ergo sum

2017-07-17

[] こんなものが・・・

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文字通りの猛暑が続きます。

みなさまお元気でしょうか。

どうぞ無理なく、休むときは休んでお過ごしください。


いろいろな業務が重なって更新ができずに申し訳ありません。


さて、こんなものを見つけた。

なんとプラシーボ用の偽薬が市販されていた。

プラシーボ効果とは、思い込みだけで病状が改善することを言い、実際に薬と偽って投与した人の約16%にはプラスの症状が現れる。

だから治験ではそれ以上の効果をあげないといけない。

この薬、中身はただのサプリメントなのだが、対象実験以外にも使い道が多いらしい。不定愁訴を訴える患者に飲ませて黙らせるなど、介護現場でも使用されているとのこと。なるほど。しかも16%に効果があるのだから、効くか効かないかわからない抗がん剤よりも、確率的には有効であるかもしれない。面白いなあ。

信念の強い人であれば、「これは**に効く薬だ」と思って毎日一錠ずつ飲めば、きっと一年後くらいには効果が出るかもしれない。やってみようかな。

2017-06-26

[] どうしてがんで死ぬのか

いつものことだが、有名人ががんで亡くなると一時的にそのがんに注目が集まる。今はちょうど乳がんや肺線がんが話題になっている。

歌舞伎俳優の妻の件については、最初の健康診断では疑わしいと出たものの、行った先の病院が「がんではない」と診断してしまったこと、その後一年くらい治療を行わなかった(あるいは民間療法か?)ことなどが取りざたされており、すぐに手術していれば助かった可能性があったことが悔やまれる。

興味のある方はこちらなど

彼女に、静かに合掌したい。立派な人だったと思う。

なお、彼女も、それからボクサーの膀胱がんの人も、初診を行ったのは「知り合い」の医者であり、だからその医者の誤診を信じてしまったというケースが比較的多いことに気がつく。医者は相手を安心させようとしてポジティブなことを言う傾向にあるし、相手もそれでは疑えない心境になるのだろう。


こんな記事もみつけた。

「人はどうしてがんで死ぬのか」

病理医の立場から言うと次のように分類されるらしい。

1.臓器を破壊する

2.せき止める(梗塞、リンパ管症など)

3.出血する

4.栄養不足(悪液質)

5.血液の異常

実際には肺炎などが多く、がんは直接の死因にはなりにくい、と聞いたことがあるが、上記の5つに入れば死亡診断書の死因は「がん」になるのだろうか。診断書はまた別の話かもしれない。

