村上信一郎先生講演メモ

2013年4月12日、村上信一郎先生の講演@イタリア研究会例会 のメモ。ライブ感があってなかなか興味深い話が聞けた。

  • ベルルスコーニの登場以前はキリスト教民主党が長期政権を取った。戦後イタリアでは左右の思想対立が長く続き、テロも多数起こった。現職首相が左派グループに誘拐され、殺害されるという衝撃的な事件も起こった。
  • 但し、結局左派代表社会党は、与党を取ることはなかった。長期政権のもと、(自民党と同様)汚職が起こり、1992年の大量摘発につながった。大量摘発を受け、選挙制度が改革され、仕組み上政権交代が起こるようになった。
  • 1994年、新選挙制度のときにベルルスコーニが躍進し、最初の選挙で政権を取った。以降、民主党と交代で政権を取る。
  • ベルルスコーニはいろいろ評判悪いが(講演者も「嫌い」であるが)、彼の時代にテロがなくなったことは一つ評価できる。確固とした政策がなく、「Mild」な政権が続いた。ベルルスコーニは、選挙は強かったが(メディア独占、出版物40%は彼の支配グループによるもの)、政権運営はめっぽう弱かった。政策は存在せず、いつも場当たり的な対応をしていた。「政策通」と呼ばれるようなポリシーを持った政治家は次第に離反していった。
  • 今回の選挙でも、ベルルスコーニはしぶとく選挙に強いところは見せたが、以前と比べると勢いはなく、彼の政治生命もいよいよ終わりだろうと大筋では見られている。ベルルスコーニの支持層の一つに、「進歩的でない」信仰心の篤い保守層(毎週日曜日に教会に行く南部住民など)がいるが、カトリック教会もいよいよベルルスコーニを見放した。カトリック教会は、本来離婚した人はミサに入れないのだが、離婚経験者のベルルスコーニは、前々教皇の葬儀にも参加した。しかし、今回の新教皇の就任のセレモニーには立ち合えなかった。
  • 1994年以降も汚職はなくならず、ベルルスコーニはたびたび汚職で摘発される。一方、対する民主党の側でも汚職が次第に摘発されるようになる。結局のところ、主要政党での「協調体制」がなれ合いを呼んでいるという批判が強まり、これが今回の「五つ星運動」躍進のきっかけとなる。結局のところ、戦後一貫して、「政党」というものが政治に持ち込む悪をどのように処理するかという点は、イタリア政治の課題であり続けている。ベルルスコーニの時代(「第二共和政」と呼ぶ学者もいる)のあと、どのような政治体制ができるのか、いま大きな転換期を迎えている。
  • Montiの非政党内閣は、一時的に成果をあげたが、Montiは自ら政党を作ってしまい(講演者に言わせると「大きな間違いであった」)、選挙で敗北した。民衆の支持を得られる政策集団ではなかった。当初、ベルルスコーニ陣営からMontiに政治家が流れてくると期待されたが、そうならなかった。
  • 五つ星運動などは、既存政党拒否、さらに「政府すらいらない、国会の委員会をベースに行政府をコントロールすればよい」というようなことも言っており、Monti政権の存在も含め、伊政界では多数政党にて政府を組織するという考え方に対するアンチテーゼが提示されている。
  • 講演者は先般伊を訪問して政治学者、記者等々に伊の政治の行方を聞いてみたが、誰も明確な見通しが立たないと言っていた。
  • 今後の注目はやはり五つ星運動のグリッロ。結局、彼がどういう政策を掲げて動いていくかに伊政界の今後はかかってくると思う。ベルルスコーニがもう終わりというのは識者におけるだいたい一致した見方だが、右派では彼の地位を継承するような強いキャラクターはいない。左派民主党は、ベルサーニ党首の後継としてレンツィ・フィレンツェ市長に注目が集まっているが、実力は未知数で、政界を牽引する能力はない。

酒井啓子『の考え方』

<中東>の考え方 (講談社現代新書)

<中東>の考え方 (講談社現代新書)

