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2010-07-31

[]MRB松田敏子リラクゼーションバレエ「バレエスーパーガラ バレエコレクション2010 in OSAKA」

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MRB松田敏子リラクゼーションバレエ「バレエスーパーガラ」は1999年以来毎夏、大阪で開催されるバレエ・ガラ公演。関西で活躍する一線級を中心とした踊り手が一堂に会するわが国有数のガラ・コンサートとして定着している。12回目の今回も盛り沢山な内容で楽しめた(7月25日 グランキューブ大阪)。

バレエ団の枠を超え関西の実力者や若手を紹介すること。それは初回から一貫する特色だ。芸術監督を務める漆原宏樹がバッハ曲に振付けた『ムーブメント』では、中堅・若手女性陣が華やかに踊る。松田の公私のパートナー小嶋直也振付『LOOK』は、シューベルト曲を使ったシンフォニック・バレエの趣のなかに、ダンサーたちの個性を活かした妙技も織り交ぜ観るものを楽しませた。重鎮の小嶋、法村圭緒のほか竹中優花、廣岡奈美、吉田千智、恵谷彰、藤井学、中家正博ら気鋭ソリストたちは活きがいい。

パ・ド・ドゥ(以下、P)、グラン・パ・ド・ドゥ(以下、GP)等でみていこう。『くるみ割り人形』よりGPを、完璧といえる金平糖を披露したベテラン渡部美咲(山本禮子バレエ団)と踊った福岡雄大(新国立劇場バレエ団)は、マナー良く端正に踊ってノーブルな魅力を示した。『グラン・パ・クラシック』よりGPを踊った金子扶生・奥村康祐(地主薫バレエ団)は、先月ジャクソン国際バレエコンクールにて、ともに銀賞を獲得して勢いにのる。金子は18歳とは思えぬ堂々とした演技。奥村は好調で踊りの切れ味は最高!逞しさも加わってきた。『ダイアナとアクティオン』よりGPを秋元康臣(NBAバレエ団)と踊った気鋭の若手プリマ法村珠里(法村友井バレエ団)は、秋元ともども技術の誇示に終わらない。互いのやり取り、会話が聴こえてくるかのよう。的場涼香(北山大西バレエ団)は、沖潮隆之(原田高博バレエ・シアター、沖潮バレエアート)に導かれ漆原振付『ブラジレイラス』を大人っぽく雰囲気たっぷりに。クールなテクニシャンという印象を覆す演技だった。

ベテラン・中堅も負けていない。『サタネラ』よりGPをボリショイ・バレエ団のソリスト岩田守弘とともに闊達に踊った福谷葉子(福谷葉子バレエスクール)、漆原が振付けたソロ『北の海に』を劇的に踊った西尾睦生(法村友井バレエ団)の演技は、経験を積んだ人ならでは。田中ルリ(原田高博バレエシアター)は沖潮と『ライモンダ』よりGPを踊って風格十分。石川愉貴(アートバレエ難波津)は淺野眞央、大野嘉子とともに自作『Dance a・La・carte』を踊る。音楽・衣装も含めたこだわりを感じた。極めつけは小嶋の自作ソロ『TIME』。総タイツ姿で客席に背を向けて踊り始められるこの作品は、ダンサー・小嶋の現在(いま)を、ゴットシャルク曲にのせて透徹した美意識のなかに浮かび上がらせる。彼の舞台を彩ってきた、そして、近年見る機会を得た舞台の印象では健在のはずの華麗なるテクニックは封じられた。だが、パの一つひとつや脚先の美しさ・雄弁さはいや増し、内面から溢れる叙情に詩を感じる。膝の故障を抱え後進の指導にあたりつつも内に秘めているに違いない表現者としての情熱を静かに、しかし熱く伝えた。

