ergo sum

2018-04-12

[] 女子力と免疫力はそっくり

ハチドリさんのブログで「【がんビジネス】の「免疫力アップは」、”女子力アップ”の滑稽さ”と同じ」(リンクがうまく機能しないみたい、すいません)というエントリーがあって、なるほど!と思った。

どちらも健康や美につながるから同じだ、という話では全くなくて。

得体の知れない「なんとか力」を商業主義が極限まで利用する、いや骨の髄まで食い尽くす構造がそっくりなのだ。

とくに日本はこの二語が経済を支えている異様な国だ。

英語でwomen's powerといえば、女性がいかに力強く社会貢献するかを指すが

日本の「女子力」は、いかに「女らしさ」を身につけ、男にもてるかを指す。

(それだけ男の呪いが大きい未開社会だ)

また「免疫力」は、不安を抱えるがん患者の心をがっちり掴んで放さないが、実体がないのだから「健康らしさ」も「女らしさ」と同様に人工的な虚構にすぎない。

(せっかく免疫をアップしても、免疫ががんを異物として認識してくれなかったら元も子もないよ・・・)


青汁も、チアシードも、酵素ドリンクも

ともあれ、流行だからやる。

誰かがやってると、自分もしたくなる。

他人と差別化するためにやる。

そう言いながら、結果的にみんな同じことをやっている。


普通のオリーブオイルで十分なのに

ココナツオイルや亜麻仁油を買う。

健康にいいはずだから、というスコトマ(盲点) に囚われて

その金銭的な割高感を計算することを怠る。

企業の思う壺。

この無駄な支出(付加価値とも言う)が日本経済を支えている。


お金の無駄遣いとは思いたくないために

ブログやSNSで一生懸命自慢する。

 きょうはこんなヘルシーなお弁当作っちゃいましたー

 おしゃれなテラスで無農薬フレンチのランチいただきましたー

 北海道の自然酵母パン、お取り寄せしちゃいましたー

自慢ばっかりでは嫌われると思うので

 とりあえずペット君と青空もアップしますー

(おっと、私も青空写真出したことあるなあ)

