悠仁さま来春入園 皇族で初 お茶の水大幼稚園へ

秋篠宮家の長男悠仁さま(3つ)が来春、お茶の水女子大学付属幼稚園に入園されることになった。宮内庁が三日付で発表した。二日に同幼稚園で行動観察による検定を受け、合格した。皇族で同幼稚園に入るのは初めて。

 宮内庁によると、秋篠宮ご夫妻は、幼児教育は三年保育が望ましいと判断。同世代の子どもたちと交流する機会を増やすことも考慮した上で、教育関係者とも検討を重ね、同幼稚園を選んだ。皇族の子弟が主に入る学習院幼稚園は二年保育。

 紀子さま日本学術振興会の名誉特別研究員で、自身の研究(心理学)のため度々お茶の水大を訪れている。大学は昨年、女性研究員らの子弟のため特別入学制度を創設しており、悠仁さまはこの制度を初めて適用された。

 お茶の水大付属幼稚園は一八七六年開園した日本で最初の幼稚園。三年保育が男女各二十人、二年保育は同各十五人を募集。悠仁さまの検定も一般の入園者の検定を踏まえて行われたという。卒園後はほぼ全員が付属小学校に進む。付属中学校までは男女共学。

お茶の水女子大学

お茶の水女子大学(おちゃのみずじょしだいがく、英語: Ochanomizu University)は、東京都文京区大塚二丁目1番1号に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称はお茶大、お茶女。

学校発祥の地の近くにある駅名の「おちゃのみず」は御茶ノ水だが、校名の最初の「お」と中の「の」は平仮名表記。

沿革

1875年(明治8年)に東京女子師範学校として開校。1885年(明治18年)、東京師範学校に合併されたため、東京師範学校女子部となる。東京師範学校高等師範学校に改組されたのを経て、1890年(明治23年)、高等師範学校より分離独立し女子高等師範学校となる。1908年(明治41年)、奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)が設置されたため、東京女子高等師範学校(女高師)へ改称した。

もともとは東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)と共に、御茶ノ水湯島聖堂構内(本郷区湯島三丁目:現東京医科歯科大学所在地)にあったが、関東大震災後の1932年(昭和7年)、現在地の大塚へ校舎を移転。

1949年(昭和24年)、国立学校設置法によって新制お茶の水女子大学となった。当初は文学部・理家政学部の2学部であったが、翌年より文教育学部・理学部・家政学部の3学部に改組。その後の改組・改称を経て、現在は文教育学部、理学部、生活科学部の3学部が置かれている。

今日でも、国立の女子大学は、お茶の水女子大学奈良女子大学だけである。戦前から女子高等教育機関の中心として「女子の東大」の異名をとり、現在も国内最難関の女子大学である。

附属校

附属校は全てお茶の水女子大学のキャンパス内に併設されている。

* お茶の水女子大学附属いずみナーサリー

2002年(平成14年)創立の保育園。当初は教職員や学生の福利厚生のための保育所だったが、2005年に乳幼児の発達過程の研究施設として大学付属となった。実際、乳幼児を抱えて研究を続ける大学院生もおり、女子大ならではの施設である。

* お茶の水女子大学附属幼稚園

1876年(明治9年)に創立された日本で初めての幼稚園である。

* お茶の水女子大学附属小学校

1877年(明治10年)創立。女子大の附属小学校だが、男子生徒もいる共学校である。

* お茶の水女子大学附属中学校

1947年(昭和22年)東京女子高等師範学校附属高等女学校が新制中学校と高校に分かれてできた中学校。中学までは共学である。

* お茶の水女子大学附属高等学校

1882年(明治15年)創立。東京女子高等師範学校附属高等女学校だった時代から「お茶の水」の通称で全国に知られた名門女子高。生徒数は少ないが、今でも東大への進学率は全国の女子高の中でトップクラスである。

