https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

【教え育てる】早稲田実業学校初等部校長 多宇邦雄(たう・くにお)/「去華就実」の教えを実践/

創立以来の教えである「去華就実」は「将来、社会で活躍する者は、人格を備えた模範的な人物でなければならない」という意味です。私はこれを「人間、表面の派手さよりも、内面を磨くことこそ大切なのだ」と理解して、長年、中・高等部の生徒たちに教え、今は初等部の児童に語りかけています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080705#1215209225
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20081227#1230346523

【サンプロ】テレ朝・小川彩佳5【やじプラ水木金】

846 :名無しがお伝えします:2009/06/28(日) 23:29:52 id:D1oK33IeO
生きるお金がなくなり仕方なく自殺してしまう人の気持ちをお嬢様の彩佳は
理解できないだろうなぁ。
そういう人の気持ちが理解できないから今の明るい彩佳があるのか。

847 :名無しがお伝えします:2009/06/28(日) 23:40:04 id:NKrpZ3hO0
>>844
本日は見所なし。


田原さんも彩佳を育てようとして
無茶ぶりをしているのでしょう。
テレ朝も彩佳をうまく使えば、
小宮悦子さんのようになると思うが・・・


>>846
確かにお嬢様育ちだろうが、純粋さを持ち続けているので
実感はわかないとは思うが、理解はできるのでは?

小宮悦子のようになってもらっては困るが、媚びた表情@やじプラをしたり、分析的な発言をして認めてもらうことで満足に思ったり@サンプロ、蓮っ葉な女の真似をしたりするのをやめて(つまり、テレビで作ってるのではない普段のままでよい)、普段の生活を充実させることで自然体でテレビに出られるようになると、テレ朝を背負って立つ人材に育つのは疑いの余地はない。
これから我が国は政権交代を繰り返して理想社会に近づいていくのだが、マスコミも変わっていかなければならない。
従来なら小川彩佳のような人は採用されなかったこと、報道担当として育てられていることを考えても、大きな使命があるはずだ。
ただ、使命というものは自分を磨き上げなければ消滅する。
あとは、本人の自覚に待つほかない。

民主党:3000人の大観衆と「チェンジ=政権交代を日本でも」との思いを共有 鳩山代表、石田・愛知6区総支部長

 「つらいお話から申し上げる」として、一日100人を超える自殺者が出てしまっている日本の現実にふれ、「一人ひとりの居場所が見つからない。働きたくても働くところがない若い人たち。あるいはお年をとられて病気になっても見舞ってくれる人もない、病院にもいけない人。こういう方々が今日本中に増えてしまっている」と憂慮した。

 「こういう現実がありながら、一方ではアニメの殿堂に117億円があっという間に使われる」と鳩山代表は指摘するとともに、生活保護世帯の母子加算の4月からの廃止や窮状にあるにもかかわらず父子家庭には児童扶養手当てが支給されないのが現在の政治だとも談じた。

 母子加算を廃止され、生活費を切り詰め、進学も断念する子どもたちが日本中に多くなってしまった現実にも憂慮を示した鳩山代表は、「どんな人にもしっかりと居場所を見つけて生きていっていたただきたい」と訴え、「その居場所を見つける。ひとりの命も粗末にしない。そんな政治をつくりましょう」と呼びかけると、360度とり囲んだ大群衆から大歓声が沸き起こった。

【新国語断想】塩原経央 交詢社フォーラム 漢字と文語は教養の源

幼児は暗誦の天才であることは、筆者も石井式漢字教育実践園の取材で何度も確認し、これまで当欄にも書いてきた。諺(ことわざ)・四字熟語、俳句・短歌、名文・名詩、中でも漢詩・漢文は得意中の得意である。

美しい日本語には2系統がある。一つは源氏物語に代表される大和言葉で、もう一つは平家物語のような漢文読み下し調の文章だ。

 石井氏はノーベル賞を受賞した人々の例を挙げ、高い創造力は論理や実験の延長線上にはなく、直観によるとし、直観力を養うのは知の基盤である教養の深さであり、それは幼少年期の読書量が培うと指摘した。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090625#1245907279


【人間力】あなたは、あなたの人生のたった一人のオーナー経営者(『小さな経営論』)

「人間にとって、扇の要にあたるのがというものなんです。
 扇が要を外したらバラバラになるように、
 人間から誠というものを取ってしまったら、
 いくら徹しても何も意味がない。
 だから最後は、人間にとって一番大事なのは誠だというんです」

オペラファンはウンチク好き?(八塩圭子さん)

オペラやクラシックコンサートに、夫婦で来ているお客さんは、実は少ない。

にぎやかに感想を話し合っている女性同士のお客さんか、何十年来のクラシックファンといった趣の紳士が一人で音楽に浸っているか、どちらかの場合がほとんどだ。

かくいう私も、オペラにはまって10年以上になるが、まだ一度たりとも、夫と一緒に劇場に赴いたことがない。残念ながら、私とは音楽の趣味が正反対の夫は、へヴィメタルが好きで、「クラシックなんて“コジャレた”音楽は、性に合わない」と言って、何が何でも一緒に来てくれないのだ。彼いわく、「あのお高くとまった感じがイヤ」ということらしいが、一度も行ったことがないのに、なんでわかるのさ? とは反論しないようにしている。

