2011-12-10
■[読書メモ] 「乳ガンなんか2週間でw」
中島梓さんの『ガン病棟のピーターラビット』を読んだ。遺作の『再発』と比べてこちらの方がずっといい。乳がんの17年くらい後にすい臓がんにかかるときの話だが、いい意味で悟っていて、力が抜けている。書き下ろされた、ですます調のやわらかい文体のせいもあるだろう。『再発』は「だ」調の個人メモのような文体だったから、読みにくかった。
「大きな病気の既往歴」はないかと聞かれて「17年前に乳がんを」と答えた中島さんに対して、医者はあざ笑うように答える。
「乳ガン、あーあんなもの、手術じゃないから。あの程度のもんは大きいとはいえないから、悪いけど。今回の手術と一緒にしないでね。...乳ガンなんか、2週間くらいで治っちゃうんだから、いまは」
乳ガンは病気じゃないらしい。たしかに初期なら手術すればそれで終わりだし、体の外側にある器官なのでなんの影響もないし。「それなりに死線をくぐったつもり」(中島さん)だったり、世間の視線を内面化して「たいへんな病気をしたかわいそうな私」だと思い込んだりすることがばからしくなる。それでも乳ガンの細胞が体内に残っていて、いつ再発するかわからないのだから――とはいうものの、毎日誰でも5000個くらいいろいろながん細胞が体内に誕生しているわけだから、こんなことでびくびくするのもばからしい。というかこのような考え方そのものが病気を引き起こすような気がする。
確かに最近はホルモン剤を飲む以外に生活はまったく乳ガンと関係なく、どんな意識で生きたらいいのか戸惑うことがある。年齢的に仕事だけは次々に忙しくなるので、そのときに「ガンの通院加療中なのでちょっと」と断ることもできれば、「はいはい」と引き受けることもできる(同僚が私の病気を社内中にばらしてくれたおかげでみんなが病名を知っている)。いやな仕事は前者で、楽しい仕事は後者で答えてきたが、そろそろ病気の逃げ口上を使うのは卑怯な気がしてきたところだった。そろそろガン患者だっていう意識とはさようならをしたい。
ただし、いや、だからこそ、別の意味で健康には気をつけなくてはと思っている。中村司さんの表現を借りると、人生を生と死という二つの極をもつ直線として考えると、ガンというのは確実に死に向かっている現象を言うのだ。自分にはわからない細胞レベルの偶然の変異なのではなくて、むしろ自分の気持ちや考え方が体を死の極に向かわせていたような気がしてならない。だからすべてを生の極に向けたい。そんなことを考える。
2011-10-06
■[名言] 「死は人生の重要なツール」
アップル創始者のジョブス氏が亡くなった。2004年にすい臓がんを発病していたそうだ。有名なスタンフォード大でのスピーチを引用させてもらおう。
「私はもうすぐ死ぬ」と思い知る事は、私の生涯で最も重要なツールとなり、私が人生で大きな決断を下す際の助けとなってくれている。何故なら死に直面すると、外部への期待、プライド、恥や失敗に対する恐怖といったほとんど全ての事が、消え落ちてしまうからだ。(いずれ)死んでゆくという事を心にとめおく事は、何かを失うかも知れないと考える思考の罠を回避するための、私の知りうる最良の策だ。君はもう真っ裸なのだ。ただ君の心の導くままに進めばいい。
確かに、がんになったことの一番のメリットは「失うものはない」という心境になり、つまらないことに拘らなくなったことかもしれない。
2011-08-13 memo
■[その他] 友人が逝って
