Hatena::ブログ(Diary)

ダンスの海へ 舞踊評論家・高橋森彦のblog このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006010203040506070809101112
2007010203040506070809101112
2008010203040506070809101112
2009010203040506070809101112
2010010203040506070809101112
2011010203040506070809101112
20120102030405060708091112
201301020304050607091011
20140102040508
201506070809

2007-11-26

[]「踊りに行くぜ!!」vol.8 in 静岡

JCDN主催「踊りに行くぜ!!」は今年で8回目、全国24都市で41作品が上演されている。そのうち静岡公演を観ることができた。静岡では2005年からストリートフェスティバル・イン・シズオカ実行委員会が音頭を取り「踊りに行くぜ!!」を開催。街全体、ストリートからのアートの発信を試みる活動として注目される。市内中心部に位置する青葉シンボルストリートから屋外会場へと数箇所をめぐるダンス鑑賞体験は快いものとなった。

最初の作品は、山口佳子(岡山)『おざぶぅ』。路上に6畳の畳を敷き、その真ん中には1枚の座布団。ほとんどそのなかで山口のソロパフォーマンスが行われる。爪先で立ったり、座って座布団の渕を指でなぞったりと細かな所作を積みあげていく。跪いたまま座布団を両手で掴み跳び跳ねるなどの動きもある。コピーは「ざぶとんひと間、わたしの時間」。導入から展開もまずまずで一応最後まで飽きさせなかった。

続いてもストリート上でのパフォーマンス。ストリートといえば、なんといってもAbe“M”ARIA(東京)である。新宿の歩行者天国でのライブ等も行っている筋金入りのパンキッシュな踊り手だ。今回の『 ―― 』でも彼女の暴走は止まらない。コンテなのかストリート系なのか舞踏なのかジャンル不明の無国籍ともいえる独特のエネルギッシュな動きで凶暴に踊る。露店の柱に寄りかかったり、幼児に絡んだりと客イジリも楽しい。

3つ目の作品も野外で踊られた。村上和司(兵庫)『RED MAN 2007』は、ショウマンシップ満載の快作とはいえる。全身赤で黒のサングラス姿、次々に服を脱ぎ捨てていくが、脱いでも脱いでも金太郎飴のようにまたシャツが・・・。やがてはブリーフとブラジャー(!)だけの姿に。「白鳥の湖」や「黒猫のタンゴ」などを用いた音楽構成も親しみ易く会場の反応もよかったが、村上の旺盛なサービス精神の裏側には、踊り観客と触れ合うことでしか充たされない弧愁なりがあるのかも、と終わったあとフト思った。

個々からは市役所のロビーに設えられた会場での上演である。赤丸急上昇(松山)『日々是好日』は赤松美智代、丸山陽子のデュオ。自称「みかんの国からやって来たコンテンポラリー芸人」らしい。ひとりは大きな坊主風の被り物を来て自転車にのり、もうひとりは頭からもズボンも履いている。両者がいろいろ絡み、笑いを狙っているのだろうがクスリともできない。動きもややタルい。「マンガみたいなダンスを身体を使い切って踊る肉体派」を標榜しているらしいが・・・。

トリは御大・山崎広太『いるか』(東京)。彼の振付作品やソロは結構観てきたが、この作品はちょっと軽い。「これから舞踏を踊りま〜す」といってそれらしい動きで笑いを取ったりするは何とも・・・。天下のベッシー賞受賞者のラフな踊りがみられたと思えば木戸銭は惜しくない(カンパ制でした!)というと嫌味な言い方だろうか。が、彼特有の吸い付くようで滑らかな、微妙繊細な足裏捌きを間近で見るとやはりさすがだと唸らされた。

(2007年11月24日 静岡市葵区青葉シンボルロード)

2007-11-23

[]Roussewaltz『Bon appetit! -deluxe-』

内田香率いるRoussewaltzは、自主公演のほか合同公演や新国立劇場コンテンポラリーダンス等への出展を通し活躍している。この度、六本木のディープスポットであるクラブSuperDeluxeにおいて女性メンバーによるショーケースを行った。

三方を客席に囲まれたスペースに赤のテーブルクロスのかかった机と椅子が置かれている。そこに四人のダンサーたちが笑い声とともに駆け込み『Bon appetit!』は始まる。テーブルクロスや椅子も用いて女の子たちがゲームを楽しむかのように戯れる。しかし、ダンサーたちの動きの質感はエッジーで硬質。ハードでカッコいいダンスに痺れさせられる。特別新奇なことをしているわけではないが、彼女たちの踊る姿はシャープだけれども肩肘張ったところはない。そこにコンテンポラリーな感覚を感じさせられる。

