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2018-03-03-Sat

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海老蔵の宗教は何?みたまうつしの儀とは?麻央さんの神式葬儀や諡号について |

市川團十郎 (12代目) - Wikipedia

神道(神習教)信者

神習教 - Wikipedia

大中臣の後裔で勤皇の志士であった芳村正秉が安政の大獄の直前(1857年(安政4年))幕府の手から逃れ鞍馬寺山門内の由岐(伎)神社拝殿下に一月の間籠り、同志の無残な死を悲しみ国を憂いつつ人間そのものに思いをいたしていると「芳村家は大中臣の後裔にして神道の家系である。他日大中臣の神道を継ぎ、これを世に明かせよ」との祖父の遺訓を祖母から教えられた時の光景が眼前に浮かび、大中臣神事の再興こそ自分の使命であると悟った。


大政奉還後、西郷隆盛の紹介により神祇官(後に教部省)に奉職。

教名は伊勢神宮奉職中、荒祭宮での月例祭の時に倭姫命から「汝が一教を立てる時には神習いの教えとせよ」と託宣が下ったことによる。また「教えの旨は『かみながら』とせよ」との託宣もあり、教旨を「かみながら」としている。

1883年(明治16年)9月には、御嶽山の王滝口と黒沢口の社家に許可を得て御嶽三神(国常立尊、大己貴命少彦名命)を神殿に合祀している。

市川團十郎 - 九世團十郎が神道教師となって以来、成田屋市川宗家が信仰している。

市川團十郎 (9代目) - Wikipedia

明治時代に教派神道の神習教に改宗した。神道教師の資格も取得。成田山新勝寺と疎遠になった。以後、成田屋市川宗家の宗教は神習教。

芳村正秉 - Wikipedia

弘化2年)9月19日(1845年10月19日)、6歳の誕生日に祖母和記子に連れられて鎮守の御霊神社に参拝すると「芳村氏は大中臣の後裔にして、神道の家系に属し、異日千載不伝の神道を継ぎ、これを天下に明らかにすべし」との神託を祖母が受ける。


嘉永2年(1849年)5月、一人家を出て数十キロを歩き山田方谷を訪ね弟子入りを乞うが、親に行先を告げずに出てきたことを理由に諭され一晩泊った後に手紙を渡され上福田に帰される。翌嘉永3年(1850年)には、晴れて両親の許しを得て新見藩藩儒丸川松隠の孫丸川義三につき3年に亘り国学・漢学、そして槍術・剣術ほかを学ぶ。嘉永6年(1853年)より播磨国林田藩の河野鉄兜に入門し詩文・経史を学び、同時に国書、和歌を習う。


安政4年(1857年)京都に上る。京都では親子ほど歳の離れた梁川星巌と親しく交流しながら愛され、堀川の伊藤家に就き、仁斎の古学を学び、春日潜庵、藤井竹外、家里松紇、江馬天江(正人)、山田梅東、板倉槐堂、山中静逸、宇田栗園、頼三樹三郎、月照上人らと交わり、これらを師として多くを学ぶ。安政の大獄が始まる直前の安政4年(1857年)に正秉の元にも幕府の追手が及ぶが、それを察知し鞍馬山に逃れる。鞍馬山では油屋の主人湯口徳兵衛の助けにより、由岐神社の拝殿に身を隠して生き延びる。この時、6歳の時に祖母に連れられて鎮守へ参拝に出かけた際に神託を受けた時の光景が突如として眼前に浮かび、自分の使命が神道家を目指すことであると悟る。


維新後、勤王の志士たちが仕官する中、固辞を続け故郷に戻り学校を建てようと考えていた正秉は、それを西郷隆盛に打ち明けると「そんな引っ込み思案は止めて、教部省で学校を建てようと思うから手伝ってくれ」と勧められ伊藤博文の説得に負け、仕官を考えるようになる。当時、交流のあった林鶴梁、安井息軒らが正秉が神道に精通していることを知り、神祇官への奉職を勧め、明治2年(1869年)に神祇官に勤めるようになる。

