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ライター・近藤正高の日記
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2005-03-22

丹下健三と浅田孝

草柳大蔵の『実力者たちの条件』には、このほかにも丹下健三をめぐる様々なエピソードが紹介されていて面白い。たとえば丹下は個人の住宅を建てたことがないという。唯一自ら手がけた自宅も、高床式のガラス張りのため朝早くから光が射し込む上、女中部屋をつくらなかったので女中は押入れの中で寝るというありさまだったらしい(おかげで丹下はこの家に住み慣れることができず、アパートに逃げ込むにいたったという)。

ほかにも、丹下が浅田孝ら周囲にいた参謀役たちにどんなふうに支えられていたかを記した箇所などは興味深い。草柳のインタビューに対して、《国内のコンペに応募していたころは、丹下さんの作品は描きあがった途端に一等だ、とわかるものであった》ほどの天才作家だと丹下を評した浅田だが、《そのかわり、あとが大変だった》とつけ加えている。

 ……丹下の作品を抱えて走り出すのは浅田の役割であったが、そのあと役所側と予算の折衝をしたり、材料の打ちあわせをすること一切をひき受けるのである。一例をあげると、都庁(引用者注:1957年竣工の旧東京都庁舎)の設計では、丹下案どおりに行なうと、都市ガスの使用量が三倍かかることになる。これをどう調整するかが参謀たちの役割なのだ。

 天才には自分の思念した世界しか見えないから、このような折衝はできない。しかし、浅田はこの天才に対して、べつの形の協力もしている。

「私は、丹下さんに対して敵対的協力者であったつもりです」というのだが、その真意は、丹下の作家精神を燃焼するだけさせて、そのうえで虚飾を指摘したり都市の民衆に対する考え方に意見を出すということであった。すると、丹下は猛烈に怒るが、その怒りを表面に出さずに内側に集積してゆく。この集積があるレベルに達すると、一挙にふきあげて、原案をさらに飛躍させるというのである。

いつだったか、石山修武が浅田孝の甥である浅田彰について、《浅田彰はしかし座談、討論共に名手だなアレは。話題のつくり方、タイミング等見事だ。まわりにも気を使って、しかも使い過ぎず。余程浅田孝が仕込んだに違いない。浅田彰を見ていると、丹下健三の仕事における浅田孝の役割がどれ程のものだったのかに想いをはせざるを得ない。丹下健三という人は驚く程にそのような人間に恵まれてきたのだろう》(http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/jp/toppast/top0109.html)と書いていたが、上の文章を読むと、石山の言う「浅田孝の役割」が具体的にはどんなものだったのかがよくわかる。物書きの世界でいえば、さしずめ優秀な編集者ともいうべき役割を浅田孝は担っていたのだろう。

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