Hatena::ブログ(Diary)

ダメちゃんの大猫的生活

2018-10-08

園子は腹を舐めすぎる 18:47

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 越智への恋情が、生理的に雨宮の肉体を拒否したのかと、さすがに私は慄然とした。じぶんの不安をひとりで持ちきれず、私は雨宮の手にすがりつくと、口にしてしまった。
「越智さんが好きになってしまったの。こんな気持ちはじめてなの」
 雨宮もとび起き、私の肩に両手をかけ、激しくゆすぶった。私が夢でもみているのかというふうに――。
 私は震えながら涙を流していた。
「越智は、越智はどうなのだ」
 それは私がききたいのだ。越智と私がふたりだけで話したこともないとわかると、雨宮はすっかり安心した。
「会社の事務員にも、越智のファンが何人もいるらしいよ。あんな男のどこがいいんだろう。女たらしってああいうのをいうのかな」
(瀬戸内晴美『花芯』より。以下同)


 あれは夢だったのだろうか。
 アルコールの後の二度寝。秋の澄んだ夜気は明け方の肌寒さを予感させるものの、慌ただしく済ませたシャワーの火照りで、体はけだるく蒸し暑さを感じている。遠浅の海のように、なかなか深い眠りに至らぬまどろみの中、私は目を閉じたまま、ぼんやりと猫たちの気配を感じていた。
 ダメがいる。私の枕の右側の定位置に。
 誰かが掛け布団の上に飛び乗った。あれはアタゴロウだ。いつものように、私の脚の間に陣取って、体を舐め始める。
 そして。
 もう一匹、猫が来た。
(玉音ちゃん…?)
 そう。玉ちゃんだ。
(珍しいな。)
 玉音は通常、私と一緒には寝ない。起床時には布団の周りにいるが、就寝時には、たいていリビングの片隅か、押入れの中にいる。寝る時はいつもひとりなのだ。
 その玉音が自分から私の布団に乗り、眠る私の様子を窺いながら、そっと私の右側を、頭の方へ向って進む。そして――
(…え。)
 座ったのだ。私の枕のすぐ横に。ダメの大きな体と枕の間に無理矢理潜りこむようにして、玉音は枕の下に半ば埋もれながら、顔を上げて私の方をじっと見つめた。
 猫は飼い主に対する信頼度が高いほど、頭の近くに寝るという。
 まさか玉音ちゃんが。それも、ダメを押しのけて。
 これは夢だ。夢に違いない。
 押しのけられたダメは、私の胸の横に移動し、掛け布団の上の私の腕を舐め始めた。ひとしきり、別の場所を探すかのようにもぞもぞしていたが、やがて諦めたように、玉音の隣、私の枕から猫の体一つ分離れた場所に戻った。私はそのまま、意識を失った。
  
  
 玉音の腹ハゲに気付いたのは、一年ほども前だろうか。
 もともと玉音は、始終ハゲを作っている猫だった。ふと気が付くと前脚の毛が、直径五ミリ程度だろうか、ごっそりと抜けて、ふかふかの毛皮に穴が開いている。最初に疑ったのは、夫であるアタゴロウのDV(要するに、ケンカ傷)であった。それから、カビ疑惑が持ち上がったのだが、培養検査を経て、その疑惑も否定された。
 そうこうしているうちに、これまでにない大きなハゲがお腹にできていたのである。
 昨年の八月二十七日の記事にそのことを書いているので、発症時期はほぼ間違いない。ただし、その後、九月十八日に「夫唱婦随」で病院に行った時の記事には腹ハゲの記述はないし、さらにその後、十二月十七日に玉音自身の予防接種のため通院した際にも、特に腹ハゲを診てもらった記憶も記録もない。その時点では、いったん、ハゲは解消していたのか。
 だが、いずれにしても、根本的解決には至らなかった。玉音のお腹は今もって皮膚のピンク色を垣間見せし、さらにこの頃は、それが内腿にまで広がっている。そのほかに、断続的ではあるが、前脚や後脚にも、時折、例の毛皮の穴ができているのである。
(なぜ、こんなことに…。) 
 ネットで情報を漁ってみた。人に訊いたり、もちろん、獣医さんにも相談した。
 それら情報を総合すると、猫のハゲは、ほとんどが「アレルギー」もしくは「ストレスによる過剰グルーミング」、あるいは、小さいものなら「ケンカ傷」のいずれからしい。獣医さんははじめからストレスではないかと言っていたが、私はどうにも納得がいかなかった。
 玉音はもともと、臆病な猫である。神経質と言えないこともない。だが、それは今に始まった話ではなく、むしろ、家の中でさえびくびくしていた彼女も、少しずつ環境に慣れ、室内でものんびりとくつろげるようになりつつあるのだ。家の環境自体も、別に、近所で工事の騒音がするとか、頻繁に人が訪ねてくるとか、彼女のストレスになるような変化が生じているわけではない。それなのに、なぜ今更…という感が否めないのである。
 むしろ、アレルギーではないのか。
 頭に浮かんだのは魚アレルギーである。そこで、フードを全て肉系に替えてみた。ついでに、たまたま友人からアレルギー対応のフードをもらったので、それも試してみた。
 だがどうやら、関係なかったらしい。
「アレルギーなら顔に出ますからね。お腹だったら、ストレスでしょう。」
 獣医さんには、再三、そう言われていたのだ。
「痒がってますか?」
「いいえ…。」
 では、やっぱりストレスなのか。
 ストレスでハゲると言っても、人間のような円形脱毛症とは違う。過剰グルーミングにより被毛を取り過ぎてしまう、ということなのだが。
「でも、そんなに始終グルーミングしているようにも見えないんですけどね。」
 言い終わって気が付いた。そもそも彼女は、ご飯時以外は、見えるところに居ること自体が少ないのである。これでは、過剰グルーミングしていたって、私が気付くわけがない。
 