大中臣氏 - Wikipedia

日本古代の中央政権において祭祀をつかさどった貴族である。

大中臣氏の中で最も力を振るったのは嫡流とされた清麻呂の系統で、神祇伯や伊勢祭主を世襲した。

だが、平安時代中期の中臣逸志を最後に中臣氏(大中臣氏)の神祇伯は姿を消し、代わって白川家が神祇伯を世襲するようになると、伊勢祭主及び神祇大副を世襲するようになる。また、地方の有力神社の神職も掌握するようになる。


嫡流子孫は江戸時代に藤波家を称するようになる。

神祇官 - Wikipedia

神祇伯 - Wikipedia

中臣氏・大中臣氏考

2−1)天児屋根命(あめのこやね)

ニ膕神社・春日大社・吉田神社、大原野神社などの祭神。

大中臣〔絶家・社家〕-公卿類別譜(公家の歴史)

大中臣神道の秘儀と神言―よみがえる古代朝廷祭祀 | 山田 雅晴 |本 | 通販 | Amazon

桜神宮:桜神宮の創建:「かみならいの教え」

 この古神道最大の秘言ともいわれる天津祝詞の太諄辞事を唱えた天児屋根命が大中臣家の先祖です。

 65代目にあたります芳村正秉がこの大中臣神道を復興したものが、神ながらの道、つまり「かみならいの教え」です。

坊城俊政 - Wikipedia

宮中の祭祀、典礼を司った。

録子(しずこ、小出英尚夫人、離縁後芳村正秉夫人)

Category:坊城家 - Wikipedia

神道に関連する人物 > 中臣氏 > 藤原氏 > 藤原北家 > 良門流 > 勧修寺流 > 勧修寺家 > 坊城家

坊城家 - Wikipedia

家業は紀伝道と装束。

紀伝道 - Wikipedia

名家 (公家) - Wikipedia

大納言を極官とするのは羽林家と同じだが、羽林家が近衛中将などの武官職を経て大納言に進むのに対し、名家は侍従や弁官(蔵人・蔵人頭を兼任)などの文官職を経て中納言・大納言に進む。

伯家神道 - Wikipedia

吉田家がその神道説を整理して教義を確立した一方で、白川家は鎌倉時代後期に一族に『日本書紀』を研究した者がいたものの、教義によって信仰を説くことはせず古来より朝廷に伝わる祭祀の作法を口伝により受け継いでいた。


寛文5年(1665年)に発布された諸社禰宜神主法度ではその第三条にて無位の社人が白張以外の装束を着用する際には吉田家の裁許状を要する旨が規定され、これにより吉田家の支配下に入る神職が激増した。


このような状況で白川家の当主の雅喬王は延宝8年(1680年)に家伝を整理し『家説略記』を著している。雅喬王はまた、白川家が皇室や摂関家に祭祀の作法を伝授してきたことを主張し吉田家との違いを鮮明にすることに努めた。


雅喬王の子雅光王の代になると臼井雅胤が学頭に迎えられ雅胤は伯家神道の教義の確立に努めた。雅光王の2代後の雅富王は宝暦4年(1754年)に『家説略記』を改訂して『伯家部類』を著した。宝暦12年(1762年)には学頭の森昌胤が『神道通国弁義』を著した。


その後、白川家は国学者の平田篤胤の協力を得て文化13年(1816年)に『神祇伯家学則』を編纂し、その中で神道はいずれの国においても大道であり、いつの時代にも変わることのない綱紀であると主張している。篤胤は天保11年(1840年)に学頭に迎えられた。

平田篤胤 - Wikipedia

死後、神霊能真柱大人(かむたまのみはしらのうし)の名を白川家より贈られている。

倒幕がなった後、明治維新期には平田派の神道家は大きな影響力を持ったが、神道を国家統制下におく国家神道の形成に伴い平田派は明治政府の中枢から排除され影響力を失っていった。

白川伯王家 - Wikipedia

室町時代になると、代々神祇大副(神祇官の次官)を世襲していた卜部氏の吉田兼倶吉田神道を確立し、神祇管領長上を称して吉田家が全国の神社の大部分を支配するようになり、白川家の権威は衰退した。江戸時代に白川家は伯家神道を称して吉田家に対抗するも、寺社法度の制定以降は吉田家の優位が続いた。

