ハッスルティーチャー


 
 
 アタゴロウの飛距離が伸びている。
 毎朝、大治郎センセイがデモ行進をしている周りで、こいつは無関係に走りまわっているのだが、その際、マットレスの外から大ジャンプをして、私の膝を跳び越し、敷布団の上に着地する。生前のヨメにはまだ遠く及ばないものの、放物線の長さにも、高さにも、それなりに見るべきものが出てきた、と思う。
 さらに。
 まだ一度だけだが、四本足で踏み切って「垂直跳び」も披露した。これは、大治郎センセイとの乱闘の中で見せた、新開発の技である。
 そういえば、と、私は懐かしく思い出す。最近はほとんど見なくなった大治郎くんの「垂直跳び」。これは、まだ若く、地球防衛隊長をやっていた頃の彼が、エイリアン・ヨメとの対決の中で獲得した技であった。「隊長、ハイパー化」というタイトルで一文を書いたことを覚えている。
 技が、受け継がれたのだ。
 師匠は戦闘実習の中で、体を張って、弟子にその技を伝授していく。青は藍より出でて藍よりも青し。いずれ、この弟子が自分を倒す日が来ることを、師匠はほろ苦い期待の中に予感し、若者の将来と自らの行く末に思いを馳せる。
 だが。
 弟子の方は、実はたいしてやる気がなかったりもする。
 毎朝、不屈の男・大治郎は、絶え間なくシュプレヒコールを叫びながら行進し、権力の怠慢と横暴を糾弾する。が、弟子の方は勝手に辺りを走りまわって遊んでいるどころか、おもちゃを運んできては、為政者との遊興に及ぼうとさえする。おもちゃは余計だが、自分の周りをちょろちょろするアタゴロウが可愛くて、私は敷布団の上に座ったまま、彼を膝の上に引っ張り上げてモフっていたりするのだから、結果的に弟子は、師の活動を阻害していることになる。
 国会議事堂の周りで、教授は薄くなった頭に鉢巻を締め、プラカードを掲げて民衆と共に立ちあがるのに、学生は同じ場所でジョギングに興じ、現れる閣僚の写メを撮っていたりする。そんな感じである。
 そういえば、と、私はまた、別のことを思い出す。今は亡き私の大学時代の指導教授は、自らの学生時代、学生運動に身を投じ、機動隊と衝突して、あの重い靴で腹を思い切り蹴られた経験を持つ人である。彼の格言は、「権力は痛い」であった。
 私にしっぽを踏まれたダメちゃんがこれを聞いたら、我が意を得たりと、さぞかし喜ぶことであろう。
 
 
 大学時代の恩師は既に鬼籍に入られて久しいが、高校時代の恩師とは、未だに交流がある。
 当時、当然ながら私は高校生。向こうは新任教師であったのが、今は校長先生でいらっしゃるのだから、ずいぶん長い付き合いではある。だが、ある時点から、先生の方は、全く歳をとらなくなったようにお見受けする。
 実際には、お喋りの内容にも、大学生の息子さんや高齢のご両親のことが多く聞かれるようになってきているし、ご本人も、
「昔のように無理がきかなくなったわ。」
などとおっしゃっているので、基本的には年齢相応の変化を遂げていらっしゃるのだろうとは思うが、何というか、醸し出す雰囲気や発散するエネルギーが、変わりなく若々しいのである。
 実は、その恩師の大学時代の恩師という方も、遠くからではあるが、お見かけしたことがある。少し前のことになるが、ロマンスグレーの、いかにも知的で洗練された、上品な紳士であった。そのとき、私の周囲にいた女性たちが、K先生ってダンディねえ、ステキねえ、と、ささやき合っていたのを覚えている。
 今日、私は自分の恩師に会ったのだが、そのとき、そのK先生の話題になった。大学を退官されて十二年になるが、未だに忙しく全国を飛び回っていらっしゃるのだという。
「あの、K先生って、失礼ながらおいくつになられるのですか?」
喜寿よ。六十五で退官して、十二年。」
 ということは、俗に言うところの後期高齢者ではないか。凄いなあ、と、素直に感心した。
「まあ、もう引退後だから、気楽にやってらっしゃるようだけど。」
 むしろ、象牙の塔を出て、自由に好きな活動ができる、ということか。そういえば、先述の私の指導教授も、当時は「助教授」であったのだが、教授になると校務が増えてやりたいことができなくなるからなりたくない、などと、ひねくれたことをおっしゃっていたっけ。
 やりたいことを思い切りやって、充実している人ほど、いつまでも若々しい。それは紛れもない事実だと思うが、私はそこに、ちょっと違う見方を加えてみたくなる。
 K先生のご専門については詳しく存じ上げないのだが、全国を回って活動しているということは、何かに招聘されるなり、協力を求められるなり、つまり、必ず「相手方」がいるのだろうと思う。それはもしかして、K先生の教え子や、ご知己の教え子や、その関係者なのではないか。
 つまるところ、退官されたとはいえ、先生は未だに「先生」なのではないかと想像するのだ。
 先生をしている人は、生徒たちから若さとパワーをもらうから歳を取らない、と、よく言われる。
 教師や保育士でなくても、さまざまな事情で、自分よりずっと年下の人々に囲まれて仕事をしている人々は、あらゆる業界に数多くいると思う。だが、「先生」たちの若さは、他の人々とはどこか違う、一種独特のものだ。
 それが何故なのかは分からないが、おそらく、それは、「教育」という職業行為と大いに関係があるだろう。思うに、こうした方々は、生徒である子どもや若者の精神と、師である自分のオトナの精神の両方を常に持ち続け、その間を自在に行き来している。自分の精神の中で、常にタイムワープを繰り返しながら、自らの人生を織り上げている方々なのではないか。
 あるいは。
 もっと簡単な理由かもしれない。若者と渡り合うためには、若者と同じだけのパワーが要る。仕事の仲間と違って、生徒と先生の関係は、同じ方向を向いた協力関係ではない。むしろ互いにぶつかり合う真剣勝負だ。先生という人々は、常に、若い生徒たちと精神的な「戦闘実習」をすることで、結果的に自身の精神のエクササイズをしているのかもしれない。
 
