https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com


そして、なぜか なつみ と呼ばせていただく事になったのですが…笑

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160817#1471431084

#珍獣

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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160717#1468752325


#文房具


According to the above mentioned secret pact between Japan and US, it’s NAGOYA that really matters. The both sides already agreed on replacement of the Japanese capital from Tokyo to Nagoya, if the former will be severely damaged by nuclear weapons.

特定秘密保護法では法律の適正な運用を確保するため、内閣府に「独立公文書管理監」を置き、指定された特定秘密などを検証・監察することになっています。
これに基づいて、「独立公文書管理監」が去年とおととしに指定された特定秘密の検証と監察を行った結果、防衛省の特定秘密の指定などで不適切なものが3件あったとして、今月9日付けで防衛省に対し、是正を求めました。
「独立公文書管理監」が是正を求めたのは、おととし、特定秘密保護法が施行されてから初めてです。
今回、不適切と判断された特定秘密は、本来であれば新たに指定すべきものを既存の特定秘密の一部と認定するなどしていたということで、防衛省は求めに従って18日付けで改善措置をとったということです。

アメリカ大統領選挙民主党クリントン候補が、国務長官在任中に私用のメールアドレスを公務に使っていた問題で、保守系の団体がクリントン氏に使用目的などを法廷で証言するよう求め、訴えを起こしていました。


これについて、首都ワシントンの連邦地方裁判所は19日、法廷で証言する必要は認めなかったものの、この団体の質問に対して書面で回答するようクリントン氏に命じる判決を言い渡しました。


これに対して、クリントン氏の陣営は声明を出し、「この団体は長年クリントン氏を攻撃してきた組織で、選挙戦を妨害することを狙った訴えにすぎない」と批判しました。この団体は先週、独自に入手した国務省のメールを基に、クリントン氏の長官在任中に、関連する財団の幹部が、仕事のあっせんなどの便宜供与を国務省クリントン氏の側近に依頼していた疑いがあると指摘していました。


メールの問題では、FBI連邦捜査局が議会に捜査資料を提出し、共和党が追及を強める構えで、大統領選挙に向けてまだ尾を引きそうです。

#米大統領選#ヒラリー

#ロン・ポール

ロシアは今月10日、ウクライナから併合したクリミアで、テロを計画していたとしてウクライナ工作員のグループを拘束し、その際の銃撃戦でロシア連邦保安庁の職員ら2人が死亡したと発表しましたが、ウクライナ政府は関与を否定したうえで、強く反発しています。
ロシアのプーチン大統領は19日、クリミアを訪れ、治安機関のトップなどが参加する安全保障会議でこの問題に言及し、「ウクライナ政府は状況を緊張させるための決定を行った」と述べ、ウクライナ政府が関与したと改めて主張しました。そのうえで、「ウクライナは東部の親ロシア派との停戦合意を履行するつもりがないか、履行できないのだ」と述べ、ロシアとの緊張を意図的に作り出すことで、停戦合意が守られていないウクライナ東部の現状を隠す狙いがあると批判しました。
ウクライナ東部では18日から19日にかけても砲撃戦があり、ウクライナ政府軍の兵士2人が死亡し、国連によりますと、おととし4月に戦闘が始まってからの犠牲者は9500人を超えています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160813#1471085089

‘West spreads its democracy like coffee in bags, but people need to make own choice’ – Gorbachev — RT News

Western leaders have long followed the policy of imposing democratic values in countries without the consent of the people of those nations, Mikhail Gorbachev says, noting this was partly to blame for the USSR’s collapse.
The former Soviet leader spoke to Interfax ahead of the 25th anniversary of the aborted 1991 coup that brought about the end of the Soviet Union.


“At the time, I told the Americans: you are trying to impose your democracy on the people of different countries, spreading it around like coffee in bags, but we must give the people a chance to make their own choice. But they continued and continue to pursue this foreign policy. Even President Obama, democratically elected and enjoying in this regard a significant authority in the country, could not change this course – the course on imposing one-legged solutions. However, I doubt that he wanted to,” Gorbachev said.


Gorbachev, whose strategic aims brought about the end of the Cold War, blamed the West for applauding the USSR’s collapse instead of aiding the country as it didn’t want the union to be a “powerful democratic state.”


“They did not want the Soviet Union to become a powerful democratic state. It would guarantee that neither the policy of unilateral measures, nor the policy of US domination in global affairs would work, and some American politicians saw Gorbachev as an obstacle to their plans,” the first and the only Soviet president further explained.


“And then, when they made a bid for Boris Yeltsin, their goal was the same – to prevent the emergence of Russia as a powerful democratic state. Remember, when the [Soviet] Union collapsed, what was the West’s reaction to this tragic event? They said, ‘this is a gift from God.’ And when Russia was on its back, the US president openly applauded the Russian leadership of the time,” Gorbachev added.