明治時代になると王号を返上し、白川家の当主の資訓は子爵に叙せられた。資訓の後を継いだ資長には実子がなく、伯爵上野正雄(北白川宮能久親王の庶子)の男子の久雄を養子に迎えたが、後にこの養子縁組は解消となり、白川家は断絶となる。

吉田神道 - Wikipedia

教派神道 - Wikipedia

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―ジェーニャ(エフゲニアの愛称)、オリンピックはどうでしたか?


とても、とても素晴らしかったです。とても。


―競技では大きな満足感があったかと思います。あなた自身、オリンピック後には大きな変化があったと言っていましたね。詳しく聞かせてください。


自分の内面ががらりと変わりました。オリンピックを経験したことで、以前は簡単とか難しいとかいう尺度でしか考えられなかったことが、違った感覚でとらえるようになりました。


私はそんな人生を送りたいのだと、はっきりと認識するようになりました。


―例えば?


それは個人的な感覚です。とても内面の深い部分の話です。表面的なものではありません。


―総合的に考えば、オリンピックはあなたの人生にとって最もシビアな出来事になりました。


それについて詳しく話すことはないでしょうが、その通りです。


―エキシビションでは、ビクトル・ツォイ(※)の曲「カッコウ」を使った新しい演目に挑戦しましたね。あれはあなたのことを表現しているのですか。


その通りです。あの演目は今の私の心境を表現しています。


※ソ連時代に活動したロックバンド「キノー」のボーカル。政府が唯一認めたレコード会社との契約がなく、活動はアンダーグラウンドだったが、大人気を誇った。交通事故により28歳で亡くなった。

#中島芽生

ロシア・フィギュアスケート連盟によると、日本の秋田犬保存会からザギトワ選手に対して、「秋田犬を贈呈したいと思います。この犬が日露友好の懸け橋になれば幸せです」という内容の手紙が送られてきたという。


現在、犬をロシアに持ち込むための手続きが進められていて、ザギトワ選手は「夢が実現することについて、保存会に感謝しています」とコメントしている。

#佐藤真知子

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180301#1519900862

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 将棋の順位戦A級最終11回戦の5局が2日、静岡市の「浮月楼」で同時に行われ、11人中6人が6勝4敗で並び、史上最多となる6人のプレーオフによって佐藤天彦名人(30)への挑戦権を目指す前代未聞の事態となった。


 前局まで6勝を挙げて首位を走っていた久保利明王将(42)と豊島将之八段(27)が敗れ、1勝差で追っていた稲葉陽八段(29)、佐藤康光九段(48)、広瀬章人八段(31)が勝ち、対局のなかった羽生善治竜王(47)と6勝で並び、挑戦権はプレーオフに委ねられることになった。


 過去、4人によるプレーオフが行われたケースは3度あるが、6人は史上最多。今後は持ち順位の低い順からの「パラマス方式トーナメント」を行う。まず豊島八段(9位)と久保王将(10位)が対戦し、勝った方が佐藤九段(8位)と対戦し、さらに勝った方が広瀬八段(4位)と対戦し、さらに勝った方が羽生竜王(2位)と対戦し、さらに勝った方が稲葉八段(1位)との挑戦者決定戦を戦う。


 2連覇中の佐藤名人と挑戦者による名人戦7番勝負は4月14日に開幕するため、異例の短期決戦となる。久保王将は「チャンスはあると思うので、しっかり準備したい」と語った。


 一方、永世竜王と永世棋王の資格保持者である渡辺明棋王(33)が敗れ、B級1組への陥落が決まる波乱もあった。渡辺棋王は「他棋戦でも内容が悪かったので、順位戦もこういう結果になってしまいました。どのように立て直していくか考えなきゃいけない」と述べた。行方尚史八段(44)と屋敷伸之九段(46)の降級も決まった。