 
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 そんな玉音ちゃんであるが。
 それでも、彼女はこの一年の間に、劇的な進歩を見せているのだ。
 どうやら、ようやく野良の誇りを捨てて、飼い猫になる気になったらしい。
 私を見ても、反射的に逃げることはなくなった。逃げるべきか逃げざるべきか、数秒考えてから行動するようになったのである。
 そして。
 そう。冷静に考えていただければ、たいていの場合は、逃げる必要なんてないのである。私が彼女に接近するのは、「ご飯をあげるとき」と「撫でるとき」と「たまたま通りかかったとき」だけなのだから。
 おそらく、彼女にとって思案のしどころとなるのは、このうち「撫でるとき」であろうが、あろうことか彼女は、撫でられること自体が好きになったようなのである。
 いや、この言い方には語弊があるかもしれない。彼女はもとより、撫でられることが嫌いではなかった。ただ、撫でるために私が接近してくるのが怖かったのである。だから、後ろから手を近付ければ背中やお尻は撫でさせたし、一度手を触れてしまえば、撫でる範囲を広げても、別段、抵抗もしなかった。あるいは、遠くから手を伸ばして触る分には、別に不満も述べなかった。
 それを敢えて、好きになったようだ、と言うのは、時折、自分からそれを望んでいるのではないか、と思わせる行動が増えてきた、という意味である。
 これもまた誤解を招きやすいが、彼女はもとより、撫でられることより「腰パン」好きである。同じスキンシップでも、「腰パン」なら以前から要求されていた。
 決まって私がお風呂に入る前、洗面所で歯を磨いていると、「時間ですけど…」と言わんばかりに、何かを期待するまなざしで覗きに来る。早く寝たい時などは内心甚だ迷惑なのだが、せっかく甘えに来てくれたものをそう無下にもできない、ということで、これまでも時間のある限りは付き合ってやっていた。
 それがこの頃は、腹ハゲに絡むストレス疑惑があるから、どんなに眠くても、断れなくなってしまったものである。ストレスの原因が特定されていない以上、「引っ込み思案で甘え下手な玉音ちゃん」の、勇を鼓しての甘え行動を無視するなんて、飼い主として失格だ、という謎の強迫観念のようなものが生じてしまったのだ。
 何だか、玉音ちゃんにいいように振り回されているなあ、と思う。まあ、それは、私が彼女にメロメロだから仕方がないのだが、彼女の方も、むしろ悪気がない分、そこそこ悪いオンナであるような気がする。
 だが、良くも悪くも、こうして甘やかしていると、彼女の方もさらに甘える勇気を持ち始める。(調子に乗るとも言う。)
 結果。
「要求」の場面が、もう一つ出来た。
 起床時の布団の上である。
 ここも、もとより、数少ない「玉音ちゃんが平気で私に寄ってくる場所」である。と言っても、元は単に布団の上に乗ったり、時には、掛け布団越しに私の体の上に乗ったりするだけだった。それがこの頃は、私の至近距離にうずくまって背中を出し、私の方をちらちらと振り返っては視線を送ってみたりするのである。
 どう見ても「撫でろ」と言われているようにしか見えない。
 事実、手を出して撫でてやると、全く逃げるようなこともなく、そのまま撫でられているのである。嬉しいには違いないが、これのお陰で、私は朝食を食べ損ね、パンを引っ掴んで出勤することも、あったりするのだ。
 夜中に「お尻を叩いて」と要求されたり。
 朝は朝で、ベッドに引きとめられたり。
(この娘っ子は、実はヤバい女なんじゃなかろうか…。)
 いずれも、わざとではない。だがこの場合、むしろ彼女自身にその自覚が全くない辺りが、“本物”なのである。
 
 
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 ところで、その間、他の二匹はどうしているのかと言うと。
 ダメちゃんは一緒に布団の上にいる。彼は基本的に、私を起こして朝飯を出させるのが最終目的なのであるが、玉音がそうして甘えていると、やきもちを焼くのか、時折、玉音を追い払うように間に割り込んで、これ見よがしに背中を差し出す。私がその背中を撫でると、大きな音でゴロゴロ喉を鳴らす。押しのけられた玉音は、私から一歩離れたところに留まって、今度はダメの頭の匂いを嗅いだりする。
 シャッターチャンス!と、私はすかさずスマホを拾い上げる。
 何しろ、相手が誰であれ、玉音ちゃんともう一匹とのツーショット写真を撮れる機会は、なかなかないのだから。
 そうして撮った写真のうちの一枚がこれ。
 
 
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 この写真を、猫好きの先輩にLINEで送ったら、
「可愛いー」
 と、返事が返って来た。続けて、
「仲良しって感じ」
 うーん。
 いや、偶然並んだだけだと思うんだけどな。だいいち、玉音の夫はアタゴロウだし。
 あれ…。
 そういえば、アタゴロウは?
 そういえば、玉音が甘え始めたのに反比例するように、最近、アタゴロウは、起床時間帯に私の布団に来ることがなくなった。就寝時には必ず掛け布団に乗ってきて、私の脚の間で寝るのに――。
 
 
 六月三十日。
 アタゴロウの予防接種の際に、玉音も一緒に連れて行った。そして、一年越しの腹ハゲを、実際に先生に診てもらった。
「ああ、これはストレスですね。」
 先生は断言した。
「ほら、短い毛が残ってるでしょ。それに場所が、自分で舐められるところだけですよね。明らかにグルーミングのし過ぎです。」
「でも、ストレスの原因が、特にないんですけど。」
 私は弱々しくも、必死の抵抗を試みる。
「むしろこの頃は、凄く懐いてきているんです。部屋の中でも、最近はずいぶんくつろげるようになって。猫同士も、別にトラブルはないですし。」
「まあ、ね…。」
 私の反論に、先生と助手さんは、顔を見合わせ、意味ありげに笑った。
「いろいろあるんですよ、猫の世界にも。」
 
 
 雨宮は漸く私に暴力を振るうようになった。暴力で私を犯すことの浅ましさが、雨宮の自尊心を傷つけた。持ってゆきばのない鬱憤を、所かまわず擲(なぐ)りつけてまぎらわした。そうした後、傷だらけになった私をかき抱いて、雨宮は男泣きに泣いた。
「園子、どうしたんだ園子、そのこう・・・・・」

 
 
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(イケメンじじい=女たらし)
 
 
 深夜三時。
 玉音に自分の場所を取られ、私の腕を舐めていたダメ。
 あれは、私に何かを訴えていたのか。玉音を追い払え、とでも?
 だが結局、彼は私の胸の横を離れ、玉音の隣に落ち着いた。彼の巨体と、私に対する強い執着と、そのボス猫、もしくは私のナンバーワンキャットとしての揺るぎない自信は、その気になれば、自ら彼女を追い払うに一瞬の躊躇も必要としないはずなのに。なぜ彼は、自分の特等席を玉音に譲ったのか。
 もしかしたら。
 そう、もしかしたら。
 彼が元の位置に戻ったのは、私に二番目に近い位置を確保したのではなく、玉音の隣に戻ったということなのかもしれない。玉音は玉音で、ダメと枕の間に潜りこんだのは、私の隣に来ようとしたのではなく、私とダメを引き離し、自分がダメの隣で寝たかったということなのかもしれない。
 となると。
 ダメが私の腕を舐めにきたのは、単なる「お世辞」だったのか。
 俺は玉音と寝るから、あんたはひとりでイイコにしてな、という――。
 だが。
 それは駄目だ。断じて、駄目だ。
 だって玉音ちゃん、あなたはアタゴロウの妻でしょう。
 親が勝手に決めた結婚とはいえ、彼は優しくて、優秀で、あなたにとっては幼馴染でもある、申し分のない夫じゃないの。彼のDV疑惑だって、もうとっくに晴れているのだし。だいいち、ダメおじさんは、そんなあなたの夫の上司じゃないの。
 ダメちゃん、あんただって、いい歳して人妻を誘惑なんて、してるんじゃないよ。この女たらしが。
 今なら私にも、北林未亡人の気持ちが分かるような気がする。
 ダメは私のもの。でも、玉音ちゃんのことも、可愛くて仕方がない。
 そして、可哀想なアタゴロウ。愛しいアタゴロウ。キミはいじらしいオトコだ。
 