私って意識高い系のナチュラル女子ですアピール。


女子力的にはアサイーのスムージーとホットヨガは定番。

免疫力的には人参ジュースとビワの葉湿布かしら。

あらまあ、実に似てること。

無農薬野菜、酵素風呂や水素水になると

がん患者なのかおしゃれ女子なのかわからなくなるくらい似てる。

そうそう、ブランド選びも大事ね。

野菜はオ○シックスや、小麦粉はオーサ○、ジューサーはヒュー○ムのスロージューサーじゃないと駄目よ。


が、

ほんとうに女子力が高いのは

 山手の邸宅に住んでバルチヂュスの画集を小脇に抱えたお嬢様だったり

ほんとうに免疫力が高いのは

 薬もサプリも飲まず朝から茶葉を摘んでる山村のおばあちゃんだったりするが

そういう人は半ば遺伝的に、半ば生育環境的に極めて恵まれた人だから

実は女子力も健康もブルデュー的な文化資本だということがわかる。

 いく望んでも

 いくら金を払っても

 すぐに手に入らないもの、

それが文化資本だ。

それは何十年とかけて、世代を通して継承される。

だとするならば、付け刃でそんな力は獲得できないので

結局は下々のモノマネ合戦になる。

そう、資本主義はそういう無駄をさせたくてしょうがないのだ。


逆説的ながら、女子力資本や健康資本の低い人ほど、この構造に嵌る。

これまで健康と無縁に生きてきたから何が良いのかわからない。

自分の体で判断がつかない。

だから広告に騙され、他人に影響される。

私もその一人だ。


ここからは懺悔。

私は女子力はこれっぽっちもないし、興味もないが

やっぱり「免疫力」には弱い。

CTで影があると言われた翌日には

爪揉みふくらはぎ揉みを猛烈に再開し

がんブログを読み漁り

みんなの真似をして牡蠣エキスと人参ジュース1箱を買っていた。

本気で玉川温泉に行こうと思っていた。


ばかだなあ、私

2018-04-01

[] 桜の季節

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今日から4月だ。

巣立ちを迎えられたyoccyanさんの息子さんにエールを送ろう。


それからうちの子は3月でついに20才になった。

まだまだ体は小さめだし、心は子供っぽいが、もう一人で立って歩ける。

心配しなくてもいい。

でも誕生日は盛大に祝いたかったので、パワーポイントで作ったおめでとうの紙を壁にたくさん貼り、

家のなかにいるたくさんのぬいぐるみ(応援団)を総動員した。

ケーキ用に20本の蝋燭をもらった。

「これ、全部立てるの?・・・でも年齢の数だけ立てれるのもこれが最後だよね」

しんみりした口調で言って、蝋燭を全部立てていた。

彼なりの「自分を納得させる論理」がいつも面白い。

吹き消すときは、20才のプライドだろう、一気に20本の炎を消した。


子供についても、病人についても、同じだが、

病むか病まないかではなくて、

自分で自分をメンテナンスし続けられるか、だと思う。

ときに奇妙なかたちのメンテナンスになるかもしれないけど、

そうやって生きていければそれでいい。

仕事も生き方もそうだが、自分のやり方を作って、それを貫くことが肝心だ。

2018-03-11

[] カタストロフに寄せて

今日は東北の大震災の7年目の日だったので、午後には黙祷した。


カタストロフ(災難、災厄)というのは、人の強さと弱さを剥き出しにする場だと思った。


日常を覆っている物が何もなくなってしまうからだ。

日常では、さまざまな欲望désirs があたかもbesoin(生理的必要)であるかのような顔をして跋扈しているが、カタストロフにおいてはbesoinがそのままに現れてしまう。

アガンベンのいうzoe(剥き出しの生)だ。


震災や戦争だけでなくて個人的な経験も十分カタストロフたりうる。

たとえば、がんの宣告。

昨日までの普通の欲望――新品のかばんが欲しいとか、季節限定味のシュークリームが食べたいとか――がそっくり消えてしまって、ただの水一杯を飲むことがどういうことなのか、私の喉やお腹をどう通過するのか、といった生理的な経験だけが立ち現れる。

いろいろな欲望が虚しくなる。

何もすることがなくなる。


職場ではいささか偽善的なカタストロフ・シンポジウムが行われ、

このときだけ、キズナとかユウアイとかいう道徳ごっこに耽ったり、

カタストロフは廃墟のイマージュであるとか、カタストロフは追憶によって反復されるとか、

そんな理屈をこね回す人々が現れるが、

それはたぶん、カタストロフを体験したことのない人だろうな。


当事者にとってのカタストロフとは、なにか、とんでもないものだ。

この「とんでもなさ」がカタストロフの本質だ。

日常という防波堤の中に突然大波がやってきて、こまごました欲望を一切合財浚っていく。

私の枠組みすらも不確かになって、

ただ存在するだけの何かになる。


まさか私が、なんで私が、

いったいどうして、

いったいいつから、いったいいつまで

――最初はいろいろな問いが空回りするが、どれも意味は同じだ。

「受け入れたくない」。

それをはっきりと認識した方がいい。

私は、こんなこと嫌なのだと。

嫌だけど、偶然起きてしまったのだと。

(がんなんてただの偶然です、とyoccyannさんが教えてくださった)

それ以上でもそれ以下でもないので、後はどうするか、だけのことだ。


想定外であることへの驚きは

幼子の行動が予測不可能であるのと大差なく、

日常が断ち切られた怒りは

既得権を奪われて怒る政治家の怒りと大差なく、

神様から見たら、実につまらないことであろう。

だから「とんでもなさ」にあぐらをかいて自己を憐れんだり、怠けたりしていてはいけない。


せっかく剥き出しになったのだから

空気や水にじかに触れて、

その冷たさや痛さをありのままに感じよう。

それが自我の再構築の第一歩だ。


下の写真は、名づけてカタストロフ豆苗。

ふだんは適当に刈り取って食べるのだが、

あまりに精神的に忙しくて放置していたら、こんなふうになってしまった。

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2018-03-05

[] 携帯

ついに携帯を自分名義に変更できた。

夫の名義だったこれまでは本当に不便だった。

パスワードを忘れたり、ロックがかかったりしても、契約者を経由しなければならず、面倒くさい。

設定を変えようとdocomoショップに行っても、その場で業者が契約者に電話して確認する必要がある。

しかも、現在もそうなのかは不明だが、契約者が端末の情報にアクセスすることもできるようだ。最悪はブラウザでアクセスした画面とか、携帯メールの内容まで知られてしまうかもしれない。子供の危ない利用を監視する目的で、いろいろな仕組みがあるからだ。

携帯は危ないから、と使い慣れないgmailなどを使っていたが、今度は仕様が異なって操作ミスをしてしまう。

せめて携帯だけは完全に安心して使いたい!