学生時代の同級生が急に亡くなって、お葬式に行ってきた。まさかこの年代(40代)で友人に先に旅立たれるとは思ってもみなかった。もしや同じ病気かしらと思っていたら、彼女は胃がんだったそうだ。式場に並ぶ思い出写真は、子供に囲まれ、海外に赴任したり、趣味の合唱に勤しんだりと、誰もがうらやむような幸せな生活の証言だった。そして彼女自身もたいへん美しい人だった。だからよけいショックだったのだろう。
棺の中の彼女を見たとき、それが彼女だと認知できなかった。頭蓋骨に皮がついただけの顔は、どこかの知らない老婆だった。鼻が高いところだけは彼女のままだったが、それがまた蝋人形の魔女のような怖さをかもし出していた。いや、違う人のはずがない、と自分に言い聞かせて、そそくさと菊を入れて背を向けることしかできなかった。彼女の頬に触れて号泣している友人もいたが、私はそういう感情移入さえできなかった。8年前に発病して手術、5年目に再発して3年間は抗がん剤による闘病生活だったそうだ。胃も腸もやられていたので、おそらく最後の1,2年はまともにものを食べることすらできなかったに違いない。胃の3/4を取った後のところに再発したので、胃の容量はものすごく小さいはずだ。胃を取ると、その大きさに合わせて少しずつ2,3時間おきに食事しないといけない、と昔近所のおばあさんに聞いたことがある。異常なやせ方だった。
数年前までは、彼女からの年賀状は、写真館で撮ったような完璧な家族写真だったと記憶する。ところがこの1月の年賀状を取り出してみたら、彼女個人の文字だけの賀状だった。写真を撮る余裕がなかったのか、撮られたくないほどやせていたのか。そして、手書きのコメントには、「学生時代を懐かしく思い出すことが多くなりました。同窓会ができるといいですね」とあった。1月に読んだときは何も気づかなかったし、私個人は同窓会など嫌いな方だった。だがこれを書いた彼女の気持ちを思うと…
他の同級生にも同じ内容を書いていたそうだ。ほんとうにみんなに会いたかったんだな。会えばよかったのになあ。同窓会を考えた友人もあったそうだが、うかうかしているうちに3月の震災でそれどころではなくなってしまった。
もし私が彼女の立場だったら、そんなやせ細った姿で旧友の前に10年ぶりに姿を現すのは躊躇しただろう。だが、そういう恥を忍んででも、同級生たちに会いたいと思ってくれたということだ。それだけ私たちを懐かしいと思ってくれたということだ。そういう思い出の輪の中に、かつて私たちはいっしょに生きていたのだ。毎日一緒の授業に出て、一緒に食堂でサンドイッチを食べていた。
他の友人は、これを運の悪いこと、例外的な出来事として処理できたのだろうが、私はそうではない。あの変わり果てた姿、明日はわが身かもしれない。率直に言って、怖い。基準値を超えてはいないけれど腫瘍マーカーがへんな動きをしているし、内蔵系の血液検査の数値もよろしくない。このまま不健康な生活を送っていたら、確実にああなる。一回再発したら、もうそのあとは平均3年の寿命だ。それがもう、わかっている。だから気をつけて、というメッセージを彼女が送ってくれた・・・と最初は考えたが、それはなんだか、あまりに虫のよすぎる解釈だと思った。だって私が先に死ぬとして、同級生たちに「あなたたちだけは気をつけてね」なんていう立派なことを思うはずがない。人のことなんかどうでもいい。ただ、自分が寂しい。ただ、悲しい。ただ、会いたい。ただーーもっと生きていたい。
それだけじゃないかな。心のなかにあったのは。
なんだか複雑だ。いろいろ思うことがある。少しブログで書いていきたい。
2011-06-13
■[政治・社会] エコはエゴ?