The politician, however, declared that foreign interference was not the major factor that contributed to the union’s downfall, stating that the country’s authorities and he himself were late with reforms which were strongly needed in the USSR.


“The timing was bad, we were late when we [were getting ready] to launch [reforms], reshaping the entire system of managing the [Soviet] Union.


“Member-republics grew stronger… We have come to realize that there were contradictions, that the old shape of the Union no longer meets the needs of the country, [it] had to be reformed, decentralized, but not destroyed.


“We realized that we were pressed for time, we were preparing the New Union Treaty, but our opponents also knew that tomorrow would be too late.


“[…] I was sure that only a fool would try to break it all. But...”


Gorbachev said however that the coup did not come as a surprise. He mentioned a number of “attempts to ruin perestroika, mingle with the process of democratization” in the country, which he effectively suppressed. In his own words, his major mistake was letting confidence in the success of his policies grow into arrogance, which brought about the coup.


“I was absolutely convinced that we were on the right track, and that I was able to resist the forces that stand in the way of perestroika [the process of restructuring the state].


“Without confidence in that, I would not have been able to finish the job of getting everyone’s agreement on the text of the New Union Treaty. I have to say that at some point this confidence grew into arrogance, and perhaps this was my main mistake,” Gorbachev contemplated.


During his years as leader of the USSR, Gorbachev attempted to reform the stagnating Communist Party and the state economy by introducing a variety of democratic reforms. However, critics say that the further he democratized the union, the less control he had over it, as was shown by the events of late August 1991 – known in Russia as the ‘failed Soviet coup’ or ‘Putsch.’


Then, several members of the Soviet leadership, including the defense minister and the head of the KGB, tried to disrupt the signing of the New Union Treaty between the USSR’s member-republics. On August 19, 20 and 21 they isolated Gorbachev in his residence in Crimea, where he was on vacation, and created the State Emergency Committee (GKChP), with one of the members, Gennady Yanayev, declaring himself president of the USSR.


The GKChP rolled tanks into Moscow, but the leadership of the Russian Republic, headed by Boris Yeltsin, organized resistance. Following his call, thousands of people gathered around the White House to support Yeltsin and the coup failed three days later.


Despite being restored to power after the failed coup, Gorbachev was politically destroyed by it and resigned, dissolving the Party units within the government and thus destroying the sole unifying force that held the Soviet Union together.


Soon after, the Russian Federation took over the institutions of the former unified state, and the USSR broke into independent republics.

#ゴルバチョフ #NATOexpansion


「4連覇のカギは何か」。オリンピックの試合までおよそ1か月となった先月中旬。私たちは吉田選手へのインタビューで質問しました。吉田選手は間髪入れずに「心が一番、勝敗を左右する」と答えました。「魔物が住むのは自分の心。大舞台で勝ちとってやるという強い気持ちを持って戦えた選手が絶対、優勝すると思うので、心を強く持って戦いたい」と、「心」という言葉を繰り返し強調しました。

取り組んだのは、高速タックルとは異なる、スピードに頼らないタックルです。相手と組み合って横に回り込み、体勢を崩してから倒します。相手との距離を近くすることで、スピードがなくても倒せるといいます。体力的な衰えをカバーするための「進化」とも言える取り組み。16年間、指導するレスリング日本代表の栄和人チームリーダーは「スピードは落ちているので逆にスピード勝負しなければいい。高速タックルを捨てるというか、封印して違う方法をやるということ」と、その狙いを話していました。吉田選手は「すごく研究されているので変化は大事。衰えはありつつも一生懸命頑張るという気持ちでやっている」と変化を恐れない姿勢を強調しました。

個人戦の敗戦はおよそ15年ぶりというまさかの結末に、現場にいた私たち報道陣だけでなく、関係者の多くも衝撃を受けていました。「負ける」ということについて吉田選手は以前、「負けた時の自分を想像したくない。周りにも気を遣わせるので、それが一番いやで、そういう雰囲気には絶対なりたくない」と語っていました。負けに対する恐れが大きいからこそ、人一倍の勝利への執念が生まれ、誰も成し遂げられないような記録を生み出していると感じましたが、今回ばかりは「負けられない」という思いが涙の銀メダルという結果に影響していたのかもしれません。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160415#1460718476(「機先を制する、ということも大切だが、後の先というのもある。相撲を見ても分かる。このコツを知る者が勝つのだ」)

