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あ な た は し に ま し た (仮) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2011-05-10

フンベンの立体映像に3D映画の未来を見た!/『ジャッカス3D』感想

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公開前から立体モザイクや飛び出すウンコが話題となっていた『ジャッカス3D』。震災後の自粛騒動に巻き込まれ、銀幕にかかる期間は随分変更されてしまったが、この度キチンと劇場で上映されたことは喜びの極みである。立体映像というからには、映画館の大きなスクリーンで堪能したいのが人情というものだし、飛び出す対象がゲロやウンコとなれば、小学生時代から女の子に陰茎を見せつけて楽しんでいた卑しい人間は鑑賞欲を抑えきれるはずもなく、指定席のない劇場で上映一時間前から館内にて待機するという手間をかけ、最高のコンディションでお下劣3D映像を堪能したのであった。一部良識派の方々からは「これを3Dでやる意味が何処にあるのか?」という声が聞かれたし、賛同派の雑誌でも褒め言葉として「使い方を間違っている!」という煽りが入っていたが、冗談ではない。批判を承知で言わせてもらえば、本作こそ「立体映像の在り方」にひとつの回答を示してくれた、3D映画のスタンダードとでも言うべき作品だ。

極私的な感想になるが、元々『ジャッカス』の何が面白かったのかと問われれば、ジョニー・ノックスヴィル率いるボンクラどものエクストリームな振舞いに「自身の日常との連続性を感じた」という点に尽きる。過激さばかりが印象に残るため、本シリーズの面白さを「体を張ったお笑い」という文脈だけで捉えようとする人には、この点が伝わりにくいのだが、筆者が『ジャッカス』におけるバカタレどものハードコア・パフォーマンスに凡百のお笑い番組のリアクション芸と異なる魅力を感じたのは、実のところ、超人的なやり過ぎ企画の根底に芸人としてのプロ根性よりも、我々一般人と同じ発想の稚拙さを見たからなのだ。

悪友とつるんで悪戯を繰り返し、学級会で吊るし上げを食らったことのあるクソガキなら、大人になった後も、ふとした折にそうした誘惑に駆られることがあるだろう。向かいからやってくる自転車にラリアットをかますとか、家族向けのリゾートで全裸になって泳ぐとか、理由もなく街頭や電柱によじ登るとかいった、人としてアウトな行動に及びたくなる衝動だ。スケボーに乗ってバイクに牽引される、飲み屋で服を脱いで陰毛に着火する、友人の一物を浸した酒を回し飲みする、酩酊してベランダから放尿する、ヤミ鍋に使用済のコンドームを持って来る…まあ何だっていいのだが、似たようなことを突発的にやってみたくなったことがある、という人は相当数いるはずだと、筆者は固く信じている。

女の子の眼前で、その子に想いを寄せる級友のパンツをずり下げた理由を聞かれても「楽しそうだったから」としか答えようがないし、「そんなことをした結果、どうなるか考えなかったのか」と怒られても、とんでもない結果になることを期待してやったのだから、形だけの「すいません」しか出てこない。年を食って視野も広がり、経験も豊富になれば、発想の幼稚さはそのままに年齢を重ねた分、手口が巧妙化し、規模が拡大していくだけだ。なんで今やらないのかと言えば、やった結果どうなるかというリスクも経験相応に学んでいるからで、実際にやらない分だけ、日常のあらゆる機会に、そこからのちょっとした逸脱と、結果として巻き起こる波乱を頭の中でシミュレートして楽しんでいたりするのである。

スタントマンさえやらない生死スレスレのキワモノ・パフォーマンスを繰り広げる『ジャッカス』クルーのムチャクチャぶりは、意外にも、こうした一般人の密やかな楽しみと強い結びつきを持っている。買い物カートで爆走し、街中の噴水でカヌーに興じ、店の売り物に脱糞する卑近さに視聴者が大喜びするのは、こうした非常識な振舞いこそ、己の「やりたかったこと」を極度に先鋭化した形で実現してくれたものだと感じるからだ。自らの日常の延長線上にありながら、自分では絶対できないことを嬉々として実行していくバカどもは「高校時代の誰々」と身近な人間に例えられるくらい、各々キャラが立っており、そのハシャギようを記録したホームビデオ風の映像は、観る者に自分がその場に立ち会っているような錯覚を抱かせる。視聴者以前に自分たちがそのバカさ加減に笑い転げている、痛々しくも楽しい現場の空気は、持て余したヒマと体力と性欲のすべてを露悪的な悪戯行為で発散させる男子高生の群れそのままだ。馬の精液一気飲み、蛇入りケースに陰茎挿入、人間バーベキューなどは完全に罰ゲームのノリ。非モテ童貞のダメ学生が集ったバカ騒ぎを、その仲間になって楽しんでいるような「内輪」感覚こそ、本シリーズだけの特色だと言えるだろう。