(NEW ファイルをアップしました)
エコというのはエゴではないか? といつも思ってしまう。
放射能に関するドイツの過剰反応に対しては、環境先進国の「知」や「姿勢」に尊敬とあこがれの念を抱く日本人と、逆にナショナリズムやエゴイズムを感じる日本人とに分かれるのではないだろうか。私はかなり後者かもしれない。
「日本は原爆の経験があるのになぜ原子力発電所にナイーブだったのか」という日本に対する彼らの問いかけそのものが、「原爆経験がなくても知的に進んでいるので原子力に敏感なドイツ」「知的には低いが原爆の被害者なので原子力に敏感でありうる日本」という階層を内包していると思う。そうしたヨーロッパの無意識を無意識に(または意識的に)読み取って、それに迎合するような発言をしているのが村上春樹だ。彼は「原爆を受けた時点で日本は原子力にノーと言うべきだった!」ということをいまさらのように、国際的な場で叫んでいるらしい。(日本には「無常」の伝統があるので、深甚な被害をも許し、忘れてしまう、というようなことを言っているらしいが、それも違うでしょ。政治がダメすぎて無関心、無反応になっているだけだ。)
私に言わせれば、そもそも「原爆」被害国なのにアメリカの政治文化的支配の中でそれを忘れさせられてしまったことを先に問題視すべきだし、また、先進国ならば原子力発電所がいくつもあってあたりまえだし、日本の行政と電力会社が危機対策などに関しておよそ無能であったのも当初から予想がついていたし… それだけだ。
だから「原子力にノーと言うべきだった」と今頃「べき」論を蒸し返して自分の罪悪感を悪化させる暇があったら、具体的な復興の手順でも考えたほうが建設的だと思っている。
こういうときにここぞと発言する知識人たちのベクトルがぜんぶ微妙にずれているのが情けない限りだ。いい子いい子と欧米に頭をなでてもらいたくて発言をする村上のような人間しかいないんだろうか。
そう思っていたらドイツで活躍されている哲学者の三島憲一氏がドイツのメディアに語った文章を人からもらった。こういう人もいるのだな。とてもうれしかったので、ぜひ多くの人に読んでもらいたい。
(すいません! 技術的な問題で、画像が不鮮明でファイルが読み取りにくいです。
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2011-05-28
■[乳がん] ペコさんの本
やっとペコさんの本『若年性乳がんになっちゃった』を買って読むことができた。
彼女の場合もやっぱり最初に誤診があったのだなぁ。痛みもあって、大きな病院でマンモを受けたのに乳腺繊維腺腫(良性)との診断だった。進行の早い若年性ということも考えると、あのとき正しい診断を受けていれば、という思いはほんとうに強かったはずだ。ピンクリボン(笑)的なマンモ検診推奨や進行してからの薬剤承認よりも、誤診を防ぐ運動を社会的にもっと広げるべきだと思う。発症初期の対応の方が明らかに大切なんだから!だが、医者や行政の側の責任を問うような問題設定は、ピンクのイメージで一般女性を脅し、煽ることよりもはるかに難しいから、進まないのだろう。というか表に出したくないのだろうな。
本の感想として、ペコさんのがんばりに勇気をもらったとか、そんな言い方はしたくないな。震災関係で被災者から「勇気をもらった」という言い方があふれているが、それってほかに言いようのない無力な弱者に対するおせじのように聞こえて仕方がないもの。
ペコさんの本はむしろ、記録として本当に資料価値がある。彼女の生き方が病気に対する姿勢のなかに貫かれている。知性がある。そういう価値だと思う。
医学書に書いてあることはあくまでも一般論であって、
生きたい、生きようと願う人には、おまけがあるかも知れません。
諦めたらそこで終わってしまうから
そのとおりだね。誰でも「生きたい、生きよう」と思いさえすれば、必ずなにかを手に入れることができる。逆に諦めたら、ただいたずらに日々が過ぎ去ってしまう。あたりまえの一般論だけど、こういうことが実感できるのって、ほんとに死ぬ直前なんだよ。
2011-05-04
■[社会]ACのCM
震災直後、一般のCMは自粛されたため、ACのCMばかりがなんどもなんども流れた。それをいやだなぁと感じていたのだが、やっぱりそれが記事化されたので、下にコピペしておく。
