ローストオニオン


 
  
 で。
 我が家の仮面夫婦である。
 こいつらは、本当に、追っかけっこと猫プロレスしかしない。
 寄り添って寝ていたり、静かに毛繕いし合ったりなどという、微笑ましい情景は、玉音ちゃんの仔猫時代を過ぎてからは、さっぱり見たことがない。
 それでも、たまには、どちらかがどちらかの頭をぺろりと舐めている程度の様子は見るし、だいいち、毎日のように二匹でドタバタやっているのだから、まあ、仲が悪いわけではないのだろう。
 しかし。
(こんなはずではなかった…。)
と、勝手に縁談を取りまとめた家主は思う。
 ダメとムムのときは、しじゅう二匹くっついて、ラブラブだったのに。
 光源氏を兄のように慕っていたあどけない若紫は、成長して一人前の女となり、いつしか二人は妹背として愛し合うようになる。そんな展開を期待し、二匹が追っかけっこに興じているのを見るたび、
(玉ちゃんはまだまだ、子どもなんだな。)
と、若紫が女になる日を、心待ちにしていたのだが。
 玉音ちゃんはすでに二歳である。とても少女とは言えない年頃だ。
 それなのに、二匹にラブラブムードが発生しそうな気配は、微塵も感じられない。
 それどころか。
 どうやら、玉音ちゃんが慕っているのは、アタゴロウよりダメちゃんの方であるようなのだ。
 玉音ちゃんはそもそも単独行動の多い猫なのだが、ダメちゃんとすれ違う時は至近距離を通り、匂いを嗅ぎ合って、ついでにちょっと舐め合ったりする。くっついて寝るようなことはないが、互いに近くに座って、静かに寛いでいることはある。
 中年男の落ち着きや、おおらかな優しさに、安らぎを見出しているのだろうか。
(おじさまってすてき。一緒にいると、安心できるの…。)
 まあ、ね。
 若い娘にはありがちなことだ。
 猫の世界でも、女子の方が先に大人びるということか。だとしたら、いずれアタゴロウも一人前の男になり、夢見がちだった若い娘も、共に猫生を歩んでいける、自分と同じ身の丈の男の魅力に気付くはずである。
 と、思っていたのであるが――。
 でもさ、玉音ちゃんは人間の歳に換算して二十二〜三歳。まだまだ夢見がちな乙女でもいけるかなと思うけど、アタゴロウは、もうじき四歳なのよね。
 人間年齢にして、もう三十歳近いってこと。
 一般的に考えて、二十二、三のムスメの目から、ちっとも大人に見えない三十男って、どうなんだろう。
  
 

  
  