今回の大きな話題は東京の牧阿佐美バレヱ団からの客演勢。同バレエ団のバレエマスターを務める小嶋の力あってのことだろうが田中祐子、吉岡まな美、青山季可、京當侑一籠、菊地研、塚田渉という中軸勢揃い。田中と塚田による『ジゼル』よりP、吉岡、菊地、塚田による『海賊』第2幕よりパ・ド・トロワを披露して力量をみせたが第三部上演『白鳥の湖』第3幕でも要を占めた。黒鳥オディールに青山、ジークフリード王子に京當、ロットバルトに菊地。端正な演技を持ち味とする京當・青山、キャラクター役にも味をみせる菊地を中核にすることで、古典全幕ものの魅力の一端をしっかり伝える。とはいえ、道化役にロシア仕込みでこの役に定評ある岩田が扮して舞台を盛上げたほか、ナポリを小嶋と田中という大物同士、チャルダッシュを圭緒・珠里の法村兄妹が踊るといった趣向もあるし、花嫁たちには渡部、福谷、竹中、廣岡というプリマ級が扮する「あり得ない」事態に。岩田の妻オリガ・モチャローワの踊るルースカヤもロシア独特の民族舞踊の味を感じさせて印象に残る。東西の踊り手の競演も含めガラらしい遊び心も忘れないのが心憎い。幕が閉じると出演者全員によるフィナーレになだれ込む。ダンサーは客席にまで降りてきてプレゼントを配る。賑やかに終演となった。

演出・企画制作・プロデュースを手がける松田はプロデューサーとして存在感を強めている。諸団体の相互交流によって業界の活性化を図るとともに、多くの観客にバレエの魅力を紹介する場として「バレエスーパーガラ」は貴重。大規模なプロデュース公演を毎年継続することは並大抵の苦労ではできないはずだ。質を落とさず、観客を飽かさないプログラミングを行い、それでいて新たな挑戦も仕掛けてきたからこそ続いているのだろう。来年も8月7日に開催が決定しているとのこと。さらなる展開に期待したい。

2010-07-30

[]小林十市のダンサー復帰!!について思うこと

東京バレエ団が12月にモーリス・ベジャール振付『M』を5年ぶりに再演する。先日、その配役が発表されたが、狂言回し役であるシ(死)役に、初演キャストである小林十市が特別出演するというニュースにはかなりの反響があるようだ。確かにサプライズ!

ベジャール・バレエ・ローザンヌの中心ダンサーとして活躍したが腰の故障のためダンサー生活を続けることができなくなった小林は、現在、商業演劇や映画を中心とした俳優として活躍している。同時に、指導者としてベジャール作品の振り付け指導をパリ・オペラ座バレエ団、東京バレエ団等に対して行ってきた。東京バレエ団の『中国の不思議な役人』も再演時に小林の指導を得てさらに密度の濃い仕上がりになったのは印象深いし、上野水香に『ボレロ』のメロディ役を最初に指導したのも小林である。

小林については2006年9月刊行「プリンツ21」冬号・首藤康之特集号に紹介記事を寄稿した(ちなみにこの号はamazonではプレミアの付く人気となっているようだ)。首藤の盟友的存在の小林は当時、ダンサーを引退し、演劇役者として売り出していた頃だ。ダンサーとしての来歴と魅力、今後の展望について触れたのだが、そのなかで“踊り手として再び舞台に立つ日も近い将来訪れるかもしれない”と記した。これは、各種インタビュー等で本人が語っているように、腰の故障によってプロとして365日間厳しいレッスンやリハーサルに耐え舞台に立つことは無理になったが、まったく踊れなくなったわけではないという状況を踏まえ、希望的観測も交えて書いた。それから4年してダンサー復帰が現実のものとなろうとしているのは感慨深い。成功を願っている。


prints (プリンツ) 21 2006年冬号 特集・首藤康之[雑誌]

prints (プリンツ) 21 2006年冬号 特集・首藤康之[雑誌]

2010-07-29

[]大阪→清里

公演シーズン真っ盛りである。各地でダンス公演が目白押しだ。

つい先日、大阪のMRB松田敏子リラクゼーションバレエ主催「バレエスーパーガラ」を観劇し、その後まもなく山梨県・清里で行われる恒例の「清里フィールドバレエ」初日『白鳥の湖』に足を運んだ。ともに充実した舞台だった。