個人的に一番苦手だったのが、子宮頸がんの検診触発CMだ(出演していた仁科親子自身もいやがっていたと、ブログでコメントしている)。それを見るたびに、忘れていた自分のがんのことを思い出すし、検診にいけばそれでがんに罹らないわけでもない。
とりわけいやだったのが、「女どうしだからこそ話し合える」「女にとってたいせつなこと」(記憶はあいまいです)、というジェンダーばりばりのセリフ。もしこれの男性版、「男どうしだからこそ話し合える、男のたいせつなこと―ーー前立腺がん」なんてゆうCMを1分おきにガンガン流されたら、男性はどう思うだろう。やっぱり気持ちわるいに違いない。
「女」は「産む性」なので、自分の体を気をつけるのはあたりまえで、さらには家族の体をも気遣うべき――これが社会にはびこる「女性の身体ケア論」の根幹。喫煙女性に対する白い目の背景にも、ほんらい「産む性」という偏見がある(柳澤伯夫大臣が「女は子供を産む機械」と発言したのは記憶に新しい)。
まして美人で、「女」として超成功してそうな仁科母ですら子宮頸がんにかかり、その美人の娘ですら検診に行ってるならば、そうでない一般の女性も行って当然・・・そういうどきついジェンダーメッセージが響いてくるのだ、このCM。少なくともディレクターはそういう偏見をもっていたに違いない。
静かに、粛々と被災地に思いをはせたいそのときに、こういう不愉快な不協和音は流してほしくない。ホントに不愉快だった。
****(記事引用)
東日本大震災の発生後、スポンサーの自粛によって空いた民放各局のCM枠穴埋めのため大量オンエアされたACジャパンのCM。“ぽぽぽぽ〜ん”の「あいさつの魔法。」篇や、仁科亜季子・仁美の母娘が出演した「大切なあなたへ」篇、詩人・金子みすゞの作品を用いた「こだまでしょうか」篇などなど、それらを“印象深いCM”と評価する声が多かった一方で、震災時下に合っていない内容や、当初流れていたサウンドロゴ「♪AC〜」の連発には批判の声も少なくなかった。なぜ、ACジャパンのCMに対する批判は拡大していったのか。現在発売中の雑誌「日経エンタテインメント!6月号」(以下、日経エンタ)では、その背景に迫っている。
ACジャパンのCMは、会員社である放送各局に広告素材として提供しているもので、通常は出稿中止などの緊急対応が必要な際に局側の判断でオンエアされるもの。今回の震災では多くの企業がCMを自粛したため、集中的かつ大量にオンエアされる事態となってしまった。
実際にオンエアされたのは、ACジャパンが2010年度キャンペーン用に制作した13本。しかし、被災地の大船渡在住の少年が出演していたものや(※後に無事を確認)、「死」に関係する表現が使われているものなど、時勢に合わないCMはすぐに自粛対応を取ることになり、3月15日の時点で放送できるCMは7本となっていた。
結果、同じCMが繰り返し何度もオンエアされることになり、ACジャパンには苦情が殺到。子宮頸がん啓発キャンペーンのCM「大切なあなたへ」篇に出演した仁科亜季子・仁美の母娘にも批判の矛先が向かい、3月21日には仁科母娘が公式ブログで辛い胸の内を明かす事態となってしまった。
こうした一連の流れについて、ACジャパン・クリエイティブディレクターの尾形敏明氏は「普段なら良いと思うメッセージでも、あまりに何度も見せられて、押しつけに感じられてしまったようだ」(日経エンタより)とコメントしている。
「日経エンタテインメント!6月号」では、震災以降のACジャパンを巡る動きをまとめているほか、3月19日からオンエアされている“震災臨時キャンペーン”用CMの動きや、それに対する批判内容に言及。また、今後の展開などにも触れている。
☆ACジャパンが“お詫び”(3月17日)
震災後に苦情が殺到したことを受け、ACジャパンは3月17日に公式サイトで「『東北地方太平洋地震』にあたってACジャパンのCM放送についてのお詫びとお知らせ」を発表。「視聴者の皆様に大変ご不快な思いをおかけしましたことを、心より深くお詫び申し上げます」と陳謝し、この時点で「『東北地方太平洋沖地震』で被災された方々を応援する臨時キャンペーンCMを企画・制作中」とアナウンスしていた。