 
 ――あ。
 もしかして。
 玉音ちゃんのストレスって…。
  
 
 たそがれの光は、もう夜の灯に変っていた。私は無意識に微笑んでいた。
「きみほどの女は、しらない。」
 男は低い声で、ひとりごとのようにつぶやいた。
「私は世界もずいぶん歩き、さまざまな女をしっているつもりだ……。しかし、きみほどの女はしらない」
 男は繰りかえしていった。大きな掌が言葉の伴奏のように、私を愛撫した。「きみのこんな女らしさ、女の完璧さは、私のように、人生のほとんど終りに近づいた者の目には、怪しくみえるより、痛々しい……。きみはおそらく、きみの恵まれた稀有な官能に、身を滅ぼされるよ。それが私には見える。それだけに、きみがいじらしくてどうしてあげてよいかわからないのだ」
 老いた男は、もう一度私を、それ以上優しく扱えまいといったふうに抱きよせた。私の胸に、柔かな白髪の頭をうずめ、うわごとのように囁いた。かすかな、気配ほどのひくい声であったけれど、私は聴いてしまった。
「かんぺきな……しょうふ……」
 いきなり、全身の皮膚をはぎとられる、痛みと寒さが、私を襲った。
 

 
 猫の場合、「全身の皮膚」は、「全身の被毛」、だろうか。
 
 
 おい、ダメじいさん。
 あのときキミは、玉音ちゃんの脇腹にくっついて、一体何を囁いていたんだ!?
 
 
 
 
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2018-01-01

謹賀新年 18:47

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 今年もよろしくお願いします。
 みんなを代表して玉音ちゃんから。
(いちばん後ろのおじさんは、全くやる気なし。)
 
 
 
 
 

2017-10-29

さらば、いとしのエリー 18:47

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 裏返したこともある ボコボコにしてもなお
 舐めたいおケツがあればいいのさ
 俺にしてみりゃ これで最後のmisery
 エリー my love so sweet

 
 
 さらば、大玉サンド。
 おかえり、いとしの木の砂よ。
 私はもう待てなかった。
 月曜日の夜。抜糸から二日後に、万難を排して、私はトイレ砂を交換した。
 本当は、日曜日に交換すれば、月曜日の燃えるゴミに出せたのだが、日曜夜の段階で、アタゴロウのカサブタの痕は、まだ乾ききったという見た目ではなかった。
 院長先生も「二日くらい」と言っていたではないか。その当初の指示に従えば、交換は月曜日だ。そこにカサブタの痕という問題が加わったのだ。
 そして、月曜夜。
 二日前に見つけたカサブタの痕は、だいたい乾いて、色も当初より沈んだ赤に変わっていた。だが、赤いと言えば、まだ赤い。エリカラを取るには少しばかり不安があった。その赤はじきにまたカサブタになり、痒くなる。そうしたら、結局、アタゴロウはそこを舐め壊すのではないか。
 しかし。
 砂の交換は別問題である。要するに、傷が濡れていなければいいのだ。おがくずが付着さえしなければ良いのだから。
(先に、砂だけ交換しよう。) 
 そのとき、飼い主として彼の苦難に最後まで付き合うべきではないのか、という意味不明のためらいが生じたのは事実である。
(いやいや、そこは別に、付き合う必要のあるところじゃないから。)
 そして、私は砂を交換した。
 本猫より一足早く重荷から解放されて、ほっとしたわけだが、祝杯を上げたい気分より、もう勘弁してくれという疲労感の方が強かった。
 
 
 まあ、そんなわけで。
 私自身は、月曜日の段階で、とりあえず問題の解決を見てしまったのである。
 となると。
 おおかた予想はつくだろう。私はアタゴロウのエリカラ撤去に、大して熱意を感じなくなってしまったのである。
 
 
 いえ、もちろん、毎日考えてはいましたよ。
 今日こそは、外してやろうか、と。
 そう思って、毎日、アタゴロウをひっくり返しては、新しく出来た尿道口をチェックしていたのだが、よくよく見てしまうと、これがまた、なかなか赤みが引かないと来たもんだ。そろそろいいかな、と思うと、違うところが赤いような気がしてきたりする。おそらく、抜糸後も少しずつ、まだ残っていた微細なカサブタが剥がれ続けていたのだろう。
 そうこうしているうちに、完全にタイミングを逃した。
 結局、アタゴロウは、抜糸から一週間、エリカラを付けたままだったのである。
 
 
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(十月二十二日撮影)
 
 
 猫にとってエリカラは、おそらく不快この上ないものであろう。
 何しろ、グルーミングができない。人間にしてみれば、長らく風呂に入れないのと同じだ。そのせいなのか、それとも、術後、多少の尿漏れがあったのか、アタゴロウを膝に乗せると、いつもほんの少し、おしっこ臭い匂いが漂っていた。可哀想だとは思ったが、そもそも、エリカラとはそのために付けているものなのだから、まあ仕方がない。
 その上、動きも悪くなるようだ。ただし、それが人間には幸いして、エリカラを付けているアタゴロウは、常に何の苦もなく捕まえることができて便利だった。捕まえて膝に乗せ、水や薬を飲ませる。ついでに、ひっくり返して患部を観察する。写真まで撮れてしまったのは、まさにそのお陰である。
 人猫共に困ったのは、食事であった。
 退院直後、アタゴロウは、エリカラをすっぽりと皿に被せる形で、頭を下に向けてご飯を食べていた。その方法なら、別に食べるにあたって支障はない。
 しかし、やはり、猫の食事の仕方として、その体勢は自然ではなかったのだろう。
 抜糸の前後から、彼は、ドライフードを食べる場合に限り、頭を斜め前方から皿に近付けようとし始めた。そうなると、頭が皿に到達する前に、エリカラの下部が、皿にひっかかることになる。いや、正確に言えば、エリカラの下部で、皿を押しやってしまうことになる。
 いつしか、食事時になると、ズズズ…ズズズ…、と、皿が床の上を移動する音が響くようになっていた。
 何だろう?と、不思議に思って観察を始めた私の目に映ったのは、実に哀れを誘う光景であった。
 青いブレードを装着した黒白のブルドーザーが、厳かなる緊張感を持って、ドライフードの皿をしずしずと前方に運んでいたのである。
 彼の目は真剣そのものだった。
 私がエリカラの罪というものを悟ったのは、まさにその瞬間であったと言っていい。
 