メンバーたちの作品も上演された。所夏海のソロ『Black Dahlia』は、雰囲気のある女性ヴォーカル曲にのせた逸品。優雅さと艶やかさが繊細かつ力強いダンスのなかで絶妙に溶け合っている。原裕子のソロ『PRISM』は黒のジャケットを着て、男っぽく踊られる。洗練された、嫌味のない両性具有のエロスが魅力だ。クリオ尚子と寺坂薫『Desert』はベリーダンスとモダンの踊り手の共演。両者のエネルギッシュな踊りのぶつかりあいに会場のボルテージは否応なく上昇した。

が、何よりも圧倒的だったのが内田の『dear…』。シャンソンにのせ、鋭くも微細な身体コントロールをみせる。ダイナミックな動きを得意とし、かつ体の利く踊り手であるが、より動きの精度が高まり踊りに進境の程がうかがわれた。

モダン、コンテンポラリー、バレエと、ジャーナリズムではジャンル間に壁を作る傾向にあろう。だが、風潮、流行に安易に流されない創り手たちはそんな境界を越え意欲的に活動している。モダンやコンテの枠に囚われず、時代の感性をおのずと作品に反映させるRoussewaltzは東京のダンスシーンにおいて独特の地位を獲得している。

(2007年11月23日 SuperDeluxe)

2007-11-20

[]ふたつの『白鳥の湖』に想う

先週末、東京・渋谷でふたつの『白鳥の湖』が上演されていた。ひとつは東京小牧バレエ団公演、もうひとつは熊川哲也Kバレエカンパニーのウィンターツアーである。

小牧の公演は昨年九月に逝去した小牧正英の追悼。上海バレエ・リュスの一員として活躍した小牧が戦後に帰国、古典や近代バレエの主要な作品を日本初演したことは、日本バレエ史に特筆される偉業である。今回は、1946年に日本初演され、ノラ・ケイやマーゴ・フォンティーンらも招聘し踊り継がれてきた小牧版『白鳥の湖』を久々に復活させるというもの。小牧バレエであらゆる作品で主役等を踊った佐々保樹が演出・振付を手掛けた。最大の特徴は二幕、王子の友人ベンノが王子とともにオディールを支える点だろう。このバレエの世界初演時、王子役のダンサーが老齢のためサポートしたのがはじまりである。コールド・バレエの振付の細部は現在の技術水準に合わせたものに変え、四幕は佐々独自の演出を施しているが、原典を重んじる小牧版の味わいをよく残していると往時を知る人はいう。日本バレエの原点を確認できる上演だった。

いっぽう、Kバレエの『白鳥の湖』は03年に初演され、朝日舞台芸術賞を得るなど熊川の古典新演出の代名詞といえる作品。再演のたびに細かな手直しがなされている。オペラのそれを思わせる豪華な舞台装置がなによりも話題。そして先行するさまざまの版を参考にしつつ、初見者にもわかりやすく物語に誘う狙いが見て取れる。オデット/オディールを別の踊り手が踊り、四幕には両者が出現、善と悪の対決を明快に伝える。熊川は英国ロイヤル・バレエ史上初の東洋人プリンシパルとして持て囃され、帰国後も時代の寵児扱いされていたが、その間にも、劇場人として幾多の演出家やスタッフたちの仕事ぶりを舞台の傍からみて勉強を重ねていたのだろう。百年一日の如く旧来の演出に胡坐をかいている団体も少なくないなか(博物館的に残すのも意義のあることであるが)、賛否あるが古典を新たな意匠で捉えなおす熊川版古典作品の登場により日本バレエが「演出」の時代に入りつつあるのは確かだ。

ふたつの『白鳥の湖』を創った小牧正英と熊川哲也――時代こそ違うが相似点がある。ともに海外で活躍したスターであり、帰国後バレエブームを巻き起こした。そして何よりもいい意味でともにアウトサイダーであることだ。アウトサイダーあってこそ時代が動き変わっていくことは、あらゆる歴史を通し証明されているのである。

2007-11-15

[]加藤みや子、BABY-Q、インバル・ピント

芸術の秋、ダンスの秋であるが今月は連日公演が目白押し。11月上旬、ことに9-11日の週末はダンスの舞台が重なり、必要あって観るもの優先したため見落としたものや遠方まで観にいったものもあった。観ることのできたもののうちからいくつの雑感を。