『相撲求道録』

P133

わたくしはそういうさいには、含蓄のふかい先生のお話に、つとめて耳をかたむけるよう心がけてきました。御自身がそれを意識していられたか、どうかはわかりませんが、先生もわたくしのために、なにくれとなく、よいお話をしてくだされ、酒席でのそれでも、なんとなく体にしみいるような感じでありました。先生のお話によって、人間として・力士としての心構えのうえに影響をこうむったことは少なくなく、こころの悩みもおのずから開けてゆく思いを禁じえなかったのです。
 先生にうかがったお話のなかに、中国の『荘子』や『列子』などいう古典にでてくる寓話「木鶏の話」というのがあって、それは修行中のわたしの魂につよく印象づけられたものですが、承ったその話というのは、だいたいつぎのような物語なのです。――


 「そのむかし、闘鶏飼いの名人に紀渻子という男があったが、あるとき、さる王に頼まれて、その鶏を飼うことになった。十日ほどして王が、
   “もう使えるか”
 ときくと、彼は、
   “空威張りの最中で駄目です。”
 という。さらに十日もたって督促すると、彼は、
   “まだ駄目です、敵の声や姿に昂奮します”
 と答える。それからまた十日すぎて、三たびめの催促をうけたが、彼は、
   “まだまだ駄目です。敵をみると何を此奴がと見下すところがあります”
 といって、容易に頭をたてに振らない。それからさらに十日たって、彼はようやく、つぎのように告げて、王の鶏が闘鶏として完成の域に達したことを肯定したというのである。
 ――
   “どうにかよろしい。いかなる敵にも無心です。ちょっとみると、木鶏(木で作った鶏)のようです。徳が充実しました。まさに天下無敵です”」


 これはかねて勝負の世界に生きるわたくしにとっては、実に得がたい教訓でありました。わたくしも心ひそかに、この物語にある「木鶏」のようにありたい―その境地にいくらかでも近づきたいと心がけましたが、それはわたしどもにとって、実に容易ならぬことで、ついに「木鶏」の域にいたることができず、まことにお恥ずかしいかぎりです。
<中略>
「イマダ モツケイタリエズ フタバ」
と打電しましたのは、当時のわたくしの偽りない心情の告白でありました。

双葉山定次 - Wikipedia

5歳の時に吹き矢が自身の右目に直撃して負傷し、これが元で右目が半失明状態になった

海運業の手伝いをしているときに錨の巻上げ作業で右手の小指に重傷を負った

双葉山が連勝記録を更新し続ける中で、出羽海一門では「打倒双葉」を合言葉に、笠置山を作戦本部長として毎日、双葉山に対する戦略・戦術を練った。笠置山は当時としては珍しい大学(早稲田大学)出身の関取で、自身が記した「横綱双葉山論」では、双葉山の右目が前述の吹き矢によって半失明状態であることを知っていたことから、対策の結論として「双葉山の右足を狙え」とした。この右足対策を十分に身に付けたまま、安藝ノ海は本番を迎えた。

双葉山は約3年ぶりとなる黒星を喫し、連勝を69で止められたにも関わらず、悔しさや絶望感などを表情に見せることなく普段通り一礼し、東の花道を引き揚げて行った。同じ東方の支度部屋を使っており、この後の結びの一番のために土俵下で控えていた男女ノ川は、取組後に「あの男(双葉山)は勝っても負けても全く変わらないな」と語っているが、支度部屋では「あー、クソッ!」と叫んだと新聞記事に書かれている。


双葉山は、その日の夜に師と仰ぐ安岡正篤に対して「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」と打電した。これには双葉山の言葉を友人が取り次いだものという説もある。その日、双葉山は以前から約束していた大分県人会主催の激励会に出席しており、後者の説を採るなら、同会で発せられた言葉であったことになる。70連勝を阻止された当日の夜だったことで、急遽敗戦を慰める会の雰囲気になったが、いつもと変わらない態度で現れた双葉山に列席者は感銘を受けたという。なお、双葉山自身は著書の中で、友人に宛てて打電したもので、友人が共通の師である安岡に取り次いだものと見える、と述べている。


一方、安藝ノ海は、土俵下でこの取組を見ていた後の27代木村庄之助によれば「勝ち名乗りを受けるための蹲踞をためらっているように見え、心ここにあらずという表情だった」という。この後安藝ノ海は次の一番で取る鹿嶌洋に力水を付け、勝ち残りで控えに座り、結びの一番が終わって支度部屋に引き上げた(現在ならインタビュールームでアナウンサーから殊勲インタビューを受け、支度部屋では大勢の記者に囲まれる)。取組を終えた安藝ノ海は出羽海部屋に帰ろうとしたが、国技館を出た瞬間から双葉山に勝った彼を見ようとした多くの群衆に取り囲まれもみくしゃにされた。そのため部屋へほんの数分で帰れる時間を1時間以上もかかってしまい、部屋へ着いた安藝ノ海の着物はボロボロになった。部屋へ戻ってから師匠の出羽海に報告した際、出羽海は「勝って褒められる力士になるより、負けて騒がれる力士になれ」と諭したという。これには、安藝ノ海の入門を世話した藤島(この時は中耳炎で入院中)の言葉だとの説もある。当時部屋の豆行司だった28代庄之助は、出羽海の付け人をしながらこの時の言葉を聞いたと証言しており、後者の藤島発言説を否定している。