誰もがウィットに富んだジョークや間を外した会話で、人を笑わせることができるわけではない。自分同様、見た目も冴えず、突出した才覚も持ってない愛すべきバカどもが、局部露出と排泄物と被虐嗜好という低俗の三大要素で、その壁を容易く乗り越えてしまうとき、彼らに友情にも似た親近感を抱く視聴者は、爆笑と共に胸のすくような感動を覚えるのだ。巨大なスリングショットに自ら進んで撃たれに行く、自転車で使用中の簡易トイレに突撃する、屎尿処理槽に飛び込んで糞だらけになる…『ジャッカス』の「バカに裏打ちされた驚異的な身体性」は、自らのそれと地続きになっている日常の風景を、ちょっとした悪戯心でアッサリと非日常に一変させてくれる。その逸脱と飛躍を当事者の一人として見つめる快感は、無茶で無意味で無分別な行いに真摯に向き合うことこそ美徳とされるホモソーシャルなコミューンで、親友がバカの金字塔を打ち建て、自分たち全員が「男」として認められたときに感じる誇らしい気分と同じものだろう。

長寿化と映画化、真似をした若者の死傷事故などに伴い、企画の多様化とスケールアップが進み、バカなりに洗練されていった演出は、逆に本シリーズを一部のファンにとって「日常から遠いもの」にしてしまう部分もあった。それを衰えと見る向きがあるのは否定できないが、4年ぶりの新作は3D映像という新技術を導入することで、もう決して若くはないボンクラどもの身体性を強調し、彼らが常にファンの身近にあろうとしているのを伝えることに成功している。ハイスピード・カメラで撮影されたスロー映像からは、ディルドーと排泄物が観客に迫らんばかりに飛び出し、奥行きのある画面の中で汚物にまみれて苦痛に喘ぐクルーの姿には、3D技術によって極限の迫真性が備わった。プレストンの汗カクテルには本気で貰いゲロをしそうになるし、スタンガンを何個もぶら下げてその中をくぐる脱獄ゲームには、笑い転げつつも、ビリッと来た瞬間、自分が電撃を食らったかのように身を硬くしてしまうほどの痛々しさを感じる。このテの作品に親近感を求める上で、「共感」できるかどうかという基準以外に物差しを求めるならば、後はもう出演者の肉体感覚を「共有」することくらいしかないのだが、意図的なのかそうでないのか、とにもかくにも立体映像技術を採用した本作は結果的に、この「感覚の共有」という3D映画における一つの目標を、かなりのレベルで達成してしまっているのだ。

共有する感覚が心地の良いものばかりでないのは確かだが、これは本作における立体映像の使い方が、至極理に適ったものであるということの証明でもあるだろう。ジョニーお馴染みの骨折芸、クリスの自前バット千本ノック、バムのチンコ視点放尿プレイ、それら全てに2Dでは表現不能な臨場感が生じているのは、作り手が3Dの使いどころをキチンと把握しており、クルーが文字通り体を張っている様を疑似体験させる目的にその運用を特化させているからだ。技術だけでもパフォーマンスだけでもダメ。突出した身体性と技術とが互いを補って、それぞれの長所を引き立てるとき、飛び出す映像は初めて「肉体感覚の共有」というヴァーチャルな世界に観客を誘うことができるのだ。そんな当然のことを、興行成績ばかり気にする今日の映画業界は見失っていないか。期待の3D超大作が相次いで不振に終わり、革新的な技術もそれのみでは救世主たり得ないことが曝け出されたこのご時勢に、「下らない」「最低だ」「衰えた」と言われながら、放映開始当初から視聴者の傍に寄り添ってきた番組が、立体映像の今後の指針を示してくれたというのは、なかなかに痛快なことではないか。ミニチュアの山に見立てられたデイブのケツからマグマの如く噴き上がった下痢便を、プー・カクテルの完成形とも言える簡易トイレごとのバンジージャンプで全身糞尿にまみれたスティーヴォーの姿を、スローモーションで克明に写し取った映像に表現不可能な美しさを感じながら、そんなことを思わずにはいられなかった。

最後になるが、実際問題、3D効果が感じられる場面など数えるほどしかなく、せっかく立体映像にするなら、もう少しカメラの位置にこだわれとか、そのカメラももっと良い奴を使って場面を増やせだとか突っ込みたくなる作品を過剰に持ち上げている本稿の筆者は、中高一貫の男子校出身であることを付記しておく。

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