 なかなか人間への警戒心を捨てられない玉音ちゃん。
 ダメちゃんとアタゴロウが私に甘えているときにも、彼女だけは、遠巻きに様子を窺っているだけで、決して近寄って来なかった。
「大丈夫。ちゃんと見てるよ。」
 友人さくらの言葉は、私にとって、たいへんな心の支えであった。そして、そのとおり、ダメやアタをモフりながらそっと盗み見ると、玉音ちゃんはいつも、離れたところから、じっとこちらを見つめているのだった。
 そう。
 きっと、甘えたくても甘えられないのだ。
 甘え方が分からないから。
 素直に心を開くすべを知らないから。
 そんな不器用な玉音ちゃんが、不憫で愛しかった。
 が――。
 最近、ちょっと考えが変わった。
 もとより、同じ猫でも女の子の方が自立しているし、醒めている。それは雄雌とも飼ったことがある猫飼いなら、誰でも知っている事実だ。そして、よく言われる、「人間の子どもと同じ」話だ。
 前回、書きそびれたのだが、玉音ちゃんが私をキング・コング的にみなしている、と私が思うのには、もう一つ理由がある。それは、玉音ちゃんが警戒するのが、私の「本体」であるということだ。
 彼女は「腰パン」が好きで、積極的に要求してくるわけだし、撫でられるのも嫌いではない。だが、「腰パン」のときも、撫でている時も、手を伸ばすのに疲れて私が体を近付けると、とたんに警戒モードに入る。私の「本体」とは、近付きたくないと思っているらしい。
 つまり、彼女は、彼女なりに私に懐いているし、好意も(多分)持っているし、自分の好むサービスを要求するという意味で、彼女なりの甘え方も知っている。ただ、キング・コングとは、適切な距離を保って付き合いたいと思っているのではないか。
 だとしたら。
 キング・コングにベタベタする夫の姿を見る彼女の眼は、かなり冷ややかなものなのかもしれない。
 自分の身に置き換えて考えてほしい。
 自身の養い手であり、保護者であり、育ての親である、しかしキング・コングだ。彼女自身、コングに対し感謝も愛情も持っているが、でもそこは、一線を引いて考えている。それが人間の(猫の)矜持というものだろう。
 そのキング・コングに、自分の夫なり、恋人なりが、正体もなく甘えまくっていたとしたら。
 普通、百年の恋だって冷めるんじゃないだろうか。
 私の膝に何の抵抗もなく飛び乗って来るアタゴロウ。私が畳に座ったり、横になったりすると、私の腰だの頭だのに、ぐりぐりと額を押しつけてくるアタゴロウ。私に赤ちゃん抱っこされて、おとなしく腕に頭をもたせかけ、あまつさえゴロゴロ喉を鳴らしていたりするアタゴロウ。
(馬鹿じゃないの。)
くらいなら、まだマシだろう。
(キモい…。)
 もちろん、玉音ちゃんだって一応、私に甘えるのだから、キング・コング「母」を見出す夫の気持ちへの理解はあるかもしれない。だが、彼の甘えっぷりには、女子的にはドン引き、という可能性もある。
 
 

  
  
 ここまでは、玉音ちゃん側の話である。
 では、アタゴロウの側は、どうなのだろう。
 玉音ちゃんは、妙齢のお嬢さんである。性格的にはおっとり系だし、猫同士の基準は分からないが、少なくとも人間の目から見ると、アイラインがくっきりしていて、決してブスではないと思う。だいいち、毎日一緒に遊んでいるのだから、アタゴロウとて玉音ちゃんが気に入らないわけではないはずだ。
 しかし。
 実は、アタゴロウの方も、妻よりおじさんの方が好きみたいなのである。
 こちらは露骨である。しじゅうダメおじさんにくっついていて、べろべろ舐めたり舐められたり。
 遊び相手は基本的に玉音ちゃんなのだが、時々、のんびり寝ていたいおじさんと無理に遊ぼうとして、本気で怒られている。だが、怒られても怒られても、懲りずに絡んでいく。
 まあ、仲が良いのは、それはそれで、まことに結構なことなんだけどね。
 だが、そうやってダメちゃんが本気でアタゴロウに対し怒っている様子を見ているうちに、私は、何となく違和感を覚えるようになっていた。
 アタゴロウと玉音ちゃんの猫プロレスは、基本的に取っ組み合いである。それでも、アタゴロウの方がやはり強いので、最終的にはアタゴロウが玉音ちゃんを組み敷く形になる。そのときの体勢は、勝負の流れにより、玉音ちゃんの背に馬乗りになっていることもあれば、仰向けに抑えつけようとしていることもある。(そして、アタゴロウの下から抜けだした玉音ちゃんと、今度は追いつ追われつの追っかけっこになる。)
 が。
 ダメちゃんに仕掛けるとき、アタゴロウは必ず、背中から首の後ろを狙うのである。
 つまり、背中に乗って、首筋を噛もうとする。
 当然、ダメは嫌がって振り払おうとする。アタゴロウがまだ成長し切る前は、ほとんどロデオ状態で振り落とされていたが、この頃は、乗る方もそう簡単に飛び乗ることもできないし、振り落とす方も、なかなか振り切れずに苦戦している。
 このときのダメの怒り方、嫌がり方が、尋常じゃないような気がするのは、気のせいだろうか。
 だって――。
「背中に馬乗りになって首筋を噛む」って。
 それって、雄が交尾のときに雌に対してする行動じゃないの?
 ここにおいて、アタゴロウ××説が、急浮上する。
 
