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Culture Vulture このページをアンテナに追加 RSSフィード

ライター・近藤正高の日記
※「Culture Vulture」とは「文化マニア」「文化知識をひけらかす人」「エセ文化人」の意
※仕事のご用命等、近藤への連絡はプロフィール欄記載のメルアドまでどうぞ

※著書第2作『新幹線と日本の半世紀』(交通新聞社新書)、2010年12月15日発売!
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2005-02-14

COMPEKIの空、仰ぐ春コミ

3月21日(月・祝)に東京ビッグサイトで開催されるコミックマーケットスペシャル4へのサークル参加が決定。すでに今回のコミケでは応募した全サークルが当選したことは知っていたが、きょうようやく正式な通知が手元に届く。ぼくらのサークル名は「COMPEKI」(近藤と同じくメンバーである中国は岡山生まれの会社員・田中北京氏と二人の名前からとったのだ)。今回のコミケはコミケ30年を記念して開催されるもので、朝8時〜13時の第1部と、16時〜21時の第2部とに分け朝から晩までぶっ通しで開催されるのだが、ぼくらは第2部への参加となる。配置はビッグサイトの西館1階の2ホール“G”40b。

ところで、うちのサークルのメンバーは3人なのに、参加通知書に同封されていた会場へのサークル専用通行証は2枚(通常のコミケなら3枚なのに)。となると一人は遅れて入場しなければならないことになるが、さて、どうしよう。

なお、春コミでの肝心の新刊は、とりあえずぼくが昨年末に出せなかった個人誌『Re:Re:Re:』vol.3を、田中と高崎在住の謎の男・万里小路信房の両氏が『サブカル通信』第7号をそれぞれ発売するとともに、さらに編集人・近藤、発行人・田中、スーパーヴァイザー・万里小路という布陣で、『サブカル評論』の増刊として『脱線』と題する(まだあくまでも仮題だが)冊子を発行する予定である。ただし『Re:Re:Re:』以外は、どんな内容にするかは決めたもののまだまったく未着手の状態。早いところ手をつけねばと思いつつ、乞御期待。あ、もちろん『サブカル通信』やかつてぼくがつくっていたミニコミ誌『ZAMDA』のバックナンバーの販売も行なうつもりです。

バレンタイン二題

坂本龍一のアルバム『/04』(ASIN:B00030GPZ6)で、ピアノによってセルフカバーされた「Riot in Lagos」を、ああ、このアレンジの仕方はやっぱりスティーヴ・ライヒの影響(特に「クラッピング・ミュージック」あたりの)が強いなあなどと思いながら聴いたあと、続けてスパンクハッピーの『Computer House of Mode』(ASIN:B00006AUQT)に収録された「Riot in chocolate logos」を久々に聴く。その時いまさらながらに、この曲のタイトルが「Riot in Lagos」のもじりだということに気づく。遅すぎ。

 ■

昨晩のスポーツニュースで、小倉優子千葉ロッテマリーンズの監督にチョコレートを渡している様子を見て、「ああ、そういえばゆうこりんは千葉県出身だもんね」とはすぐ気づいたのだが、監督の名前がバレンタインで、今回のパフォーマンスもそれに引っ掛けたものだったということにはきょうになってようやく気づく。遅すぎ。

「子供の資本主義」の先兵としてのピンク・レディー

今晩の『HEY!HEY!HEY!』にピンク・レディーが登場した際、かつて彼女たちが出演したアメリカのコメディ番組『PINK LADY SHOW』がチラッと紹介されて、司会のダウンタウンに結構ウケていた。この番組については、ぼくも以前ミニコミ誌に掲載したピンク・レディー論でちょっと触れたのだが、せっかくなのでその箇所だけ抜粋してここに転載しておこうと思う。以下、『ZAMDA』第10号(2002年12月)からの転載。

 ■

(ピンク・レディーは)一九八〇年三月には全米ネット局・NBCのミュージカル・コメディ番組『PINK LADY SHOW』に出演するも、六回放映の予定が視聴率低迷のため五回で打ち切りの憂き目に遭う。その番組内容への人々――特にマスメディア――の反応も俗悪、あるいは国辱だというものが大半で、特に在米日系人からの非難には厳しいものがあったようだ。特に彼らが不快感を抱いたのは、番組のエンディングで、身につけていた着物を脱ぎ捨て大胆なビキニ姿となった彼女たちが、男性司会者(コメディアンのジェフ・アルトマン)を風呂の中に連れ込むというシーンだった。

