■2015-12-05[]

2015年12月4日放送分

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151204#1449225340


道を成就する三要素「堅」「誠」「恒」。ワールドメイトに入会してすぐに、そして度々学ぶもの : ワールドメイトの備忘録

神業は十年、二十年と続いていくものなのである。一生かけて歩む道であるから、調子のよいときも悪いときもある。三昧の境地に達したからといって、その状態を一生保ち続けられるかといったら、また緩むときもあるのだ。


多少の無理をしなければ伸びないので、無理はするけれども、無理をしすぎてぷっつんと切れてしまったら、元も子もない。そのためには色々な智恵を取り入れながら、あせらずたゆまず、とにかく歩み続けること。そのために大切なのは、道を成就する三つのポイント「堅」「誠」「恒」である。


「堅」とは、こうと思ったらどんなことがあってもやりとげるのだという心。例えば、寒中マラソンをやるのだと決めたら、どんなことがあってもやる。コタツと練乳の誘惑をはね除け、勇気を奮ってマイナス十五度の寒中に飛び出していくのが「堅」である。


「誠」は省みる心。自分の修業の中で何が足りないかを謙虚に反省して、真心をもって、口と心と行動を一致させていくこと。言ったことが成るから「誠」である。誠が通じない神霊はいない。これは神様を動かす極意でもあるのだ。


そして、恒久平和「恒」。曇っていても雨降りでもお天道様はその上でちゃんと照らしていらっしゃる。太陽は週休二日制でもなければ、隔週土曜休みでもない。毎日怠ることなく、間なく断なく照らしつづけているのである。そういう心、これが「恒」である。

志道と三宝 - 玄徳道

元気な人がいればやる気の無い人がいます。その本の気はどこから来るのでしょうか。

修道を歩む者は、心に、堅、誠、恒を深く掲げています。堅実とは、地の道であり、心をやるべき事に集中させることです。誠は、天の道であり、心に偽りなく、自分の心に素直に随うことです。恒は、人の道であり、心に飽くことなく継続させる努力です。

修人は堅誠恒の志を掲げているからこそ、世の無常、苦しみ、迫害があろうとも淡々と道を歩めるのです。もちろんやる気が出ない日もあります。それでも修人は道を歩むのです。


孟子は志は気の帥であると述べております。修人は、志があるからこそ、元気やる気が出て来るのです。

「志は気の帥(すい)」|津山謙(津山ゆずる)ブログ 「世界があこがれるニッポンに」

「志(こころざし)は気の帥(すい)なり」

 「志をしっかり立てて揺らがなければ、やがてそこに気が集まってくる。全ての気を統帥するのは、結局のところ志なんだ」。孟子はそう言います。


 この場合の「気」とは、「自分の気力」だったり、「他人からの人気」だったりしますが、中国古典に漠然と「気」とあるときは「浩然(こうぜん)の気」を指す場合が多いものです。「天地を形づくる一切のものは、見えない『気』で満たされている」と、古代中国の聖人たちは考えました。それが「浩然の気」です。

(皇太子殿下のご称号「浩宮(ひろのみや)」はここから)


 つまり、「世のため人のため」という志を立てて揺るがない人は、気力が尽きることなく、人も集まり、天地のすべてが味方すると孟子は言うのです。


 この言葉は、吉田松陰先生の座右の銘でもありました。孟子をこよなく愛した松陰先生は、長州松下村塾で「至誠天に通ず」、「志は気の帥なり」と、火の出るような講義をしました。  

 それゆえ、彼の弟子たちは、仲間がどんどん死に、四周を敵に囲まれて絶体絶命になっても、最後まで志を曲げなかったのです。そして、その志に人が集い、天下をひっくり返しました。これが明治維新。僕は10代の頃から吉田松陰先生を師と仰ぎ、「留魂記」や「講孟箚記」といった著作を読みふけり、この言葉を今日まで胸に刻んできました。

志は気の帥なり / 孟子 | 講老箚記 - 東洋思想・哲学・文化の研究

昭和歴代首相の指南役と評される安岡正篤は「気力がないのは論外」といった趣旨のことを言っていますが、その気力の源となり、統率するのが「志」です。


形式的な道徳に縛られた活力のない生活や、社会を機能させるための機械としての生では駄目で、よく自己を実現し、いきいきとした生を実現してこそ、人として生きる意味があります。(参考:気の帥たる志を養う – 『王陽明研究』より)

武蔵嵐山志帥塾

神渡良平

  「志こそは気力、胆力、骨力など、あらゆる活力の源泉であり、将帥(しょうすい)である。だから、人間全てに先だって、まず志を立てることが、肝要である。」という程の意味です。気を付けてみると、先人たちは等しく「志を立てる」ことがその人の人生を決定してしまうと説いていることに気づきます。

「人生劈頭一箇の事あり。立志是(これ)なり」

「志あるの士は利刃(りじん)の如し。百邪辟易す。志無きの士は鈍刀の如し。童蒙(どうもう)も侮翫(ぶかん)す」(志ある人は鋭利な刃物のようなもので、魔物もしり込みする。志の無い人はまなくら刀のようなもので、子供も馬鹿にする)

 「著眼(ちゃくがん)高ければ即ち理を見て岐(き)せず」(大所高所に目をつければ、道理が見えてきて迷うことはない)

では高い志を持続させるにはどうしたら良いでしょうか。決意はするけれど、三日坊主で終わるのが我々凡人の常です。だからこそ、それを越える工夫が必要です。 それにはこの人はと思う「人生の師」を持つことと、「畏友(いゆう)」とも呼べるほどの友を持つことだと思います。高い目標を掲げて切磋琢磨している人物に合ったとき、私達は限りなく刺激され、啓発されます。その結果、自分も負けてはならないと思うようになり、時間を惜しんで努力を始めるものです。


また、私達を発奮させるものに読書があります。この伝で言えば、読書とは時間空間を越えて、人生の師を求め、畏友を求める行為だといえましょう。

読書尚友の意味 - 四字熟語辞典 - goo辞書

読書尚友:原文・書き下し文・意味 - Web漢文大系

天下の善士は、斯に天下の善士を友とす。天下の善士を友とするを以て、未だ足らずと為すや、又古の人を尚論す。其の詩を頌し、其の書を読むも、其の人を知らずして可ならんや。是を以て其の世を論ず。是れ尚友なり。

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