中東(イラクが専門)地域研究者の渾身の一冊。あとがきを読むと気合いが入っているのがよく分かる。中東とひとくくりにしても、実はいろいろな国があり、多数の軸がひける。アラブ系/ユダヤ系/ペルシア系、産油国/非産油国、君主国/共和国、シーア派/スンニ派/イスラム少数派(オマーン)/ユダヤ、反米/親米、というのが主な対立軸であるが、ここで陣営が入り乱れるので整理が難しい。さらに、時間をかけて変わっていく要素もある。こういう事象を本書は簡潔ながらもきちんと説明しようとする。例えば、イランに関しては大変興味深い一章が割かれている。イランはもともと中東地域の親米国家代表であったが、現代では最も反米的国家の一つである。その一つの原因は、冷戦時代にソ連の南下を防ぐために、一所懸命に英米が反西側勢力の勢いを削ぎ(油田を国有化しようとしたモサデグ政権をCIAが転覆した)、親米のシャーに政権をとらせていたことなどが影響している。そういう、冷戦構造の残したもろもろの遺物を本書では「冷戦のゴミ」として描写している。びっくりする表現だったが、本書を読むと極めて的確な表現であることが分かる。有名な話だが、ビン・ラディンももともとはアフガニスタンで戦うために、(米国の支援のもと)サウジアラビアで鍛えられた戦士だった。その戦士たちが冷戦が終わった後も残っているというのが現代の世界であって、Hot warだったら戦後処理ということをみんな一所懸命にやったのだろうが、「冷戦」だったのでどちらの陣営も面倒を見ずにいて、あいだにいた中東に迷惑な爆弾的要因が多数残されてしまったということだ。地域の人にとっては大変迷惑な話である。

松尾昌樹『湾岸産油国 - レンティア国家のゆくえ』

湾岸産油国 レンティア国家のゆくえ (講談社選書メチエ)

湾岸産油国 レンティア国家のゆくえ (講談社選書メチエ)

湾岸産油国(UAE、オマーン、カタール、バハレーン、クウェート)の国の成り立ちを描いた一冊。「レンティア国家」というのは、「レント(不就労所得)」に依存する国家ということで、こういう国では過去経済発展に伴って進展するとされた民主化が見られないことから、こういう資源国を分析するコンセプトとして提唱されたもの。

これらの国では日本の常識が全然通用しない。極端な例をあげると、カタールでは外国人・カタール人合計で77万人が働いているが、そのうちカタール人はなんと7万人だけである。外国人がいないと全く経済が成り立たない。さらに、カタール人の就業人口のうち94%が公務員であり、比較的高給を得ている。ちなみにカタールの一人当たり国民所得は日本の3倍程度ある。

これら湾岸君主国では、民主化はされておらず、君主の一族(一人の独裁ではなく、一族での支配)で政治がおこなわれているのだが、一般人民も、上記のように行政権のある公務員に就くことで不満が和らげられるのだそうだ。また、外国人労働者と自国民は基本的に生活上ほとんど接点がなく、従って生活上の不安とか不満のようなものも(少なくとも自国民からは)出ないと。外国人労働者も、家族を置いて単身で来ている人達で、そのうち帰ることが決まっているので、社会変革を求めて立ち上がって、とかいうことはないと。軍隊も意図的に弱くされており、軍部によるクーデタというのも起こり得ない。こういう構造は、普通の民主的経済先進国からみると異常に見えるが、もろもろ分析すると制度としての安定性は強く、われわれは暫くこういう国とつきあっていくことになるだろうというのが著者見解。その国単独で見ると安定しているということはよくかりました。しかし、イラクに攻め込まれたクウェートの例もあるし、国家としての歴史も浅いし、長期の仕事をしようと思うと一抹の不安はあるね。

「NHKスペシャル」取材班 『アフリカ - 資本主義最後のフロンティア』

アフリカ―資本主義最後のフロンティア― (新潮新書)

アフリカ―資本主義最後のフロンティア― (新潮新書)

