ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 『癌だましい』


今日は部屋の片付けをしていた。
以前読んで発掘された本があったので、久しぶりに読書メモを残しておこう。

「うっ、つっつう」
背を丸め、痛みに耐えて飲み込んだ食物は狭窄部で停留し、今来た道を引き返す。どれほどどろどろになろうと狭窄部は通らない。液体、それも粘度の低い、水かお茶の類でなければ通っていかない。行きも帰りも痛みを伴いながら、食材は形を変えて麻美の口から溢れ出す。それをすかさずボウルに受ける。粘度が高いため、入った分がそのまま出てくるわけではない。まだ食道のどこかにひっかかっている。(p.22)


山内令南さんの『癌だましい』だ。独り身の食道がんステージ4の女性が、これでもかと儀式のように食べ物を口に詰め込んでは吐き出す場面から始まる。すでに食道が狭窄しているので、食べ物は下へ降りていかない。だが食べることへの執着は消し去ることができない。
不安の克服とか、精神的成長とか、死の受容とかいった、作られた「がんストーリー」の対極にある壮絶なリアルだ。だから面白い。
食道がんといえば、父が罹った病気でもある。そういえば、入院中に誤嚥性肺炎予防のために絶飲食になってもなお、隠れてコンビニ弁当やサンドイッチを買って食べていたなあ。主人公の女性と同じ心理なのだろう。
「食べてはいけない」から「食べたく」なる。
この作者は絶対に食道がんの患者だろう。未経験者にこんなシーンは書けない。そう思ってあとがきを読んだら、文学界新人賞受賞の約一ヵ月後に52歳で食道がんで亡くなられたとのこと。早すぎる。もっと書いてほしかった。
彼女の遺稿になった『癌ふるい』も文庫本に収録されている。これは別の意味で面白い。食道がんのことを伝えたさまざまな知人たちからの返信のメールが、これでもかという具合に列挙されている。驚き、同情、当惑、欺瞞、気休め… どれであるにせよ、患者本人にとっては、患部の炎症が逆なでされるような不快なものであることに変わりはない。私は腹が立って仕方がなかった。それが作者の狙いだったのだろう。(それともがんの経験がないと、違う読み方になるんだろうか?)
癌だましい