「バレエスーパーガラ」は、関西を中心としたトップ・ダンサーたちが競演する独特のセレクションと大きな規模を誇るガラ公演であり、今年で12回目。「清里フィールドバレエ」は、2週間にわたって清里高原のリゾート地で行われる野外バレエであり、夏の風物詩として定着しているが、こちらは今年でなんと21回目を迎える。

ガラ公演と野外バレエ、異なる公演形態で比較したり同様に考えることはできないが、立て続けに観る機会を得て感じたのは、毎年、継続して行われていることの凄さ。熱意と冷静な実行力のどちらが欠けても続かないと思う。敬服させられる。

立て込んでいることもあって後日になるが、それぞれの模様をあらためて報告したい。

2010-07-26

[]ゼロになるからだ

スタジオジブリの最新作「借りぐらしのアリエッティ」が公開されてヒットしている。ジブリ作品といえば毎回主題歌も話題になる。なかでも個人的に印象深いのが「千と千尋の神隠し」の「いつも何度でも」(作詞:覚和歌子、作曲・編曲:木村弓)。

木村弓 いつも何度でも

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この曲を聴いて、多くの人が、もっとも耳について離れないというか気にかかるのが「ゼロになるからだ」という歌詞だろう。

詩人の谷川俊太郎が同曲の作詞を手がけた覚との対話でこう語っている。

「知性というのは頭だけである」と。

だけどやっぱり、からだがないと、

この自分が生きている世界を

感じることができないと思うんです。

「すべてのものに

からだが

関わってるんだ」

すべてを秩序づけて整理して、

切り離して理解して、という

今の時代とぜんぜん逆の方向ですよね、きっと。

たぶん、詩っていうのは

そういうはたらきを持ってるんだね、

散文とは違って。

「ほぼ日刊イトイ新聞」〜だからからだ より引用

http://www.1101.com/dakarakarada/


ゼロになるからだ

ゼロになるからだ


二十億光年の孤独 (集英社文庫)

二十億光年の孤独 (集英社文庫)

詩とは身体で書くもの。谷川の発言は詩だけに留まらない。人間が生きるうえでの根源的な問題、自分という存在がゼロということを感得することによってはじめて主体的に生を感じて生きていけるということ。三浦雅士が「バレエ入門」の“自分が無意味であることに気がつくこと”という項目でゼロの身体こそがダンスの出発点だと指摘しているのともリンクする。舞踊とは古くて新しい、根源的な芸術ということができる。


バレエ入門

バレエ入門


バレエ公演ですばらしいパフォーマンスに接したり、新たな価値観をもたらしてくれるような刺激的なコンテンポラリー・ダンスに触れると、観ているほうも、たしかに現在(いま)を生きているという実感を得られる。だからダンス公演通いが止められない。身体を通してライブで表現されるパフォーミングアーツというものの価値は、今後いや増すだろう。その魅力がどんどん広がっていくように願わずに入られない。(敬称略)

2010-07-24

[]森山開次ソロダンスツアー2010『翼 TSUBASA』

森山開次のソロ『翼 TSUBASA』(7月23日 世田谷パブリックシアター)。

2001年、初のソロ公演で上演した『夕鶴』の再演であり、「鶴の恩返し」を題材にしたもの。民話の世界を情趣たっぷりに描いている。ピアニストの阿部篤志、トランペット奏者の田中一徳とのコラボレーション。ダンスの多彩さに加え、巨大なオブジェや雪といった舞台美術や繊細な照明効果も相俟って視覚的にも美しい舞台に仕上がっている。

「鶴の恩返し」は、人と鶴との異類婚姻譚であるが、巷間広く知られる物語は、1949年に劇作家の木下順二が発表した戯曲「夕鶴」が基になっている。同作を台本にして團伊玖磨の作曲した全1幕のオペラは名作の誉れ高く、私も随分前に栗山民也の演出、鮫島有美子がつう役で歌う舞台を観て感動した覚えがある。今回の森山版「夕鶴」も趣は違えども、ダンスを核としつつ音楽・美術といった諸ジャンルとの協同作業によって生み出される刺激的なコンテンポラリーアートとして心に残った。ダンスの良さもさることながら優れた美的感覚と構築力を持つアーティストとして森山は傑出している。