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 臆病な理想家──。

 私は、これが優れたリーダーの特性だと考えています。理想をもたない者は、現実対応に終始するのみ。それでは、組織に活気を生み出すことはできませんし、何より発展性がない。理想こそが組織の活性剤であり、組織を持続的成長に導く原点なのです。ただし、現実を見据えない理想主義者が口にするのは“寝言”のみ。だから、現実を冷徹に見据えながら、臆病に理想を描き出すリーダーこそが卓越した存在になりうるのです。


 こう言ってもいいでしょう。

 ソリューションに徹する人物は有能なビジネスパーソンではあっても、真のリーダーたりえない、と。「ソリューション型リーダー」などとカタカナ語(横文字)を使えば格好よく聞こえますが、日本語に直せば「課題解決型リーダー」すなわち「困りごと解決屋」にすぎません。


 つまり、与えられた課題を解決する「受動的」な存在に終始するということであり、彼が最大の能力を発揮したとしてもブレークイーブン(損益分岐点)に持ち込むのが限界。組織を成長させるリーダーとはなりえないのです。


 だから、リーダーは、自ら課題をつくり出すクリエイター(創造者)でなければなりません。

 リーダーが仕事をするときには、まず第一に担当する仕事の「理想像」=「あるべき姿」を思い描く。その「あるべき姿」と「現実」の距離こそが、リーダーが自らつくり出した課題なのです。


 そして、その課題を解決するための道筋を、メンバーとともに考え出して実行する。その結果、組織に新たな地平を切り拓くという「能動性」こそがリーダーシップ。もちろん、リーダーたる者、ソリューションもできなければなりませんが、クリエイション(創造)こそがリーダーシップの本質だということは、いくら強調してもしすぎることはないのです。

当初は、私のリーダーシップによって始まったプロジェクトですが、個々のメンバーのオーナーシップを保証することで、彼ら一人ひとりがリーダーシップを発揮し始めると、今度は彼らが私を引っ張っていくようになり、チーム全体の生産性が加速度的に高まっていったのです。


 そのためにも、リーダーはあまり細部までコントロールしようとしないほうがいい。

 もちろん、全体の方向性の舵取りはリーダーが握っていなければなりません。「あるべき姿」の根幹を成すコンセプトをがっちりと握って、そこからズレるものは排除する必要があります。


 また、全体のバランスを見るのもリーダーの役割です。メンバーはそれぞれの立場でベストの提案をしてくれますが、それはあくまで「部分最適」。それらを寄せ集めただけでは、「全体最適」を図ることはできません。「全体最適」を見ることができるのはリーダーだけですから、その役割をしっかり果たさなければなりません。


 ただし、権力的に仕切るというスタンスは最低限に抑えたほうがいいでしょう。

 むしろ、何度でも「あるべき姿」の全体像を説くことで、個々のメンバーにも「全体最適」のイメージを培ってもらう努力をすべきです。


 骨が折れる局面もありますが、彼らもプロジェクトを成功させたいという思いは同じですから、「部分最適」にこだわるのが愚かなことであることは必ず理解してくれます。そして、同じ結論であったとしても、結論を押し付けられたと感じるか、自らの意思でたどり着いた結論だと思えるかで、実行力には雲泥の差が生まれます。


 あくまでも、メンバーのオーナーシップを大切にする──。

 この急がば回れの精神が、結果としてリーダーシップを強固なものにしてくれるのです。


 その意味では、現場に「丸投げ」するリーダーは論外ですが、あまり「細部」まで手を突っ込むリーダーは二流と言えるでしょう。優れたリーダーは、「大きな絵」を描いて、あとは任せるのです。

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#科哲

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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180301#1519900852

#勉強法

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 つい最近まで、首相周辺は「裁量労働制の拡大」も強行突破できると甘く考えていた。しかし、先週23日(金)に自民党内から「裁量労働制拡大」の分離案が浮上すると、風向きが変わったという。27日の自民党の厚労部会では「法案審議が持たない」と公然と批判が噴出。


 決定的だったのは、二階幹事長が官邸の要望を無視して「予算案の衆院通過」を1日遅らせたことだ。しかも、わざと官邸の耳に入るように「自民党は官邸の下請けじゃない」とドスを利かせている。「安倍1強」のこの5年間、自民党が官邸の命令に逆らうことは、ほぼ皆無だった。