だって、私一人で行っても、十分に音楽は幸せをもたらしてくれるのだ。

一人で行っても音楽は素晴らしいけど、二人で語れば、幸せ倍増なのになぁ。

「うらやましい」で片付かない感情が「ねたみ」の行動に発展する女の子たち

自分なりの価値基準や尺度がまだまだ定まらず、他人と比較することによってしか自分の立ち位置を探ることができない時期は、誰もが通る道。そんな時期なのに、保護者や先生といった周囲の大人たちはついつい比べて劣等感を持たせるようなことを言ってしまいます。それが度重なれば、素直に「うらやましいなぁ〜」という感情を持てなくなり、「腹立たしい」「恨めしい」「ねたましい」となってしまうのではないでしょうか。そうして、モテる子、周囲に可愛がられる子、目立つ活動をする子、が恨みを買う対象となり、鬱憤(うっぷん)晴らしのためにネットが利用されるわけです。

民主党:政権交代を実現して官僚天国日本のムダ遣いをなくす 岡田幹事長、中川・大阪18区総支部長

自民党政治は終わった。安部総理も福田総理も麻生総理も、総理に選ばれるときには圧倒的多数で選ばれ、人気が落ちると誰も友達がいなくなった。国民の生活や国の運営など考えていない末期症状だ」

「弱い立場の人たちに集中的にしわ寄せをし、肝心の官僚たちの天下りやムダ遣いはほとんど手つかずだ」

「決戦の日は近い。緊張感を持って闘ってほしい」

共感誘う 逆転の思考 シャネル・ブームをよむ

学べるのは華やかな「成功」だけではない。そのきらびやかな成功のかげにあった孤独な忍耐と労働の日々。恋と仕事の両立の難しさ――むしろこの影の部分こそ、はたらく女たちの共感を呼びおこすものではないだろうか。

父親に捨てられた少女は、12歳から17歳までの多感な青春期を孤児として修道院で過ごしたのだ。

厳しい禁欲をもって知られるシトー修道会は、聖堂の建築にも「装飾」と「色」を禁じた。その修道院の色のないステンドグラスを見たとき、シャネル・モードの原点にふれた感動がからだを走り抜けた。

ドラマチックな明と暗に彩られたシャネルの生涯は、成功の陰にある華やかならざるものの価値を教えてくれる。カムバック前の不遇の時代、親しい作家にむかってシャネルは語っている。「人生がわかるのは逆境の時よ」と。

映画「ココ・シャネル」公式サイト
映画『ココ・アヴァン・シャネル』オフィシャルサイト

【私の好きなタカラヅカ】TVコメンテーター&キャスター・鈴木治彦(下)

 宝塚歌劇の戦後最初の東京公演は、雪組による「宝塚おどり絵」と「ファイン・ロマンス」(昭和22年4月、日劇)だった。

 「日舞天津乙女さん、レビューは春日野八千代さんが中心でした。これで戦争は終わった!と強烈な印象でしたねぇ。当時の大人たちは『リンゴの唄』で実感したけれど、中学生のぼくは宝塚。春日野さんの黒エンビ姿がカッコよくて。しだいに男役さんにも魅(ひ)かれるようになりました」

もう公私混同で宝塚と歌舞伎の企画ばっかり。

「歌があり舞いがあり芝居のある点が、まさに歌舞伎とも共通している。それにスター作りがうまい。次々にごひいきのスターさんが出てきてやめられないんですね」

スキャンダル浮上?民主・岡田、東国原なんて“論外”

背景には(1)劇場政治や県政投げ出しへの批判(2)スキャンダル砲(3)県政運営から見る政治家としての実力不足−という3つの爆弾がある。

民主党内はもとより、永田町では芳しい評判が聞こえてこない

「宮崎県のセールスマン」としては観光などで実績を挙げたのは衆目の一致するところだが、「それ以外の実績に乏しい」(浅川氏)との評価も。

(世論調査)「降ろされる前に解散を」ということが、解散の大義名分なのか|中川秀直オフィシャルブログ

民主党は「政権交代」の旗を掲げて民意の支持を集めている。民主党政権交代の目的は「霞が関改革」「地方分権改革」になりつつある。

べらあめんの思い出

検察の考える「悪い人」思考では、どんなことだって計画的に悪いことを考えたとなります。そしてその過程で行われた活動が「複雑な隠蔽行為」という風に解釈されます。それを無理やり拘束した人たちに執行猶予をちらつかせ、認めさせてしまいます。殺人罪で死刑になるわけではないので、多くの人は早くシャバに出たいから、認めてしまいます。私は認められないので、他の被告人よりも2ヶ月も多く拘禁されました。

私もそこまでアホではないから、自分が悪いことを計画してやったんだったら、素直に認めますわ。

増田俊男の時事直言No.532(平成21年06月29日)