だけど名義変更をして、しかも携帯メールアドレスなどをそのまま使用するには、契約者と私の両方がdocomoショップに行って手続きをしないといけない。一人ではできない仕組みなのだ。

週末に二人で出頭し、ようやく変更できて、ずいぶん気が楽になった。


たかが携帯、かもしれないが、私にとっては大きな一歩だ。

機械関係が苦手だから、と全部他人任せにしていたのを変えられたのだから。

自分のプライバシーは自分で守る。


最近は不安なことが多すぎるせいか、すごく小さなことでも幸せを感じられるようになった。

爪がきれいに切れたとか、缶のフタが空けられたとか。

ある種の防衛反応かもしれない。

私はひとりではない。

わかってくれる友や、助けてくれる友がいる。

ありがたいことだ。

2018-02-18

[] グリシンって・・・

いろいろと書きたいことがあったのだが、急に気になることができたので、そちらを先に書くことにした。


寝つけないときがあったので、何か睡眠導入剤を飲もうと思って調べた。

市販の導入剤の多くはグリシンを含有している。

グリシンはアミノ酸の一種で食品添加物として使われているので、まとめて粉で買った方がお得だ。

そこで粉末を一日3gずつ飲んでみた。

体が温かくなって、たしかに気持ちよく眠れる。

これなら常習性や副作用もなさそうだ。

しばらくその習慣が続いていた。


と思ったら、偶然今日みつけたニュースで、セリンとグリシンはがん細胞の増殖を促すとある(こちらなど)。

なんと!

糖分ががんの栄養になる、という話はよく聞くが、なんらかのアミノ酸が栄養になる、という話もあったのだ。

たとえばアスパラで有名なアスパラギン酸が危ない、といったニュースだ。


もちろんがん細胞もたんぱく質でできているのだから、なんらかのアミノ酸が材料になってもおかしくないのだが、不自然にグリシンだけ多く摂取するのはまずい。

しかも最近私は美容のためにコラーゲンの粉末を毎朝飲んでいるのだが、この主要なアミノ酸もグリシンなのだそうだ。

しかもトレーニングをして筋肉をつけようと思って、多めにアミノ酸サプリを飲み始めたところだった。

バレエのレッスンの前後とかね。

・・・全部グリシンに関係があるじゃないか。ばかなことをしてしまった。

ドキドキ。


というわけで、とにかくグリシン粉末は捨てた。

便利そうなサプリメントや添加物は避けるべし。

それが今回の教訓だ。

それにしても、ちょっと不安になる。

前回の検診の結果でよくわからないリンパ腫の腫れとか、のう胞が見つかったからだ。

グリシンの摂取のせいで急激にがんが増殖したのでは・・・などと考えてしまう。

どっしりと構えていたいのだが、私は気が小さくなっている。

ふうう。

2018-02-03

[] ノイマイヤー『椿姫』

ノイマイヤー振付の『椿姫』を見てきた。

全篇ショパンの曲だけを使った振り付けで、今世紀最高の作品のひとつだと思う。音楽の捉え方が繊細極まりない。

また曲と曲、場面と場面の間の切り替えが一瞬で終わり、そういうすべての無駄をそぎ落とした演出がすばらしい。

オペラでは冒頭の「乾杯」の歌の場面が有名だが、そういうものは当然のように省略されていて、マルグリットとアルマンの心象にかかわる部分だけがクローズアップされていく。

「人間の肉体の崇高さ」がノイマイヤーのテーマのひとつだが、なるほどコジョカルの身体がこの上なく美しくて、高貴に見える。ああ、人間の身体ってきれいなんだなあ、と実感した。いわゆる「女のきれいさ」とはまったく別次元の高貴さなのだ。それからアルマン役のトルーシュが、いかにも若くてういういしい「男の子」の身体をもっていて、これはノイマイヤーさんの好みだな、と感じた。成長しきってない肉体が、からかわれて床に倒れたり、女の裏切りに怒ったり、愛に燃えたりするのを「見る」ことの、喜び。お姫様役を美しく見せるだけでなくて、ひとりひとりの男性キャストの人間像を作りこんでいる演出だからこそ、全体が面白い。

上演2週間前くらいに、大々的なキャスト変更があってメールの連絡が来たが、「このままではノイマイヤー氏の世界観が表現できないとの判断から変更になりました」というような文言だった。負傷等ではなくて、もう一人のマルグリット役のブシェなど何人かが気に入らなかったのだなあと思った。キャストへのこだわりも演出家らしい。

sinkoさんは『ニジンスキー』ご覧になったのでしたっけ?そちらもすごく見たかったです。昔同タイトルの映画をみて、すごくはまりました。

2017-12-31

[] 主は与え、主は奪う

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(新年のご挨拶に代えて)

主は与え

主は奪う

(ヨブ記1章)

