谷桃子バレエ団『リゼット』と至宝プリマ・高部尚子

昨年から展開されている、老舗・谷桃子バレエ団の創立60周年記念シリーズの第5弾は『リゼット』全幕。牧歌的な農村を舞台にした喜劇バレエ「ラ・フィユ・マル・ガルデ」の谷版であり、1962年の初演以来大切に受け継がれるレパートリーである。ロシア経由のゴルスキー=メッセレル版を元に谷桃子が再演出・再振付を手がけたものだ。
今回は3キャストが組まれたが、初日の高部尚子&今井智也、2日目の永橋あゆみ&三木雄馬で観た。2日目の初役同士の初々しい演技も好ましかったが、なんといっても初日に若手の今井と組んだ大ベテラン高部のパフォーマンスに圧倒された。
60周年記念シリーズにおいて高部は、昨夏のクルベリ振付『令嬢ジュリー』のタイトルロールを踊り、良家の高慢な令嬢が下男に魅了され堕ちていくさまを凄絶に演じ印象に残ったが、『リゼット』では一転しておきゃんな村娘という役柄だ。好青年コーラとの相思相愛ぶりをいじらしいくらいにチャーミングに演じたかと思うと、恋人との結婚に反対する母マルセリーヌをやりこめようとしつつも憎めない結びつきもひしと感じさせる。何度も踊りこんでいる役だけに、リゼットの喜怒哀楽さまざまの感情を生きいきと演じて、動きが無言の言葉となる。表現の形態はバレエという洋服を着ているものであっても、内面からにじみでるものに、われわれ日本人にも素直に感情移入できるリアリティと親しみやすさがある。バレエ=舞踊劇を踊るには優秀なダンサーであるとともに優れた役者でならなければならないという至言を体現するかのような名演であったと思う。
高部は、ローザンヌ国際バレエコンクール受賞後、英国留学を経て谷バレエ団に入団。1987年に『リゼット』で主役デビューした。高部にとっても格別な思い入れのある作品のようだ。舞踊評論家の山野博大はデビュー当時の高部をこう評している。“谷桃子は高部を自分の後継者に考えていると思う”と。それから四半世紀近くが経つが、どうなっただろうか。これまで観る機会のあった高部の踊る舞台の記憶を辿り、今回の『リゼット』の演技に接すると、お仕着せの洋服ではない日本人の感性にあった滋味豊かなバレエを創造してきた谷桃子の理想を受け継ぎ体現しているとあらためて感じる。
そして、高部に関して言えば、谷バレエの伝統を継ぐプリマ、クラシック・バレエを極めたプリマであるだけでなく、さらなる独自の境地を切り拓いた点を見逃せない。バレエ団公演のほかに日本バレエ協会公演はじめ外部公演への出演を通して現代作品でも目覚しい成果を挙げたことである。佐多達枝、望月則彦、後藤早知子、坂本登喜彦、金森穣、黒田育世らの大ベテランから新進までわが国の代表的なバレエ/コンテンポラリーの創作者の作品で主要なパートを務め、新国立劇場バレエ団の登録ソリストとしてもナチョ・ドゥアト作品等を踊っている。佐多作品などは谷バレエの先輩筋らも出演していた経緯もあるが、当代を代表する正統派プリマが、古典とはまったく体使いが違ったり、奥深い内面表現を求められる創作において如何なく才を発揮したという点で先駆的存在といえる。同世代の下村由理恵や斎藤友佳理らも各々すばらしい業績を挙げているが高部も彼女らに劣らない。日本のバレエに特筆すべきメルクマールを残した踊り手、日本バレエの至宝として後年も語り継がれると思うし、そうなるべきである。
年齢的に考えれば高部のキャリアは終盤に差し掛かっているのは間違いない。しかし、昨夏や今回の舞台を見ると、容姿もたたずまいも衰えず若々しく、テクニックも非常にしっかりしている。今秋にはバレエ団創立60周年記念シリーズの掉尾を飾る『レ・ミゼラブル』にてコゼット役を踊る。さらに、来春に行われる、佐多達枝が芸術監督・振付を手がける合唱舞踊劇O.F.C公演『カルミナ・ブラーナ』『陽の中の対話』の出演予定者にも名が記されている。また、レッスンに指導に忙しいなか発表した振付作品『ライトモチーフ』『ロデオ』も高評を得た。踊り手としてもまだまだもうひと花、ふた花咲かせてくれそうだし、将来は創作者としても期待される。活躍を楽しみにしたい。