 なかば公然と“反アベ”で動きだしているのが、かつて“参議院のドン”と呼ばれた青木幹雄氏(83)だ。周囲に「まだ総裁選まで半年ある」「なにが起こるか分からない」と漏らしているという。


額賀派に所属していた青木さんは、いまでも隠然たる力を持っています。とうとう“親アベ”だった額賀さんを派閥領袖から外してしまった。秋の総裁選では、衆参54人の第3派閥を“反アベ”でまとめるつもりでしょう。青木さんを無視できないのは、第4派閥“岸田派(47人)”の実質的オーナーである古賀誠と、第5派閥“二階派(44人)”のトップ二階俊博とツーカーだということです。青木―古賀―二階の3人の共通点は“安倍1強”に不満を強めていることです。3つの派閥が手を組めば、総裁選の構図はガラリと変わってきます」(自民党関係者)

「自民党内には、安倍首相に対する不満が充満しています。結局“お友達”しか重用しないからです。ほとんどの自民党議員は活躍の場がない。安倍3選となったら、この5年間、要職に起用されなかった議員は、さらに3年間、日の目を見ないことはハッキリしている。安倍3選阻止、安倍降ろしの動きが強まる可能性は高いでしょう」(政界関係者)

 小野寺防衛大臣:「最新の航空機のうちどのようなものが離発着可能なのかなど、現有艦の最大限の潜在的能力を客観的に把握する」

 F35Bは、空母の滑走路のような短い距離で離着陸が可能な最新のステルス戦闘機です。海上自衛隊は、護衛艦「いずも」を空母に改修することを検討しています。小野寺大臣は「導入を前提としていない」として、運用が可能かどうかの調査であるという認識を示しました。安倍総理大臣も「様々な検討をすることは当然だ」と調査の必要性を強調しました。

#政界再編#二大政党制

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中国政府の重要な人事や政策を決める全人代が5日から北京で始まるのを前に、国政への助言機関、政治協商会議の王国慶報道官が2日、記者会見しました。


この中で王報道官は、日中関係について「最近、日本が両国関係をめぐって前向きなシグナルを発し、明るい兆しが出ている」と指摘しました。


その一方で「一部の日本の政治家は、中国を戦略的ライバルとみなす狭い考え方にとらわれている」と批判するとともに、「歴史を直視しない国は尊重されないし、隣国を常に戦略的ライバルと見なす国に未来はない」とも述べました。


そのうえで王報道官は「できるだけ早く正常な軌道に戻し、ハイレベルの交流のために適切な雰囲気が生み出されてほしい」と述べて、首脳の相互訪問の実現に期待感を示しつつも、関係のさらなる改善には日本側の対応が重要だという考えを改めて強調しました。

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アメリカのトランプ大統領は、戦闘機や軍艦の製造に使われる鉄鋼やアルミニウムが、中国で過剰に生産されて国際的に価格が下落し、各国から不当に安く輸入されているとして安全保障への脅威を理由に、鉄鋼製品に25%の関税を課すなどとした異例の輸入制限措置を発動する意向を示しました。

これに対して、中国をはじめ各国が、措置が発動されれば対抗措置も辞さない姿勢を示すなど反発が広がっています。


こうした状況を受けてトランプ大統領は2日、ツイッターに「貿易戦争だってかまわない。勝つのは簡単だ」と投稿し、貿易の不均衡の是正に向けて強気の姿勢を貫いています。


またロス商務長官は2日、アメリカメディアのインタビューで、措置の対象となる国について、トランプ大統領は日本を含むすべての国を対象とするのではないかという見解を示しました。


トランプ大統領は、今回の措置について来週にも正式に決める意向を示していて、最終的な判断が注目されます。

アメリカが去年中国から輸入した鉄鋼製品は、全体の輸入量の2%余りにすぎません。それでも今回、トランプ政権が中国を標的にした措置だと説明しているのは、中国が鉄鋼を過剰に生産し、鉄鋼の国際価格全体を不当に押し下げていることが巨大市場アメリカに、各国から安価な鉄鋼製品が流入する事態を招いている最大の原因だと考えているからです。