それは、こういうことでもある。

主は奪い

主は与える

年末に仙台に旅行に行った。

2011年の津波の被災地である仙台市の荒浜地区を訪れた。

ひとつの村だったものがきれいさっぱりなくなっている。

きれいすぎて実感がわかないくらい、何もない。

住民たちの苦痛や恐怖を想像しようとしてもできなくて

罪悪感を感じるほどに、きれいなのだ。

そして海は陽を受けて燦然と輝いている。


ただ海辺はとてつもなく寒かった。雪が舞っていた。

さあ車に戻ろう(私たちには暖かい場所がある)。

ごはんに行こう(私たちには食べ物もある)。

そう思ったら、息子が突然一直線に海岸に向かって歩き始めた。

黙って延々と歩みを進めるので

もしやこの海に飛び込むのでは、と心配したほどだ。


岸辺で少ししゃがむのが見えた。

そしてゆっくりと歩いてこちらに戻ってきた。

「ほら、牡蠣の殻だよ」

手のひらには昨日食べたのと同じ大きさの牡蠣の殻が握られていた。

誰もいないだだっ広い海辺を一人で歩む姿は

映画の一場面のようだった。

この写真はそのときのものだ。

2017-12-25

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[] クリスマスに感謝したいこと

望むものを手に入れる最初の第一歩は

もはや望まないものを手放す勇気をもつということ

(自分に言い聞かせている言葉です)


メリークリスマスです。

引っ越してきた近所に教会があったので、

今朝10時のミサに行ってみたかったのですが

やはり寝坊しました。

ま、たとえ教会に行かなくても、家でごちそうとケーキを食べられるだけで

幸せになれるので、本当に不思議な日ですね。


これだけ気まぐれ更新になってしまっているのに

いつも訪ねてくれて

困ったときには必ず助けてくれる友人たちがいることは

大きな奇跡です。

クリスマスの日を借りて、神様に感謝します。

心からありがとうです。


みなさま、どうぞよい年末年始をお迎えください。

こちらは明日から母と一緒に東北地方に旅行に行ってきます。

2017-11-29

[] 闇の中

これまでずっと闇の中にいたような、変な感覚だ。

いつも使っていたPC環境が、実はすべて監視されていたと思うと

ぞっとする。

自分のユーザーアカウントすらないことに気づいた。

といって、自分で問題を解決して、ネットワークを作り直すには

私のPCスキルは低すぎる。

というか、重症の機械オンチなので、

ブラウザがフリーズしたりしても、すぐに電源を切ってしまうレベルだ。

途方にくれている。


妄想ではなくて、いろいろと事情があるのだけれど

書けない。

うーん、困った。


久しぶりなのにすごく変な投稿になってしまってごめんなさい。

とにかくPCが怖くて使えない。

2017-10-25

[] 尻もち

あっという間に時間が経ってしまいました。ご無沙汰してしまい本当に申し訳ありません。


今回の台風では、みなさま被害はなかったでしょうか。岐阜の方も激しかったみたいですね。

それなのにまた週末に別の台風が来るというのだから困りものです。


先週の土曜日が納期の仕事がようやく終わり、なんとか修羅場が終わった。

と思ったら台風の大雨。気も抜けていたのだろう。

また、引っ越したばかりで体がこのマンションに慣れていないというのもある。

家庭のことで全般的に注意不足になっているせいでもある。


傘を差して、たくさんの荷物を持って出たら、マンションのエントランスのところで、つるりとすべって尻もちをついてしまった。

尾骶骨に響く、いやーな感じの痛み。

(後で調べたら、尻もちは骨盤だけの問題ではなくて、ショックを吸収した背骨にも傷を与えるらしい)

しかし歩けないわけではなかったので、そのままひょこひょこと仕事に向かった。

尻もちをつくなんて子供の頃以来だ。情けない。

しかし、お年寄りだとこれだけで十分骨折するという。

私も気をつけねば。


私は恐ろしいほどにカカト重心で、しかも扁平足かつ開帳足なので、ものすごく滑りやすい。

足指や足首が使えていないので、そういうバネやクッションを利用することもできない。

ズルズルっと足を引きずって歩く、いわゆるスリッパ歩きだ。

……少なくとも、バレエを始めたおかげでこのことに気付けただけよかった。

しかしまあ、こんな足でバレエをやろうというのも、無理がありすぎる。

爪先立ちはできなくても、カカト立ちはできる!と威張って言えるほどのカカト重心だもの。

靴を変えたりして、歩き方矯正中だが、なかなかすぐには変わらないものだ。

ふう。

それでも、常に意識していれば、いつかは変わるだろう…