じるのだから、自由意志の元に行った犯罪ではない。よって、自由意志を根拠に、責任を問うことは出来ない。この考察を裏付ける実験が提示された上での話なので面白い。


二つの状況に対してわれわれが受ける感覚の差は、犯罪行為との心理的結びつきの強さに関わる。

<P.187>


本書の内容の大部分はこの一行に繋がる。犯罪行為と責任の結びつきは、客観的というより心理的な結びつきの強さに拠る。分業体制にして各自の負担を減らすことで、責任感が希薄になる仕組み(第三章)もこの結論と結びつく。


本来の目的が忘れられ、遊離した規則が一人歩きする。「世間をお騒がせして申し訳ありません」という常套句に象徴されるように、日本社会において責任現象はフォーコネが分析したとおり、社会秩序を回復するための儀式として機能する。

<P.193>

しばしば勘違いされるが、個人間の競争を賛美する新自由主義的世界観と自己責任論は対局に位置する。(略)不安定になった社会規範・秩序の回復としてスケープ・ゴート現象が顕著になったのではないか。


中盤は、様々な責任論を取り上げて、その責任を課す根拠が脆弱であることを指摘していく。その後、責任を課すことは儀式としての役割があるというスケープゴート論へと展開する。ただ、このスケープゴート論が本書のテーマという訳ではなく、この後にルソー・ホッブズ等の思想家をとり上げ、政治学の観点からの考察が続く。責任という現象レベルを超えて、より根源的な社会秩序の理論的構築についての話になる。


後半部分にあまり纏まりが感じられず、様々な責任に関係する議論のまとめの部分が多い。これらの様々な議論に対する著者の分析は的確で理解しやすく、どの話題も面白く感じられた。特に人間の他律性について論じている前半部分はとても興味深かった。


参照リンク

重複する部分もあるが、こちらも面白い。

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