大学受難 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-12-08

大学生の学力低下防げ 島根大で「高大接続フォーラム」

大連携が盛んである。大学メリットは入学生の囲い込み。高校の先生と仲良くなって、よい学生を紹介してもらおうと賢明なのである。しかしあまり効果を挙げていないのが実情である。

大学生学力低下改善策について話し合う「高大接続フォーラム」が、島根松江キャンパス松江市西川津町)であり、同大島根県内外の高校教諭ら約60人が参加した。

 大学と高校が連携して教育のあり方を見直すことで、学生学力低下に対応しようと、同大が昨年から始め、今年で2回目。

 フォーラムは3日に開催。同大入試の解答状況を分析したところ、英語は読み取る力はあるものの、自分から書いたり話したりする力は弱いなど、断片的な知識はあるが応用力に乏しい傾向がみられたことが説明された。

 また、高大双方の教員らで議論した内容を報告。高校では個人学習が中心だが大学では学生同士で話し合って学ぶことが多いなど、高大の教育内容にギャップがあることや、推薦入試を中心に合格から入学までの間に学力が落ちてしまうといった課題が提示された。

2009年12月6日 読売新聞

2009-12-06

「Share」で映画違法配信、一斉逮捕へ

ファイル共有ソフト「Share(シェア)」を使い、人気映画著作権者に無断でダウンロードできるようにしたとして、京都府警ハイテク犯罪対策室や警視庁ハイテク犯罪対策総合センターなどは30日午前、著作権法違反容疑で、京都府城陽市の男をはじめ、10都道府県の約10人の逮捕状を取り、関係先の一斉捜査をはじめた。同日中にも逮捕する。捜査関係者によると、容疑者同士につながりはなく、個別の犯行に伴う一斉摘発は異例という。

 捜査関係者によると、男らは人気の邦画洋画などを著作権者に無断でシェア上で公開し、不特定多数ダウンロードできる状態にした疑いがもたれている。男らによって違法配信された映画は、数十本にのぼるとみられている。

 ファイル共有ソフトを悪用し、映画などの著作物違法に配信する行為は後を絶たない。日本国際映画著作権協会東京)によると、映画違法に流出させ、著作権法違反容疑で摘発されたのは平成20年で19件。今年に入ってからは、公開中の映画シェア上で流出させた男が8月に京都府警逮捕されたのをはじめ、11月末現在ですでに21件にのぼっている。同協会は、「逮捕や罰則強化だけでは抜本的な解決にならない。違法性の認識をもたせるべきだ」と危機感をあらわにする。

 甲南大学法科大学院園田寿教授刑法情報法)も「科学技術の悪用をどう取り締まるかが問題。著作権を守る技術開発こそが急務だ」と指摘している。

2009-10-07 大学院が危ない

教育を根底から考える。

教育本質は、何?

生きる力を養うこと」

に尽きると私は思う。


現在行われている、大学での教育は、本当に「生きる力を養うこと」に直結しているのか?

教員をしているときに、常に考えていた。

私は工学部教員であったので、自分担当の授業を

習得すれば、「飯を食える。」と学生に伝えながら授業を進めた。


学生には受けが良かったと思う。

今の若者は、非常に感性がよい。ちゃんと「ちゃんと飯が食える」と伝えると

つらいレポートもしっかり出してくれる。

いまでも、当時の教え子から、「授業の内容で飯を食っています。」と感謝されることがある。

うれしい限りである。

2009-10-06 大学院が危ない

教育を根底から考える。

教育本質は、何?

生きる力を養うこと」

に尽きると私は思う。


現在行われている、大学での教育は、本当に「生きる力を養うこと」に直結しているのか?

教員をしているときに、常に考えていた。

私は工学部教員であったので、自分担当の授業を

習得すれば、「飯を食える。」と学生に伝えながら授業を進めた。


学生には受けが良かったと思う。

今の若者は、非常に感性がよい。ちゃんと「ちゃんと飯が食える」と伝えると

つらいレポートもしっかり出してくれる。

いまでも、当時の教え子から、「授業の内容で飯を食っています。」と感謝されることがある。

うれしい限りである。

教育を根底から考える。

教育本質は、何?

生きる力を養うこと」

に尽きると私は思う。


現在行われている、大学での教育は、本当に「生きる力を養うこと」に直結しているのか?

教員をしているときに、常に考えていた。

私は工学部教員であったので、自分担当の授業を

習得すれば、「飯を食える。」と学生に伝えながら授業を進めた。


学生には受けが良かったと思う。

今の若者は、非常に感性がよい。ちゃんと「ちゃんと飯が食える」と伝えると

つらいレポートもしっかり出してくれる。

いまでも、当時の教え子から、「授業の内容で飯を食っています。」と感謝されることがある。

うれしい限りである。