☆仁科亜季子・仁美の母娘が公式ブログでメッセージ(3月21日)
大量オンエアによって、思わぬ形で一部から批判を受けてしまった仁科母娘は3月21日、公式ブログにエントリー「ACのCMについて」を更新。「私達母娘も、想像もしていませんでした。それと同時にどうする事も出来ないのが現状です」「長年に渡り子宮けい癌の啓発活動に力を注いできた私達は今とても悩んでいますし、心が痛みます」などとコメントしていた。
※この記事は「日経エンタテインメント!」編集部の許諾を得て作成しています。6月号は全国の書店・コンビニのほか、日経BP社の通販サイトからも購入可能(http://ec.nikkeibp.co.jp/item/magazine/ENT.html?trn)。
2011-03-18
■[政治社会] 過度の集団主義
ごぶさたのご報告は後日として。こんな記事を見つけたので張っておきます。
関東の人間が平然と日常を送っているのは、こういう理由なんだと思います。
原発みんなで浴びれば怖くない。
18日付の中国紙、21世紀経済報道は東日本大震災への日本社会の対応について、秩序ある態度を評価する半面、保守的で危機対応能力不足とも関連があると分析する評論を掲載した。
震災発生直後、中国メディアは日本絶賛一辺倒だったが、福島第1原発事故の悪化を受けて対応を疑問視する声が出てきた。同紙は「危機でも混乱しない秩序性は文明の象徴だが、同時に保守的な民族性」と指摘。「秩序の背後には過度の集団主義があり、無限の個性を犠牲にしている」などと分析した。
環球時報も「日本の災害対応能力に疑問」との見出しで外国メディアの日本に対する見方を紹介。
日本には「精密な災害マニュアル」があるが、今回のような想定外の危機には「臨機応変に対応できない」とする韓国メディアの報道を伝えた。
中国では、原発事故悪化にもかかわらず東京などで大半の日本人が普段通り日常生活を送っていることに驚きが広がっている。
2011-01-23
■[乳がん] ペコさん
ブロガー仲間のペコさんが旅立たれました。いろいろな思いがあります。よく素人(=非患者)は「余命宣告よりは長く生きられたからよかったじゃない」というコメントをしますが、これは言われた方はむかつくと思う。そもそも余命宣告自体が、もんのすごく恣意的でいい加減なもの。人の寿命なんて神様しかわからない。その決められた寿命をまっとうしただけです。それより、より長かったわけでも、より短かったわけでもない。問題は、その特定の期間のなかにおいて、本人がどれだけ密度の濃い生を燃焼させられたか、なのです。そういうことに自覚的であったか、なのです。つまり人生は常に自己責任なのであって、寿命が人より短いから不幸であることが許されるとか、そんな甘えは、ありえないのです。
その意味ではペコさんは成功だったと思う。マッチポンプ&金儲け主義にとりこまれた「ピンクリボン」反対、薬剤承認のタイムラグなど、主張したいことをずーーーーっとブログ上で主張し続けた。語ることが彼女の仕事になっていった。そういえば、ほんとうは作家になりたかった、って言ってましたね。
語るだけならね、家族とか友人に語ればいいじゃない、って思われるかもしれないけど、違う。語りを「表」に出すこと、「公」にすること、これがどれほど大切なことか!ブログのランキング入賞と全国区化をきっかけに、新聞や週刊誌といったほんもののメディアにも登場して発言することができた。つまりそれはね、同じ思いをもっていながら、これまで孤島のように孤立していた人たちをひとつにつなぐっていうことなんだ。だから意味がある。そういうことを、マイノリティーであればあるほど、やらなけらばならない!わかる?男&健康&金持ち&地位&財産・・・こんな人間はいくらでも発信の場所があるわけ。超くっだらない自伝を中小企業の社長さんが豪華装丁で出版してたりするじゃないwww でも、ほんとうに発信すべきは、「普通は発信できない人」なの。なぜ自分の考えを公にできないのだろう、なぜ自分の思いがずっとプライヴェートな空間に閉じ込められてしまうんだろうーーーそこから問い始めなければならない。スピヴァクは『サバルタンは語ることができるか』で、インドの賤民サバルタンが根本的に語りえない構造を、美しい文章でまとめた。誰かがサバルタンにインタビューして「代り」に書いたとしても、それはもう、書いた人の文章であって、サバルタンの声ではない。言葉ではない。だから根本的に、語れないのだと。だから、サバルタンの誰かひとりが、いつかめざめて、無駄でもいいから、迫害を受けてもいいから、とにかく、どこかで、話し始めなければならない。
