大学受難 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-03-10 選択の物差し 多様性必要 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

情報公開

 退学率や卒業率、入試方法別の入学者数などのデータ公開を大学に義務づけるかどうかの議論が現在、中央教育審議会で行われている。

 大学選びの指標にと、文部科学相大学設置基準に盛り込みたい考えだが、風評被害を恐れる大学側の反発などから、「年度内の改正は難しい」(徳永保・文部科学省高等教育局長)という。

 確かに大学にとっては、この情報公開は頭の痛い懸案だろう。昨年の読売新聞の「大学の実力」調査でも、入試方法別の入学者数の質問に対し、無回答・非公表が10%。「数字の独り歩きが怖い」と率直に書き添える大学もあった。

 だが大きな問題は、それでは、大学側は数字の意味を十分に説明してきたか、という点にある。背景をきちんと公表しているところは皆無に近い。

 一方、受験生や教員、保護者も同様で、数字の裏を読みとる努力はあまりうかがえない。「大学の実力」のデータをもとに生徒たちと真剣に話し合う教師がいる反面、いまだに「いかに偏差値の高い有名校に入れるかが“高校の実力”」という校長も少なくない。その結果、どんな大学かわからないまま漫然と入り、「合わない」と去っていく学生も出てくる。

 2人に1人が大学に入る時代。選択に使える物差しも多様な方がいい。それを肝に銘じ、今年も調査を行い、データを読み解いていきたい。

2010-03-07 退学率再び このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

教職員の危機感薄く

 関西のある私立大学職員からメールが入った。「大学の実力」調査を機に、従来“タブー”とされていた退学率が学内で話題に上るようになったものの、「他大学に比べて多いか少ないかだけ。問題意識や危機感はない」と書いていた。

 同大の1年間の退学率は数%だが、実数では300人超、4年間で1200人を超す。それでも「うちの大学はつぶれないから」と笑う教職員さえいるという。退学後、心の病にかかったりする人も多く、単に経営上の問題ではない。「なぜ退学したか。それを自分たちで調べ、対策を立てない限り、大学は良くならない」と職員は嘆く。

 鈴木寛・文科副大臣も「データ公開と教師力が問題解決のカギ」と強調する。長年、大学で教えてきたが、「議員との二足のわらじの自分よりひどい教員」が目についたという。退学者増は「社会益に反する」という本質的な問題を理解しない教員が少なくないのだ。

 そんな現状を破る方策に鈴木副大臣が考えているのが「毎日オープンキャンパス」だ。授業をはじめデータの裏側にある学内の日常をくまなく見せることで、見られる側の意識や行動が変わるのではないか。「国も何か支援したい」と話す。

 2人に1人が大学に進む時代が生む退学者。その1人ひとりの姿を思い浮かべるとき、「退学率」という数字は初めて、問題解決の起点として意味を持つようになる。

2009-12-14

大学授業の生態誌: 「要領よく」生きようとする学生 著者: 島田博司

大学授業の生態誌 「要領よく」生きようとする学生の詳細

目次

:1章 要領を読み解く

2章 ノートのやりとりの社会的意味

3章 ノート編集への進化

4章 座席をめぐる学生の心理

5章 名簿付き座席指定制の効果

6章 大学授業を問う-SLGEモデルの提案

出版社

玉川大学出版部

発行年月

2001年6月

ページ数/版型

:253ページ/19cm

ISBNコード

:978-4-472-30259-6(4-472-30259-4)

マー君が先生初体験、マー節で1時間熱弁

楽天田中将大投手(21)が11日、東京世田谷区の駒大記念講堂で講師を務めた。約450人の同世代の男女を前に「活き 生き いきたい」と題し、対談形式で約1時間の熱弁をふるった。初体験の先生にも、自然体で「マー君節」全開させ、何事にもプラス思考でぶつかっていく「マー君魂」を注入した。

 田中のシンプルで力強い言葉が、会場の空気を熱くした。

 「WBCで、ああいうすごいメジャーリーガーに対して投げ込んだので、今季は、いい意味で見下ろしてマウンドに立つことができた。考え方ひとつで余裕が出来るんだということを感じました」「15勝できた秘密? 1年目からの失敗を成功に変えたから」「自分は負けず嫌い。野球をやっていて、気持ちだけは負けたくない。ピンチの時は、『ここで抑えればエエんや』って思っています。マイナスイメージを描くと、その通りになる」「いろんな出会いで、自分の可能性が広がった。自分の素を出して、あいさつすれば、相手も分かってくれる」。

