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2010-06-11

僕たちは愚民である――ブライアン・カプラン「選挙の経済学」がすごい part1

選挙の経済学
鳩山政権がほぼ何もしなかったに等しい8カ月を終えた後、管政権になったとたん支持率が急回復して、一体この国の人たちは何を考えているんだと不安になった。経済政策のダメさ加減では鳩山も管もどっこいどっこいなのに、いくら期待をこめての支持とはいえ、ちょっとひどい。こうした状況にたいして「政治にもっと民意させろ」と説く人もいる。しかし本書では皮肉なことに「民意を反映させても国民の利益にならない」とデータで示している。





1.合理的選択理論(Rational Choice Theory)

「投票者はすべて利己的である。よって自己の利益を最大化するという選好をもっている。投票行動においても、すべての有権者は利己的=合理的に行動する」という理論。利己的投票者仮説が元になっている。政治学者の多くがこのアプローチを採用している。この合理的選択理論からは2つの仮説が導き出される。


1.合理的棄権仮説


小選挙区1区には約30万人もの人がいる。よって自分の1票の価値は30万分の1しかない。これでは投票しても投票しなくてもたいした違いはない。よって合理的な有権者は棄権する、という考え。

1票の価値が小さくても、選挙の争点が自分にとって重大な場合や、1票の価値が高い接戦の場合は、合理的に投票にいくことが予想される。極端な事例では、候補者Aに49.5%、候補者Bに49.5%の票が集まっている場合は、残りの1%の人の票が選挙の結果を左右していることになる。この1%の人の人数が100人だったら、この100人の票の価値は30万分の1ではなく、100分の1である。


2.合理的無知仮説


選挙の左右できる確率がものすごく低いので、合理的な有権者は選挙についてあえて何も考えない、という考え。

政治リテラシーを上げる労力(コスト)とそれによって政治が自分に都合がよくなる可能性(パフォーマンス)を考えると、コストパフォーマンスはかなり悪い。よって政治に関して無知なのは合理的である。





2.「合理的な非合理性」理論 

「投票はすべて利己的である。よって自己の利益を最大化するという選好をもっている。ここまでは合理的選択理論と同じだが、有権者の利益は多様性をもっていると経済学者カプランは主張する。つまり、有権者にとっての利益とは金銭的な利益だけではなく、自分の信念を満足させる心理的な利益も含めると考えられる。有権者は、自分の信念への選好を持っている。

たとえば、自由貿易が自国と相手国の双方の利益になるにもかかわらず、保護貿易を望む有権者は多い。ここでは、「有権者は自己の利益を最大化するという選好をもっている」という仮説ではうまく説明ができない。だが、「有権者は自己の信念を満足させる選好をもっている」とするならば、うまく説明できる。市場メカニズムは人間の直感と反するので、不愉快な真実を無視して、自己の直感どおりに行動するのは、合理的である(比較優位の考え方が納得できない学生は多い)。

このように、非合理的なバイアスのもとで、合理的に人間は行動するという考えを、合理的な非合理性と呼ぶ。

ではなぜ、経済学は人間は合理的に行動することを前提としているのに、投票において非合理性を認めるのか。その理由は、市場(つまり世間一般の活動)において、非合理的に行動することはコストが高いからである。労働者経営者は自分にとって不利な行動をする自由をもっているが、たいていそれを実行することはない。そんなことをしても損をするのは自分であるし、わざわざ自分から損をするような人は自由競争の中で淘汰されてしまう。

しかし、政治(投票活動)において、非合理的に行動することのコストは異常に安い。どんなに非合理的な投票でも、もともとの投票の価値が30万分の1なので、ほぼ実害はない。このコストの安さが、有権者に非合理的に行動することを止めさせない。



参照

m_flashflym_flashfly 2010/06/11 13:37 こんにちは。
通りすがりのものです。
いつも興味深くブログを拝見させていただいております。

私は自由選挙の最大の欠点は「素人がプロを選ぶ」点であると思っております。

なので、先日の初音ミクの回でも取り上げられていましたが、
この際納税額を基にした制限選挙を導入してもいいのではないでしょうか。

高額所得者ほど「大きい」仕事をしているわけですから、その分視野が広く
全体最適を考えた投票をする可能性が高いと思うのです。
実現するためのハードルは高いのですが、少なくとも議論を排除すべきではないでしょう。

なお、制限選挙においてはあくまで所得額で制限を設けるべきであって、
学歴で制限すべきではないと思います。

学歴というのは要するに勉強が出来るかどうかで決まってくるものですが、
学校の勉強とは要するに「既存の価値観」に過ぎないわけで、その「既存
の価値観」の中で評価された人ばかりで投票を行うのは価値観の硬直化を
引き起こし変化に対応しにくくなる恐れがあるためです。