加藤みや子ダンススペース『笑う土』『蓮の花』

伊藤キム、笠井叡を得ての『サンドトポス』や厚木三杏、ピエール・ダルトらも参加した『海に消えた花嫁』など話題作を提供している加藤みや子。若手の育成にも積極的で、ショーケース「Dance,Link/Ring」シリーズを開催、成果をあげている。今回は門下中心に東北の民話に取材した新作を披露した。自然とヒト、土の記憶をめぐる神話がイメージ豊かに描かれる。組んず解れつの動き中心だがいつもながらの丁寧なタッチに好感は持てる。ミュージックシアター『浄土』などで知られるパーカッションの加藤訓子の演奏に接することが出来たのも幸いだった。加藤のソロ『蓮の花』も併せて上演。こちらは10年前に江口隆哉賞を得た『植物の睡眠』よりの抜粋である。病の渕の岡田隆彦より筆談で渡された詩がモチーフとなっているという。無音から「亡き王女のためのパヴァーヌ」を用い、哀愁漂う雰囲気のなかに静かな焔のように生のきらめきを感じさせた。

(11月1日 青山円形劇場)

BABY-Q(東野祥子)『GEEEEEK』

昨年、東京で短縮版公開後、大阪で完全版が初演された作品の東京初演。タイトルは「異形」であり、ブキミでグロテスクなイメージがこれでもかとばかりに陳列される。作家本人は寺山修司の世界を意識しているようだが、より暴力的で野卑か。でも、単なる露悪趣味や自己表出とは違う。東野の提示する「異形」は誰の心の奥底にもあるもの。そこへ観るものを強引に引きずり込む。東野の、緩急自在にして異様なまでの強度を感じさせるダンスには、泣く子も黙らせる迫力がある。美術や音楽まで含めトータルに世界観を構築する力も突出。が、大阪での初演時ほうがインパクトはあった気はする。その時は東野に伍して、上月一臣が目も眩むようなテンションの高いダンスをみせてくれたこともあるだろう(ちなみに彼はヤン・ファーブルの新作のオーディションに受かり、現在欧州にいるようだ)。東野以外のダンサーがやや弱いとは感じた。ともあれ、「観たくないような、でも覗きたい」世界へ誘うのは間違いなくダンスのチカラであり、それを享受できるのは愉楽である。東野ワールドがますます凄みを増しているのは確かだ。

(11月2日 森下スタジオC)

インバル・ピント・カンパニー『Hydra/ヒュドラ』

日本における新作世界初演として話題を集めたインバル・ピント・カンパニーの新作。彼らの作品のうち日本で紹介された『オイスター』『ブービーズ』では、サーカスのような意匠やアクロバティックな動きを駆使、ちょっぴり不気味だけども幻想的で色彩豊かな世界が繰り広げられた。今回の新作はやや趣が違う。棒や砂袋などの小道具が印象的に用いられ、衣装もやや奇抜ではあるが派手な仕掛けはなく、シンプルで無駄なものはそぎ落とされている。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」がモチーフとなっているらしいが、直截それは感じさせない。生と死が大きなテーマではあろう。全編が静謐な美に充たされていた。ダンサーたちの織りなす滑らかでしなやかな動きの連鎖が観るものの想像力を掻きたてる。とにかく「感じる」作品である。タブローのように完成された世界に違いないが余白がある。ピースを埋めるのは、観るものそれぞれである。カンパニーの踊り手たちに加え、日本から参加の森山開次、大植真太郎のデュオが特に魅力的。どちらも得体の知れない、でもなんとも魅惑溢れるダンスをみせてくれた。ことに森山の「しなやかな野獣」とでもいうべき独自の存在感には心奪われる。インバル・ピントの造り出す夢のような世界に眩惑させられ、感性をおおいに刺激される一時間だった。

(11月14日 愛知県芸術劇場大ホール)

2007-11-13

[]若い才能に対する責任

熱心なシアターゴーアーにとって新たな才能を誰よりも早く発見したいと思うのはごく自然な欲求だろう。小劇場演劇のファンのなかには玉石混淆のなかからいち早く逸材を見つける強者が少なからずいる。私も以前は演劇マニアだったので、いま小劇場シーンで話題を集めている劇団は最初期からチェックしている。ポツドールは伝説の『騎士クラブ』初演から、毛皮族はこまばアゴラ劇場公演から、本谷有希子も新宿のパンプルムス時代に観ている。五反田団も割合はやくから観ている方だと思う。『家が遠い』とか『びんぼう君』とか。テレビや商業演劇の世界からも注目を浴びる座付作家を要するONEOR8や桟敷童子も初期に観ている。今をときめく彼らもとにかくチケットが売れず、演劇誌、情報誌等でチケットプレゼントをばら撒いていた時期が長かった。

