法村友井バレエ団「ロシア・バレエの夕べ」

法村・友井バレエ団は、70年の歴史を誇る関西きっての老舗バレエ団である。現団長の法村牧緒は、日本人として初めてロシア・ワガノワ・バレエ・アカデミー(現)に留学。ダンサーとして活躍後、指導者として多くの後進を育成している。現在、年二回の定期公演を中心に活動。今回は、お家芸、ロシア・バレエ珠玉の名作三部作の夕べを開催した。
最初は、『ドン・キホーテ』より「夢の場」。幕が開くと、壮麗な装置と幻想的な雰囲気に息を呑む。全編のなかでも唯一純然たるクラシック・バレエの場面である。マリインスキー劇場版をもとに法村牧緒が振付。バレエ団の追求するロシア・スタイルの魅力を明瞭に示すプログラムだ。コール・ド・バレエの踊りの質感に統一感がある。単に動きが揃っているとか、アンサンブルの身長差のバランスをとることならば、オーディション制をとるバレエ団や、合同・プロデュース公演でも可能である。しかし、ダンサー間の、上半身の使い方、音取りの微妙なニュアンスなどが巧まずとも一致をみせるのは、傘下にバレエ学校を持ち、確立されたメソッドを持つ老舗バレエ団ならでは。ソリストのレベルも高い。ドルシネアを踊った高田万理は、長身のプロポーションを活かした踊りが魅力的。昨年の『ラ・シルフィード』のシルフィード役に続いて、白のバレエでその真価を発揮した。森の女王役・杉岡麻魅は柔和な体使いが印象深い。愛の妖精を踊った中尾早織は、新鋭。愛らしい踊りで目を惹く。
続く『ライモンダ』は、法村圭緒が初の振付に挑んだ。第三幕のグラン・パ・ド・ドゥに第二幕のパナデロスを加え構成されたもの。クラシック・バレエの至高の美と、エネルギッシュな民族舞踊。その両方が一体となったところにプティパ・バレエの真髄があろう。振付者は、その点をよく理解しているようだ。ライモンダは、室尾由起子、ジャン・ド・ブリエンヌは、法村圭緒。室尾は、まずテクニックが安定している。そして、『シンデレラ』のタイトル・ロールなどで顕著なように表情が生きいきとしており、演技・表現力にも長けた踊り手だ。法村は、多言を要するまでもない、ロシア仕込みのノーブル・ダンサー。全国区(あまり好きな言葉ではないが)の知名度と実績を誇る。ここでは、振付のニュアンスも含め、両者の魂の交感よりも、実力者同士による、技と華の魅せ合いに重きを置いたようだ。とはいえ、ケレンや自分を良く見せようという俗な“欲”は微塵も感じられない。じつに格調高い仕上がりである。パナデロスの西尾睦生、大野晃弘は、多くの舞台を踊ったものにしか出せない存在感と、誤魔化しのないキャラクター・ダンスの素養を披露。客席の喝采を浴びた。ソリストを務めた上田麻子、法村珠里はともにホープ。舞台に清新さをもたらした。今回の舞台のため新たに製作されたという、原色が目にも鮮やかな舞台装置も見事だった。
そして、本公演でもっとも注目されたのが、最後に上演された『シェヘラザード』。バレエ団の伝統的なレパートリーの一つである。今回は、近年までマリインスキー劇場の名ソリストとして鳴らしたV・シローチンを振付に迎え、装置・衣装も一新しての上演。王妃・ゾベイダ役は、友井唯起子、石川惠己、宮本東代子と歴代のプリマによって踊り継がれてきた。今回は、その大役に堤本麻起子が挑んだ。堤本は、このバレエ団のソリストのなかでも、柔軟な感性を持ち、しっかりと役を自分のものにすることのできる点で独自の存在感を放つ。レパートリーをみても、キャラクター系から創作ものまで幅広い。ゾベイダ役を踊るダンサーは、“妖艶さ”を意識するあまり、過度にプロポーションを強調する下品な演技(ラインの美しさを出すのとは異なる)、または、顔芸に走った演歌調の芝居に陥る恐れがある。しかし、堤本は、ごく自然に、場面・状況に応じた感情の起伏を表現した。刹那的快楽が破滅へと続く――それを知りながらも、抜き差しならぬ事態に追い詰められたゾベイダの悲哀。終幕、みずから命を絶つ場面では、パセティックな感興が舞台を支配した。金の奴隷役のニキータ・シェグロフは大型の魅力にあふれている。シャリアール王には、シローチンが扮し、舞台に厚みをもたらした。今後とも、貴重なレパートリーとして折に触れ上演を重ねていくことだろう。
バレエ団は、今秋、アンドレ・プロコフスキーの手による一大スペクタクル『アンナ・カレーニナ』を初演する。今回は、それとは対照的な、小品によるトリプル・ビルを組んだ。だが、カンパニーのカラー・特徴が明確に見てとれる舞台だった。多くのソリストに見せ場を与え、若手の抜擢も心強い。総意を結集して望む秋の舞台も楽しみにしたい。堤俊作指揮・関西フィルハーモニー管弦楽団
(2006年6月3日 大阪・フェスティバルホール)