「日本の伝統的習慣では、一日の終りに、必ず熱いオフロに入るのよ」と司会者氏に語りかけたミイとケイ。「ちょっと待っててね」と、障子仕立てのツイ立てに隠れる。飛び出した二人は、目もアヤな長じゅばん姿。それをパッと脱ぎすてると、ビキニ姿。続いて、イヤがる司会者氏を抱えて、一緒にフロへドボン。両側から体を押しつけながら、司会者氏のネクタイを外し、上着をはぎ…。
「明らかに、日本のトルコ風呂(引用者注:いまのソープランド)を連想させてくれた」と、(引用者注:当時ロス在住で五〇歳の日系)二世氏はいうのである。
 所属プロダクション『T&Cミュージック』の貫泰夫会長自身、「日本でだったら、あんなシーンはやめさせた」とおっしゃるんだから、多少、そういう自覚はあったらしい。(略)
「そもそも」と、これは別の二世氏(四五)。
「アメリカで、一つのバスタブに男女が一緒に入るのは、特別のことを意味する。こういうシーンが演じられるのは、ポルノ映画の中だけというのが、アメリカの常識なんですからね」
 騒がれたのも当然だったというわけだ。

 (『週刊新潮』一九八〇年三月二〇日号、新潮社)

現在、この番組は『Pink Lady …And Jeff』(Rhino Home Video、二〇〇一年)というタイトルで、アメリカで数回分がDVD化(ASIN:B00005JH9Q)・ビデオ化(ASIN:B00005JHBFASIN:B00005JHBGの2本組)されており(シリーズ放映に先立ち、一九八〇年三月一日に放映されたプレミアム・ショー――そのタイトルがビデオの表題となっている――も含む)、日本でもネット通販などで入手して見ることが可能である*1(ただしDVDは規格の違いにより日本のプレイヤーでは再生不可)。それを見るかぎりでは、どうやらラストのコントは毎回お約束のものだったらしく、別の回では風呂から力士が現われたりするのだが、すでにアメリカの映画などで多分な勘違いを含む戯画的に描かれた日本像を見慣れているせいか、ぼくには国辱というふうには受け取れなかった。むしろ日本女性が積極的に白人男性をリードしていることに日米の立場の逆転すら思わせた。それはひょっとしたら、いまや欧米では日本のアニメやマンガなどが人気を集めており、日本の文化や人々の生活がある程度は理解されているという安心感が意識の根底にあるからなのかもしれない。しかし当時はまだこのような番組内容は、長いあいだ米国で苦難の道を歩んできた日系人にとってはもちろん、日本本国に住む人たちにすらやはり受け容れがたいものだったのではないか。

この番組が放映される前年の一九七九年には、日本の驚異的な経済発展はその独特の組織力や政策、計画性によるものだと論じたアメリカの社会学者、エズラ・F・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が邦訳され(TBSブリタニカ)ベストセラーとなった。この時期は円高不況と言われつつも、二つのオイルショックから先進国ではいち早く立ち直り、日本人は自分たちこそ世界一であると過剰なまでの自信を持ち始めていた*2。そんな日本人にとって、アメリカで自国の若い娘が言わばトルコ嬢まがいの姿をさらしているのは、かつての米軍占領下の記憶をも呼び起こし、とても我慢ならないものであったに違いない。

(略)

しかしそういうふうにネガティブに受け取る人々がいる一方で、たとえば放映当時は酷評を受けた『PINK LADY SHOW』も実は意外なところで人気を得ていたようだ。先ほど記したように二〇〇一年には同番組がDVD化されているが、それを紹介した町山智浩のコラムによれば、同番組は放映後二〇年のあいだにはアメリカでは《当時の録画テープが高額で闇取引されるほどのカルト番組》となっていたという。

DVD発売に狂喜しているファンのWEBサイトを見ると、連中はどうもピンクレディのセクシーな衣装と激しい踊りにトラウマを受けたらしい。ミーちゃん(当時22歳)はアメリカ人の目には子供にしか見えないから、当時は革命的だったろう。