 同世代の約450人が、うなずきながら聞き入った。

 駒大の系列校の駒大苫小牧高出身ということで実現した今回の講演の対象は大学1、2年生。長引く不況の中、これから就職活動の荒波に飛び込む学生たちだ。大学サイドは「大学生活に慣れ、目的・目標・向上力を見失っている学生に対し、著名人の話を聞くことで各大学生活をもう1度見直させ、行動をおこさせることを目的としている」と説明した。同世代ながら、プロ野球の第一線で活躍する田中は、失敗を恐れずに挑戦する前向きな気持ちが、プロでの3年間の結果に反映したと語りかけた。

 普段、周囲は年上ばかりで、同世代の感覚は「あまりピンとこない。学生って楽しいのですかね?」と話す田中だが「就職は難しくなっているのは知ってます」と、同世代が時代の閉塞(へいそく)感に苦しんでいることは感じていた。だからこそ「気持ちひとつで、どうにでもなると思うんです」と、前向きに生きることを強調した。

 「就職活動は厳しいです」と話す経済学部商学科2年の富井美喜さん(21)は「若者はコミュニケーション不足と言われていますし、プロ野球選手として社会に出ている田中さんの話は参考になりました」。マー君先生の熱い気持ちは、しっかりと伝わっていた。【金子航】

 [2009年12月12日8時21分 紙面から]

2009-12-09

就職氷河期

就職氷河期(しゅうしょくひょうがき)とは、社会的に就職難となった時期の通称。狭義では新卒者の就職難を指すが、転職者も同様に就職難となった。

日本

日本では、バブル崩壊後の就職が困難であった時期を差す語。就職雑誌『就職ジャーナル』が1992年11月号で提唱した造語。1994年の第11回新語・流行語大賞で審査員特選造語賞を受賞した。

経過

1990年1月より株価の暴落が始まり、その後、地価やゴルフ会員権価格等も暴落し、「バブル崩壊」と呼ばれた。翌1991年2月を境に景気が後退する中で、バブル期の大規模な投資によって生じた「3つの過剰」(設備、雇用、債務)が企業業績にとって大きな足かせとなり、これらの中でも特に過剰な雇用による人件費を圧縮する為に、企業は軒並み新規採用の抑制を始めた。これによって、1993年から2005年に就職する新卒者が、困難な就職活動を強いられ、フリーターや派遣労働といった社会保険の無い非正規雇用(プレカリアート)に泣き寝入りする者が多数現れた。

1994年入社予定者(高卒だと1975年生まれ、大卒だと1971年生まれ)の就職活動は、それまでの就職活動と明確に異なる対応を強いられた学生側の混乱もあり、「オイルショック以来の就職難」と言われた。1930年代の「大学は出たけれど」と同義語である「学歴難民」が徐々に増えて来たのもこの時期である。又、1992年から1993年にかけては、企業の急速な業績悪化で、学生が内定を取り消される事例が相次ぎ、問題になった。

1993年を底とする景気の回復で、1997年新卒の就職状況は多少持ち直したものの、1997年下旬から1998年にかけての大手金融機関の破綻(→アジア通貨危機)などで景気が急速に悪化した為に、1999年以後の新規採用は大幅に削減された。1999年以後の就職難を、それ以前のものと区別する意味で「超就職氷河期」と呼ぶこともある。[要出典]

この時期は、求人数の大幅削減の外に、企業の業績悪化や新興国との競争激化によって新卒を育てる余裕が失くなり、現場に即投入できる「即戦力」を新卒に求める風潮が現れた。これにより、雇用のミスマッチ(→転職#需給のミスマッチ)が多数発生し、単純に求人数が増えても失業率が下がり難くなり、本人の能力とかけ離れた職場に渋々入って短期間で解雇に追い込まれる者が増大した。又、大卒者の就職についても、1996年に就職協定が廃止されて以後は、企業が優秀な大学生を囲い込むべく採用活動を年々早めており、こうした環境の変化により多くの大学生に混乱を与えることとなった。

折しも1991年の総量規制によるバブル崩壊と期を同じくして、世界情勢は1991年12月のソ連崩壊による冷戦の終結という歴史の転換点を迎え、経済面でも、旧共産圏が市場経済化するなどきわめて大きな変化がいくつも生じた。 グローバリゼーションが進み、労働力の供給源が日本その他の先進工業国から、中国を初めとする新興諸国(BRICs)へと大量に移動していったこともそのひとつである。