今あげた団体を大手媒体や大御所の演劇評論家が取上げだしたのは3年から5年あとのこと。当時、なぜ注目されないのか歯がゆい思いをした記憶がある。70〜80年代、つかこうへいや野田秀樹がデビューしたころは当時朝日新聞文化部の記者だった扇田昭彦らが最初期からチェックし取上げていたのに、それに比べ現在の演劇ジャーナリズムは明らかに怠慢気味に感じる。岡田利規のチェルフィッチュなんてダンス批評家にいち早く評価され、岸田賞を取るや否やマスコミや演劇関係者が大挙押しかける始末。いま若い気鋭の書き手は演劇ではなくダンスに流れているようだ。演劇ジャーナリズムもライターさんは別にして若手や外部の参入が活発化したら面白くなるだろう。

さて、話がそれたが、たとえ荒削りであっても若くすぐれた才能にはいち早く光をあてるのは好ましいとは思う。無論、むやみに青田買いは出来ない。ことに舞踊界は若いアーティストに甘いと感じることもある。ショーケースやコンペなど発表の機会も多く、さまざまな援助も行われているのは好ましいが、それがアーティストにとって必ずしもプラスになっていないケースもある。小規模とはいえマーケットの成立する世界。消費されやがてはポイと捨て去られなければいいのだけれども…。ジャーナリズムも持ち上げた以上は責任を持ってそのアーティストの活動に向き合うべきだろう。興味がなくなったから、自分たちの思う方向に進まなかったからといって「駄目」と切り捨てたり、「終わった」なんて軽々しくは言ってはならないと思う。ジャーナリズムには観客・読者に対する責任とともにアーティストに対するそれも発生することを忘れてはならない。

2007-11-07

[]物語バレエ創作について

“人は物語なしには生きられない”そう語ったのは『La Bell〜美女』『夢〜Le Songe』などで知られる奇才ジャン=クリストフ・マイヨーである。21世紀の現在、優れた物語バレエが払底している。古典全幕には限りがあるし、コンテンポラリー作品では観衆を集めにくい。マクミランの『マノン』『ロミオとジュリエット』はもはやスタンダード、クランコの『オネーギン』、ノイマイヤーの『椿姫』などは世界中の有力カンパニーが喉から手が出るほど欲しがっているはず。物語バレエの秀作は文字通り渇望される。

国内でも著名な文芸作品のバレエ化は盛ん。新国立劇場バレエ団でもこのほど芸術監督・牧阿佐美振付による『椿姫』を初演し話題を呼んでいる。来年秋には『ペンギン・カフェ』『美女と野獣』などで知られるデビッド・ビントレーに新作『アラジン』を委嘱するようだ。他にも創作物語バレエに挑む団体は少なくない。東京シティ・バレエ団は『真夏の夜の夢』『カルメン』を独創的にバレエ化、「エフゲニー・オネーギン」を原作にした『タチヤーナ』で文化庁芸術祭大賞を得たバレエシャンブルウエストも近年、かぐや姫伝説に材を得た『LUNA』やアンデルセンの童話をバレエ化した『おやゆび姫』を発表し好評を得ている。著名な原作を基にした物語バレエは、バレエファン以外の観客層やファミリー層に訴求できるものであり、今後も各団体が積極的に取上げていくだろう。

無論、物語バレエの創作のなかには成功作とはいえないのもあるのは確か。ストーリーが違うだけで、様式や振付作法は古典そのままじゃない?と突っ込まれるものもある(一概に悪いとは思わないが)。舌足らずで展開が分かりにくいもの、主役に見せ場となる踊りがなかったり、群舞がおざなりで退屈なものも少なくはない。先行作品からの引用もといパクリが散見されることも…。口の悪いひとはそういった作品を「凡作」「駄作」と罵る。が、新奇さや先鋭性ばかりを競うことだけが創作ではないと思う。手法はオーソドックスでも、丁寧に創られた創作は評価されていいし、素直に楽しみたいもの。

新たな物語バレエを造り出すのは至難。脚本、構成、編曲、振付、美術、衣装いずれもゼロからのスタートである。その苦労は計り知れない。が、より演出や振付への研究、目配りを求めたいことが多いのも事実。バレエの市場を広げ、より多くの可能性を広げるためにも、多くの観客に訴求できる物語バレエの創造は欠かせない。欠点をあげつらったり、粗探しするだけではなく、より建設的な意見が交わされ、作品を成長させていけるようなれば好ましいように思う。バレエの未来は観客の手に委ねられている。