このためトランプ政権は、今回の輸入制限措置を中国だけを対象にするのではなく、幅広い国を対象にして発動しなければ、中国に対する圧力を強化したことにならず、自国の鉄鋼業界の保護につながらないと考えています。結果的に日本や韓国、カナダなど、アメリカに輸出している各国が輸入制限措置の対象に含まれる可能性が出ています。


ちなみに、去年のアメリカへの鉄鋼製品の輸入量に占める国別の割合を見ると、最も多かったのがカナダで16.5%、次いでブラジルが13.5%、韓国が9.9%、メキシコが9.2%、ロシアが8.3%、トルコが5.7%となっています。そして日本は7位で5%、ドイツが4%で、アメリカの標的の中国は11位でわずか2.1%にとどまっています。


中国からの輸入量が少ないのは、アメリカが中国に対してこれまで反ダンピング関税など、別の方法を用いて制限を加えてきたためだと見られます。また、反ダンピング関税を避けるため、中国からほかの国を経由して、アメリカに輸入されている鉄鋼製品も少なくないとされ、このことも対象国を中国に限定せず、広く設定すると見られる根拠となっています。

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#ロン・ポール

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シリアでの化学兵器の使用については、国連とOPCW=化学兵器禁止機関で作る合同調査機構が調査を行い、去年10月に、アサド政権と過激派組織IS=イスラミックステートがそれぞれ化学兵器を使用したとする報告書をまとめました。しかし、去年11月、アサド政権を支持するロシアが拒否権を行使して調査機構の権限の延長を阻止したため、調査ができなくなっています。


こうした中、化学兵器の使用について調査する新たな組織の設置に向けて、アメリカが決議案の草案を作成し先月末から安保理のメンバー国と水面下の協議を始めたことがわかりました。


NHKが独自に入手した草案は、アサド政権による化学兵器の使用には直接言及していないほか、調査官の選定は地理的なバランスに基づいて行うとするなどロシアに配慮する内容になっています。

これについて安保理外交筋は、アメリカは来週中に採決にかけたいようだがロシアだけが協議に参加していないとしています。


シリアでは、ことしに入ってからも化学兵器が使用された可能性がたびたび指摘されていて、今後真相の解明が進むかどうかはロシアの対応が焦点になります。

米ホワイトハウスは2日、トランプ大統領が1日、ドイツのメルケル首相、フランスのマクロン大統領とそれぞれ電話会談し、シリアの首都ダマスカス近郊にある東グータ地区での空爆を停止し、アサド政権軍に民間人居住区域への攻撃をやめさせるようロシアに求めることで一致した。


 3首脳は、アサド政権と後ろ盾のロシアやイランはシリア停戦を求めた国連安全保障理事会決議を完全に履行すべきだと強調。ロシアのプーチン大統領が最新の戦略核兵器開発に成功したと表明したことにも「深刻な懸念」を示した。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180302#1519987267

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しかし、そのメドベージェフ氏、このところ国民の評判は芳しくありません。というのも、おととし、年金生活者が年金の引き上げを求めて詰め寄った時に「金はない。がんばって」と発言。さらに若い教師が「給与が低い」と不満を漏らした時には「金を稼ぎたいならビジネスをやったほうがよい」と説教。こうしたメドベージェフ氏の発言はすぐに動画サイトなどで拡散し、国民の反発を招きました。


しかし、こうした批判の矛先はメドベージェフ首相止まりで、プーチン大統領に及ぶことはほとんどありません。ロシアでは「国民の不満のガス抜きのため、メドベージェフ氏がわざと嫌われ役を買っているのではないか」という見方さえ出ています。

ロシアでは「ロシアの歴史は外国による侵略の歴史」という歴史認識が一般的で、13世紀に始まったモンゴルによる支配「タタールのくびき」や、19世紀のナポレオン遠征、さらに20世紀のナチス・ドイツの侵攻が「脅威」として人々の記憶に深く刻まれています。