ただ勿論勉強が出来ることそれ自体はすばらしいことですし、高学歴者の
方が一般論として優秀だというのも否定できない事実ではあります。

daen0_0daen0_0 2010/06/11 20:37 どうも。おおむね同意ですが、ちょっと意見をば。

所得に応じた制限選挙制の問題点は2点あります。
1つ目は過去に実際に行われた制度であり、それが「民主主義の名のものとに廃止されたこと」が一種の美談になってしまっている点です。それをいまさら覆すのはなかなか政治的に難しい。

2つ目は高額所得者=社会に価値をもたらす(or した)人とは限らない点です。ビジネスにおいて成功するためには消費者の利益を最大化し社会的便益を増やすことよりも、自分の利益のために独占状態をつくったり消費者の非合理性を利用した収益システムをつくることのほうが重要です。そうしたスキルに特化した人が、必ずしも全体にとって最適な政策を選ぶかはちょっとわかりません。

ただこれは理論的にそう言えるだけであって、実証的には高額所得者ほど経済学の「既存の価値観」もちゃんとわきまえているらしいです。カプランによれば、その相関係数は高学歴者のそれと同じくらい高いです。

m_flashflym_flashfly 2010/06/12 02:35 丁寧なご返答ありがとうございます。

いくつか気になった点がありましたのでもう一度意見を述べる機会を下さい。

まず、「独占状態をつくったり〜」の下りですが、本当にそのようなビジネスモデルが短期的にはともかくに長期的に受け入れられるものでしょうか。
ソニーが消費者を自社製品に囲い込もうとして開発したメモリースティックはSDカードに敗北しましたし、国家が国の経済を独占していた東側諸国も軒並み破綻しました。

もちろんそういったシステムを作った人間が短期的に利益をあげて選挙権を得るといった弊害も制限選挙にはあるでしょうが、そういった人達はいずれ淘汰されるものだと考えておりますので本質的な問題ではないのではないでしょうか。
制限選挙導入の利点は「普通選挙に比べて良い政策が実行される(可能性が高い)」ことであって「システムに全く欠点がない」ことではないはずです。

もう一点ですが、私は「既存の価値観」そのものを否定するわけではなく、ましてやそれを知っていることを否定するつもりはありません。
ただ、学校の勉強という「既存の価値観」で有権者、非有権者を区別するのは学校の勉強を絶対視することにつながり、社会が硬直化して変化に対応できなくなることを危惧しているだけです。

であれば制限選挙は「お金」を絶対視しているじゃないかと仰られるかもしれませんが、まあその通りです。
絶対というか、お金は「最も普遍的な価値観」となる資質を持った現状で唯一の概念だと考えております。誰でも欲しがり、また多すぎて困るということがないものが他にあるでしょうか。
なので納税額すなわちお金の多寡を人間の価値を測る基準として用いるのは心理的な抵抗はあるにせよ決して間違っていないと思います。特に国家といった大きな組織ではそれが言えるのではないでしょうか。


制限選挙導入の際の困難は仰るとおりだと思います。
まあマスコミの出方次第でしょうが。

daen0_0daen0_0 2010/06/14 03:03 僕との意見の違いは、競争市場が十分にあるか無いか、という点に尽きると思います。

競争市場が十分に整備されているのならば、ビジネスにおいて利益を挙げる行為は生産者と消費者のwin-winになり、そうしたビジネスマンは全体最適を考えて投票するでしょう。
逆に競争市場が十分に整備されていないとどうなるでしょうか。政府の規制によって、法律の保護の下で独占企業(国営企業)がのさばる状況を考えてください。この状況では独占企業のビジネスマンは全体最適を考えずに、規制を維持することで新規参入を妨害することが合理的となります。もちろんそうした規制は経済成長を鈍化させるのでいつかは旧ソ連のように限界が来て、社会構造ごと淘汰されることになりますが、さすがにそんな危機を何十年も待っているわけにはいかないでしょう。

たとえば、郵政については ↓このエントリが参考になります。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100613

しかし競争市場がどこまであるかは具体的なデータを出さないことには水掛け論で終わってしまうので、二人の見解の優劣はここではつきません。

(これは冗談なのですが、金持ちによる統治と経済学者による統治のどちらがいいかという問題に単純化して考えると、すでに金持ちによる統治は実現しているとも考えられますw なぜなら選挙に立候補するのは大変お金がかかるので、事実上、被選挙資格に所得制限が課せられているからです。では、そうした金持ちが社会の硬直化を防ぐような、既存の価値観から脱却した多様な討議を行っているのでしょうか? 国会を見れば絶望的ですね。この議論のミスリーディングなところは「高所得者で政治家に立候補するような奇特な人」のサンプルをすべての「高所得者」にあてはめている点です。もちろん市井の「高所得者」は「中位所得者」よりもはるかに経済リテラシーが高いことに実証的な裏付けがあります。)

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