 

 

 

 
 
 実は、心配になって動物病院で尋ねたことがあるのだ。
「いや、それはありません。」
 先生は、きっぱりと言い切った。そのときは、それで安心したのだが。
 だが、私は疑いを捨て切れずにいる。
 人間の世界でも、そういったマイノリティーの方々の存在が、多少なりとも社会的に認識されるようになったのは、ごく最近の話だ。それまでは(どこの社会にも実際にあったにも関わらず)、そういった指向は、異常扱いされていたのではないか。
 つまり。
 一昔前に、人間の男の子について同じ質問を、人間の医者に向けた場合、その医者の立場や人間性にもよるが、
「そんなことは、ありえない。」
という答えが返ってきても不思議はなかったのではないか、と、思うのだ。
 だったら、もしかしたら、十年後、二十年後に、私が同じ質問を獣医さんにぶつけたら、
「確かに、そういう猫もいますね。」
という返事が返ってくるかもしれない――なんて。
 まあ、獣医学の世界だってどんどん進歩しているわけだし、(よく知らないけど)人間の医学より相当に遅れている、というわけではないだろうから、もし、本当にそういう事例があれば、すでに把握されていて然るべきだろうけれど。
 という、世間一般の話は別として、問題はアタゴロウである。
 こいつは、妻を遊び相手くらいにしか思っていない。
 一方で、おじさんのことは大好きで、愛情こめて舐め合いもするし、背中に乗ってイチャイチャしようともする。(拒否されるが。)
 そして。
 夫がおじさまにベタベタひっついている時、玉音ちゃんはいつも、全く無視しているか、少し離れたところでそれを眺めているだけで、決して二匹の方へ近寄ろうとはしない。
 そうやって、ひとり放置された妻の、心境やいかに…。
 
 
(夫はあたしを愛していない。あの人が好きなのは、おじさまなんだわ。)
と、妻は苦い思いを噛みしめる。
 だが。
 同時に妻は、自問する。
(だけど、あたしだって、本当にあの人を愛しているのかしら――。)
 世間の誰からも、仲の良い夫婦と思われてきた。自分でも、そう思ってきた。だが、自分の夫への愛情が、恋情であったことが一度でもあるだろうか。
(いいえ、違う。恋とはもっと、切なく、苦しく、そして甘美なもの。)
 目を閉じた彼女の脳裏に、あのめくるめくような愛の時が甦った。夫のある身で、いけないと知りながら、だが彼女は知ってしまったのだ、本当の男女の愛というものを。
(ああ。おじさま――駄目よ、おじさまはあたしのもの。アタゴロウなんかに渡さない!)
 強い感情に押し流されるようにかっと見開いた彼女の眼に、抱き合って眠る二人の姿が飛び込んできた。彼女の胸は嫉妬に燃えた。だが、それが、どちらの男に対する嫉妬なのか、彼女には分からなかった。ただ、それはあまりにも不潔で、裏切りに満ちた光景であるように、彼女には思えた。胸の中にめらめらと燃えさかる炎とは裏腹に、彼女は極めて冷ややかな眼差しで、男たちの抱擁をじっと見守った。
 
 
 貧しさゆえに幼くして無理矢理嫁がされた相手の男は、マザコンで、DV夫で、しかも××。
 孤独を深める若妻は、夫の上司と禁断の恋におちる。
 だが、夫と上司は、実は――。


  
 …って。
 
 
何なんだ!この、昼ドラと韓国ドラマと薄い本を、足して三で割ったような設定は!!
 
 

  
 
 とにかく、そういうわけで。
 つまるところ、玉音ちゃん、キミは「おこげ」ってことだね。
 若紫は成長して女になり、りっぱな「おこげさん」になりましたとさ。
 めでたし、めでたし。(なのか?)