5.の血球貪食症候群とか腫瘍崩壊症候群は知らなかった。血中の電解質が異常になって死につながることもあるらしい。

2017-06-16

[] 引越し

ご無沙汰ごめんなさい。

無事引越しが済んだけれど、PCの復旧に時間がかかった。

私の職場と子供の大学にかなり近くなったのでたいへん助かっている。

とはいえ、日々の仕事をこなしながらの引越しで、することが山のようにあって消耗する。

引越し前に捨てようと思ったものが捨てられず、そのまま運ばれてしまったので、再度整理しなければ。

断捨理の機会なのでがんばりたい。

今度こそ、システマチックにものを管理したいものだ・・・

2017-05-29

[] 不健康な痩せ方

運動や食事制限による健康なダイエットではなく、ストレスで不健康に痩せるパターンを過去数回経験している。

職場での大きな派閥争いに巻き込まれたとき。

がん再発の疑いがあったとき(幸いその事実はなかった)。

子供の問題があったとき。

そして今回(引越しと家庭トラブル)。

一度に3、4キロ痩せる。


努力しなくて痩せられるのだから良いではないかと思われるかもしれないが、けっこう困る。

痩せ方が違うのだ。

健康なダイエットは、全体的に脂肪が落ち、基礎代謝が上がって痩せる。

だがストレス痩せの場合は、普段使っている筋肉の周りしか痩せない。

だから、腕がガリガリになり、顔がガリガリになる。

腕の筋肉だけは日常使っているし、顔も食事する限り顎回りの筋肉は必ず使っているから痩せるのだ。

その結果、ますます貧相な姿になってしまい、みるからにやつれてしまう。

減ってほしい腹回りの脂肪などは、間違っても減らない。


先日久しぶりに恩師にお会いした。恩師はご高齢で、最近は腎臓の手術をされたとかで、皆が気遣っていた(たぶんがんだろう)。私も丁重にご挨拶したのだが、

「お痩せになりましたね。大丈夫ですか?}

と逆に心配されてしまった。

元気に振舞っていたつもりだったが、自身の死を覚悟した年配者としては、何か感じるところがあったのだろうか。

そういうかたちの労わりは、それでも、温かく、うれしかった。

だが、先生を心配させちゃいけないなあ。

もう少しふっくらとしたいなあ。

2017-05-05

[] 最近ビタミンCを飲んでいない

みなさま、連休は楽しく過ごされましたでしょうか。子供がいると、行楽地に出かけなければならず、かえって疲れるものです。この土日だけでも休みたいですねえ。


さて。最近ビタミンCを飲んでないな、と気づいた。

ほかにもいろいろなサプリを飲んでいるが、ビタミンCといえば基本中の基本。

その効き目云々の話ではなくて、私が何かにかまけるとすぐに自分の体のケアを忘れてしまう癖があり、その基準になるのが経験的にビタミンCの摂取なのだ。


そういえば乳がんが発覚したときも、その前の数ヶ月はサプリメントどころではなかったし、自分の体に触れたり、見たりすることを忘れていた。

それで、お風呂場で偶然胸に触れて、しこりにびっくりした次第だ。

しまった、という感じだったと思う。

もっと前に気づくべきだったのに。

なんでこんなに気づかなかったんだろう。

前の職場で大きな騒動に巻き込まれたときも、サプリどころか、毎日同じ服で、髪もセットせず、めちゃくちゃに気のぬけた格好で通勤してた。(そのころはまったく洋服を買わなかったので、1年間の被服費がすごく低かった)

子供が無事大学生になったのはよいものの、職場でも家庭でもなにかとトラブル続きで、最近は平常心ではなかった。

うん。

こんどはビタミンCをちゃんと飲もう。

いくら心がいらいらしたり、折れたりしても、自分の体ときちんと向き合おう。

風呂上りのボディークリームもちゃんと塗ろう。

耳マッサージもしよう(餃子みたいに折りたたむ)。

足首回しもしよう。

2017-04-18

[] ほとんど無に等しいこと


一匹の犬の死について

近親が病人に、子供が老人に、ある看病人が患者に、というふうにつくされるあの親切が私は好きだ。枕の位置を変えることは大したことではない。しかし、ほかにしてあげられることが何もない時には? 

人は自然に(神に、とは私は言わない)少しずつ寿命を縮めるという労をとってもらい、その上で可能な程度、すなわちほとんど無にも等しい程度で、自然に逆らうわけである。この<<ほとんど無にも等しいこと>>が私を感動させる。それが人間性の周辺である。(グルニエ『地中海の瞑想』より)

がんの標準治療を行うことで、統計上は5年生存率が3.7%上がるとする。だがその3.7%に入らない96.3%の人にとっては、効果がなかったか、それともすでにがんが無くなっていて無用な治療だった。また3.7%に入った人も、必ずしも完治したわけではなくて死亡時期が数ヶ月遅れるだけかもしれない。このようなことに対して、多額の医療費や多大な副作用を引き受けるのだから、費用対効果はけっして高くない。というか、不条理なレベルだ。

だからがん治療は無駄だ、製薬会社が儲かるだけだ、と言うのはたやすい。

また自分だけに画期的な効果が出て、自分だけは完治できる、と信じるのは愚かしい。

だが、治す側も、治される側も、それが<<ほとんど無に等しいこと>>と知りながらもあえて自らの意思で自然に逆らうなら、それには何か意味があるかもしれない。そもそも人間に「可能な程度」は<<ほとんど無に等しい程度>>なのだから。それが人間なんだから。


それを実感するのは、マンガ『ブラックジャックによろしく』の6巻から始まるすい臓がんの女性の話だ。何の知識もない普通の主婦が最後に治験としての化学療法を自ら選択する。それは彼女自身のためだからだ。

がんは薬や手術で治るようなものではない。がん治療の本質を知るにはこのマンガが一番優れていると思う。もちろん、ちょっと古いので副作用などは誇張されているけれど。なおこの漫画は著作権の問題のため、オンラインで無料で読めるので、ぜひご覧あれ。

https://bookstore.yahoo.co.jp/free_magazine-184583/

(今日は子供が部活動なので、急いで帰宅して晩御飯を作らなくて済む。久しぶりに職場でのんびりできたのでブログをアップしてみた)

地中海の瞑想 (1971年) (AL選書)