 
 それでも私は、ぐずぐずとためらっていた。
 尿道口の赤みが、なかなか消えない。だが、アタゴロウの様子を観察していると、グルーミングがしたくて毎日必死にエリカラを舐めてはいるが、特に股間を気にしている様子ではない。これなら、外しても大丈夫なのではないか。
 しかし、ここまで来ると、どうせなら完全に綺麗になってから外したい、という、訳の分からない完璧主義が生じてくるのである。
 事態は完全に泥沼化した。
 そして、ついに金曜日。
 十月二十日である。
(抜糸から一週間か…。)
 今日こそ外そうか。だが、まだ少し赤い所がある。
 最初に気付いたカサブタの痕の赤みはほぼ終息したのだが、昨夜、そこより内側、尿道口にちょっと入った辺りに、また赤っぽい部分を見つけてしまったのである。
(だいいち、一週間というなら、明日の方が区切りがいいんじゃないか。)
 一体、何の区切りだ。
 そんな自分突っ込みを入れつつ、エリカラを舐めるアタゴロウをぼんやりと眺めていた私は、突然、あることに気付き、声にならない叫び声を上げた。次の瞬間、彼のエリカラをはっしと捕らえ、びっくりして暴れる彼を押さえつけながら、もどかしくテープを剥がしスナップをはずす私がいた。
 何の前触れもなく、突如として自由の身になったアタゴロウは、数秒間、何が起こったのか理解できないというふうに、空を見つめて静止していた。
 
 
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 話は、抜糸の日の夜に遡る。
 猫たちがそれぞれ、お気に入りの場所でうたた寝を始めた、夕食後。
 無音のリビングに、コトリ、と、何か物が落ちる音が響いた。
 どうやら、ケージの中で何かが落ちたらしい。その「何か」を拾おうとして、アタゴロウが寝ているケージの中を覗き込んだ私は、思わずドキリとした。
 エリカラが外れていたのである。
 新しく付けてもらった青いエリカラは、前のものより緩いようだという印象はあった。気のせいだろうと思って放置していたのだが、実際に緩かったらしい。スナップは嵌まったまま、頭がすっぽりと抜けていた。
 これは、まずい。
 慌ててエリカラを拾い、合わせ目の部分を固定しているテープを剥がし、スナップを外して、ぼんやりしていたアタゴロウの首に巻き付ける。スナップの留める位置を前よりきつめにし、テープを貼り直す。
 もちろん、アタゴロウは、おとなしくされるがままになどなっていない。もがいて逃げようとするのを片腕で締め上げるようにして、もう片方の手でテープを貼る。当然、綺麗に貼れるわけもなく、テープは一部、テープ同士がくっつき、浮き上がってしまっていた。
 それでも、合わせ目はきっちりと固定できたので、見た目は悪いが使用には差し障りがない、と、思っていたのだが――。
 
 
 金曜日の夜、私が見たのは、その浮き上がったテープの端を、むしゃむしゃと齧っているアタゴロウの姿であった。
 
 
 エリカラは完全な固定ではない。被せているだけから、頭の周りをくるくる回せるわけであるが、そうなると、合わせ目の重い部分が、必ず下に来る。被毛に貼り付けでもしない限り、どうやっても、テープの端をアタゴロウの口元から遠ざけることはできないのである。
 アタゴロウは彼なりに考えて、テープを剥がそうとしていたのだろうか。いや、私にはそうは思えない。彼は齧ったテープを、そのまま食べてしまう勢いだったのだから。
 要するに、その時の私の心の叫びは、
(そんなもん食うな!!!)
 だったのだ。
 
 
 グルーミングができるようになったアタゴロウは、まず、前足と胸元を舐め、顔を洗った。
 それからゆっくり、上から順番に、全身を丁寧に舐めていった。
 尻や股間を舐めたのは、相当時間が経った後、他の体のパーツを全て舐め終わった後であった。
 
 
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 さらば、いとしのエリカラ。
 アタゴロウは完全に、元の生活に戻った。
 おしっこ臭い匂いは、きれいに消えた。
 もう必要以上に、家主に媚びを売ることもない。
 強制給水しようとすると、全速力で逃げ回る。(それでも近寄って来るので、適当なところで結局捕まる。)
 おじさんにのしかかっては、その大きな頭を舐めまわし、耳の中を、しつこいくらいピカピカに舐め上げる。
 そういえば、アタゴロウが自らグルーミングが出来ずに苦悶していた時、妻もおじさんも、代わりに舐めてやろうなどという親切心は、いっさい起こさなかったらしい。おしっこ臭かったからだろうか。
 エリカラは、ひょっとして、友情と夫婦愛を測る試金石でもあったのだろうか。
 だとしたら、これにより露呈された彼の隠された孤独に、アタゴロウが気付いていないことを、祈るばかりである。
 
 
 齧ってもっとbaby 無邪気にon my mind
 毟ってもっとbaby 素敵にin your sight
 誘いヨダレの日が落ちる
 エリー my love ――
 SO LONG!!