プラザ合意からの円高で、バブル崩壊以前からすでに日本における労働力のコストは高騰していたが、日本企業はバブル景気による収益で高コスト体質による不利をカバーできていたため、旧来的な雇用形態を変えておらず、それゆえ高価な労働力を過剰に抱えていた。 それがバブル崩壊を境にいよいよ維持できなくなったことで、リストラによる余剰人員の削減と、雇用柔軟性の導入が必要となった。

この動きの一環として、1999年には、小渕恵三政権によって派遣労働が製造業を除いて原則自由化され、企業が人員を削減する程法人税を減免する「産業再生法」が制定された。この「産業再生法」の背景が、1995年に日経連(当時)が発表した「新時代の『日本的経営』」だとの意見がある。この「新時代の『日本的経営』」では、労働者を「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」に分けており、派遣労働者やフリーターは「雇用柔軟型グループ」に当たる。

「新時代の『日本的経営』」を支えたとみられる政治思想として、小沢一郎の「普通の国」、小泉純一郎の「聖域なき構造改革」が挙げられる。これらの路線は、とくに左翼系論者から「アメリカ型社会の模倣」「『僅な強者が主導権を握り、大多数の弱者が貧困と死に怯える階層社会』となる[1]」などと批判されることがある。2004年3月1日には、小泉純一郎政権によって製造業への派遣労働が解禁され、派遣労働者は爆発的に増大した。但し、労働者派遣法の改正審議の当時、偽装請負が社会問題化の兆しを見せていた。派遣労働者激増の背景には、偽装請負業者が一般派遣へ流れ、それまで派遣労働者としてカウントされていなかった分の増加が相当の割合で寄与しているという面もある。

ところが、2000年代半ばの輸出産業の好転や、2007年問題として話題となった団塊世代の定年退職の影響に伴う求人数の増加により、雇用環境は劇的に好転し、2005年には就職氷河期は一旦終結した。新卒者の求人倍率は上昇し、2006年には一転、売り手市場と呼ばれるようになった。12年以上に亘る採用抑制の影響により、多くの企業で人手不足となり、企業はそれまでの態度を覆し、挙って新卒の大量採用に走った。金融関係は特に大量の人員確保に走り、三大メガバンクの採用者数を合わせると、その数は数千人にも及んでいる。

一方で、既卒者の雇用環境は厳しいままであり、世代間による雇用機会の不均衡を指摘する声が強まった。日本の労働市場における採用慣行は新卒一括採用と年功序列に偏重しているため、既卒者(第二新卒など)の就職が著しく不利になっているから、卒業後すでに相当の年数が経った氷河期世代の求職者、とくにそれまで正規雇用されたことがない者は、極めて不利な条件下に追い込まれている。団塊世代の退職による労働力減少への対応についても、大多数の企業は新卒者ないしは賃金の安い外国人労働者、定年退職者の再雇用によって補う傾向が大きく、氷河期世代の救済には至らないという見方が多い。これは氷河期世代を「『社会保険も無い、使い捨ての労働力』のまま長く使いたい」企業の思惑が大きな要因だと言われている。

数年間続いた「売り手市場」であったが、2008年にサブプライムローン問題を発端とする世界的な景気悪化が本格化し、雇用情勢は再び氷河期の情勢を呈している。

影響

多くの企業が12年以上に亘って新卒者の採用を控えたため、多くの企業で従業員の年齢構成が歪み、技術・技能の伝承が困難になっているという指摘がある。又、雇用の抑制は社内の人手不足を招き、労働環境が苛酷になる企業が増加した。特に2007年から順次退職する団塊世代の抜ける穴を埋めるべく、企業は2000年代半ばより新卒の採用を大幅に増やしている。

採用状況

新規採用

高卒

高卒者[2]の雇用環境は、この時期に大きく悪化した。2005年3月高校・中学新卒者の就職内定状況等によれば、求人数は1992年の約34万人をピークに、2003年には約3万人にまで激減した[3]。要因としては幾つか言われており、例えば大手企業が大卒者等の高学歴化へのシフトなどが指摘されている。[4]

