https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

一筆入魂:“SOBRIO”な国や人間、製品をめざそう

 イタリアの中間層が受け入れるのは“SOBRIO(ソーブリオ)”なものだという。「派手で品がなく流行のみを追いかけるギャンブル的な成り金スタイルでなく、良質で機能的、それでいてつねに上品でエレガント」な様子をSOBRIOと言い、自己表現はするがガツガツ、チャラチャラせず控えめながら誠実で信頼ができ実力もある、そんなスタイルの人間、国を指すのだ。

懺悔の部屋Part5 # No.738 へのレス

昨年9月12日のやじプラ出演以降
25日金曜やじプラ最後の出演まで
由美子さんがかつて無い長い休みをとり
皆で心配していたが、この期間に大切な
お父様が急逝された事が話されました。

もう松尾由美子112

お父さんが学者だったということは、
結婚相手は、アカデミックな俺しかいないということか。。。
由美子、幸せになろうね。

何となく由美子が俺と結婚する妄想したことあるけど
お父さんがお偉い学者さんで家に書庫があるような家の娘だと思ったら
妄想ですら俺とはつりあわない。
相応しい男と幸せになれよ由美子

紹介:『四枢要徳について—西洋の伝統に学ぶ—』

 伝統を、とくに古典古代のアリストテレスや中世最盛期のトマス・アクィナスを重んじるライプニッツは、倫理学政治学についても、の概念、その不可欠の要素としての習慣の概念、そして四枢要徳についても、よく踏まえていたと私は推測しています。

とくに、倫理が私的なものではなく、政治学の中に位置づけられるということ、したがって三つの倫理徳の中では正義が第一番目であるということなど、学ぶところは多いと思っています。

多くのいわゆる近代的哲学者・倫理学者からは消えてしまった徳倫理学を、ピーパーが見事に蘇らせてくれました。

アイザック・ニュートン『プリンキピア』巻末「一般的注解」の新訳と解説

もちろん、哲学の専門家の手になる哲学そのものは、たとえばライプニッツを待たなければなりません。

もし近世哲学の路線上のそれについてであれば、その当否はともかく、カントを待たなければなりません。

プラトンの「線分の比喩」以来の哲学そのものの伝統が、近世以降、とくに科学者たちによって忘れ去られ、消されてきたために、ここに改めて、ニュートンという17世紀の巨人について、その哲学そのものを見てみようということです。

掲示板

我を張り私利私欲に走るのを「自由」「個性」と呼びかねない思潮の始まり等々、言葉だけを並べておきます。

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

幸福論 第2部 (岩波文庫 青 638-4)

幸福論 第2部 (岩波文庫 青 638-4)

幸福論 第3部 (岩波文庫 青 638-5)

幸福論 第3部 (岩波文庫 青 638-5)

Amazon.co.jp: カスタマーレビュー: 幸福論 第2部 (岩波文庫 青 638-4)

 第2巻では、人間知や教養について述べる。古典に学び、敵からですら自分の客観的な姿を学ぶことは可能で、若者はひたすらに高貴な魂を求めるべきであるとする。
 敬虔なキリスト教徒であるが故、ヒルティは教会のあり方に疑問を投げかけ、ローマ帝国の時代からすでに教会が権力にしがみついてきたことを批判する。

「人間の内的生活のおおきな進歩は、たいてい諦念によって始まるものであり、諦念によって精神的進歩という褒章がうまれるのだ」

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090819#1250661171

人物を創る―「大学」「小学」 (人間学講話)

人物を創る―「大学」「小学」 (人間学講話)

習慣は第二の天性である

古代ギリシャの哲学者ディオゲネスの言葉です。僕はこの言葉を大学受験の頃、英語参考書の名著「英文標準問題精講」(原仙作・著)で知りました。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090911#1252640097
メッセージ.jp 第11回 日野原重明/ひのはらしげあき(聖路加国際病院理事長)