 
 
 
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 そういえば、アタゴロウのカビ疑惑はめでたく「陰性」でしたとさ。
 
 
 
 
 

2017-10-15

BASSHI BUT… 18:47


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 私は途方に暮れていた。
 十月十四日土曜日の昼前。冷たい霧雨が降るか降らないか、危うい空模様の街角。
(私は、どこに行けばいいのだろう…。)
 足早に行き交う駅前の人混みの中、無情にぴたりと閉ざされたガラス扉の前で、私はひとり、ただ立ちつくす。
 馴染みのスーパーが、数日前に閉店してしまったのだ。
 いや、閉店したことは知っていた。閉店した日の夜に前を通って、自分の目で確認もしていた。だから、もうそこで買い物ができないことは十分承知していたはずなのだが、いざ買い物をしようと思い立つと、じゃあどこに行こうか、と、やはり途方に暮れるのである。
 私は普段、食材を生協で購入している。だから、スーパーで買い物をしなくても、基本的に食べるに困るようなことはないのだが、
(でも、今日はどうしても、買い物がしたい。どうしても買いたい。)
 端的に言えば、酒を、である。
(だって今日は、祝杯を上げるのだから。)
 そう。
 今日はアタゴロウの抜糸の日なのだ。
 
 
 金曜日のはずの抜糸が、土曜日になった。
 その主な理由が、カビの培養検査のためであることは、前回書いた。
 金曜日であったら休みを取らなければならなかったので、この変更は、ある意味、私にとっても都合のよいものであったのだが、いかんせん、急な話であるため、私はすでに土曜日の午前中に予定を入れてしまっていた。
 しかも、培養検査の結果が出ているかが、かなりきわどいところである。そんなわけで、その気休めを兼ねて、動物病院には午後の診療時間に行くことにしていた。
 午後の診療は四時からである。休日だから混むことを予想して、四時を過ぎたら間もなく病院に飛び込み、抜糸を終えて、五時か、遅くとも六時には帰宅する。カラーが取れて元気いっぱいのアタゴロウを写真におさめ、「抜糸完了!」の簡単な報告をブログにアップして、あとはお風呂上がりの美味しい一杯をいただきます、というのが、私の計画であった。
 恨み事を言うわけではないが、実は、私はその前の週の金曜日、職場の人たちと、新宿のホテルで食事会の約束をしていた。(ちなみに幹事は私である。)大変楽しみにしていたのだが、アタゴロウの退院と被ってしまったため、泣く泣くキャンセルしたものである。そのささやかなリベンジも含めて、アタゴロウの抜糸の日には、家でひとり祝杯をやろうと決めていたのだ。
 結局、駅ビルの中の高級系スーパーに立ち寄り、散々さまざまな商品を眺めて楽しんだ後、結局、変わりばえしないのだが、いつもの「澪」の三百ミリ瓶と、お惣菜を一品、それにチーズとスイーツを買って帰宅した。
 こういう買い物は、楽しいものである。
 この勢いで、自宅にある食材で、料理も楽しくできちゃうだろう。家呑み万歳、である。
 白状すれば、この時点で、当のアタゴロウくん自身にも美味しいものを食べさせてあげたいという、普通なら当然考えるべき優しい心遣いに、私は一切、思い至らなかった。
 だが、いいじゃないか。どのみちアタゴロウは療法食しか食べられないのだし、エリカラが取れて自由の身になるだけでも、相当嬉しいはずだ。
 私自身はむしろ、大玉サンドの労働から解放されることが嬉しかったのである。 
 
 
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(抜糸直前)
 
 
 動物病院は、空いていた。
「猫山さん、奥の診察室へどうぞ。」
 実は、どこの診察室か聞き逃したのだが、聞かなくたってもう分かっている。院長先生は、いつも奥の診察室にいるのだ。
「こんにちは。」
 診察室に入ると、院長先生がにっこりと微笑んで迎えてくれた。私ももう、すっかりお馴染みさんである。いや、先生的には、何をしにきたか分かっている患者だから、気が楽だっただけなのか。
 しかし。
 こうして見ると、この先生、けっこうイケメンじゃないの。(一部サイトでは、最初から「イケメン獣医師」と書いてある。)
「どうですか。元気ですか?」
「はい。もう、すっかりマイペースでやってます。――あの、培養検査はいかがでした?」
 先制攻撃で、まずそこを突っ込む。大事な点である。
「今のところマイナスです。ただ、このところ寒いですから…。」
 それだけ聞けば、充分である。私の中ではすでに、カビ男は「シロ」の判決なのだ。
「痒がってますか?――いや、カラー付けてるから分からないかな?」
「特にそこを気にしている様子はないです。」
 院長先生はまず、その「皮膚炎」の部分を検分して、
「どうやら、剥がれてきそうですね。このまま自然に剥がれてきたら、まあ、悪いものが取れたと思ってください。」
 前回、カビの疑いとされた部分は、その剥がれそうなカサブタ状のものの辺縁部である。これは単に、カサブタの縁が乾いてカサカサしているだけではないのか。
「良かった。もしカビだったら、まだカラーを付けておかなければならないんでしょう?」
 以前、かかりつけの先生のところで聞いた知識である。カビは猫自身が患部を気にして舐めてしまうことで、全身に広がってしまう、と。
 ところが、院長先生は、私が思ってもいなかったことを口にした。
「あ、いずれにしても、今日、カラーは取れませんよ。まだ数日、付けておいてください。」
 え…!?
 抜糸したら、カラーは取れるんじゃなかったのか。
「うん。傷口は順調に綺麗になってますね。じゃあ、抜糸できるところまで取ってみましょう。」
 ついでに、抜糸も終わらないかもしれないのだった。
 
 
 そして、待合室で待つことしばし。
「猫山さん、どうぞ診察室へ。」
 再び診察室に入ると、アタゴロウはすでに、キャリーの中だった。
「糸は全部取れました。でも、糸のあったところに穴が開いていますからね。穴がふさがるまで、一日か二日、まだカラーは付けておいてください。」
 へえ、そうなのか。
 ムムの避妊手術の時も、玉音の誤飲による開腹手術のときも、抜糸と同時にカラーは取れたように記憶しているのだが。穴があるのは同じだと思うけど。
 ま。
 場所が場所だけに、慎重にならざるを得ないのかもね。
 そういえば、かかりつけの先生も、「カラーが取れたとたんに、舐めて舐めて、血が滲んじゃった子もいる」という話をしていたし。
「二日くらいしたら、外していいんですね?」
「ええ。いいですよ。」
「あの、培養検査の結果は…?」
「ああ、それなら、電話してくれればいいです。四〜五日したら電話してください。」
「あ、はい。分かりました。」
 電話、くれるわけじゃないんだ。
 いや、かかりつけの先生もそうだったけど。
 今にして分かる。玉音の培養検査のとき、電話がかかってこなかったわけ。
 培養検査であるから、生えてきて初めて「カビだ」と確定できる。生えてこなければ、いつまでも確定には至らないわけだ。「シロでしたよ」という連絡は、なかなかしづらいものと思われる。
 と、いうことは。
 多分、院長先生も、内心ではシロだと確信しているのだろう。
「ありがとうございました。」
 いつもどおりに挨拶して、アタゴロウの入ったキャリーを背負って、診察室を出た。
 
