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ダンスの海へ 舞踊評論家・高橋森彦のblog このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2006-03-24

[]東京バレエ団・マラーホフ新演出『眠れる森の美女』


THE TOKYO BALLET,SLEEPING BEAUTY/Choreographed by Vladimir Malakhov

バレエ界の貴公子・ウラージーミル・マラーホフがプロデュースする「マラーホフの贈り物」。今回は、恒例のガラ公演に加え、マラーホフ自身の演出・再振付・主演による『眠れる森の美女』全幕が上演された。マラーホフにとって4作目、チャイコフスキー三大バレエのなかでは初の全幕振付作品となる。2005年10月ベルリン国立バレエ団が世界初演。その余韻冷めやらぬなか東京バレエ団が新制作することとなった。

全編を彩る“薔薇づくし”の舞台美術に驚かされる。薔薇の咲き誇る城の庭先で終始物語は展開。これといった時代設定はなく、古典の様式美にとらわれるることはない。全編があたかも庭先で昼寝したときに見た一炊の夢であるかのように進行する。成人式において、オーロラが紡ぎ糸の針ではなく薔薇の棘に刺されるという趣向が面白い。王子の狩りの場面やパノラマの場面をカットし、スピーディーに展開。眠りから覚めたオーロラと王子のグラン・パ・ド・ドゥが終り大団円を迎えたとき、カラボスが乱入。音楽が一瞬ストップするという、謎めいた終幕を迎える。

古典新演出の常として、場面の省略や音楽の改変がなされるが、ときに首を傾げたくなるような不自然な展開、音楽の無残な改変がみられる。“改訂のための改訂”とでもよびたくなるもので、それならば、いかに保守的といわれようとも従来のオーソドックスな版を上演してくれればよいのに、と思ってしまう。その点、今回の新演出は、マラーホフが長年幾多のヴァージョンを踊ってきた経験と、彼ならではの美意識が反映されていた。切るべきところは切り、こだわる部分は徹底的にこだわる。その取捨選択がはっきりしており清清しい。無論、失われるものもある。オーロラが薔薇の棘に刺さり息絶えるため、カラボスの登場の必然性はなくなる。また、妖精たちの存在感がやや薄く、リラひとりに善の象徴を担わせているのも、プティパ・バレエの美学からすれば物足りないと感じる向きもあるかもしれない。しかし、全体として古典の枠を崩すことなく現代的、スマートなおとぎ話として仕上げたマラーホフの手腕はなかなかのものだった。

マラーホフは相変わらず跳躍が美しい。吉岡美佳はオーロラを踊るために生まれたような人だ。彼女の放つ“お姫様オーラ”は、なかでもオーロラで最高の輝きをみせる。二人のグラン・パ・ド・ドゥは、ダイブなど高難度の技にハラハラさせられる場面もあったが相性のよいパートナーシップをみせてくれた。カラボスを踊った芝岡紀斗は見せ場が多く、ケレン味たっぷりの芝居も違和感なく演じ好演。リラの精の上野水香も出ずっぱりで活躍。ほかには、シンデレラの 井脇幸江 、フロリナ王女の小出領子が秀逸だった。

今回は新制作とはいえ、ベルリンから装置・衣装を借りての公演。今後もレパートリーとして定着してほしい。マラーホフ以外の王子役でもぜひ観てみたいと思う。

(2006年2月21日東京文化会館)

2006-03-19

[]A.A.P.「ONKO CHiSHIN 温故知新」


A.A.P.,ONKO CHiSHIN

“箱モノ行政”という言葉がある。舞台芸術の世界では、バブル時代を盛りに各自治体が劇場・ホールを競って建設。しかし、施設(ハード)を作っただけで、何を上演するのか(ソフト)という点が見過ごされ運営されていることが挙げられるだろう。田舎の田んぼのなかにホールが仰々しくそびえているが、そこで行なわれているのが、おばあちゃんの踊りのおさらい会だというような話は、珍しいことではない。しかし、近年では、劇場・ホール運営の意識も高まり、行政と劇場運営の取組みも変化しつつはある。