大卒

大卒者の雇用環境も、この時期に厳しく悪化した。リクルートワークスの調査によれば、1991年をピークに求人倍率は低下傾向で推移し、2000年には1倍を下回った。多少の変動はあるものの、2002年を谷とする景気の回復に伴い求人数が増加するまで、長期間に亘って雇用環境は厳しい状況となった。

就職率も惨憺たる状況であった。学校基本調査によれば、1991年の81.3%をピークに低下を続け、2003年には史上最低の55.1%となり、2003年卒業者(専門学校の就職率は76%)は氷河期世代の中でも最も悲惨を極めた時期となった。また、この1990年代以降には、幸運にも新卒で正社員の地位にありつけたとしても、「難関国大の法学部を出てトラック運転手になる」などと揶揄されたような、本人の志望や能力とはかけ離れた道しか選ぶ事ができなかった者が様々な業種の末端でごく当たり前に見られる様になった。就職難のため、大学卒業後に専門学校などの教育機関にさらに通う者も増えた。(1997年3月24日朝日新聞)

※一般的に、雇用系列は景気動向に遅行すると言われており、景気の山谷と就職率等の山谷とは必ずしも一致しない。

中途採用

中途採用は新卒よりも悲惨な状況となった。企業が「即戦力」を要求するために、新卒時に正社員へと就職できなかった者の多くがその後も正社員でない仕事に就職したり、就職活動自体を断念したりする者も現れた(→ニート)。離職者についても、十分なスキルを蓄積できなかった者は再就職が困難な状態となった。

人手不足が深刻な企業や団体(農業や福祉業界など)では、特に即戦力としてのスキルを持たない、就職氷河期世代のフリーターやニートの雇用を行っている企業や団体も存在している。

新社会人の就職観の変化 [編集]

ポスト冷戦時代、バブル崩壊、社会主義の没落、グローバリズム、失われた10年、就職氷河期、非正規雇用、社会保障からの排除、自爆テロという時代に少年期を送った、不況の日本しか知らないポスト氷河期世代(ゆとり世代)は、災難と絶望に塗れた氷河期世代の後姿を見て育ったため、安定志向や大企業志向が強まっており[5]、消費意欲が萎縮している。

そのため、中小企業は幾ら求人を出そうとも新卒が集まらない状況に直面している。2005年放送のNHK「日本の、これから」中のスタジオ生討論においても、中小企業経営者らが「町工場は人手が全く足りない」「求人を出している」と語っていた。また、同じ大企業でも人気・不人気業種で新卒の数の確保に差が出ており、テレビ東京の『カンブリア宮殿』では、新卒の確保に苦戦している企業として幸楽苑の例が紹介された。

就職氷河期の再来

2008年春卒業の学生までは、団塊世代の大量退職や景気回復により、まさに売り手市場の就職状況であった。しかし、2007年から現在にかけての、サブプライムローン問題を引き金とする世界的金融危機の影響による株価の暴落、急速な円高や世界各国の景気後退により、ここ数年過去最高利益を出していた企業の業績が急激に悪化した。また、それ以前からの新興国の成長を見込んだマネーゲームによる原油等資源・原料価格の高騰、さらに金融商品取引法、建築基準法、貸金業法などの改正による特定業種への締め付けも企業にとって足かせとなっている。

企業の急速な業績悪化に伴い、就活時期には売り手市場であった2009年春卒業予定の学生の内定取り消しに踏み切る企業が続出することとなった。一方で、前回の氷河期において企業が長期にわたり採用抑制を行った結果、人員構成がいびつとなり、極端な人手不足に陥り、技術の継承に支障を来たす弊害が出た経験もあることなどから、前回ほどの極端な採用抑制には至らず、少なくとも中核となる人間の採用は続けるだろうとする見方もある[6]。また、ここまで内定取り消しが多発した原因に、就職活動の早期化が指摘されている。現に、2009年春に大学を卒業する学生は2007年秋頃から就職活動を始めており、この時点では景気はまだ安定していた。強烈な景気後退が発生したのは、内定が軒並み出そろった2008年秋のことであったので、内定を取り消した企業にしても入社時点での景気の動向の予測を立てるのが困難であるのも事実である。

この結果、平成初期生まれは「第二次氷河期世代」と化している。2009年3月に卒業した高校生で、就職の内定を取り消された者は269人に上った[7]。そして、2009年7月の完全失業率は国全体で5.7%に、有効求人倍率は0.42倍に下がった。その中でも、25歳〜34歳(1975年〜1984年生まれ)の完全失業率は6.1%に、15歳〜24歳(1985年〜1994年生まれ)の完全失業率は9.6%に上った(2009年4月)[8]。2009年9月以降も内定取り消しや就職難が続き「鳩山不況」と呼ばれた[9]。