2017-04-16

[] 『癌だましい』


今日は部屋の片付けをしていた。

以前読んで発掘された本があったので、久しぶりに読書メモを残しておこう。


「うっ、つっつう」

背を丸め、痛みに耐えて飲み込んだ食物は狭窄部で停留し、今来た道を引き返す。どれほどどろどろになろうと狭窄部は通らない。液体、それも粘度の低い、水かお茶の類でなければ通っていかない。行きも帰りも痛みを伴いながら、食材は形を変えて麻美の口から溢れ出す。それをすかさずボウルに受ける。粘度が高いため、入った分がそのまま出てくるわけではない。まだ食道のどこかにひっかかっている。(p.22)


山内令南さんの『癌だましい』だ。独り身の食道がんステージ4の女性が、これでもかと儀式のように食べ物を口に詰め込んでは吐き出す場面から始まる。すでに食道が狭窄しているので、食べ物は下へ降りていかない。だが食べることへの執着は消し去ることができない。

不安の克服とか、精神的成長とか、死の受容とかいった、作られた「がんストーリー」の対極にある壮絶なリアルだ。だから面白い。

食道がんといえば、父が罹った病気でもある。そういえば、入院中に誤嚥性肺炎予防のために絶飲食になってもなお、隠れてコンビニ弁当やサンドイッチを買って食べていたなあ。主人公の女性と同じ心理なのだろう。

「食べてはいけない」から「食べたく」なる。

この作者は絶対に食道がんの患者だろう。未経験者にこんなシーンは書けない。そう思ってあとがきを読んだら、文学界新人賞受賞の約一ヵ月後に52歳で食道がんで亡くなられたとのこと。早すぎる。もっと書いてほしかった。

彼女の遺稿になった『癌ふるい』も文庫本に収録されている。これは別の意味で面白い。食道がんのことを伝えたさまざまな知人たちからの返信のメールが、これでもかという具合に列挙されている。驚き、同情、当惑、欺瞞、気休め… どれであるにせよ、患者本人にとっては、患部の炎症が逆なでされるような不快なものであることに変わりはない。私は腹が立って仕方がなかった。それが作者の狙いだったのだろう。(それともがんの経験がないと、違う読み方になるんだろうか?)

癌だましい

 

2017-04-06

[] 朝の桜

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花見といえば必修の年中行事で、なんだか家族みんなでおしゃれして、いわゆる名所に行って記念写真を撮らないといけないようなイメージをもっていた。だが今年は息子の入学式などで忙しくて、お花見には行けなさそうだ。息子もサークルの新歓コンパで忙しく、家族との花見など行きたがらない。私は行事が中断することに、少し不安を感じていた。


だが、今朝職場に行ったらちょうど桜が満開だったので、立ち止まって写真を撮ってみた。

朝の桜もいいものだ。

静かで澄んだ空気の中に花びらが思い切り広がっている。


これでいいのかもしれない。病気以来、桜には特別の思い入れがあって花見にはこだわっていたが、自分が自分の感覚で桜を楽しめることの方が大切かもしれない。そして、子離れして、自立しないとな、と思った。


尊敬するブロガーさんがこんなことを書いていたので、こっそり引用させていただく。がんの手術の後遺症でかなり不自由のある方なんだけど、とてもすてきなことを書いておられる。

今、考えています。

この瞬間に自分に必要な「手当」とは何だろうな。

多分、それは治療だけの話では無いでしょう。

そしてそれを見つけられたとしたら

私はまた一つ、幸せのかけらを手に入れたことになるのでしょう。

「幸せのかけら」そしてその「積み重ね」

私のがん退治の軸とは案外そんなところにあるのかもしれません。

2017-03-31

[] マーガリンと給食の思い出

今は息子の大学入学の準備などで慌しくしている。今の住所からは少し遠くなるので、どうせ借家なら息子の学校と私の職場に近い所に引越そうかと考え、家探しもしている。引越しのことやお金の支出のことで夫と意見が合わず、かなり不愉快になった。


