2010-04-23 事業仕分けで独法大幅削減 - 天下り根絶へ
というような見出しがメディアを賑わせるでしょう。ここ数時間以内に。
事業仕分けは既に「仕分け」されている
今回対象となったのは47法人です。そして、独立行政法人は全部で104法人あります*1。つまり、そもそもこの時点で篩分けされているわけです。
参考までに、前回の事業仕分けではおよそ15%に絞られていたようです*2。今回は半数ほどが対象になっているので前回よりは広範囲です。しかし、篩の目の粗さは重要ではありません。重要なのは対象選別の段階で既に仕分けされているという事実です。
仕分け易さは切り離し易さ
「でも、削減されたってことは結局ムダだったってことでしょ。事前に篩分けされてたとしてもムダはムダ。」と考えるのは拙速な結論です。ムダだから削減されたのか、単純な場合分けで検証します。
対象になった事業と対象にならなかった事業がともにムダだったとき
具体的には、代表的な事業を選抜した場合などです。
では、その選抜の基準は何でしょうか。
仮に、任意の対象事業を選抜してきたと仮定しましょう。任意ならば選抜された事業に該当すること(廃止、削減、etc.)の割合は全事業のそれと等しくなります。
ここで、事業仕分けの結果*3を見てみます。厳密な議論をするためには集計する必要がありますが、かなりの事業が廃止、見送り、縮減となっています。つまり、全ての事業もまたこれと同じくらい廃止、見送り、縮減されなければなりません。
しかし、それは明らかに事実と反するでしょう。全ての事業がこれほどの割合で廃止、見送り、縮減されたら政府の機能はまったく無くなってしまうでしょう。ということは、「任意の」と仮定したことが誤りであったわけです。(背理法)
つまり、選抜の時点でムダかどうかではない「何か」によって判定されていたわけです。
対象になった事業がムダで、対象にならなかった事業は無駄ではないとき
例えば、仕分けの期間短縮のために予め篩分けしてあった場合などです。
では、何故「予めの篩分け」は公開されなかったのでしょうか。むしろ、「予めの篩分け」こそが要・不要を判断する事業仕分けそのものです。不要なものを集めて不要と宣言するのは仕分けではありません。
最初から不要であることが決定していたのならば、事業仕分けでのやり取りは台本通りでしかありません。少なくとも、あの口論からムダだと判断することはできないのです。
対象にならなかった事業がムダで、対象になった事業は無駄ではないとき
ムダかどうかが判定の基準ではないということは自明でしょう。
検証によって得られる結論は、「ムダだから削減された」のではなく、「削減されたからムダ(と判定された)」ということです。
結局、事業仕分けとは切り離し易いところを見つけ出す作業に過ぎないのです。
仕分けによってしがらみはより強固になる
切り離し易いとはいえ、なんらかの利害関係はあったはずです。それらが切り離されたということは、少しはしがらみから解放されたのでしょうか。
切り離し難い事業だったとしても、詰め寄られる様子が全国に報道されたことを目の当たりしては戦々恐々?でしょう。次は自分たちの番かもしれないのです。何故なら、自分たちより切り離し易い事業は既に切られてしまったのですから。その結果、残された事業はより強固なしがらみを求めるでしょう。
一方、仕分けする方もただ切ってばかりではいられません。傍若無人に振舞い、孤立してしまえば引きずりおろされます。そうならないためには、ある程度の支持を集める必要があります。しかし、切り離した事業からは支持は絶対に得られないでしょう。結果、残された事業とのつながりが強くなります。
事業仕分けによってしがらみが減るということはありません。(一時的には減るかもしれませんが。)むしろ、残された事業とのしがらみがより強固なものになってしまうのです。
自分たちの首を締めないために
そもそも、事業仕分けの目的は何でしょうか。果たしたい目的に対して、事業仕分けは本当に最適な手段なのでしょうか。
目的を明確にし、最適な手段を選ぶ。そして、その結果が妥当であったかを検証する。これらは国民の権利であり、義務?なのです。
サーカスは娯楽としては大変面白いかもしれません。しかし、その為に高価なチケット料を支払うハメになるかもしれないことを留意しなければなりません。
だけど、そういう判断しかできない民主党の議員の方が無駄です。