ちなみに、現在女子高の中で東大進学者数トップを誇る桜蔭高校・中学は、お茶の水女子大学の同窓会である桜蔭会によって設立された私立学校であり、今も教職員にはお茶の水女子大の卒業生が多い。かつて女子の最高学府として「学べや学べ」を信条としたお茶の水の校風は、ここでも現代に受け継がれている。

東京医科大八王子医療センター:生体肝移植、4割が死亡 学内委が原因調査

東京医科大八王子医療センター(東京都八王子市)で00年10月〜07年4月に生体肝移植手術を受けた患者52人のうち、4割近い20人が退院できぬまま死亡していたことが2日、分かった。同センターは「手術と死亡との因果関係が疑われる」として、07年4月以降、生体肝移植を中止。学内の検証委員会などの報告を受けたうえで、原因や改善策などを数日中に発表するという。

 同センターによると、20人の死因の多くは敗血症で、うち8人は1カ月以内に死亡していた。執刀は同センターの医師2人で、高沢謙二センター長は「患者と提供者で血液型が異なるなど手術が難しいケースも少なくなかった」と話した。

 国内の肝臓移植医らで作る日本肝移植研究会がまとめた報告書によると、92年から05年末までに国内で行われた生体肝移植3783例のうち、移植を受けた患者の1年生存率は約82%で、全体の2割程度が移植後1年以内に死亡していた。

静岡県内大学生 就職内定率55% 下げ幅最大

12/03 07:57
 来春卒業予定の県内大学生の就職内定率(10月末時点)は55・1%で前年同期より11・4ポイント悪化し、下げ幅は統計の残る1999年度以降で最大だったことが2日、静岡労働局のまとめで分かった。本年度の県内大学生の就職内定状況が、具体的な数字で示されたのは初めて。内定率は2003年度の54・6%に次ぎ、過去2番目に低く、10月1日現在の全国平均62・5%も下回っている。
 就職活動が最終盤を迎えた10月末時点でも、半数近くの大学生が内定を得ていない実態が浮き彫りになった。昨秋以降の深刻な経済危機で企業が新卒採用を絞り込み、「就職氷河期の再来」も懸念されている。
 静岡労働局は「高校生と同様に求人が大きく落ち込み、情勢は厳しさを増している」(職業安定課)として、引き続き求人開拓に努めて積極的に情報を学生側に提供する方針。
 調査は県内の大学14校、短大7校、専門学校15校についてまとめた。短大生の内定率は29・7%(前年同期比6・5ポイント減)、専門学校生は47・1%(前年同期比20・0ポイント減)となり、ともに過去最低水準に陥った。
 大学生の就職希望者は6361人で、うち内定決定者は3507人。性別の内定率は男子53・3%(前年同期比12・1ポイント減)、女子57・6%(同10・4ポイント減)だった。
 一部で内定取り消しなどが問題となったものの、昨年度の最終的な内定率(3月末時点)は大学生94・8%、短大生92・8%、専門学校生95・6%と高水準で推移した。本年度は状況が一転し、就職先が決まらないまま卒業する学生が大量に出る恐れが出ている。
 年明けから活動が本格化する2011年春卒業予定者の就職戦線についても、「厳しい状態が続く」との見方が強い。県内の大手自動車部品メーカー社長は「徹底的な合理化で、利益が出せる体質に転換したばかり。最大の固定費である人件費の増大につながる採用には、慎重にならざるを得ない」と話している。

事業仕分けで「廃止」 有機EL支援継続を結城・山形大学長ら要望へ

政府の行政刷新会議が行った「事業仕分け」で、山形大の「先端有機エレクトロニクス(有機EL)国際研究拠点形成プロジェクト」を支援する文部科学省の事業が「廃止」とされたことを受け、同大の結城章夫学長は1日の記者会見で、今週中にも川端文部科学相民主党幹事長室を訪ね、事業の必要性を説明して継続を要望する方針を明らかにした。同じ支援事業に採択された信州大や山形、長野両県の幹部も同行する予定。

 結城学長は「(事業仕分けでは)有機ELの研究を取り上げて具体的な議論がされたわけではない。全体論の中で廃止ということになってしまい、大変残念だ。継続のためにあらゆる努力をする」と述べた。