森山の存在を知ったのは、山崎広太や香瑠鼓作品においてであったが、舞踊家としての背景がどこにあるのかいまいち掴みきれなく、いい意味での得体の知れなさが魅力的だった。能楽とのコラボレートなどで知られる自作公演を中心としたダンスのほか演劇・ミュージカル、それにテレビや映画にも出演するなど活動範囲の広さが際立つ。絵本も描く才人ぶりも発揮している。森山の活動とパフォーマンスを見ると、あらゆる枠にはまらないで進んでいく突破力とアーティスティックな感性が見事に融合している。森山の才能に拠るところ大であるが、20〜30年前には考えられなかった、バレエとも現代舞踊とも演劇とも違ったコンテンポラリーとしか言いようのないパフォーマンスを受け入れる土壌が広がってきた時代の寵児なのも確か。異能の今後も楽しみだ。

Kaiji Moriyama: The Velvet Suite

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2010-07-23

[]松岡伶子バレエ団「アトリエ公演」の意義と成果

名古屋の松岡伶子バレエ団は、愛知・三重・岐阜の3県に30箇所の教室を持つ、日本でも有数の規模を誇るバレエ団体。今年で創立58年を迎え、内外で活躍する踊り手を多数輩出している。ジュニア育成に定評あるだけでなく、20歳前後の、まさにバレリーナとして飛躍するには重要な時期の踊り手もしっかり育てているのが特筆される。

松岡バレエでは、全幕物を上演している秋の本公演のほか夏に中規模のホールで「アトリエ公演」を催している。かつては「新人公演」と名付けられていた中高生のジュニアから準団員・若手団員が主に出演する勉強の場だ。この公演に接すると、ジュニアからシニアの踊り手へといかに成長していくかの過程が見える。技術はもちろんのこと表現力を身につけるに際しても丁寧な指導が行われていることが如実にわかる。

今年も例年通り3部構成。1、2部では、『パキータ』よりマズルカ(ミストレス:木村麻実)、『ドリゴ組曲』(振付:松岡璃映)、『オルゴール』(振付:大寺資二)が上演され、その間に若手団員が研を競う古典のグラン・パ・ド・ドゥが3曲(津田知沙&中弥智博『サタネラ』、佐々部佳代&市橋万樹『ドン・キホーテ』、早矢仕友香&碓氷悠太『白鳥の湖』第三幕)。『パキータ』『ドリゴ組曲』では、それぞれ出演者の年代は異なるが、音感を養い、多彩なフォーメーションを踊りこなせるようにとの配慮が感じられる。『オルゴール』では、物語のあるなかでの演技の大切さを若い踊り手が肌で実感できるようにとの意図が見て取れた。内容もバラエティに富み、観客を飽かせない工夫も感じられる。

第3部は「アトリエ公演」の眼目のひとつの創作作品。毎年わが国の気鋭振付家を招聘して現代作品を踊る機会を設けている。古典の王道をしっかり学ばせつつ、それとは違った体使いや表現力の求められる振付を身に着けられるようにとの狙いがあろう。今年はカナダのトロント・ダンス・シアターで活躍する井上勇一郎を招聘した。弱冠34歳の井上は、兵庫・芦屋の波多野澄子バレエ研究所出身。ジョン・クランコ・バレエスクールを経て、ドイツ、カナダで踊っている。今回上演の3作『SYMPATHY』『Convergence』『Apartment』は、モダン・バレエ的なテイストであるが、動きの感覚やフォーメーションに研ぎ澄まされた感性が感じられた。振付をはじめて5年ほど、小品中心でまだキャリアは浅いが、随所に光るものがあって、将来を嘱望される。ことに若手団員クラス中心に踊られた『Apartment』は力作。トロントを拠点に世界的に活躍する作曲家サラ・シュガーマンの音楽が新鮮で、出演者も集中力を切らさず踊り切る。密度の濃い仕上がりだった。かつて海外で学び帰国して間もない異才・島崎徹に初めて本格的な創作の場を提供したのが松岡バレエだったというのは知る人ぞ知るエピソードである。井上にとっても振付家としての大きな一歩を刻んだ記念すべき場となることを願いたい。

