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【カブキ気分】人物を見極める

昨年(平成19年)見た舞台の中では、中村吉右衛門が演じた加藤清正が「歴史上の人物像」として最も深く心に残った。

 「二条城の清正」では、老いた清正の心が描かれる。若いころ豊臣秀吉から受けた恩に報いるため、遺児の秀頼を守って二条城で徳川家康と渡り合う。「あの当時としては珍しく、忠義に厚い武将だったと思う」と話した吉右衛門は、厚い忠義を尽くす老将の姿を見事に演じきった。

『呻吟語を読む』
P133

深沈厚重は是れ第一等の資質。磊落豪雄は是れ第二等の資質。聡明才弁は是れ第三等の資質。

聡明才弁の人はとかく鋭角的になり過ぎる。したがって自己を磊落豪雄につくるように修養しなければならないのですけれども、そうするとどうも人間は気負う。だからやっぱり深沈厚重の徳を養うことを第一にしなければならない。深沈厚重の徳を養うて初めて本当の磊落豪雄にもなるわけで、そうでないと偽豪傑のようになってしまいます。

『老子の講義』
P131

天下皆我を大なれども不肖に似たりと謂う。夫れ惟大なり。故に不肖に似たり。若し肖ならば、久しいかな其の細たること。

我に三寶有り。持して之を保つ。一に曰く、慈。二に曰く倹。三に曰く、敢えて天下の先と為らず。慈なり。故に能く勇なり。倹なり。故に能く廣し。敢えて天下の先と為らず。故に能く器長を成す。今慈を捨てて且に勇ならんとし、倹を捨てて且に廣からんとし、後るるを捨てて且に先だたんとすれば、死せん。

品って・・・

いくら身につけようとしても簡単に身につくものではないし、
日々の生活の中、環境や学びの中で自然に体得するものなんだろうな。

http://agate-2006.jugem.jp/?eid=343

ハナフサさんを見た瞬間泣いた。

あまりにも美しすぎて。
あまりにも輝いていて。

http://blog.so-net.ne.jp/flowergarden-hanablog/2007-12-15-3

『指導者の条件』
P108

清正はその晩年に、「自分は一生の間、人物の判断に心を尽くし、人相まで勉強したが、結局よくはわからなかった。ただいえるのは、誠実な人間に真の勇者が多いということだ」といったという。

結局、誠実な人はありのままの自分というものをいつもさらけだしているから、心にやましいところがない。心にやましいところがなければ、よけいな心配をしたり、おそれたりすることなく、いつも正々堂々と生きることができる。それを、自分をよくみられたい、よくみられようなどと考えて、あれこれ作為をすれば、その作為のためにいらざる気を使うということにもなろうし、そのことが一種のうしろめたさともなって、力強い信念にみちた活動もできにくいだろう。

『王道の研究』
P274

 始にも説いた様に、人間の生命は各種の欲望となって現れるが、その複雑極まりない欲望をそれぞれ放縦にすれば、人間は直に破滅してしまう。
 そこで真生の力、即ち誠は能くそれ等の卑小な欲望を調節して、より勝れた大きい欲望に展開してゆく、箇のはたらきを誠と謂う。所謂人心はその前者であり、天理は後者である。誠が大丈夫の気概熱情を帯びて発する時、之を血誠と謂う。

『指導者の条件』
P164

 明治の先覚者福沢諭吉は、彰義隊の戦いのあったその当日も、騒然たる世間をよそに、上野からほど遠からぬ自分の塾で、英書で経済の講義を続けていたといわれる。そして当時、こういうことを学生達に語って励ましたという。
「かつてオランダがナポレオン戦争で領地を占領された時、世界でわずか長崎の出島のオランダ人居留地だけにオランダ国旗がひるがえっていた。それをもってオランダ人は、自分の国はかつてほろびたことがないと誇っている。それと同じように、われわれも世の中にいかなる騒動があっても、変乱があっても、日本の洋学の命脈をたやしたことがない。だからこの塾あるかぎり、大日本は世界の文明国だ。世間に頓着するな」

人間というものは、とかく周囲の情勢に流されやすい。治にあれば治におぼれ、乱に会えば乱に巻き込まれて自分を見失ってしまいがちなものである。そういうことなしに、つねに信念を持って主体的に生きるためには、やはり、われ何をなすべきかを考え、そのなすべきことをひたすらになしていくということが大切だと思う。

指導者の要諦とは、見方によっては、この、“なすべきをなす”ということにつきるともいえよう。

『孟子(下)』
P253

孟子曰く、仁は人の心なり、義は人の路なり。其の路を捨てて由らず、其の心を放ちて求むることを知らず。哀しいかな。人は鶏犬の放つことあれば則ち之を求むるを知るも、心を放つことあるも求むるを知らず。学問の道は他なし、其の放心を求むるのみ。