そういう突発事件がね、将来いつでも起こるんだけどね、試練のような突発事件に、平静の気持ちを持ってね、そして勇気を持ってやるっていうね。いいこと言ってもね、勇気がないと行動化しない。私はプラトンが国家論に言ったね「 “知恵”と、“正義”とそれからセルフコントロール、“自制心”と、4つ目は“勇気”が人間の徳だ」っていう。その“勇気”が今の時代にはみんな欠けてる。“勇気”を持って行動する人がないということね。それには信念がないとね。信念がないと⋯ 。
だからそういう意味でね、私たちは、沈黙するべきときには沈黙するべき勇気を持ち、十分に発言するときには勇気を持ちながら、しかも行動する。そういう日本がですね、作られることは、ためにはどうしたら良いかってなると、やっぱりね、子供の時からの教育だと⋯ 。勇気のある若い者を作るっていうこと。そうしてですね、他を、他の国を知る、難民のことを知る、非常に楽な生活を日本は、アメリカに守られて、楽な生活じゃなしにね、私たちは身を挺(てい)して、もう少し世界のためにしなくちゃならないためにね、やっぱり楽だけがいいんじゃなしに、もっともっと若い間に鍛えられるっていうふうな制度がね、やはり日本には必要だ。

私たちはね、あのー、このー、財産とか、名誉とか生まれた時にはなかった。死ぬときに持っていけない。
そういうものはね、ものは持って死ぬことはできない。
しかしながら私たちは自分がどうあるっていうことをね、在り方っていうのは自分で作り出すことはできるというね、その在り方っていうのは生き方っていうことになる。自分の在り方。
その自分の生き方をどうするかといことをね、若い人にね、やっぱり子供にモデルがないと、それはね、イチローでもあんなに人気があるのは、モデルになる、若い人にはね。そういうモデルにですね、年配の人がなるようなものを見せなくてはならない。身近なモデルになるようなことをね。
そういう意味で私が若い子供に言うのはね「君が持ってる時間、それが君の命だ。時間は君が勝手に使うことができるんだ。そして食べることに、勉強することに、寝ることに使ってもいいんだけどね、君が持ってる時間をね、どう使うかを君が決めることができるんだから、君はね、モデルを見ながら、時間の使い方を考えて⋯ 。それで長く使うためには長生きしないと⋯ 。長生きをするため、自分の健康を保つために習慣を良くすることによって、長生きをすることによってね、君は目指すものに到達することができるんだから、上手に君の時間を使うようにしなさい」っていうふうにね子供に言うとね、のことが分かってくる。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090618#1245305694(重病なら重病の学問・悟道もあるはず)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090604#1244085572(知らないことは恥ずかしい?)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100104#1262581736インフォームド・コンセント
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20071231#1199614576(泥棒を裁いたつて、泥棒のことがようわからん)


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080806#1217977902
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080520#1211269008
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100107#1262867790
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100108#1262908190
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100108#1262926870

ライプニッツ研究会

これらの業績は個々に独立したものではないのがライプニッツの特徴です。

ライプニッツは、どの年代においても、複数の分野の仕事を同時並行的に行っており、その多産性、多様性は、生涯変わることがありませんでした。このようなことが可能だったのは、一見異質に見える諸思想を並行的に結びつけ、どの分野にも共通する理論として純化し、理論化するライプニッツの特質と深い関係があると思われます。

さて、興味深いことに、こうした理論化、純化に中心的役割を果たしたと思われるライプニッツの哲学に関しては、生前公刊された大作としては「弁神論」(1710)しかなく、その全貌は現在もなお明らかになっていません(アカデミー版の全集は現在も刊行中)。彼の哲学の解明はこれからだといえるのです。

クロノロジー

ライプニッツ・クロノロジー(年表)は、宮崎大学 松尾雄二先生のご考案によるデータベースで、ライプニッツの生誕(1646)から死(1716年)いたる70年の生涯における膨大な著述群を年代順に列挙したものです。

ライプニッツ研究会: 研究者紹介 松尾雄二

下記の論文等は伝統的な哲学そのものライプニッツ介して把握するための私なりのステップです。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100104#1262591444井筒俊彦
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080525#1211717387白隠
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20071228#1199753710王陽明