日本のバレエといっても、在京大手の活動や海外の著名振付家作品の移植に注目が集まる傾向にある。バレエという芸術は、まず踊り手ありき。長い時間をかけて育まれる。創作に関しても、一朝一夕にはいかない。じっくり種をまき、水をやって育ててこそ花開く。松岡バレエは、内外で広く活躍する人材を育てており、日本のバレエの底を上げる着実な成果を上げている。ことに「アトリエ公演」は得難い試みといえるだろう。

(7月19日 中京大学文化市民会館プルニエホール)

2010-07-22

[]シャンソンの重鎮・石井好子死去とシャンソン&バレエ

日本シャンソン界を代表する歌手・石井好子さんが17日亡くなられた。享年87歳。

戦前に東京音楽学校(現・東京芸大)声楽科を卒業。ドイツ歌曲を学んだのちジャズに転向した。50年にアメリカ留学したあとフランスに渡ってシャンソンを学びヨーロッパ各地で活躍後54年に帰国。シャンソン界の第一人者として活躍を続けた。

石井がアメリカ留学を決めた時、彼女が歌手を務めていたスターダスターズのリーダーが、石井のためにさよならコンサート開いた。司会に森繁久弥、トニー谷。ゲストに淡谷のり子という豪華メンバーが顔をそろえたが、その際に花束を贈呈したのが当時日本バレエ界を代表するプリマであった貝谷八百子だったという。

http://www.i-sys.info/serial/interview/7/interview7_2.html

バレエとシャンソンの関係で言うと、名曲「枯葉」は、戦後まもなくローラン・プティ・バレエ団のステージ「Rendez-vous」の伴奏音楽としてコズマが作曲したメロディーが原型である。プティはシャンソンも唄うミューズのジジ・ジャンメールのレビューも多く振付けた。パリジャンのプティと同世代でこちらは自ら“地中海人”を自称した故モーリス・ベジャールにもジャック・ブレルやバルバラ曲を用いた『ブレルとバルバラ』などがある。

わが国では、モダンダンスの巨匠マーサ・グレアムに師事したのち帰国、独自の舞踊スタイルを貫いているアキコ・カンダが秀作『バルバラを踊る』をたびたび再演して代表作とした。近年では神戸の貞松・浜田バレエ団の長尾良子が創作した『セ・シ・ボ・ン』がシャンソンの名曲集にのせた滋味豊かなもので忘れ難い。評論では、戦後シャンソン評論を発表した蘆原英了がバレエ評論でも多大な功績を遺した巨人である。

唄い手としてのみならずシャンソン普及や後進を育成することにも熱心であった石井の死去はシャンソン界にとって大きな痛手であろう。謹んでお悔やみを申し上げたい。


日本エッセイストクラブ賞を受賞した不朽の名エッセイ

巴里の空の下オムレツのにおいは流れる レシピ版

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バレエ評論の第一人者にしてシャンソンにも造詣深かった巨人の著書

シャンソンの手帖 (1985年)

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ベジャール後期の秀作『ブレルとバルバラ』の舞台模様を収録

ベジャール、バレエ、リュミエール [DVD]

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2010-07-21

[]象の鼻テラス&横浜赤レンガ倉庫1号館による合同記者発表

創造都市・横浜に根付いた文化施設として多彩な活動を行う象の鼻テラス(運営:ワコールアートセンター)と横浜赤レンガ倉庫1号館(指定管理者:公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)による合同記者発表が7月20日、象の鼻テラスにて開かれた。

直線距離にして数百メートルしか離れていない両施設であるが、今秋に行われるダンス公演、まことクラヴ公演『事情地域ヨコハマ』(10/13-16@象の鼻テラス)、木野彩子『かめりあ』&森下真樹『月の的を射る犬』という新作公演(10/23-24@横浜赤レンガ倉庫1号館3階ホール) において広報・宣伝等を協力し、通し券を発売する。