ペコさんのブログはちょうどその、「語り始めたサバルタン」として輝いていた。そしてブログが単行本化されたそうです。ぜひぜひみなさん、これを買ってほしい! そして第二、第三のペコさんが現れてほしい。そういやってつながっていければ、きっといつかはーーー病気へのくだらない誤解とか社会の矛盾や怠慢とか、そういうものが解消されていくと、信じたい。いや、信じなければならない。信じなければやっていけない。なによりも弱者は、「信じる力」を奪われているのだから。
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2011-01-03
■[ジェンダー] パートナーシップ締結式
新年おめでとうございます。みなさまにご多幸が訪れますように。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年末は多忙にまぎれてブログの更新がずいぶん滞ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。星の数ほどあるブログのなかで、わざわざここを訪れてくださったかた、文章を読んでいただいたかた、コメントをくださったかた、その一人ひとりが私とっては本当に貴重な宝物です。心からお礼を申し上げます。そうしたご苦労にまったく応えられていないという悔しさはいつもいつもあるのですが、これから、少しずつ、意味のある発信を行ってゆきたいと思っています。どうぞ長い目で見てやっていただきたいと思います。
この宝物が減ることのないように、いいえ、宝物との交流をとおしてますます豊かな世界が拓けますよう。
今日の話題。いわゆる「結婚式」を行わず、「パートナーシップ締結式」を行ったおふたりの記事を読みました。そのときの宣誓文があまりに素敵なので、ここに引用させていただきます!
宣誓文
私は、社会が規定する一切の妻(/夫)役割を放棄します。発言権や決定権という基本的人権を双方が厳守し合う、対等な関係を常に意識し続けることを固く誓います。対等性が損なわれることなく、人権侵害のない限りに於いて、永遠に恋人として、親友として、同志として、共に生きていくことを誓います。(Voice of Women no.317号, p.7)
2010-12-20
■[その他] ご無沙汰でした
ご無沙汰になってしまいました。せっかく訪れてくださったのに、なんだ更新してないじゃないか、と思われたかたに深く謝らないといけない。
「ちょっと」のつもりがもう一カ月以上も経つ。仕事の締め切りがたてこんでいて、物理的に忙しかった。慢性的な疲労感と眠気。職場のほか、自宅での持ち帰り仕事がとても多いのでそれが困る。研究レポートみたいなものをたくさん書かないといけない。毎日朝4時頃寝て、6時過ぎに起きるので、とにかく睡眠不足だ。休憩時間の5分で熟睡できるようになった。駅のホームに立っていても、少し眠れるようになった。新しい特技だ。
最近はあまりがんのことは考えない。朝夕に飲まなければならないノルバデクスを見るときに、ふと思い出すくらいだ。病気になった最初の頃は、それにまつわる「社会」の問題(原因、偏見、予防、医療など)がひどく気になって、たくさん文句を言っていた私だが、最近は、まずは「自分」の問題だと理解するようになった。自分が自分の心身を大切にせず、野放図な生活を送っていたら、ああいう病気になるのはあたりまえだ、と素直に感じる。だから最近はからだにとって気持ちいことをことさら見つけるようにしている。冷えた日にお風呂に入った瞬間のあったかさ、こぶ茶(渋い?)をすすった瞬間のしゅわしゅわなしょっぱさ、PCで目が疲れた時に目を閉じることの喜び・・・そんなたわいのないことで人は幸せになれるものなんだな、と思った。
それでもね、今ブロガー同盟の仲間で必死にがんの増殖と戦っている人もいる。そうゆうことを忘れることはできない。


