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オネミリエ このページをアンテナに追加

2017-06-12

[]Бесконечное лето (Everlasting Summer) (85) Бесконечное лето (Everlasting Summer) (85)を含むブックマーク

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 たぶんロシアで最初の本格的な美少女ゲームということで、開発段階から楽しみにしていたんだけど、できた頃(2013年くらい)には忘れてしまっていて、昨年に気がついてから少しずつ進めてようやくクリア。

 Steam配信されているゲーム英語版があるので、既にプレイした日本の方も多いらしいけど、少し紹介的なことも交えた感想にしておこう。


○あらすじ

 ネット廃人引きこもり気味の20代青年。ある日、冬の町に出てバスに乗って居眠りすると、目が覚めたら夏の平原を走るバスの中。到着した先はラーゲリ(子供サマーキャンプ場)「ソヴョーノク」(“フクロウの子”)で、ソ連時代そのままのピオネールたちがキャンプしていた。主人公ソ連時代のピオネールに若返っており、集団生活を送りつつ、ヒロインたちと接近する……というタイムスリップ物のエロゲー

 なぜ自分タイムスリップしたのか分からず、世界がどのような時空にあるのかも分からないまま(他のキャラクターたちは答えをはぐらかし、主人公内向的なのでなかなか真っ直ぐ聞こうとしない)、ミクという初音ミクそっくりの音楽好きでおしゃべりのヒロインが出てきたり、昔の核シェルターのような場所に迷い込んで男友達が発狂しかけたり、一瞬現代に意識が戻ったり、世界ループ構造であることをほのめかす主人公分身に出会ったり。7日で1周してキャンプが終わることになっており、迎えのバスに揺られて居眠りすると現代に戻っているというパターンのシナリオが多い。


オタク文化ミーム

 ミクというヒロインもそうだが(ボーカロイドを使ったBGMもある)、キャラクターの造詣にオタク文化ミームが見受けられて興味深い。ロシアオタクスラングでオヤシ(ОЯШ)という言葉があって、「普通の日本の学校生徒」という言葉のイニシャルなのだが、これは「一般的ラノベまたはアニメ主人公的な平凡な高校生で、平凡とか言いつつも羨ましい状況にいる人間」を意味しており、この作品主人公もそんな位置づけの掛け合いをヒロインたちとする。

 ロシアのようなマッチョメンタリティの国で日本オタク的なずるい性格設定がどこまで通用するのか気にしたくなるところだが、ロシア日本という国と国の比較をしてもあまり意味はない。ロシアでもそういう感性に反応する人たちはいるけど、あちらではやはりあちらの文化的土壌があって、日本と同じようにはいかないことがことあるごとに感じられて、ちょっとした異化効果を始終感じられる。通常は僕らにとっては、こうした異文化要素はPretty Cationのレーチェやこころリスタのメルチェのように留学生ヒロインという設定を通して触れられるが、本作は外国人が作った外国人のためのゲームなので濃度が段違いになっている。


グラフィックなど

 技術的な部分を見ると、立ち絵改善余地ありで、姿勢や表情がオーバーでテクストあっていなかったり、一枚絵は全体的に質が低くて悲しいので、いつかリメイクして欲しいのも本音だが、味がある、といってもよいくらいには慣れてしまう。Steamなのでエッチシーンはないのだが、ちょっとファイルをいじるとエッチ絵は開放されることに終わってから気づいた。といってもきれいな絵に甘やかされた目にはちょっときついし、テクストがなくてブラックアウトするシーンに一瞬差し込まれるだけなので、物好きな紳士のための心配り程度だ。活字信仰が強かったロシア文学は昔から禁欲的で、象徴主義時代にはさすがに婉曲的な官能表現は広まったけど、基本的に豊かな放送禁止用語口承文学財産であり、プーシキンが書いたポルノ詩もきちんとした活字になったのは20世紀末になってからだったくらいなので、急にロシア語の喘ぎ声だらけのエッチシーンとか読まされても困る。奥ゆかしさはかえってありがたかったのかもしれない。いつかは、という期待はもちろんあるけど。

 他方で背景画のレベルは相当高いといっていいと思う。僕はあまり詳しくないけど、日本メーカーでこの水準に達しているところはあまりないような気がする。背景画に本気を出しすぎて、キャラ絵がおろそかになった感があるくらいだ。テーマテーマだけに、カバコフの絵のタッチとか色合いが近いように思えるが、いずれにしても背景画というよりは一幅のソツアートっぽい風景画という感じがするものもある。そういう画風で、ラーゲリの広場に立つ銅像ゲンダという革命家(?)のもので、メガネをくいっと持ち上げる碇ゲンドウだったりするので感心する。