今回取り上げるのは、京都府立府民ホール アルティの取組みについてである。和風の情趣あふれる造りが特徴、多彩な舞台構造の組めるこの劇場では、1991年から「アルティ・ブヨウ・フェスティバル」を開催。上演する作品を広く公募し、バレエから現代舞踊まで多彩な作品の“発表”の場として活用されてきた。しかし、昨年から作品を“創造”するという観点のもと、オーディションによりダンサーを募集。芸術監督に振付家の望月則彦を迎え、アルティ・アーティスト・プロジェクト(A.A.P.)が結成された。

その2回目となる公演は、題して「ONKO CHSHIN 温故知新〜今なぜグラハムなのか〜グラハムを識る・観る・学ぶダンスコンサート」(2月18、19日)。現在世界でオーソドックスなダンス・メソッドのひとつとしてグラハム・メソッドが挙げられよう。体系的に身体を鍛えるシステムとして極めてすぐれており、モダンダンスの教科書といってよい。望月はあらためていま、グラハムに注目。ダンサーたちに“基礎的な肉体トレーニング”をさせることで“体の芯から絞り出すような力強い表現”を引き出そうと試みたのである。望月には、近年のコンテンポラリー・ダンスブームへの反撥が強くあるようだ。当日配布されたプログラムには、“コンテンポラリー”と名乗るもののなかには、“「自由に表現する事」のみに捕らわれているもの”が散見され、“舞台での舞踊は子供の即興演技ではない”とまで書いている(その点に関しては画一的に論じられないし、異論のある方も多いだろうが)。“自由”に表現するには、土台となるものが必要。そう考える望月は、ダンサーたちのベースとなるものとしてグラハム・メソッドを選んだのである。

A.A.P.は、折原美樹(マーサ・グラハム舞踊団)の指導のもと、昨年夏に10日間のワークショップを実施。その後もトレーニングを重ねてきた。本公演では、第一部で望月の振付による『祈りの人』〜グラハム讃歌〜を上演。第三部では、折原によるソロ『サティリックフェスティバルソング』を挟んで、A.A.P.のメンバーによる『セレブレーション』『ステップス・イン・ザ・ストリート』とグラハム作品が上演された。折原の絶品のソロに加え、A.A.P.のメンバーたちもコントラクション、リリースといったグラハム・メソッドを吸収。見ごたえのある舞台を創り出していた。

そして、本公演の特長といえるのが第二部。“グラハムを識る・学ぶ”ということで、グラハム作品を折原が解説した。バレエの発祥からモダンへの展開まで舞踊の歴史変遷をたどる。A.A.P.のメンバーによるグラハム作品のデモンストレーションもあり、一般の観客にとってなじみの薄い舞踊の知識について明快なレクチャー。配布された資料も、コンパクトにまとまっていた。個人的には既知のことが多く、せっかく折原さんがいるのだからグラハムの裏話など聴きたかったが、それは場違いというもの。観客を育てるという試みこそ、公共ホールの行なうべき取組みのひとつといえるだろう。

劇場を“発表”の場から“創造”の場へ。そして、観客を集めるだけでなく、育てる場へ。今回のA.A.P.公演は、公共ホールとしてはもちろん、すべての劇場関係者が切に取り組むべき課題を明確にする画期的なものとなった。

(2006年2月18日 京都府民ホール アルティ)

2006-03-17

[]dance++「地獄のオルフェウス、あるいは脚のない鳥」

 東京・神奈川(首都圏)に次いで舞踊が熱心な地域といえば、関西と思われるだろう。しかし、近年注目されるのが、愛知(中京圏)のダンス・シーンである。大小のバレエ団・バレエスタジオが林立、定期的に公演を行なうほか、現代舞踊協会中部支部の熱心な活動も知られる。ダンスオペラシリーズを始め、愛知県芸術劇場の企画公演も常に話題。昨年の愛・地球博では、パリ・オペラ座バレエ団『シーニュ』が日本独占上演されている。つい先日には、バレエ団の枠や利害を越え優れた人材の育成を試みるダンサーズ・スコーレが発足。その愛知で注目すべき公演が行なわれた。ダンスプラスプラス dance++ 『地獄のオルフェウスあるいは、脚のない鳥』(2月16日〜18日名古屋市名東文化小劇場)。主催は川口節子バレエ団 ・南條冴和モダンダンスグループ。企画は和見良介。ジャンルやカンパニーといった枠に囚われることなく、時間をたっぷりかけ自由に創作する、新たな上演形態を模索しようという試みである。