 

  
 
 確かに、我が家にも、戦闘実習によって若さを獲得している師匠が存在する。
 ムショ暮らしから解放されたアタゴロウ少年が暴れ出した当初、大治郎センセイは、傍から見ていて心配になるほど、迷惑そうにしていた。
 彼は平和主義者である。
 そして、省エネ主義者である。
 社会に危機が迫っているわけでもないのに、無駄に若者と闘って、平和を乱したり、エネルギーの無駄遣いをしたりなど、彼にとっては考えられない非常識でしかないのだ。
 おもちゃでの遊びに飽き足らなくなったアタゴロウ少年が、平和に惰眠を貪っているおじさんにちょっかいを出し、鬱陶しがって少年を払いのけようとする彼の反撃を「応戦」とみなして、大喜びで取っ組み合いに引きずり込む。こりゃかなわんわいと逃げだしたおじさんを、空気を読まない少年は、今度は「追っかけっこ」だと勘違いして追い回し、壮絶な猫チェイスへと発展させる。
 ちょっと!アイツを何とかしてよ。
 何度、私はダメに、目で訴えられたことか。
「ごめんね、ダメちゃん。あの子ももうちょっと大きくなれば、落ち着くと思うから。」
 彼を慰めながら、かく言う私も、実は内心、あまり自信がなかったのだが。
 実際、アタゴロウは既に成年といえる月齢になったが、未だに暴れている。もちろん、一年前よりはずいぶん大人しくなったが、それでも、自分が眠くないときはおじさんにちょっかいを出し、取っ組み合いか猫チェイスに発展させる展開は、今も変わっていない。
「大治郎くんは、愛宕朗くんと仲良くなりましたか?一緒に遊んで、運動してますか?」
 昨秋、ダメの予防接種の際、獣医さんに尋ねられて、私は考え考え、次のように答えた。
「結果的には運動してます。いやいやながら。」
 その表現は、あながち嘘でもなかったと思う。私が見ると、いつも追う側がアタゴロウで、ダメは追われる側だったのだから。
 ただし、それは、ダメがアタゴロウより弱かった、という意味ではない。どう考えても、ダメの方がアタゴロウよりずっと体も大きいし、彼が怒ると、アタゴロウはやはりビビって後じさりしていた。私が言いたいのは、ダメはいやいやチェイスに参加しているだけで、自分から追いかける気は毛頭なかった、ということである。
 取っ組み合いに関しても同じで、ダメは嫌がってアタゴロウを振りほどき、しつこい攻撃をやめさせようとしていたが、失礼な若者に制裁を加えるような行動を、私はついぞ見たことがない。組みつき、のしかかってくるアタゴロウを、彼は振りほどいて形勢を逆転させ、自分が上になると、今度は暴れる若者を四本の足を使って押さえつけ、その首や肩の辺りをべろべろ舐めて、無遠慮な攻撃をひたすらやめさせようとする。
 殴るか蹴るか噛みつくか、一発、痛い目に逢わせてやればいいんじゃないの?と、私は密かに思う。が、彼は、決してそんなことはしない。
 教育者の鑑である。
 そんな彼であるが。
 二ヶ月ほど前になるだろうか。相変わらずドタバタとうるさい猫チェイスを、家事をしながら見るともなしに眺めていて、ふと、私は気付いた。
 あれ?
 今の、もしかして、ダメの方から仕掛けなかった?
 ドタバタうるさい二組の足音は猛スピードで視界から消え去り、また猛スピードで戻って来る。しばし休憩なのか、こたつを挟んで二匹は睨みあい、と、ダメがこたつの周囲に回り込んで、再びダッシュをかけた。
 逃げるアタゴロウ。追いかけるダメ。
 再び猫どもの姿は視界から消え、戻ってきた時には、今度は、逃げるダメを、アタゴロウが追いかける展開となっていた。
 おお。
 ついに、あの、「Hungry?」の世界が、戻ってきたのだ。
 昔あった、カップヌードルのCM。原始人の一団が、マンモスを追いかけて、画面を横切り消えていく。やや沈黙があって、今度は、慌てふためいた彼等が、同じ画面の端から逃げ帰って来る。その後を追いかけてくるマンモス。両者が画面の反対の端に消えた後に表れる「Hungry?」の文字。
 ヨメが生きていた頃、猫チェイスは往復で立場が入れ替わるものと相場が決まっていて、それを見るたび、私はそのCMを思い出したものだった。
 感慨があった。
 ダメちゃんはもうトシだから、あんなふうにアタゴロウと遊ぶことはないんだな、と、勝手に思い込んでいた。
 ダメはもともと、攻撃的な遊びが好きではないのだろう。彼は重量級だが、闘士というよりアスリートタイプだ。陸上部女子のヨメとはその辺りで志向が合い、日々楽しく追っかけっこをしていたものと思われる。
 ヨメの死により封印されていた、彼の若い精神。それは、言うことをきかない無茶な若者への教育的指導の中で、鮮やかによみがえった。
 民衆を苦しめる閣僚を写メして喜ぶような不祥の弟子であっても、心を通わせることはできる。師の胸の中に、若者のもつ若さゆえの愚かさと、やるせなさと、未来を展望する希望の激しさとを分かち合う、柔軟な精神さえあれば。
 不良少年の更生に力を注いできた、偉大なる教育者・猫山大治郎。彼はその名声の上に、新たな金字塔を打ち立てようとしている。
 