 (町山智浩「まいっちんぐU.S.A」、『テレビブロス』二〇〇一年九月一日号、東京ニュース通信社

現在でもキリスト教の道徳観が支配的なアメリカやヨーロッパでは、子供を性的な対象として捉えることは固く禁じられている。それが逆に追い風となって、一九九〇年代には日本のアダルトビデオがアメリカのロリコンたちのあいだで大いに歓迎されることになった。つまりピンク・レディーがそうだったのと同じく、AVに出ている日本の少女たちは、年齢的には違うのだが、アメリカ人から見れば完全な子供に見え、十分に児童ポルノの代替として利くというわけだ。その意味で、奇しくもピンク・レディーはその先駆けとなっていたと言える。いや、事は何もポルノにとどまらない。さっきも少し触れたが、八〇年代以降、欧米諸国には日本のマンガやアニメ、またテレビゲームが大量に輸出され、子供のみならず大人からも人気を集め、大勢のマニアを生んだことはすでに日本でもよく知られている。それまで単なる子供の文化だと蔑まれていたマンガやアニメがこのように浸透していくことに、アメリカやヨーロッパのインテリたちは危惧を覚えたが、その勢いは日本が長い不況に入っても一向にとどまる気配はない。新たに『ポケットモンスター』の爆発的ヒットなどといった現象も起きているほどだ(浅田彰は、こうした八〇年代以降の「子供の文化」の海外輸出なども含めた日本の資本主義の動きを、大陸ヨーロッパの「老人の資本主義」や英米の「大人の資本主義」に対し、「子供の資本主義」と半ば皮肉まじりに名づけていた*3)。そんな日本発の「子供の文化」の輸出の先鞭をつけた“商品”こそ、ピンク・レディーだったとも言えるのではないだろうか(もちろんそれ以前にも、米国では『アストロボーイ』と改題されて放映されたテレビアニメ『鉄腕アトム』などの例もあったが)。

そういえば橋本治は、レコード大賞をピンク・レディーが取る以前五年間の同賞受賞者が、全員団塊の世代ではあるものの大学には行かず、ちょうど進学した同世代による全共闘運動の全盛期(一九六〇年代末)にはその変わった歌声や長髪を非難されるなど努力や苦労を積んでいた歌手たちであることを指摘し*4、彼(彼女)らのあとにピンク・レディーが同賞を受賞することによって《時代の雰囲気は、一挙に子供っぽく》なったと書いていた(『二十世紀』毎日新聞社、二〇〇一年、ISBN:462031496X)。やはりピンク・レディーは、時代の主流が大人の文化から子供の文化へと移行する分岐点を象徴しているのではないか。

(転載終わり)

*1:ビデオに収められたとある回には、あるゲストが日本のぼくらの世代にも馴染み深いソウル・ナンバーを歌っていたのだが、確認したところそのゲストの名前はテディ・ペンダーグラス……そう、その曲はドリフの「ヒゲのテーマ」の原曲である「DO ME」だったのである。ちょうどピンク・レディーがアメリカでこの番組に出演していたころ、日本では「ヒゲダンス」が大人気となっていたのだ。

*2:自国民に対して過剰な自信を抱いていたのは政治家も同じだったようで、たとえば中曽根康弘の首相在任中(一九八六年九月)の「アメリカにはプエルトリコ人とかメキシコ人とか、そういうのが相当おって、平均的にみたら(知的水準は)非常にまだ低い」という発言――この発言は米議会でも取り上げられ大騒ぎとなった――は、そもそも『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を都合のいいように解釈した結果発せられたものではないかと斎藤美奈子は指摘している(『ノーサイド』一九九六年三月号、文藝春秋)。また著者のヴォーゲル自身ものちに、同書は日本では禁書にすべきだったと述懐している。

*3:くわしくは浅田彰の講演録「子供の資本主義と日本のポストモダン」、『現代思想臨時増刊 日本のポストモダン』(青土社、一九八七年)などを参照。

*4:参考までにピンク・レディーがレコード大賞を受賞する以前五年間の歴代受賞者と受賞曲をあげておくと、一九七二年・ちあきなおみ「喝采」、七三年・五木ひろし「夜空」、七四年・森進一「襟裳岬」、七五年・布施明シクラメンのかほり」、七六年・都はるみ「北の宿から」、七七年・沢田研二勝手にしやがれ」という具合。そのうち五木ひろしは「よこはま・たそがれ」(一九七一年)のヒットまで四度の改名を経験し、森進一と都はるみはその独特の歌唱法をゲテモノ扱いされたこともある。また沢田研二は、GSバンド、タイガース時代には、長髪を理由に長いあいだ、紅白歌合戦に出場させてもらえなかった……と皆、おのおの苦労を経て歌謡界の頂点に登りつめていたのだった。