 音楽ロックっぽいものが多くて僕の好みとはずれているが、overdriveBGMみたいにエモーショナルものも一部あったりしてけっこうよかった。サントラは70曲くらいある。

 ついでに画像を少し。1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22


ロシア語記述されたエロゲー

 僕にとっては、エロゲー的な掛け合いや恋愛ロシア語で描くとどうなるのかというのが、というのが大きな関心の一つだった。語学的な意味でも、言葉に付着した文化的な引力に対人関係の距離感や思考の筋道が引きずられるという意味でも、エロゲー的な物語文法ロシア語モノローグ文体はマッチするのかという意味でも。昔、ロシア語勉強し始めてインターネットに触れた頃、ドストエフスキー言語である聖なるロシア語が、別の意味で聖なるエヴァンゲリオンを熱く語るのに用いられているのをみて驚いたものだ。その後、ロシア新聞ニュースを頻繁に読むようになってからも同じで、おっさんくさい日経新聞記事を面白く読めるようになったのは、ロシア経済紙ロシア語によるビジネスニュースに親しんで身体を慣らしたからだった。そういう新たな回路を開く体験をできるのが外国語の醍醐味の一つだ。

 結論としては、論理的でありながら柔軟で瞬発力もある(語順自由度や一語の表現力など)というロシア語長所は、エロゲーでも十分威力を発揮していて読み物として楽しめた。モノローグがややくどく感じられるところもあったけどオヤシなので仕方ないといえるし、引きこもりダメ人間の設定とは裏腹に、モノローグも掛け合いも結構ウィットが効いていて飽きなかった。ロシアでは別にプロの物書きでなくても雄弁・能弁な人が多いが、本作のライターもそうした例に漏れず地力の高さを感じられた。なんでもないやり取りにどれだけ神経を通わせられるか。言葉の流れとBGMが心地よいうねりを作っているように感じられた場面も少なくなかった。多分、僕が外国人だから、ロシアハーレクイン的な小説シャブロンや日本アニメフレーズの露訳であっても、新鮮に思えてしまったところもあるかもしれないが、そのせいで僕が損するわけでもない。どんだけエロいかとか、エッチシーンが見たくなるかとか、そういう直接的な欲求とは別に、このヒロインとずっと他愛のないけど退屈しないおしゃべりをしていたい、疲れたら一緒にごろっと寝たい、と思えるような親密さの雰囲気があった。ロシア語の掛け合いは、芸人漫才のようなネタをいじって演じている感がなくて、純粋に対等に頭を使って、言葉を転がしたり飲み込んだりしているようで、健康的でやさしい感じがした。

 舞台として想定される1980年代ソ連。その想像の彼方のピオネール少女たち。ロシア人にとってのアニメ的な楽園は隙が多くて、皮肉の対象にもなってしまう品質楽園なのだとしたら、今の若い人たちにとってはアニメ世界と同じく遠い世界となったソ連レトロの中の夏の少女たちとの距離は、遠いとはいっても近いのかもしれない。異国文化としてのアニメとは嫌が応にも距離があって、その距離を埋めるのがアイロニー手続きなのだとしたら、ピオネール少女たちは国産品であり、自分たちのものだという喜びがある。そうした明るさがラーゲリ日差しにも感じられるように思えた。本作にはファンによるmodがたくさんあったり、スピンアウトアイテム調合RPGトラヴニッツァ」(The Herbalist)があったりして、ループ世界との別れという作品テーマに沿った楽しみ方をされているのもよい。製作中の次回作はソ連時代日本舞台にしたロシア人主人公の話だそうだが、正直なところテーマ選択に関しては本作のほうがずっと洗練されていると思う。


ヒロインたち

 ネタバレありで。

 シナリオ展開は割と手堅く古典的な感じで、各シナリオがかぶらないようになっていて飽きない。アリサはレーナとの三角関係現実帰還後の音楽での出会い、レーナはヤンデレ展開とラーゲリ世界に残ってその後の半生、ウリヤーナはいたずら騒ぎと現実帰還後の復学と再会、スラーヴャは優等生振りとつかみどころのない大胆さが現実帰還後も続いてそうな結末、ミクは性格反転の劇中劇ホラーシナリオユーリャはハーレムシナリオと対の最終ルート

