マリリン・モンローと川端康成

 1962年8月5日、アメリカの女優のマリリン・モンローが自宅にて亡くなった。ちょうどきょうが50年目の命日ということになる。

 モンローの訃報はアメリカではさすがに大きく報じられたというが、日本の新聞ではそれほどでもない。1962年8月の毎日新聞縮刷版を見たところ、その訃報記事(見出しが「モンローが急死」と敬称略なのが気になるが)は同6日付の社会面の下段に追いやられ、けっして大きな扱いではない(隣のページに双葉十三郎が追悼文を寄せてはいるものの)。それでも同10日付の紙面では、川端康成が連載エッセイ「自慢十話」の第7回分で、モンローの死をとりあげている。ちなみにこの回のタイトルは「大女優の異常」というもの。

 書き出しでは、モンローが睡眠薬の飲みすぎで死んだことに触れ、川端自身も睡眠薬中毒であることを告白している。いわく《四十年間も眠り薬につきまとわれて、その害毒も知る私は、モンローお前もか、と思った》と。川端はこの前年に、晩年の代表作である『眠れる美女』を上梓しているが、それ以前よりずっと睡眠薬中毒に悩まされていたのである。じつのところこのころ川端はすでにペンを持つこともままならず、別の作家に代筆させていたのではないかとの噂もあるほどだ。

 それはともかく、くだんのエッセイではモンローの話から、しばらく彼女とは関係のない自身の体験談などとりとめのない話が続く。そして後半、やはり同年亡くなった中村時蔵(4世)について、心臓麻痺で死んだのは《舞台の過労の上に睡眠剤の害毒[引用者注――中村も川端が一時期服用していたのと同じ睡眠薬を飲んでいたという]も加わったのでなかったか》と書いたあと、思い出したかのように話題はモンローの死へと戻る。

 自殺にしろ、過失死にしろ、マリリン・モンローは女優としても、三十六才まで女としても、さぞつらく苦しかったのだろうと私は思う。自殺とすれば、遺書のないのがいい。無言の死は無限の言葉である。裸で死んでいたのなら、それもいいだろうか。

 《遺書のないのがいい》という一文にはさすがにドキッとした。ほかならぬ川端が、このちょうど10年後、まさしく遺書らしいものを残さないまま自死をとげていることを考えると、この文は意味深長ではないか。もっとも川端はこのあとで、モンローなど世界の大女優、あるいは文学者や画家は《痛酷、苛(か)烈な荒い風に》吹きさらされているが、これに対し《今のところ、日本のいそがしさは「芸術家」には防風林、なまあたたかい島国は、悲劇の緩和剤なのである》と書いているのだが。

 なお同エッセイの最後の段落では、《先ごろ、ヘミングウェー氏は自殺し、フォークナー氏は心臓マヒで急死した》と、20世紀アメリカを代表する2人の作家の死にも触れられている。ちなみにヘミングウェイが亡くなったのはこの前年、1961年7月、フォークナーは1962年7月に亡くなっている。モンローの死んだ1962年8月にはまた、民俗学者柳田國男(8日歿)や、ドイツの作家、ヘルマン・ヘッセ(9日歿)が、という具合に大物の死があいついだ。

眠れる美女 (新潮文庫)

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 余談ながら、マリリン・モンローというとどうしても私は子供の頃に見た日清チキンラーメンのCMを思い出してしまう。たしかチキンラーメン発売から何周年だか(1980年代のことだから25周年=1983年か30周年=1988年だろう)を記念して放映されたもので、モンローが米大統領ケネディの誕生パーティーで「ハッピーバースデー」を歌った有名な映像が使われていた。ただしCMでは着色の上(オリジナルはモノクロ)、モンローの歌も「ディア・ミスター・プレジデント」のところが「ディア・チキンラーメン」というふうに変えられていたと記憶する。
 思えば、日清食品はその後もベルリンの壁崩壊やゴルバチョフの登場など20世紀の名場面やら、生前のフレディ・マーキュリーの映像やら(いずれもカップヌードルのCMだが)を加工して用いたCMを放映している。いまでは日清食品にかぎらず、CG技術の発達もあってか、各社がCMでその手の過去の有名な場面や亡くなった著名人の映像を用いており、さほど珍しいものではなくなった。それもこれも、すべての始まりは、あのチキンラーメンのモンローのCMだったのではないだろうか。