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2006/09/02 (Sat)

[]パイの物語 ヤン・マーテル(著) 唐沢則幸(訳) 竹書房 15:14 パイの物語 ヤン・マーテル(著) 唐沢則幸(訳) 竹書房を含むブックマーク パイの物語 ヤン・マーテル(著) 唐沢則幸(訳) 竹書房のブックマークコメント

パイの物語

サバイバル強調週間ではありませんが、またサバイバル本です。

まず、この本を純粋に楽しみたい人は風間賢二による解説と、カバー見返しに書いてある文章(あらすじ)、見返しの地図などを見ず・読まずで読み始めることをおすすめします。……全部ある種のネタバレです。……見返しの地図くらいはあってもいいかな?でもこれ載せるくらいだったら、ボートの絵と、ボートの部分の名称載せてほしかったよ。今ひとつベンチの位置だの舳先、艫、ボートやオールの実感としての大きさだのが判りにくかった。そんなつまんないことでいちいち本を読む速度が止まった。表紙のイラストは完全にでたらめなので、この絵は無視した方がいい。

上記ネタバレですが、ばらさないでほしいものとして小さな仕掛けと大きな仕掛けとがあって、解説とカバー見返しで思いっきり、小さな仕掛けの方をばらしちゃってる。わたしは運よくそこを読んでなかったので助かったんだけど、せっかく著者がばれないように、先に興味を持てるようにと気を使って書いてるのに、興ざめ。小さいけれど、知らない方が「楽しめる」部分だと思う。

この本、M.ナイト・シャマラン監督での映画化が決定してるそうで……なるほどねえ。わかる気がする、とすでに第一部を読みながら思った。そして第二部の最初の部分、第三部でさらになるほどねえと思った。

シャマランの映画はいつも妙にわたしの笑いのツボにはまる部分をどこかに入れてくるんで、どういうわけか全部映画館で見ている。この人の映画は『シックス・センス』のせいかいつも「どんなどんでん返しか」に注目される。監督自身もそのことを心得ているような作り方、物語を出してくる。実際映画の撮り方を見ると、「物語の全てが真実にかちりとはまる瞬間の醍醐味」を映像化したいんだろうと思う。『ユージュアル・サスペクツ』みたいに。

でも、わたしがシャマランの映画に興味を持ってしまうのは、その部分のせいだけではなくて、彼の作る物語がいつも「信じること」についての物語だからだ。『シックス・センス』の時に監督がインド系アメリカ人と知ってなぜか納得した。幽霊の描き方、とらえ方が西洋のものと違うんでは、と感じた。『アンブレイカブル』は「強く信じれば現実を変えられること」を描いた話。『サイン』が一番この監督の監督らしさを出したところだろう。信じることができなくなった主人公が信じる力を取り戻すまでの話。『ヴィレッジ』がわたしの中では一番印象が薄いんだけど、これも「信じること」を描いた映画にはまちがいない。

この本の主人公は、漂流する。精神的にも、肉体的にも。インドからメキシコへ、そしてカナダへと。

第一部は、著者がカナダに住む現在の彼に「取材」する部分と、彼がインドからアメリカへ移住するまでの生育歴だ。父親が動物園の園長で水泳選手の叔父を持つ、それ以外は平凡だった主人公。彼はインドで既に漂流している、三つの宗教の間を。インドはヒンズー教、イスラム教、キリスト教が混在する国だ。彼はその三つ全てに帰依する。「神を信じたいだけだ」と。混乱した文化の中で、彼は彼にとっての「信仰」を見つける。

物語のもっとも長い部分、第二部の「太平洋」で、16歳の彼は船の遭難で家族全員を失う。救命ボートに同乗するのは、シマウマ、オランウータン、ハイエナ、ベンガルドラ。彼は太平洋を漂流しながら、捕食関係ではなく飼育者としての関係を同乗者との間に確立しようとあがく。捕食者との同乗は、かえって彼に「生き抜く」ことだけを意識させ、彼は生き残る。もちろん、ここがもっとも読み応えのある部分だ。

彼はいろいろなものを諦めていく。時間を数えることもしなくなる。ただ頭にあるのは自分の手許にあるもの、細かな事柄、自分の知恵と信仰*1を材料として使い「生きる」ということのみ。自分が「生きる=食われない」ために動物のエサを最優先させながら、ただ、漂流する。ベジタリアンだった彼はなんでも口にするようになる。腹を満たしたい、という思いにあらがえず。

第三部。メキシコ漂着後。この部分は引用する(他にも引用したいところがいっぱいある物語だ)。

「言葉を使ってなにかを語るということ−−それが英語でも日本語でも−−すなわち、なにかを創作するということではありませんか?この世界をながめ渡すこと、すなわち、なにかを作り出すことではありませんか?」

(中略)

「世界はそのままではあり得ません。ぼくたちがその世界をどう理解するかということでしょう?そして、なにかを理解することは、ぼくたちがなにかをもたらすことでしょう?そうなると、人生は物語ということになりませんか?」

(中略)

「あなたがたがなにを求めているのかわかりますよ。自分が驚かないですむ物語ですよね。それならすでに自分が知っていることを確認するだけでいい。自分よりも高いところを見たり、遠いところに目を向けたり、ふだんとちがうものの見方をしたりしないですむ。要するに月並みな物語が聞きたいのです。型にはまった物語。あなた方が求めているのは、乾き切った不毛な事実なのです」