NHK取材班が、エチオピア、ケニア、ウガンダ、タンザニア、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、南アフリカの8カ国を取材した記録。章ごとに担当のディレクターが違って、ルポの出来不出来の波が激しいが、概ね、ちゃんと読める一冊。

一章:ケニア、ウガンダでの携帯電話の普及の話。資源に比較的乏しい両国が、人口の多い消費市場ということで海外投資を呼び込んでいるという絵姿は、アフリカ=資源投資、というステレオタイプから少し離れた切り口で、おもしろい。本書の白眉。同様に第三章でも、エチオピアに中国企業が携帯電話の中継基地を作るという話が紹介されていて、同様の切り口。

第二章:ルワンダ。あの虐殺の惨事から、どういう成長の軌跡をたどっているのかを追ったルポ。虐殺の被害に遭ったツチ族が再び経済界に戻ってきて躍進しているというのはある意味素晴らしいことなのだろうし、ここで紹介されている不動産王のキャラクターも大変興味深いのだが、今度は多数派フツ族が「虐待される」というおそれから難民化しているとか、げんなりする話も多い。安心してこの国の将来を語れる日は遠い。

三章は上記の通りで割愛。

第四章:タンザニア(金)、ボツワナ(ダイアモンド)の資源経済の話。どこかで聞いたような話でありきたりに思える。読み飛ばしてよい。

第五章:ハイパーインフレ後のジンバブエの話。米ドルを導入してインフレは収束したが、おこるべき大きな産業もなく、見通しは不透明。しかし、米ドルを導入して、公務員給料とか、そういうのはどうしているのだろうか。外貨稼ぐ手段もないだろうし。こういうトピックを扱うなら、興味本位で書くだけでなくてそういう基本的な疑問にも答えてほしいと思う。いまひとつ。

第六章:南アフリカ。「格差」を経済成長のドライブにする、という副題で、サブサハラ地域一番の経済大国である南アフリカに殺到する出稼ぎ労働者の日常を描いている。ワールドカップに(本書刊行はW杯前)かこつけてやたらポジティブトーンで通すのはどうかと思うが、地域の大国が近隣諸国に労働機会を与えているというのは大変よいことである。治安の問題はなかなか解決しないのだろうが、経済移民の交流から経済も平和も進展していくものと信じたい。

以上の6章。

早野透『田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像』

田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)

田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)

最近は戦後の道路行政について大変興味があって、この人についてもやっぱり知らないとなと。
著者は朝日新聞で田中角栄の番記者をやっていた人で、角栄には非常に思い入れがあるそうだ。全体的に見守る目線は温かく、取材対象に関する愛情・愛着を感じるし、実際に人物には相当惹かれるものがあったようだ。彼のとった政策、汚職疑惑についても、もろ手を挙げて賛成するわけではないが、時代の空気からやむを得ないことであったというトーンである。彼は高度成長に取り残される地方の声を代弁していた、と。だから、ロッキードの有罪判決が出たあとも20万票以上を集めて選挙で当選できたのだと(これはすごいことだと思う)。

この本を読むと、確かに角栄という政治家にあった魅力というものがよく分かる。情に篤い。分かりやすい。組織化がうまい。官僚をコントロールできる。今の政治家にないものがたくさんある。政治家に見習ってほしい。見習いたくもある。

政治主導の意図で議員立法をたくさんやったし、高度成長に取り残された地方に活気をもたらすために、利益誘導的な政治も行った。その時代はそれでよかったところもあるのだろうし、角栄がいて裏でその「誘導具合」をコントロールしていた面もあった。というか、角栄にしかコントロールできない仕組み(それは自民党総裁選びにしても利益誘導のやり方にしても)を作ってしまったことが彼の最大の罪であることが本書を読むと分かる。

角栄亡き今、その「後継者たち」、それは自民党の政治家(族議員たち)や予算を握っている官僚たちのことでが、その仕組みを都合よく解釈して、自己保身のために利用している。道路の問題にしても、社会保障の問題にしてもそうだろう。角栄は戦後すぐに当選して、「戦後」を終わらせた。角栄の作った仕組みを終わらせる政治家がそろそろ出てこないとならないのだろう。