連勝が69で止まった双葉山だが、これ以降はすぐ気持ちを入れ替えてまた新しい連勝記録が始まるものだろうと誰もが思っていた。しかし、翌5日目に両國、6日目に鹿嶌洋と3連敗し、9日目には玉錦の跡を継いだ玉ノ海に敗れて4敗を喫した(最終的には9勝4敗)。その姿は小説家の吉屋信子に「まるで負けるのを楽しんでるみたい」と評され、当人は「動揺するまいと身構えたところに気付かぬ動揺があったのだろう」と語っている。


続く1939年5月場所も危ぶまれたが、初めて15日制で行われた本場所で全勝で復活を遂げる。12日目での優勝決定は15日制での最速記録でもある。 1936年1月場所玉錦からこの場所の双葉山までは、8枚の全勝額が並ぶことになった(そのうち6枚が双葉山、残り2枚は玉錦と出羽湊の各1枚)。1940年1月場所も初日から連勝を続け、11日目に西前頭筆頭の五ツ嶋に叩き込みで敗れ30連勝を阻止されたが、この1敗だけの14勝1敗で連続優勝。全勝でない優勝はこれが初めてだった。

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 安岡正篤先生から、わたくしの現役時代に、次のような御自作の漢詩二つを、相前後して頂戴したことがあります。過褒あたらず、衷心より恐縮にたえなかった次第ですが、これというのも偏に、わたくしの志を鞭撻しようとの思召しから出ずるもので、今日なお感激の念いを禁じえないところです。


  万千鑽仰独深沈  万千の鑽仰ひとり深沈 
  柳緑花紅未惹心  柳緑花紅いまだ心を惹かず 
  胸裏更無存他意  胸裏さらに他意の存するなし 
  一腔熱血報知音  一腔の熱血知音に報ず
  百戦勝来猶未奇  百戦勝ちて来つてなほ未だ奇とせず
  如今喜得木雞姿  如今喜び得たり木雞の姿
  誰知千喚万呼裡  誰か知らん千喚万呼の裡
  独想悠々濯足時  独り想ふ悠々足を濯ふの時


 わたしが昭和十四年の一月場所で安芸ノ海に敗れましたとき、酒井忠正氏と一夕をともにする機会にめぐまれ、北海道巡業中にとった十六ミリ映画をお目にかけたりなどして、静かなひとときを過ごすことができました。氏はその夜のわたくしを、「明鏡止水、淡々たる態度をみせた...」(酒井忠正氏著『相撲随筆』)云々と形容しておられますけれども、当のわたしにしてみれば、なかなかもってそれどころではありません。「木鶏」たらんと努力してきたことは事実だとしても、現実には容易に「木鶏」たりえない自分であることを、自証せざるを得なかったのです。かねてわたしの友人であり、また安岡先生の門下である神戸の中谷清一氏や四国の竹葉秀雄氏にあてて、


 「イマダ モッケイタリエズ フタバ」


 と打電しましたのは、当時のわたくしの偽りない心情の告白でありました。わたくしのこの電報はただちに中谷氏によって取次がれたものとみえて、外遊途上にあらわれた安岡先生のお手もとにもとどいた由、船のボーイは電文の意味がよく呑みこめないので、
 「誤りがあるのではないだろうか」
と訝りながら、先生にお届けしたところ、先生は一読して、
 「いや、これでよい」
といって肯かれたということを、後になって伝えきいたような次第です。

トルクと馬力|松本大のつぶやき/マネックス証券

眞子さまは、東京の国際基督教大学を卒業後、去年9月までの1年間、イギリスの伝統校、レスター大学の大学院に留学して博物館学を研究し、修士の学位を取得されました。
宮内庁によりますと、眞子さまは、これまで取り組んできた学問をさらに磨きたいと考え、この春、国際基督教大学の大学院の博士課程の入学選考を受け、合格されたということです。
眞子さまは、来月、大学院に入学し、3年程度、博物館学を中心に関連分野についても幅広く研究し、博士号の取得を目指されるということです。
眞子さまは、ことし4月から東京大学の博物館の研究員として勤務していて、今後も公的な活動を最優先に、勤務と重ならないよう研究にも取り組まれるということです。