 今年度分の予算のほか、研究棟の建設についても今年度補正予算で認められており、結城学長は、「研究棟は予定通り近々入札し、発注していく」と述べた。
(2009年12月2日 読売新聞)

京大、iPS細胞を同じ人の細胞を使ってつくることに成功

京都大学山中伸弥教授、高橋和利講師らはiPS細胞(万能細胞)を同じ成人や新生児の皮膚細胞を使いつくることに成功した。同じ人の細胞がiPS細胞作製のもとになるとともに、つくる際の“下敷き”となる培地としても使える。病原体による感染などを回避し、より安全性の高いiPS細胞の実現が期待できる。米オンライン科学誌プロスワンに2日発表した。
 iPS細胞をつくる際の“下敷き”にマウスの細胞や他人の細胞を使うと安全面で懸念がある。同じ人の細胞を使う研究では胎児の細胞を使った報告があるが、それ以外では今回が初めて。
 研究グループは0―73歳の4人から採取した皮膚線維芽細胞を“下敷き”に使い、それぞれiPS細胞をつくることに成功した。ただ、この4人を含む14人の皮膚線維芽細胞を使ってiPS細胞を培養する実験をしたところ、3人の細胞では培養できなかった。


掲載日 2009年12月03日

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

アスミック・エース配給「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」(佐藤祐市監督/小池徹平主演)が、11月21日(土)より渋谷シネクイント他にて全国公開。本作の宣伝プロデューサーを務めた同社映画事業本部の櫻糀恵介氏に聞いた――。

▼今年4月より撮影し、11月公開という当社としては珍しく短い宣伝期間の作品となった。ただ、撮影の段階から宣伝は動き出していた。興行的な意味合いとして11月公開としたのは、大学生の就職活動が始まる時期に合わせたところもある。また、景気停滞、金融危機、リストラ、内定取り消し、ワーキングプアなど、世界的不況のまさに“今の時代”にマッチした作品ということを宣伝コンセプトとして打ち出していった。登場人物に自分を重ね合わせ、「みんな大変だけど、明日から頑張ろう!」と思える、ちょっとした一歩を踏み出させてくれる実話に基づくワーキング・エンタテインメント。

▼どこの会社でも“ブラック会社”に当てはまる所があると思うが、本作のポイントの一つは「人間関係」を描いているところ。今の時代だからこそ人間関係をきちんと築いていくことが大切で、その中から生まれてくるものが大事なんだということを“今”世の中にこそ送り出したかった。関係者、興行者さんなどからの評判も非常に良く、コメディと思いきや、嬉しい裏切りを見せてくれる泣ける作品として日に日に期待が高まっており、オピニオンリーダーからのコメントも続々と寄せられた。TVスポットもコメディ寄りでなく、“勇気と感動の実話”に寄せて作った。

▼ターゲットは、20代〜40代の働く人たちで、コアターゲットは主人公に近い20代前後。どちらかというと男性向けだが、特別前売鑑賞券に「リラックマコラボ・トートバッグ」を付けたりと、女性向けにも撮影時から仕込めるものは劇中に入れていった。また、原作が2ちゃんねる発ということもあり、オンライン展開も充実させ、キャスト、スタッフがブログをほぼ毎日更新させて応援団を募り、製作委員会の名称も「ブラック会社限界対策委員会」として、委員会側も宣伝で稼働し、「働くとはどういうことか?」などを伝えていったのは、この作品ならではの展開。モバイルゲームなども配信している。

▼さらに、働く世代以外にはまだ一般的でない“ブラック会社”というものについて知識を得てもらえるようなスピンオフ「エピソードゼロドラマ」なども制作し、関西テレビさんで放送。メイキングやインタビューなどの特別映像、ショートコンテンツもYahoo!さんでネット配信した。但し、“ブラック会社”というキーワードは流行らせようとしたが、決して“ブラック会社”を肯定することにならないように気を付けた。(全文は文化通信速報に掲載)

(文化通信速報 11月20日付)