 
 しばらくしてから、気が付いた。
 そうか。
 もう、この先生と、会うこともないんだな。
 もうちょっと、ちゃんと挨拶しておけばよかった。
 せっかく(少しは)仲良くなったのに。惜しい気もする。イケメン獣医師だし。
 八百屋お七の気持ちが、少しは分かるだろうか。いや、分からないな。
 次にこの先生に会う時は、うちの連中の誰かが、大きな病気をした時だ。ちょっとそれは、ご勘弁願いたい。
 そう考えると、高度医療の病院の先生というのは、ほんの少し、切ない商売なのかもしれない。常に出会いと別れの連続なのだから。それが良い別れであれ、悪い別れであれ。
 
 
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(抜糸後)
 
 
 帰り道。
 自転車を漕ぎながら、真剣に考えていた。
(砂を戻してもいいか、訊くの忘れた。)
 そう。
 一番大事な(?)ことを、確認し忘れていたのである。
「穴が開いている」というのは微妙な状況である。そんな小さな穴くらい、気にしなくていいだろう、という気もする。だが、そもそも崩れる木の砂を禁止された理由は、細かいおがくずの粉が傷口に付着すると取れないから、である。小さな穴でも、粉が付着する可能性はあるのではないか。
 結論が出ないままに、家に到着した。
 リビングに入り、キャリーの蓋を開けて、最初にびっくりしたこと。
 カラーの色が、変わっていた。
 いや、カラーが変色したわけではない。新しいカラーに付け替えられていたのである。
 もしかしてこれは、アタゴロウが入院中に付けていた二重カラーの片割れなのだろうか。まさか。そのためにわざわざ取っておいたりはしないよね。
 と、いうことは。
 新品か。
 たった二日のために?今までのカラーだって、充分、まだ使えたのに。
 お大尽だなあ。さすが猫専門病院。(それは多分、関係ない。)
 キャリーから飛び出したアタゴロウは、いつになく私を警戒しつつ走り去った。多分、抜糸が不愉快だったんだろうな、と思った。
 それでも、少し時間をおくとアタゴロウも落ち着いたらしく、姿を現して、いつもどおり、私に甘え始めた。
 頃合いを見計らって膝の上に抱き上げ、抜糸後の状態を確認する。
 穴って、どのくらい目立つものなのだろう。塞がったとか塞がらないとか、容易に肉眼で分かるようなものなのだろうか。
 ところが。
 興味津々で覗きこんだ私の目に飛び込んできたのは、違うものであった。
 抜糸前の傷口は、血が固まった真っ黒なカサブタに、途切れ途切れに覆われていた。カサブタは当初、全体に繋がっていて、糸もその中に埋もれて見えなかったのだが、日が経つにつれ少しずつ剥がれ落ち、すでに糸が露出していたものである。
 抜糸前の残ったカサブタの中に、ひときわ大きな塊があった。
 その大きなカサブタは、抜糸の都合であろう、取り除かれていた。
 お陰で抜糸は完了したわけだが、その大きなカサブタを取った痕が赤くなり、わずかに濡れた色をしていたのである。
 院長先生の名誉のために一応断わっておくが、赤くなっていたと言っても、血が出るほどではない。自分でもちょっとした怪我のカサブタを、ついつい気になって剥がしてしまい、あ、しまった、まだ早かった、と、後悔することがあるが、そのヒリヒリ状態だと思ってくれれば良い。
 いずれにしても。
 糸の穴どころではない。その濡れたような赤い色を見てしまった以上は、トイレ砂の交換は、とても非現実的に思われた。
(少なくとも今は、替え時じゃないよね。)
 糸の穴が塞がるのには「一、二日」と、院長先生はおっしゃった。この赤みが消えるのにも、二日くらいはかかるだろう。それまで、砂の交換はお預けである。
 と、いうわけで。
 
 
 ああ。
 結局。
 今日という日が過ぎても、抜糸が終わっても、日常生活上、何も嬉しい進展はなかった。
 私にとっても、アタゴロウにとっても。
 
 
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(カサブタの痕。十月十五日撮影。一日経ってこんな感じ。)
 
 
 すっかりやる気をなくした私は、ブログ更新を翌日回しにし、半分やけになりながら、大玉サンドのトイレを掃除した。
 そこで、やる気をなくしたお陰で、翌朝、まさに踏んだり蹴ったりのことになるのだ。
 つまるところ、出掛ける前はすっかり大玉サンドとお別れする気でいたため、トイレの傍にペットシーツを一枚しか用意していなかった。そう。トイレの前に敷く分を忘れたのである。
 そんな私の痛恨のエラーを狙っていたかのように、翌早朝、大治郎氏は久々に、ホームランと見紛う大ファウルを放った。
 しかも、ご丁寧に、多分彼自身だと思うのだが、そのファウルボールを踏みつけにしていたのである。
 
 
 ところで。
 あれほど楽しみにしていた一人祝杯は、どうしましたかって?
 ええ、そりゃ。予定どおり遂行しましたよ。祝うことは何もなかったけど。
 だって、スイーツ買っちゃったもん。これはその日のうちに食べないと。
 スイーツと酒は関係ないだろう、とか、細かい突っ込みは、この際、ナシにしてもらいたい。
 まあいわば、やけ酒に近い形となったわけだが、お陰で、いい気分になって眠りにつくことができたのだから。(翌朝、悲劇が待っているとも知らず。)
 酒屋お澪のお陰で、八百屋お七にならないで済んだ。そういうことに、しておこう。
 
 
 
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(抜糸一日後)

 
 
 
 
 

2017-10-09

カビ男の逆襲 18:47

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 我が家で不評の「大玉サンド」。
 それでも、猫たちは何となく慣れてきたらしく、今では三匹とも、ごく普通に用を足している。
 三匹の中でも玉音嬢は、最初から特に何の抵抗も示さなかった。やはり、血統正しき野良のたしなみとしては、トイレ砂ごときにとやかく言うなど、はしたないとされるのであろう。
 アタゴロウは、何しろ、退院してきたら砂が変わっていたので驚いたのかもしれない。退院直後、落ち着かなげにうろうろしていたのは、「このトイレ、使っていいのかな?」と、判断つきかねた結果だったのだろうか。だが、彼にとってもっと深刻な問題は、大きなエリカラがトイレの入口にひっかかることであった。この非常事態に直面しては、とても砂にいちゃもんをつけている場合ではなかったものと思われる。
 一番問題となったのは、大治郎氏である。
 こうした場合、えてしてこいつが一番、抵抗を示す。ジジイは気難しいのである。
 彼の名誉のために黙っていようかとも思ったのだが、実は、当初、彼は大玉サンドの上に「大」をすることができず、常にトイレの前に危険物を放置していた。私はたまたま、投下の瞬間を見たのだが、彼はトイレの前でためらい、前足を踏み入れたところで、奥まで進む決心がつかず、結果的にお尻がトイレからはみ出したままに、自らの思うところを為していたのである。彼はとにかく胴体が長いので、「大」のときは、きっちり奥まで進まないと、ホームランと見せかけて大きなファウルだった、ということが簡単に起こる。彼の危険物放置は、決して嫌がらせではなく、不幸な事故であったと言っていい。
 この事情を知ってしまったら、とても怒る気にはなれない。そこで私は、自ら「トイレの前にペットシーツを敷く」という自衛策を講じることで、全てを不問に付すことにした。
 このごろでは、彼もファウルではなくホームランを放っているのだが、今となっては、私はむしろ、彼にファウルを打ってほしい、とさえ思う。
 そのくらい、「大玉サンド」はやっかいなシロモノなのだ。
 