 

  
 
 この結論には、若干の補足説明が必要かもしれない。
 荒れ狂う粗暴少年に、捨て身の愛だけをもって正面から対峙してきた、炎の教育者・猫山大治郎。だが、教育とはつまるところ、結果が全てではないのか。教育される側である子どもや若者が、やがて志ある社会の一員となり、自分にも他者にも幸福をもたらす者となってはじめて、彼の教育は命あるものとなり得るのではないのか。
 大治郎の教育は、結局のところ、あの粗暴少年に、何をもたらしたのか。
 その答えを、私は今日、この目で見た。
 キッチンマットの上で取っ組みあう、師匠と弟子。弟子は体格こそ師匠に及ばないものの、その技と敏捷さで、時に師匠を凌駕するまでになっている。
 そのとき――。
 ダメに組みついたアタゴロウは、横倒しになった彼の胴体の上に全身で覆いかぶさり、両の前足で、その肩をしっかりと押さえこんだ。そして次の瞬間、私は目を疑った。アタゴロウが頭を下げると、師匠の首筋を、一心不乱に舐め始めたのである。
 体を張った愛で少年の心に迫る、炎の教育者・猫山大治郎。その捨て身の教育が確かに実を結ぶ瞬間を、私はこの目で見た。
 やり場のない青春の悶えを、ただ暴力的に他者にぶつけることしか知らなかったアタゴロウ少年。決して彼に牙を剝かない師匠の優しさは、愛を知らない少年にとっては、ただの弱さであり、大人の狡さや、物足りなさでしかなかった。
 だが。
 師匠が自分と同じ若い情熱に滾るハートの持ち主だと知った瞬間から、少年は変わった。彼を理解し、受け止めてくれる大人の存在に、彼は愛というものを、文字どおり体で知ったのである。
 彼ははじめて、自分から他者を愛した。自分に愛を教えてくれた、その生涯の恩人を。
 それは、青年アタゴロウが、曲がりなりにも社会の一員となった、その瞬間であった。
 
 
 で、あるから――。
 
 
 アタにべろべろ首筋を舐められていた大治郎センセイが、実に困り切った表情をしていたことについては、この際、口をつぐんでいようと思う。