【第三】加藤晋介【水準】

カトシンの講座は、表面や枝葉末節ではなく、常に「本質の理解」を徹底させようとするものなので、どんな法律試験に対してでも役立つはず。

基本的に、読めばわかる本(記述が丁寧な本)を解説するときは、 やる気ナッシングになるのがカトシン・クオリティ。

小沢一郎と層化批判が多いよね。

かとしんは左翼

カトシンのいう実力をつける手段として良い基本書を選んでいるんだろうな。
目次がある程度はっきりしている体系的なもので、主義主張を読み取りやすい教育上の観点からよいものって意味で。

カトシンは予備校本を全否定してるわけではないというのは事実。
ただ、彼に言わせると「予備校本は一種のドーピングであってずっと使い続けるのはよくない」 ということらしい。
確かに、試験を考えれば正直予備校本の方が基本書よりも有効っしょ。
ただ、それだけしか使わないで(カトシン的にいう「他人の頭で整理」ってやつ)受かったとして、 実務に出てそれまで見たことない法律に当たった時に自分の頭で建設的に考えられるようになってるか、解析講座は建前としてそのあたりまで見据えてるんだとは思う。
前田会社法解析で「別に受からなくたっていいんですよ、社会の仕組みが分かるようになれば」という趣旨の発言をしてるから、強ち間違いではないんじゃないかと思うんだけどどうだろ。

人格者は、下品も上品も超越しているはずだが w

下品だけど人格者。
左翼だけど頭がいい。
問題つかえないけど解説いい。
それがかとしん

くさいけどうまい食べ物みたいだな

極端な話実行行為の定義も言えないような人間が聴くより実行行為の自説の定義を言える人間の方がその定義に至る争いの背景、自説からの実行行為概念の規範としての射程設定そのあてはめとかが正確に理解でき答案でも運用できるようになるものと信じている。

俺みたいな頭の悪い 一人で基本書が読めず予備校本で独学してた人間には非常に役立った
でも自分で整理して基本書読める人にはそんなに有効じゃないかもしらん

カトシンが答練の解説冊子を軽視するのは、 所詮、予備校の作ったものだから。
基本書と判例だけしっかりやってれば答案なんて書けるのよ、というのが、カトシンの考え方。
決して、予備校本で補充してね、なんてことじゃないw

優秀答案でいいところは盗めって言うでしょ。

要は予備校本を一通り読んだ人相手だから、基本書のこの薄い解説だけ 理解すればいいからね、あるいは段落構成云々になる。
知識を削って筋肉と骨だけにすればいいってイメージ。

ところが、1年目から基本書を読む勉強をしている人間からすると 「そんなん理解できませんよ。解説冊子や予備校本読まなきゃ。」 となる。骨しかないってイメージ。どう肉つけるかは問題と解説 や予備校本を参考にしないとわからない。本当は肉の付け方や 基本書でさらっとしか触れられていない最低限の部分を どう膨らませるなり捕捉するかをやらなきゃ結局予備校の世話になる。

骨に筋肉をつけるには解説冊子なり予備校本や、別の解説講義か 解析よりも数冊基本書を読むとかした方がいいと思う。

で、カトシンは、基本書の書き手の立場で、論理やら表現やらを 理解して、内容を圧縮して、それを答案に活かす、というもの。
この「圧縮」というのがミソであって、これは予備校本ではできない。


レジュメで勉強して基本書で整理するなんて、そんなことカトシンが一度でも言っただろうか???


まあ、ハイローヤーのバックナンバーを図書館で探して、カトシンが 何を学生時代にやったのか、それが我妻や團藤と同じようなものだな とか、そういうことを知ってからにしてはどうだい。

高橋宏志が論文読めって言ってるでしょ。読んだあとに、 その内容を「自分の言葉」で「圧縮」するのが高橋流の方法。


自分の言葉で圧縮という点はカトシンと同じだな。

以前カトシンが言ってたことだが、別に彼は予備校本自体は否定してないんだと。
論点について問題点・学説・理由付けと整理されているから、どうしても自分では分からない時に使う分には問題ない。
ただ、あれはあくまでドーピングであって、必要があるときに増強のために使う限度で留めるべきであっていつでもドーピングばっか使ってたら考える力なんてつかなくなるだろって。