わたしが求めてるのは驚く物語、わたしを高いところに連れて行ってくれる物語、ふだんとちがうものの見方をしなければいけない物語、月並みではない物語だ。

シャマランが映画化するならば、今度は「かっちりとはまる瞬間」を映像化しないでほしいと思う。この物語はそういう物語ではないのだから。だから、ほんとはこの物語のしめくくりは気に入らない。そうではないのだ、と思う。真実なんてほんとはない。その人が信じたいことだけがその人にとっての真実なのだから。

※再読にたえる本。また、他の人といろんな見方で話ができる本。そういう意味では優秀な本だと思う。ただ、前半の宗教談義のあたりは「無宗教=勝ち組」的雰囲気がある日本では訳がわからない部分かも知れない。<マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語 1、あの父親を思い出させるところもあった。極限状況というのは、同じような行動をとる人間を作る。ただ、その時そこに宗教があったかどうか、社会があったかどうかでできあがってくる人間も変わるのかも知れない。

[][]最後にへこむ 00:29 最後にへこむを含むブックマーク 最後にへこむのブックマークコメント

わたしは大人になってから始めたことや自分の性格もあって、バレエに(限らず)理屈っぽいところがある。自分が実際にできることよりも理屈や理論、言葉を知っていることは多々ある。自分がそれでよしとは思ってない、やっぱり「実践してる人」「実行できてる人」の言葉の方が価値があるとは思っている*2

こどもの時からやってる人は理屈や理論、言葉は知らなくても体は必要なように動く。教える側も、こどもなら今から「体」を作っていけるから、大人に教えるよりもう少し体に負荷をかけるようなレッスン・説明をするだろう。今わたしたちが受けているレッスンと彼女たちが過去受けてきたレッスンとはたぶん質も内容も違うだろうと思う。そういう人から見ると、わたしが人にしている注意やアドバイスは確かに説得力がないだろう。わたしが親切のつもりで他の人にアドバイスしてるのがうざかったんだろうなあ、やっぱり。

今日は帰りがけにそういうことを思い知らされることがあった。さほどの言い争いになったわけではないんだけど。わたしがうろ覚えだったせいもあったので、家に帰ってもっぺん本を見て確認した。

何でもめたと思う?エカルテ・デリエールとエカルテ・ドゥバンの違いです。わたしは自分の知識の再確認できたからいいけど、もともと「わからない」って言いだした人にはどうしよう?土曜先生がバトマンを真横ではなく「自分の横に出せ」と言ってるのは「先生が甘いから」じゃなく「体を壊さないため」ということを、どういうふうに説明したら彼女たちに実感してもらえるんだろう?土曜のレッスンがもう少し早い時間で、レッスン前後にもう少し時間があれば先生に質問する時間が取れて、いいんだろうと思うんだけど。今の時間設定ではとうていムリ。いつも追い立てられるようにレッスン場、更衣室を出なければいけない。

よく代行でいらっしゃる「い」先生のレッスンが、来週もある。「い」先生のレッスンはもっと説明が多い。もっとも多いレベルに合わせてるからだと思う。でも、こどもの時、あるいはかなり若い時からやってた人にはものたりないらしい。「汗が出ない」って。体がきついだけですっきりしないのが、嫌なのだろうとは思うけど。

わたしには説明があるていねいなレッスンの方が楽しいし嬉しい。大人から始めた人には、故障を出さないためにも役に立つ。

……いろんな人との距離の取り方が難しい。先生はもっと難しさを感じてるんだろうけど。

以上、グチです。

アンシェヌマン

●クロワゼでバトマン×2→グラン・バトマン×2を前後、アンファセで横、最後のグラン・バトマンでクロワゼに振り、4番→ピルエット・アンデダン(アン・ナバン)→4番→ピルエット・アンディオール(アン・オー)→アームス5番のぞく形でポーズ。……なぜかうまくいった。

●アンファセ5番から(横アッサンブレ→シャンジュマンしながら半回転)×2→(前アッサンブレ→シャンジュマンしながら半回転)×2。先週も似たのをやったらしい。初めはゆっくり、2回目は()内は連続の音取りで。初めどっち向きに回るのか混乱した。全て、5番の後ろになった側に回る。

●クロワゼ・デリエール・アテールからピケ・アラベスク(第一、アンオー)→グリッサード→グラン・パ・ドゥ・シャ→ピケ・アラベスク(第一)→シャッセ→アントルラセ→反対方向へトンベ→パ・ド・ブレ→グリッサード→グラン・パ・ドゥ・シャ→第二アラベスク。……アントルラセで跳んでいる間にアームスをアンオーから第一アラベスクの形に持っていくこと。着地するときに安定する。

他にアラベスク・アテールからプリエなしでルルベってのがあったんだけどアンシェヌマンを忘れた(^^;)。

ルルベの際、上げている脚の太ももをいっしょに上げるように意識すること。

このあいだmii先生が「重心が前にないとふくらはぎを傷める」と書いていたので、今日はなるたけ前重心を意識した。このところレッスンに行けてないので、重心を上に持っていけた感じはなかった。

あと、やはりバレエシューズが大きすぎる。前回水やりした踵部分は少しフィット感が出てるので、今度は全体に水やりしてみよう。

*1:信仰のある者はない者よりも自殺する割合が低いそうだ。わかる気はする。

*2:実際今回の石鹸づくりでもそうで、いくら知識だけためこんだって実際に作ってみると「わからない」ことの方が多いのよ、結局は。

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