 恋愛ゲームとしてヒロインとのやり取りをリラックスして楽しめたのは、どちらかというと絵も安定していたスラーヴャとユーリャだったかな。他は読み物としては退屈しなかったけど、最後のシーンをのぞくと疲れる展開が多かった気がする。スラーヴャは最後まで謎めいた感じがして引き込まれた。ユーリャは主人公との立ち位置の近さと無防備さがなじみの感覚だった。最後のシナリオだから楽しみ方に慣れたということもあるかもしれないが。すべての並行世界に同時に存在する不思議ヒロインが、原作者チェブラーシカと同じの国民アニメプロストクワシノ村」(邦題フョードルおじさんといぬとねこ」)のセリフを知らずと引用して、身近な女の子になる。そういう小さな発見を積み重ねていく喜びに僕も与らせてもらったような気がした。僕は外国人なのでロシア人のようには楽しめないだろうけど、ロシア人エヴァンゲリオンでおかしな電波を受信してしまうように、僕もこの作品に浸りきることができる。いつにも増して孤独作業だからこそ、静かで自由な没入を楽しむことができる。

残響残響 2017/07/12 00:40 力の入った記事で、とても面白いです。様々に言及したい箇所がありますので、うまくまとまっていなく、箇条書きにて失礼させてください。

・サラっと舞台説明でシェルターの中で男友達が発狂とかいうのをノッケから書かないでくださいw

・「オヤシ」の受容における差異……異化・異文化要素の濃度の段違い、の部分ですが。日本でも二次元文化は「二次元」とわざわざ表記するだけあって、ひとつの一般カルチャーからの異文化要素があります。ましてロシアだと「二次元」かつ「日本原産」という二重構造。この、重ね合わせによる落差の重層は結構あるのだろうな、と読んでいて思いました。

・「かくあるべきエロゲの姿」から離れているからこそのキッチュな愉しみかた……という路線なんか当然vostokさんは取られませんね、このゲームにおいては。最後に「浸りきる」と書いていらっしゃいますが、ところどころで「異文化的【?】」はあっても、それでも自然に浸ってらっしゃる。

・なんだかこの記事読んでいて、むしろ「2017年の今、ゼロ年代初期の凡ゲーに妙にハマってしまう」的な記事の牧歌性、みたいなものに似たフィーリングを感じ取ってしまいました。今となってはいろいろ古いし、それが時折キッチュにも見えるけども(PHSとか今更言われてもねぇ)、なんだか読んでいて心が和む、みたいな。ゼロ年代初期のエロゲって結構「ギラギラとした夏の日差し」みたいなものがあって、もちろんそれは当時のCG表現の限界でもあったのですが。でも、「そのギラギラな太陽の日差し故に、妙に心に寂しくクる」みたいな感情があったように記憶しています。

・ラーゲリの日差しの明るさ。「ともかくこの感情風景は自分のものなんだ」っていうこと。

・技術的に洗練されていないものに見られる、妙なパセティックさや率直さ、みたいな現象。決して「ギャー!」のパンクロックではありませんが……いや、そんなパンクロックにおいても、見られる「あの時のあいつらでなくては演れなかった」っていうやつ。多分vostokさんは「神聖かまってちゃん」というバンドを好まれないでしょうが(ほんとに)、でもこういうパセティックさだけは通底してるような気がする。

https://www.youtube.com/watch?v=Dgkmw1pKbqE

・ロックンロールが鳴りやまないように、エロゲオタクミームも伝染を止めない。伝染が止まってしまったミームなど、伝統であるだけの固着した伝統芸能の異名に他ならない。

・しかしこの背景画の胸を打つ感情は何でしょう。決して「技術的に洗練されてない」ってレベルでない、きちんとしたものです。素描性を残しつつ、細部まできちんと描かれている。というか……「感情」をたっぷり盛り込んでいる。うん、そう。感情。「背景はクオリティをどんどん高めていけばよろしいのだ」式の現在日本エロゲ背景よりも、よほど胸にきます。とくに夕焼けと鉄塔の背景はよかった。