自分が小学生になったときのことを思い出した。ハッピーな思い出はあまりなくて、思い出すのは給食のことばかりだ。

もともと食が細くて、ごはんをお茶碗に一杯も食べられずに苦労していた。これでは小学生になってからが大変だと思ったのだろう。母は何度もこう言った。

「ショウガッコウでは、給食を残したり、時間内に食べなかった子は、牢屋に入れられるのよ」

だから入学は恐怖でしかなかった。ほかのバージョンとしては「先生の言うことを聞かない子は牢屋に入れられる」「忘れものをする子は牢屋…」以下同文。

さて、5月くらいになって、ついに給食が始まった。黒板前に勢ぞろいして立っている白衣の当番たちが医者のように見えて怖かった。白衣の放つ妙な消毒液の匂いも病院みたいだ。あの人たちが私を牢屋に連れていくのだろうか…

大急ぎで食べた。おかずは何とか食べられたのだが、食パンがパサパサしていて、とても食べられない。しかも二枚。

死に物狂いで食べたが、マーガリンが残っていることに気づいた。5センチくらいのビニール袋に入ったやつだ。

今の私がその場にいたら、「トランス脂肪酸のマーガリンなんか、死んでも食うな!」と叫んでいたことだろうが、もちろんそんなことはわからない。

マーガリンだけを、ビニール袋からチューチュー出して吸って、食べようとした。

だが普段食べつけていないヘンなものを食べられるはずがない。

半分くらい食べたら気持ち悪くなり、ついにごちそうさまの時間になり、パニックになった私はゲボっと吐いてしまった。

だが、その後誰かが私を逮捕しにくるわけでもなく、皆何事もなかったように振舞っている。ケーサツの人はいつ来るんだろう、という恐怖におびえながら縮こまって過ごした。

だから最初の給食は最悪の思い出だった。子供を脅迫したり屈辱を与えれば言うことを聞くと思っている母と、まじめで(まだ)素直な子供だった私。食べられないことを先生に相談したり、残したらどうなるのかを正直に尋ねたりする勇気やコミュニケーション能力が欠けていた。

それ以来私は牢屋に閉じ込められる夢をよく見るようになった。


だが、今思うに、マーガリンを単独で口に入れて、気持ち悪いと思う感覚は、正しいのだ。私の体は正しく反応したのだ。ところが年をとって感覚が鈍くなったり、社会性が芽生えたりすると、気持ち悪いものを美味しいと思うようになってしまう。コンビニ弁当とか、ファミレスのハンバーグとか、フォワグラとか、霜降り肉とかね。

2017-03-12

[] ふたたび

国立の合格発表の当日。見に行った息子から「×」という内容のメールを受信した。残念ながら不合格だった。

親としては奇跡の合格を願った一方で、あの勉強量の少なさや、自分勝手な態度(「僕は楽して受かりたい」「**の分野が絶対出るならやる。そうじゃなきゃやらない」「勉強しない方がかえって直感が冴えて点がとれる」「去年落ちたのは環境のせいだ」)を見るにつけて、これはちょっと、典型的な「落ちる子」のパターンだ、とは思っていた。

大学はそんなに甘くない。

合格した子がテレビのインタビューで「目から火が出るほど勉強しました」と答えていたが、そのくらいの気合がないとだめだと思う。結局、合格は、本人の意志と学問に対する誠実さだと思う。

うちの子は「○大生」になりたかっただけで、勉強が好きなわけではない。

自分の発表の前に、友達の合格祝いを主催してカラオケで大騒ぎ。

この脳天気のせいで、落ちたときは友達にも合わせる顔がなくて、自分を苦しめている。(私に似て自虐的なところがある)

一方で、発表前は「落ちたら死ぬかも」と親に対しては深刻ぶっている。

現在部屋に篭っている息子は、自分の弱さに気づいたのか、それとも相変わらず他罰的なのか、わからない。しばらくはそっとしておこうと思っている。


発表当日は一言も発せず、部屋に篭って、食事もしない。

二日目は部屋の入り口まで出てくる。

三日目はジェスチャーで返事し、お菓子なら食べる。

・・・古事記の天岩戸みたいだな。


一浪というチャンスを自分で活かせなかったのだから、二浪は絶対にさせない。これが親の方針だ。

もはや後期日程で別の国立を受験する意欲もないそうなので、親が慌てて私大の入学手続きを行った。理工系の生命化学科。(予備校の仲間たちは、後期で医学部にチャレンジするケースが多いが、それもいやだという)

私大としては最難関の良い学校だと思うが、本人が馴染んでくれるだろうか。一生学歴コンプレックスを抱えて屈折されたら悲しいな。

「×」に対して、「君の価値を決めるのは大学名ではなくて、君自身だ」とメールを返しておいたのだが、通じているのかな。

いますぐでなくていいから、いつかわかってほしいな。