あのさ、学説とか理由とか、そういうレジュメの整理を 自分の頭でやれというのもあるけど、カトシンが凄いのは、 もう一段メタレベルでの論理を考えて、そこからの必然性を自覚しなさいってところだよ。


まず、学説整理を自力でやれ、ではなく、キーワードを見れば、 内容を想起でき、自分の言葉で説明できるように咀嚼しなさいってことね。


で、著者が、なぜ、こういう順序で、こういう論理で書いているのか、そういうことも学説、ないし学派が 影響していることもあるが、その必然が法的思考力の 根底にあるから、こうしたことと個々の知識の結合を 説いている。


ただ、あの講義でそれが多くの受講生に伝わっているかどうかは疑問だけどな。

例えばさ、憲法で、芦部は、総論→人権→統治→憲法保障 という順序で書いているけど、佐藤幸治は、総論→政治機構 →司法権憲法訴訟→人権→平和主義、という順序なのか、 どういう価値判断があるのかを考えなさいよ、そしてそれが 個々の論点における学説選択やら論証と、どう関係しているのかを、少しは考えなさいよってこと。


そして、もっと進んで、基本書の書き方から、自分の憲法理解 を表現するには、どういう順序で、どういう見出しで、どういう表現で、書けばいいのかを、書き手の立場で一度は考えなさいってことね。


他にもあるよ。条文の流れと基本書の流れが違うのが普通だが、 どうしてそうなるのかも考えて見なさいってこと。


こうした思考が、レジュメの中身の、その根底にある論理が実は法的思考を大きく支えていることに気がつくし、それを踏まえている答案が、これは駄目だとか、そんな評価を受けるはずがないってね。


カトシンがいつもバカにする若手弁護士の訴状の出鱈目さが そういう気づきで解決できると思われる。

P&Cの井藤が、昔は受験生の優秀答案で勉強しろと言っていたが、 今では、基本書を読め、と言っているそうじゃないか。


書いている知識もさることながら、メタ認知レベルでの理解が法律を駆使するするのに必要なのだというメッセージだね。
レジュメやら優秀答案を回すだけでは、大半の人は、そこに書いてあることを暗記しようとして、それ以上のことができないことを自覚するに至ったというか、もう諦めたんだろうね。


このスレでも、レジュメを利用するかしないかなんて、どうでもいいことだよ。心配なら使えばいいよ。問題は、それで勉強しても法律を使いこなせないのはなぜか、なんだな。

たとえ伝わってても皆がそれを出来るわけじゃないし出来なくても合格できないわけじゃない

加藤晋介が目指すレベルは、合格最低ラインじゃないから、 受かればいいという人には加藤晋介はオススメできない。


答案を見たり、シケタイを見たりするのは、別にかまわん と思うよ。で、加藤晋介の気持ちを俺なりに代弁すると(加藤晋介は怒るかもしれんが)並みの受験生答案やら シケタイやらを見て、それを超える理解力なり表現力を 身につけよってことだと思うよ。


シケタイのどこが悪いのかが分かるようになれとね。

加藤晋介が何を一番言いたいのかを手っ取り早く知りたい人は、 手形の基本書解析講座を聞くのが一番だと思うよ。川村正幸の体系書をくそみそに言っている。でも、それで加藤晋介が何を言いたいのかが結果的に分かる。


我妻榮も指定教科書(鳩山秀夫の本ではない)をくそみそに批判したらしいが、それでかえって我妻の言いたいことが伝わったのと同じだと思うよ。


で、加藤晋介のその講座で、そういうことに気がつくことが必要なのかと分かる。今日は、俺はサービスがいいなw

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100108#1262908190
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100108#1262926866
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100108#1262926869