・最近、「残響さんの文章って戯言がかなりの量占めてますね」と言われて、妙に納得してしまって。自由がなくなると死んでしまう魚のように文章を紡ぎます。(これがZAREGOTOだ)
ロシア語の「引きずられ思考引力」とエロゲの「一人称・僕語り」は、このゲームでフィットしていましたか。その「文体」が……ほんとに、日本産エロゲをやるのと同じような「僕にはこのゲームの文体が合っているのだ」というvostokさんの思いが伝わってくるような、そんな穏やかさと静かなパセティックさが、伝わってくるような。

・誰が戯言を必要としてるのか。誰がロシア製エロゲを必要としているのか。わたしは戯言を通して何かの意味性を拡散/貫徹させたかったはずだ。この作者たちがわざわざエロゲを作ろうとしたことが、なんだかまぶしく見える。

・全く関係はありませんが、最近柴田元幸が編集している雑誌「MONKEY」の最新12号(翻訳特集)で、「明治翻訳史」と題して、ロシア文学と二葉亭四迷(の小説文体)のことが書かれていました。
ツルゲーネフの「あいびき」など、「ロシアの自然なる口語小説文体」を四迷が日本語翻訳することにより、「未だ江戸読物文語調なる日本文体」から脱していく、という過程を、実際に版を重ねた各翻訳を比較しながら見る、ということをやって。
このあたりの「先進を咀嚼すること」「おれたちもやってやるんだ」の精神。あるいは「口語の自然さ」とかいう問題は、翻訳文化において本当に喫緊の……それこそ、「おれたちの文化にとって、自然な娯楽・芸術を作るんだ!」の意気込みと言うか、精神というか。
それはキッチュ狙いなどではなく、詩に他ならない。

・一編の詩としてのエロゲ。

daktildaktil 2017/07/30 04:52 コメントどうもありがとうございます。
英訳の品質はわかりませんが、多分そんなに悪くないと思いますので、いつか時間のあるときにやってみてください。Steamプラットフォームはゲームの起動までがちょっと面倒ですが、ソ連レトロと二次元文化をテーマにした作品で、これを超えるものはもう出ることはないと思いますので(出るとしたら、この作品のリメイクくらいか)。僕はやってよかったと思いました。

神聖かまってちゃんは、提供曲ですが「コタツから眺める世界地図」(ボーカル大亀あすか)という歌が好きで、今でもたまに聴いています。Os-宇宙人というアニソンのカップリング曲で、アニメはちょっと肌が合わなかったのですが歌がよかったのでCDを買ったら、本体の曲よりも気に入ってしまいました。大亀さんの歌い方も見事です。かまってちゃんの活動はロック過ぎてついていけないと思いますが(年取ってしまった)、また女性ボーカルのいい曲があれば聞いてみたいですね。の子さんの歌い方もよいと思いますし、ボイスチェンジャー曲もあると読んだ気がしますが、やはり女声曲だと安心です。

翻訳文体については、二葉亭四迷の作品はきちんと読んだことはないのですが、明治大正期から原卓也くらいまでの翻訳者たちは本当にすごかったのだなと思います。ロシア文学を読み始めたばかりの学生時代、岩波文庫でゴーゴリの「ネフスキー大通り」や「イワン・イワーノヴィチとイワン・ニキーフォロヴィチが喧嘩をした話」を読んで自然に楽しんでいましたが、今考えるとゴーゴリの文体を血の通った日本語に移すのは途方もない作業だというような気がします。通勤時にたまにゴーゴリのウクライナ物の朗読を聴いたりしますが、ゴーゴリの文章は面白すぎて当時の植字工が笑いこけていたという逸話が残っているくらいで、頭の中で訳語が思いつかない。それを中村白葉のような昔の翻訳者たちはとんでもないスピードで翻訳していたそうで、恐ろしいことです。そんな当時の人たちであっても、詩の翻訳では大局的にはうまくいかなかったように思います。後世の柳瀬尚紀のような奇才を除き、韻律の問題にきちんと立ち向かえた人はいなかった。和歌の伝統はあるはずですが、語呂あわせが低級なジャンルとみなされがちだった日本文学の壁は高いですね。現代では文学の翻訳で生計を立てるのは困難らしいので、そんな時代はもう来ないのでしょう。そんなことを言う前に自分で一つでもきちんとした翻訳をしてみろよって話ですけど(笑)
強引に話をつなげると、この『永遠の夏』はロシア文学としてもエロゲー作品としても質が高くて、習作とかのレベルではないし、作品としての翻訳として成立していると言ってもまだ失礼かなと思います。そんな作品の作者たちがまだ活動してくれているのがありがたい。