 
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(大玉サンド)
 
 
 そもそも、私がシリカゲル砂を選択しなかった理由は、「実は扱いが難しいから」であった。
 特に、猫が下痢をしているときには。
 私が今の家で猫を飼い始めた当初、その初代猫のミミさんは、保護当初に下痢をした。もう記憶が曖昧なのだが、そのとき、私はシリカゲル砂を使っていたのではないかと思う。その始末に散々苦労をして、シリカゲルを放棄したのではなかったか。
 シリカゲル砂の落とし穴は、水洗トイレに流せないというところにある。
 猫がしっとりコロコロのしっかりウンチをしている時はいい。「つまんで流すだけ」で、確かに、楽なことこの上ない。
 だが、下痢便や軟便で、砂がべったりウンチに付着する事態になってしまうと、これはもう、悲劇としかいいようがない。ミミの下痢の時、私はそれをどのように始末したのだろうか。すでに記憶にないが、とにかく苦労した、という印象だけが残っていた。
 そして、今回の大玉サンドである。
 シリカゲル砂のどこが大変か、私は細かいことを忘れていた。だから、たまたま家にあったからと、それだけの理由で安易にこれを採用したのだ。
 だが。
 言わずとも分かるだろう。我が家は現在のところ、だれも下痢はしていないが、「べったり」は、確実に起こったのである。
 ここでも一番問題がないのは、やはり玉音嬢。
 彼女のウンチは「しっとりコロコロ」タイプの上、これは野良のたしなみではないと思うが、何故か排泄物を埋めないので、そもそもあまり砂が付着しない。
 大治郎氏は、もとより便の柔らかい男である。それゆえ、べったりと砂が付着する。腸管が太いのか、サイズも、人間の赤子か?というくらい大きいので、かなりの付着量になる。ただ、喜んでいいのか悪いのか、彼はボス猫らしく全く埋めないので、始末する時に転がしさえしなければ、上半分は一応無事である。
 アタゴロウは、便の質としては玉音嬢と大治郎氏の間くらいなのだが、彼だけは、上手にしっかり埋める。結果、砂が全体にまんべんなく付着することになる。
 これら、付着してしまった砂をどうするか。
 やむを得ない。一粒ずつ剥がしているのである。
 同じシリカゲルでも、小粒の砂なら、少量なら水洗トイレに流してしまっても大丈夫かもしれないが、何しろ、直径一センチほどもある大玉である。これを水洗トイレに流す勇気のある人は、そうそういないのではないか。
 あるいは、ウンチごと燃えるごみに出す、という手もあるのかもしれない。だが、私の住んでいる自治体のごみ出しルールでは、「紙おむつ」の欄に「汚物は取り除いてください」と書いてあるのだ。ウンチは基本的に、燃えるごみに出してはいけないのである。(シリカゲルそのものは可燃物である。)
 ついでに言えば、前にも書いたが、大玉サンドはほとんど尿を「素通り」させてしまうので、システムトイレの場合、すのこの下のペットシーツがすぐにびしょびしょになってしまう。我が家は現状、三匹で一つのトイレを使っているから、とても一日もたない。シーツ交換も一日二回になってしまった。
 特定の商品をブログの中で批判するのは、あまりよろしくないとは思う。だが、こんなに使い勝手が悪いのに、メーカーさんは気が付いていないのだろうか。不思議で仕方がない。唯一の良い点は、砂が飛び散りにくいということだが、代わりに、粒が球形なので、とんでもないところまで転がってしまう。仔猫がいたら、喜んで玩具にするだろう。
 まあ、使い勝手の良し悪しは、ユーザー側のライフスタイルに因るところも大きいのだから、これが使い易いという人も、きっとどこかにいるのだろう。だが、少なくとも、私には使い勝手が悪すぎる。早くアタゴロウの抜糸が終わり、砂をもとの崩れる木砂に戻したいものである。
 
 
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 その、アタゴロウの抜糸であるが。
 今日は退院後二回目の通院日であった。抜糸自体は、今週の金曜日の予定であったのだが、
「その前に、週明けくらいに、一度見せに来て下さい。」
という、院長先生のご指示により、今日は診察を受けに通院したのである。
 祭日ゆえであろう。動物病院はいつになく混んでいた。
 アタゴロウくんには、少々気の毒なことであった。
 そもそも、出発の時点で、かなり時間を食っていたのである。
 まず、アタゴロウ自身が、退院以来、何でも私にされるがままになっていたものが、昨日の夜あたりから、私が水でも飲ませようかと考えると、危険を察知して逃げるようになっていた。動物病院は彼にとって最大の危険である。それゆえ私は、彼の隙を見て、早めに捕まえてキャリーに押し込んでおいた。
 その後、出かけるまでの間に、やれ自転車の空気が甘いだの、診察券を忘れただのと、何だかんだ仕度に手間取ってしまった。それゆえ、出発したときにはすでに、彼はおそらく、キャリーの中に飽きていたのである。
 さらに、着いてから、待合室で結構な時間を過ごすことになったわけだ。一時間は経っていなかったと思うが、三十分以上は待ったと思う。
 退屈と不安と怒りで不穏となったアタゴロウは、キャリーの中で暴れ始めた。私は時々、天面の窓部分から手だけを入れ、彼の顔を撫でてやったりしていたのだが、断続的ながら、今回の彼の暴れっぷりは凄かった。
 何度目かに手を入れた時、異変に気が付いた。
 エリザベスカラーの位置が変なのである。
 私の使っているリュックキャリーは、窓の部分が細かいメッシュで、中から外は見えるが外から中は見えない。それゆえ、手で触ってみてはじめて分かったのだが。
 アタゴロウは、エリカラを肩に被っていた。
 そう、つまり。
 何と彼は、エリカラを裏返しにしてしまっていたのである。
(いったい、どうやったんだ…。)
 写真を撮りたいという欲求がふと頭をかすめたが、何しろ待合室である。うっかりキャリーの蓋を開けたら、興奮している彼が飛び出してしまわないとも限らない。
 仕方なく手探りで、裏返ったエリカラを元に戻そうとしてみたが、結局、全部は戻しきれなかった。下手に無理矢理ひっくり返そうとすると、喉を圧迫してしまうかもしれない。
(仕方ない。診察の時に、直してもらおう。)
 尻ハゲ男、恐るべし。
 