2009-12-04

上智大学法学部教授・大和田滝惠 温室効果ガス25%削減の公言

■「率」の競争は不公平

 鳩山首相は2020年までの温室効果ガス削減の中期目標について、ポスト京都議定書の枠組みへの主要排出国の公平な参加を前提に、1990年比25%の削減を国際社会に公言した。それに対し国民の間には、この数値が既成事実となって独り歩きし、結果的に日本だけが過大な削減義務を負わされるのではないかという懸念が広がっている。政府は前提条件を付ければ歯止めがかかり、国益に反する事態にはならないと考えているようである。識者の中にも前提条件を評価する者が少なくない。

 しかし、私はそんな前提条件は用をなさないと考えている。というのも、何が「公平」かが不明であり、主要各国がどの程度のコミットに同意したら25%削減の公言を履行するかを判断できないか、あるいは履行の政治決断ができるほど満足のいくコミットが得られずじまいになりかねないからだ。

 つまり、各国からはさまざまなレベルのコミットが可能であり、結局は新興国などの厳格ではない参加によって国際社会から日本が公言の履行順守を迫られ、不利な立場に追い込まれる破目になりかねないからである。

 日本経団連の御手洗冨士夫会長は小沢鋭仁環境大臣に、次期枠組みでアメリカや中国など主要排出国の責任ある形での参加がない限り、日本も参加しないという決然とした態度で臨んでほしいと要請した。また、各国の参加が公平でなければ、25%の削減目標を引き下げるのかとも迫った。それに対し小沢大臣は、条件交渉で臨むとアメリカや中国の枠組み参加を逃しかねない難しさがあると理解を求めたとされており、主要国のほどほどの参加で日本は国際的公言を履行せざるを得なくなる気配を感じさせる。

 ◆日本と中国の決定的な違い

 具体的な事例でみてみよう。中国は11月26日、あくまで「国内目標」として、GDP(国内総生産)当たりの二酸化炭素(CO2)排出量を20年までに05年比で40〜45%削減する目標を発表した。このあと、EUや日本が表明している削減目標の義務化という考え方に沿う形で、中国が相当の譲歩をして日本と同じ90年比25%の削減目標を表明したとしよう。すると、日本は自らの国際的な公言を引っ込める理由はなくなる。それどころか、中国が最高のコミットを打ち出したとして世界中が大歓迎するし、日本も25%削減の公言の履行を迫られるまでもなく、喜んで履行に邁進(まいしん)するだろう。

 しかし、ここで考えてほしい。仮に中国が90年比25%削減の目標を表明したとしても、中国は生産単位当たりのエネルギー効率が日本の8〜11倍(統計によって異なる)も悪い。それだけ多くのCO2を排出しており、その25%を削減したところで、どれほどの意味があるのだろうか。日本のGDP単位のCO2排出量を100とした場合、25%削減すれば実際の排出量は75であるが、中国はエネルギー効率が日本に比べ最大11倍も悪いので、そこから25%削減しても実際の排出量は825となる。GDPがほぼ同等の日中両国の25%削減にはこんなに開きがある。

 ◆削減規模で世界トップに

 ここから分かることは、生産単位当たりのエネルギー効率の悪い国ほど、より多くの温室効果ガスの削減率を引き受けなければならないことだ。しかし、現在は削減率自体を比較して競い合い、それを国際的な義務化の対象とする考え方が主流である。すると、削減率はその国の温室効果ガスの総排出量に対するもので、削減総量はGDPに比例するため、GDPが大きくエネルギー効率のよい国ほど、削減率の目標が多少低くても温室効果ガスの削減規模で絶対的貢献度は高くなる。この絶対的貢献度という公平な指標によると、日本の25%の削減目標は世界最大の貢献を公言したことになる。

                   ◇

【プロフィル】大和田滝惠

 おおわだ・たきよし 上智大学国際関係論博士課程修了。外務省ASEAN委託研究員、通産省NEDOグリーンヘルメット調査報告委員会座長など歴任。現在、上智大学法学部教授・地球環境大学院教授、中国江蘇省経済社会発展研究会高級顧問。著書に『中国環境政策講義−現地の感覚で見た政策原理』など多数。58歳。東京都出身。