そこで私が知らされたのが「ある秘策」であった。私の提案を支持してくれたグループは、実はオバマの秘策を知らなかったのであった。秘策とは、来るべき(私の言う)不況第二波に対する「準備」であった。

ニュースモーニングサテライト:井口玲音(東京キャスター)

『有名ではなくても、日々一生懸命がんばっている人々の姿を世の中に紹介する』
これは私がキャスターとして最も伝えたいことです。まさに経済の動向の陰には時代を動かしている誰かの努力がたくさん隠れています。
日本経済を支えている人々のプラスのエネルギーを朝のカンフル剤として
皆さんに伝えられるよう積極的にリポートしていきます。
また、天気予報は災害から身を守るための大切な情報です。
どの局よりもコンパクトに、分かりやすく!
雨にも負けず、不況にも負けぬ笑顔でお伝えしていきます!!

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090207#1233960466

『知命と立命』
P9

 学問というものを分類しますと、これは見地によっていろいろにできますが、学問のもっとも根本的性質による一つの分類をしますと、これを三つに分けることができます。一つは「知識の学問」です。これは今日の学問を代表するものと言ってよいでしょう。しかし知識の学問のみが学問ではなく、学問にはもっと根本的性質の区別があります。それは「智慧の学」というべきものです。
 知識の学問と智慧の学問では非常に違うのでありまして、知識の学問は、我々の理解力・記憶力・判断力・推理力等、つまり悟性の働きによって誰にも一通りできるものです。子供でもできる、大人でもできる、善人もできる、悪人もできる。程度の差こそあれ、誰でもできる。その意味では、機械的な能力です。しかしそういうものではなく、もっと経験を積み、思索反省を重ねて、我々の性命や、人間としての体験の中からにじみ出てくるもっと直観的な人格的な学問を智慧の学問といいます。だから知識の学問より智慧の学問になるほど、生活的・精神的・人格的になってくるのであります。
 それを深めると、普通では容易に得られない徳に根差した、徳の表れである徳慧(「とくけい」あるいは「とくえ」と発音)という学問になる。これが聖賢の学であります。
 我々の知能の働きに関しては、こういう東洋的思惟に限らず、西洋でも同じような考え方がありまして、たとえばイギリス哲学によりますと、単に本を読んだり、暗記したりするような知性の働きのことをcogitationといっております。それがもっと性命的になるとmeditationとなり、それをさらに深めてcontemplationと申しております。
 また、ドイツ流をとりますと、私どもが学校でやってきたような勉強、こういう知識の学問をすることを、その性質を表明して、arbeitswissenアルパイツヴィッセン〈労働知〉といっております。これは善人が使えばよいほうに役立ち、悪人が使えば悪いほうに役立つ。使う者によってどうにもなる。そのままでは頭の機械的労働にすぎない。もっと人格に役立つ、人類の幸福・運命に役立つものは、そんな労働知ではなくて、もっと建設的という意味で、bildungswissenピルドゥングスヴィッセン〈形成知〉といっております。それがさらに徳に根差し、徳を表現して、世俗を脱け出たものになると、erloezungswissenエルレーズングスヴィッセン、即ち〈解脱知〉という字を用いておりまして、つまらない通俗・低級な境地を脱して聖哲であるという意味で、heilswissenハイルスヴィッセン〈聖知〉ともいっております。西洋哲学も東洋哲学もそういう点では一致しております。
 だんだん学問するにしたがって、我々がねじり鉢巻で試験勉強をするような頭の使い方、そういう知性はあまり価値がない。本当はだんだん人生の体験を積んだ深い叡智にならねばならない。
 そこで、 教育に携わる学校の先生にもいろいろあるわけで、単に本を読ませたり、暗記させたり、推理させたり、試験したりするような、単なる知識技術を教える先生はレーゼマイスターLesemeister〈読師〉という。本当の先生は人間をつくるレーベマイスターLebemeister〈導師〉でなければならない。世の中にはレーゼマイスターはいくらもおりますが、レーベマイスターが少ない。この師によって初めて人間が人格として、精神的・霊的存在として向上する。その向上が政治・経済・教育・百般の生活に応用されて真の文化というものになる。
 そこで徳慧の学問、即ち広い意味において道徳的学問・人格学、これを総括して「人間学」というならば、この人間学が盛んにならなければ本当の文化は起こらない。民族も国家も栄えない。これは動かすべからざる歴史的真理であります。私どもが念願していることは、この大切な根本的な意味における人間学を盛んにして、これを国家生活・国民生活百般の上に実現していきたいということであります。


本当の学問というものは、立身出世や就職などのためではなく、窮して困しまず、憂えて心衰えず、禍福終始を知って、惑わないためである。〔荀子

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090628#1246162109
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090626#1245999869
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090625#1245900982
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090625#1245907279
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090624#1245811993
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090624#1245827484
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20071217#1197895003
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080512#1210574648
茂木健一郎が得意気に語っていることは多くの人が知っているはずで、今頃「脳科学者」が語ることではありません。