 
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(魅惑のぼっちゃん刈り)
 
 
 そして、診察室。
 まず、エリカラを元にもどしてから(例によって、院長先生はすこぶる冷静である)、お尻の傷を見てもらう。今回は、院長先生一人であった。私がアタゴロウの上半身を押さえ、先生がお尻をためつすがめつする。
「おしっこは出てますか?」
「出てます。おしっこもウンチも、普通にしてます。強いて言えば、ちょっとだけご飯が少なめかなと。カラーで食べにくいせいかもしれませんが。」
 それでも、出るモノは立派だけどね。
「おしっこの色は?」
「綺麗になりました。あの後すぐ、血尿は止まったみたいです。血が出ている様子もないですし。」
「尿漏れはないですか?気が付いたら床が濡れてたとか?」
「ないです。」
と、断言したが、床の濡れをいちいち気にするほど注意深い生活は送っていない。台所や洗面所の床が濡れていても、自分が水を撥ねさせたのだと勝手に納得してしまうこと確実である。
「うん。傷口は大丈夫ですね。順調です。」
 ひとしきり傷を検分してから、院長先生がおっしゃった。
 私は、確認がてら、疑問に思っていたことを尋ねてみる。
「その黒い所はカサブタですか?」
「そうです。どうしても少しは出血しますからね。」
 じゃあやはり、剥がそうとしなくて正解だったんだ。傷口の周りに点々と付いていた黒い塊と、肛門周りの付着物は、院長先生のおっしゃったとおり、濡れタオル(実際は柔らかい紙のナプキン)でふやかして、拭きとってやったのだが。
 院長先生は、傷の隣にある、十円玉大のカサブタのようなものを指さして、
「むしろ、こっちが気になりますね。」
「何ですか、それは?」
 私もかねてから気にはなっていたのだが、これも内出血の痕なのかなと思い、これまで敢えて質問していなかったものである。
「ああ、これは、皮膚炎をおこしちゃっているんですけど、この周辺のカビが気になりますね、培養検査してもいいですか?」
「え!? カビ?」
 
 
 またカビかい!!
 
 
 五年前の、あの地獄の光景がフラッシュバックする。
 前回の玉音のときと違い、パニックにはならないものの、私にとってカビの恐怖は、もうすっかりトラウマと化しているのだ。
 だが、幸いにも今、アタゴロウはエリカラを付けている。前回、かかりつけの動物病院で玉音のカビ疑惑が発覚した際、助手さんは「カラーをつけておいて、何日かお薬を塗ってやったら、すぐ治った。」と言っていたではないか。アタゴロウは玉音ではない。確実に、お薬を塗ってやれる猫なのである。
 
 
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「あ、もちろん、お願いします。――アタちゃん、あんた、またカビだってよ。」
 後半はもちろん、アタゴロウに話しかけた言葉。それを先生は聞きとがめて
「前にもやったことがありますか?」
「ええ。仔猫のときに。そのときは、普通の真菌の薬が効かなくて、アカルスの薬が効いたって言ってました。」
 一応、情報提供してみたのだが、院長先生はアカルス問題には関心がなかったらしい。ま、それはそうだよね。菌は毎回違うのだから。
「では、ここのカサブタの部分を採ります。」
 ピンセットで、白っぽいカサカサの部分を少しだけ剥がし取り、培養液の中に落とす。
「お薬をつけておきましょう。」
 正確には、薬ではなく、薬用シャンプーのようなものだったらしい。患部に塗布して少々時間をおき、
「じゃあ、すすぎます。」
 と、濡らした脱脂綿で何度か拭い、最後に乾いた紙タオルで水気を拭きとって終了した。
「培養検査の結果が出るまでに一週間くらいかかります。来週には分かるでしょう。」
「その間、何かしてやることがありますか?」
「いや。他の子にうつっていないかだけ、注意しておいてください。」
 うつってないかって言ったって、何しろ玉音ちゃんは、始終、どこかしらハゲてる子だからなあ。こういうのは、気にし始めたらきりがない。腹をくくって、検査結果を待とう。
 しかし。
 正直に言おう。私はその時、「抜糸が終わってから、また検査結果を聞きに来るのは面倒くさいな。」と思っていたのだ。
 ところが、院長先生は、私が思ってもいなかったことを口にした。
「じゃあ、次は抜糸ですね。お薬が終わったころに来て下さい。」
 あれ?
 抜糸は金曜日って、決まっていたんじゃないの?
「抜糸、金曜日ですよね。」
「ええ。金曜日でいいですよ。」
 話が噛み合わない。
「金曜日には、検査結果出てますか?」
「ぎりぎり出ているかもしれません。暑ければ早く結果がでますから。寒くなってきてしまうと、もう少しかかるかも。」
「それじゃあ、」私はふと思いついて言ってみた。「抜糸を土曜日にしてもいいですか?」
「あ、いいですよ。土曜日なら、結果も出ているでしょう。」
「じゃあ、そうしてください。」
 と、いうわけで。
 抜糸は一日延びて、土曜日になった。これで、お休みを取らないで済む。通院も一度で済む(多分)。
 しめしめ。
 八方丸く治まった、と、ほっとしつつ、動物病院を後にした。
 
 
 ま。
 アタゴロウくんには、ちょっと気の毒だけどね。
 エリカラの期間が、一日延びるわけだから。
 
 
 と、そこで気が付いた。
 いやまて。エリカラだけじゃない。
 抜糸が一日延びたってことは…
 
 
 大玉サンドの期間も、一日延びたってことじゃないか!!
 
 
 入院中、「よくもこんな目に合わせてくれたな!」と、私にシャーシャー言っていたアタゴロウ。
 エリカラが裏返しになるほど、怒りに燃えてキャリーの中で暴れていたアタゴロウ。
 彼は私に対する恨みを、忘れてなどいなかったのだ。
 幼少期の記憶から、彼は私の弱点を見抜き、捨て身の技に転じたのである。
 
 
 卑劣だぞ、カビ男!
 しかし。
 
 
 ――やるな、おぬし。
 

 
 
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(カビ男の呪い)