名古屋市内各区にある文化小劇場が募集する「文化小劇場芸術公演」制度を活用することから、この公演は始まった。本番および準備期間5日間の施設利用料が無料のほか、制作宣伝面でのサポートなどが受けられるというもの。とかく一般客には“難解”というイメージの強い現代ものの公演は、首都圏以上に成功させるのが難しい。主催者のひとつ川口節子バレエ団でも、バレエの発表会・定期公演を開けば、出演者(教え子)の身内や関係者で、大ホールであっても埋めることが出きる。しかし、出演者も少ないこの公演、3日間1,000名弱の動員には不安があったという。採算という問題を「文化小劇場芸術公演」という制度を活用、クリアしようとしたのである。

そして、“コンテンポラリー”と銘打ったからには、同時代の観客が共感できるものを創りたい、という意思のもと、制作は進められた。ギリシャ神話を題材にしたテネシー・ウィリアムズの戯曲『地獄のオルフェウス』に登場する“脚のない鳥”――生涯空を飛んで過ごし、死ぬときにのみ地に降りる鳥の話と、それに基づき創られたウォン・カーウァイの映画『欲望の翼』をモチーフにしている。オムニバス形式で3人の出自の異なる振付家が競作。準備期間を含め一年近くにわたるプロジェクトとして進行、公演にこぎつけた。

冒頭に上演された沼田眞由み振付『The murmur of the winds』は、関係性をテーマにしたコンテンポラリー・ダンス風の作品。ひとり白い鳥のような衣装を着たダンサーを軸に7人のダンサーが出演。自身と他者との関係に抗い苦しむ姿と、そこから遠く離れた場所への飛翔への希求を描いているようだった。イメージを振りとして紡ぐという発想は、原作やテーマへのアプローチとして当然考えられるべきものであるし、一定の成果は挙げることはできる。しかし、創り手の想いなり意図なりを既存の手法でなぞるだけでは、観るものに与える印象はどうしても薄くなってしまう。

そのことは、続くC.L.I.P.(長谷川美樹、加藤良子、相川梢、中村享也)振付『一片のpuzzle』についてもいえる。モダン風の作品で、四人のダンサーが登場。ソロ、デュオなど動きバリエーションはそれなりに豊富。よるべない日常を生きる人間の葛藤を描いたように思われた。しかし、あまりのストレート、抽象的・漠然としたイメージの羅列に、作者の表現したい“想い”が十分に伝わってこないもどかしさを感じたのも事実。

イメージと自らのうちにひそむ衝動をどう作品として血肉化するのか。改めてその難しさを実感するなか、最後に上演されたのが川口節子振付『HEAVEN』。世俗的な社会を生きる大人たちが、子どもたちの社会を描き出していくというコンセプトである。どんなに抑圧された環境にいても、不恰好でも、弱くても、人間は自由をもとめ“明日は飛飛べる”という希望をもって生きられるのだ、という“想い”が伝わってくる。鳥の羽らしきものをつけた少年が自転車を漕ぐ。しかし、漕いでも漕いでも飛翔できない……。

ダンス・クラシックをベースにはしているが、振付の発想は自在。遊戯的な振りや、ずらしがちょっぴりコミカルでノスタルジック、しかし前向きな希望溢れる空気を醸し出す。8人の女性ダンサーによる作品だが、数人がからみ合い、引きずりあったり、下手上手へ出入りしたりと変化にとみ、キリアンの『シンフォニー・イン・D』に通じるような面白さもある。背が高い男性が不器用な少年役を演じ、終盤近くでみせたアントルシャの連続は“明日への飛翔への思い”を伝え感動的。原作に喚起されたであろうイメージをそのまま“表出”するのではなく、“大人社会から描く子ども”という設定を設ける。そのうえで、心の底から湧きあがる衝動を、“表現”(振付)として定着させた川口の力量が光る。バレエのパをそのまま用いたもの、加工したもの、それ以外のものをバランスよく用い、いずれもがいかに空間を有効に使い、ダンサーの存在を際立たせるかという点で成立しているのも素晴しかった。

三者三様、時間をかけひとつのテーマに身を削り立ち向かったこの公演。3編の力作を通して、人間は希望を抱いて生きていける、という勇気もらうことが出来た観客は多いだろう。風通しのよさが際立つ愛知舞踊界。そのなかでも意欲的な創作形態として注目される。次なる展開に期待したい。

(2006年2月17日 名古屋市名東文化小劇場)

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