プーチン氏は、こうした国民の歴史認識を巧みに利用してきました。2011年に始まった中東の民主化運動「アラブの春」や、2014年にウクライナでロシア寄りの政権が崩壊した政変について「欧米が後ろで糸を引いた結果」と強調。「ロシアにも欧米の脅威が迫っている」と繰り返し主張してきました。


このためウクライナの政変は、ロシアが海軍の拠点を置くクリミアの併合を正当化する際の格好の材料となりました。2014年の世論調査では「ロシアにとっての脅威はどこに潜んでいるか」という質問に対し、「外国」と答えた人が77%に達し、「国内」を逆転。2014年1月に65%だったプーチン大統領の支持率は、クリミア併合後の5月には83%まで跳ね上がり、人気を確固たるものにしました。


高い支持率を追い風にプーチン大統領は2015年9月、アサド政権を支援するためシリア空爆に踏み切ります。欧米が支援する反政府勢力に押されていたアサド政権は、一転して圧倒的な優位を確保しました。欧米との制裁合戦が続く中、プーチン氏はロシア国民にとって、外国の脅威に対抗する象徴のような特別な存在となっているのです。

プーチン大統領の人気の背景には、ほかの国家機関や社会組織に対するロシア国民の不信感も挙げられます。ロシア科学アカデミー社会学研究所が4年前から行っている世論調査で、国民に何を信用するか尋ねたところ、「政党」と答えた人が12〜18%、「裁判制度」が22〜26%、「警察」が28〜35%といずれも極めて低い数字にとどまりました。

実際、ロシアの人たちは、ふだん接する国の機関や組織について「役に立たない」とか「あてにならない」といった不満を頻繁に漏らしています。


これに対し、「大統領」を信用すると答えた人は67〜78%と高い数字を維持しているのです。調査を行ったペトゥホフ教授は「ロシアでは国家機関や社会組織があまりにも頼りないので、プーチン氏にすがるしかない。プーチン氏がいなくなれば、パニックになるだろう」と指摘しています。

そして、プーチン氏を国民に印象づけるツールとして大きな役割を果たしているのがテレビです。政権の影響下にあるロシアのテレビ局は、プーチン大統領が政府の閣僚や国営企業のトップにてきぱきと指示を出す姿や、時には厳しい表情で叱りつける様子を連日伝えています。


去年、恒例の国民とのテレビ対話の中で、地方の女性が「劣悪な住宅環境に暮らしている」と不満を訴えたところ、プーチン氏は地方政府のトップとこの女性のもとを訪れ、住宅整備を進めると約束し、さらに人気の保養地ソチへの旅行もプレゼントしました。

「プーチン氏は時代の要請にあわせてスピーチでの表現方法を巧みに変えることでさまざまな指導者像を作り出している」。そう指摘するのがアメリカ・フロリダ大学のマイケル・ゴーハン教授です。ロシアの文化や政治に詳しいゴーハン氏は、プーチン氏は「高級官僚」「実行家」「シロビキ(軍・治安機関の職員や出身者)」「田舎の男性」「愛国主義者」の5つの顔をあわせ持ち、状況に応じてこれらのキャラクターを演じ分けていると言います。

プーチン氏はこうした“技”をどこで身につけたのでしょうか。その源流は、ソビエト時代に諜報機関KGB(国家保安委員会)の工作員を務めた経験にあるという見方があります。


大学で法学を修めたプーチン氏は1975年にKGBに入り、海外で情報収集にあたる外国諜報部というエリート部署に配属されました。そこで“スパイ”に必要な技術を身につけるための研修を受けたのち、1985年に当時の東ドイツのドレスデンに赴任しました。


大統領になったプーチン氏は、KGBに身を置いたことで何か役に立ったことがあるかと記者から尋ねられた際、「対話の能力や人との関係作りだ」と答えたことがあります。また周囲に「私は人間関係の専門家」と漏らしたこともあるといいます。プーチン氏が国民の前で5種類の人間像を演じ分けていることも、相手、すなわち国民の歓心を買うための人間関係作りの一環と見れば納得もいきます。

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