暁の二項対立

2005-01-31 プロ市民とプロ奴隷の二項対立

プロ市民プロ奴隷の二項対立

最近政治的に極端なスタンスの人の文章を読むと「プロ奴隷」というタームが散見される。

プロ市民」とは

まあ諸説あるんだけど「市民」を自称して政治活動をする人の中で、特に政治活動を職業としている人のことを指して言うのがそもそも。

ここでいう「市民」ってのはたぶん「政府」とか「企業」とか「軍隊」とか、そういう公権力や利益追求組織なんかに対して「市民」と名乗っているのだと思われる。

つまり「市民」というタームには中立的で権力や金に目がくらんでいないマトモな人、ぐらいのプラスイメージがあるわけだ。

しかし「市民」を名乗って巨悪に立ち向かう行為は必然的に政治色を帯び、そこには本来の目的を超えてさまざまなイデオロギーが寄生する。実際市民運動ってのは本気でやるとものすんごくエネルギーを使うので、極端な思想を持った人なんかもどんどん取り込まざるを得ないんだな。そうして醗酵しているうちに手段と目的が入れ替わって、政治運動のためにとりあえず政府を糾弾してみたりとかしちゃったりすることもままある。

しかももともとは正義のための戦いだったので結構支援してくれる人なんかも居たりして、特に濃いあたりが専業スタッフなっちゃったりしてそれだけで生活できちゃう。「市民活動」のプロ、プロ市民のできあがりって訳だ。

プロ市民」というターム

このタームの面白いところは、本来中立で力なきものの集合であったはずの「市民」という勢力が「中立でもなければ無力でもない」ことを暗にあらわしている点だ。何しろプロだからな。

まあ実際にはプロではなくてそっちに近い立場の人も「プロ市民」とレッテルを貼られることがあるのはいただけない。本物のプロに失礼だよね。アマチュアゴルファーだって「プロ」って呼ばれたらいい気はしないはずだ。「アマチュア市民」ぐらいが関の山ではないか

プロ市民」は揶揄する文脈で使われるのが一般的だが、にもかかわらず言われている当人が「市民」を自称し続けているあたりも面白い。彼等は「プロ市民」と呼ばれるといい気持ちではないらしいが、同じ文脈で「市民」と呼ぶようにすればもっと強力な攻撃になるだろう。普通の意味での「市民」とまぎらわしいからやめといたほうがいいけど。

プロ奴隷」とは

プロ市民」「プロ市民」といわれまくって激昂した「プロ市民」のひとが提唱した、「プロ市民」の対極に位置する人たちの呼び名。

市民」というタームが当人の自称を揶揄しているのに対して、「奴隷」はまるっきり提唱者側の印象なのでシンプルに罵倒であるな。議論においてとりあえず罵倒するととりあえず不利になるので、言われたほうは腹が立つ以前にさげすみの気持ちになりそうなものなのだがどうなんだろ。言葉の響きでレベル低そうな印象になるからやめといたほうがいいと思うんだけどなあ。

このタームがそれなりに流通しているのがまた興味深い。だれか指摘してやれよ。

じゃあなんとレッテルを貼ればいいか

プロ市民」の形成文脈に従えば「プロ中道」あたりがおそらく最も妥当だろう。市民活動に好意的な人が自分を極左だと思っていないように、否定的な人も自分を極右だなんて夢にも思っていない。そういう人は大抵自称で「中道」というタームを使うね。「プロ市民」と対比することで自らを「中道」とレッテル貼りすることの危険性が垣間見えるんじゃなかろうか。

で、どっちにしても

レッテル貼りは敵と見方にスタンスを単純化できるんで議論がめんどくさくなるとついつい行われるのが困りモノ。言い方代わってるだけで「ウヨ」だの「サヨ」だの罵倒してるのとなんら変わらない。

もちろん彼等はどちらかというと「ネット右翼」「ネット左翼」の類で、

街宣車乗り回して日本刀振り回してる「右翼」とか、ハイジャックして政府転覆をもくろんだりする「左翼」とかではぜんぜんないのだが、自らの意見に対立する者はすかさず敵勢種族の烙印を押して思考停止しちゃうのは困り者だなあ。

cyanocyano 2009/03/21 09:40 このエントリはもうすこし考察してから書くべきだった。
古代ヨーロッパに代表される奴隷制度を持つ社会をイメージすると
「市民」と「奴隷」が対比されること自体は自然な流れだからだ。

まあその場合、「政治家」や「経営者」なんかも「市民」に分類されてしかるべきんでまた別の問題が生じちゃうけどね

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