「小沢貸付4億が不記載」という誤報の拡散を憂う

それによると、本年度収入額が約5億8000万円で、内訳のなかに「借入金 小澤一郎 400000000」と、明確に記されているのである。

今日の日経新聞を見ても、その事実にはいっさい触れられていない。

もしかりに、他社の記事や、「関係者」なる人物の恣意的情報をそのまま鵜呑みにしているとしたら、記者失格であろう。

陸山会収支報告書に4億円借入記載の重大事実

偏向した検察による捜査を偏向したメディアが報じるのだから、事実がねじ曲げられ、歪んで伝えられることは避けようがない。したがって、主権者である国民は、メディアの歪んだ情報を、「歪んでいる」との認識の上で見つめなければならない。「歪んだ情報」に接する心構えを全国民が備えなければならない。

日本の政治が抱える問題について

橋本内閣の野心的な改革路線が頓挫して以降、小渕内閣森内閣という、典型的な「古い自民党政治」が続き、担い手である自民党が崩壊しかかったところで、小泉総理ー飯島秘書官という天才的な政局運営能力をもつコンビが自民党に「延命措置」を施したわけです。

政治には「政局・人事・選挙・メディア対策」といった政権運営の側面と予算・税・法律という政策ツールを用いての具体的な政策実行の側面と、という二つの側面がある

問題は後者です。現在の日本が抱える具体的な政策課題はこれまでより遙かに難しくなっています。本当に難しいのです。

こうした問題に、衆議院における小選挙区比例代表並立制の導入と政治システムに関する憲法の規定(具体的には「ねじれ」に象徴されるような衆参両院のあり方)の問題が加わって、ここ10年の政治を非常に混乱したものにしているということでしょう。

新しい政治のカギは政治を「政策」から見直すことで見つかるのではないかと予感しています。

連日流される根拠薄いカングリ報道〜露骨な民主政権潰し

当時の大新聞・テレビは、この問題を取り上げてこなかった。政権交代のはるか前、見て見ぬふりでやり過ごしてきたのだ。ところが、検察がリークを始めた途端、待ってましたとばかりに「おかしい」「納得できない」と一斉に追及を始めた。お上のゴーサインを合図に「疑惑だ」「怪しい」と書き飛ばしているのである。

ただ、おかしなことに、いくら記事を読んでも、小沢がどんな悪事をはたらいたのかがサッパリ分からない。
脱税なのか、贈収賄なのか、それとも何かほかに重大な罪を犯しているのか。読者には全然見えてこないのだ。

それでも大マスコミは、重大に疑惑が存在するかのようなスタンスで、「小沢先生から4億入り紙袋を渡された」(読売)とオドロオドロしく書き立てる。紙袋だろうがアタッシュケースだろうが、何に入っていてもカネはカネだ。それをいかにもワケありで意味深長に伝えるのだから悪意に満ちている。

政治評論家の山口朝雄氏が言う。
「大マスコミは、あの手この手で小沢さんを悪者に仕立て上げようとしていますが、犯罪の証拠が何もない段階で、クロであるかのように報じるのは解せません。財務相人事をめぐっても、ウラで糸を引いたかのように批判しています。確かに小沢さんは実力者です。しかし、一から十まで影響力を行使しているわけではありません。これほど感覚的、感情的な報道は異様です」

元NHK政治部記者で評論家の川崎泰資氏も言う。
「検察は筋を通しているつもりかも知れないが、明らかに小沢の場合はやり過ぎですよ。これまでの報道を見る限り、小沢のやったことに手続き上問題はありません。どこが違法なのか。4億円をどうやって貯めたのかという話もあるが、本来、政治資金規は原資が問われない。おかしいといえばおかしいが、法律でそうなっているから仕方ない。報告書の記載に虚偽があれば、その行為が問題になるだけです。しかし、小沢の場合は原資まで問われ、疑惑だと騒がれている。どうしても民主党政権を潰したいんでしょうね」

検察は、上層部の人事に手を突っ込まれたくない。そのバックには、古い体制を守りたいという勢力がある。そんな連中が、鳩山を痛めつけ、今度は小沢にも打撃を与え、潰してしまおうと動いているとしか思えません。せっかく政権交代を実現させた国民は、新しい政治の始まりを待っているのに、これではやり切れない気持ちですよ」(川崎泰資氏=前出)

民主党政権がどうしても嫌なのなら、マスコミはハッキリと「自民党政権復活を支持する」と言えばいい。