記者会見は一風変わったもの。まことクラヴの遠田誠の司会進行によってはじまり、公演参加アーティスト紹介に際しては、木野、森下、まことクラヴの面々がテラスの外から現れるなどして会見場に乱入、おのおのパフォーマンスを行って個性をアピールした。会場に隣接する芝生から駆け込んできた木野、厚着の着物姿で一升瓶を片手に会見出席者に枡を渡し、酒をついで回った森下、遠田をのぞくメンバーがジャージ姿で例によってのコミカルなパフォーマンスを行ったまことクラヴとそれぞれに沸かせた。

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          (C)Morihiko Takahashi

その後、両施設の責任者・公演担当者によって企画説明が行われ、続いてアーティストが公演への抱負を語った。企画説明・質疑応答では、これを手始めに両施設がさらなる連携を深めていきたい意向を表明。3年に1度東京・渋谷で行われる一大ダンス・フェスティバル「ダンストリエンナーレトーキョー」を青山劇場・青山円形劇場とともに共催するワコールアートセンターと、若手振付家の登竜門として国際的な広がりを持つ「横浜ダンスコレクションEX」を展開する横浜赤レンガ倉庫1号館のタッグに期待は大きい。横浜で創造されるコアかつバラエティに富んだアートの発信を楽しみにしたい。

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          (C)Morihiko Takahashi

2010-07-20

[] トヨタコレオグラフィーアワード2010“NEXTAGE”最終審査会 審査結果

コンテンポラリー界の一大イベント・トヨタコレオグラフィーアワード2010“NEXTAGE”最終審査会が19日世田谷パブリックシアターにて行われ、「次代を担う振付家賞」および「オーディエンス賞」が決定。足を運んでいないが情報を得たので速報を掲載。

次代を担う振付家賞

古家優里 (「キャッチ マイ ビーム」)

オーディエンス賞

キミホ・ハルバート(「White Fields」)

事前の予想では、昨年の「横浜ダンスコレクションR」受賞者の田畑真希、一部の批評家筋や美術畑関係に支持があるという神村恵あたりが本命で、そこにバレエ・コンテンポラリーながら繊細で親しみやすい作風のキミホ・ハルバートらが絡む展開と思っていた。古家も一定の支持はあるかもとは考えていたがやや意外かも。

いずれにせよ受賞者の方々おめでとうございます。

2010-07-19

[]Noism1&Noism2合同公演 新潟限定 劇的舞踊『ホフマン物語』

Noism1&Noism2初の合同公演 新潟限定 劇的舞踊『ホフマン物語』は本拠地・新潟のりゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)での3日間限定。公演シーズン真っ只中であるが、さっそく初日(7月16日)に駆けつけた。Noism1と研修生カンパニーNoism2あわせて19名が出演し、序幕・終幕付きの全3幕構成。休憩込みで上演時間は2時間15分という大作である。芸術監督/振付家の金森穣の手腕に注目が集まった。

公演タイトルからもわかるように、ジャック・オッフェンバックの未完のオペラ「ホフマン物語」をモチーフにしている。しかし、金森はオペラの台本と、原作であるE.T.A.ホフマンの著した3つの小説を読み込んで完成させたというオリジナル台本を基に独自の版を生み出した。井関佐和子扮する架空の人物「亡き女優」ステラが幕ごとに「操り人形オランピア」「男装の娼婦ジュリエッタ」「病弱な娘アントニア」を演じ、同様に宮河愛一郎が劇作家E.T.Aに扮して「オランピアの作家」「ジュリエッタの愛人」「アントニアの父親」を演じる。そこに「光る子供ニクラウス」(藤井泉)、「影男リンドルフ」(櫛田祥光)、「羊のアマデウス」(真下恵)らが幕ごとにさまざまな役柄を演じわけ、それに「3人のホフマン」(藤澤拓也、永野亮比古、中川賢)、「3人の妻」(計見葵、後田恵、井関佐和子)がこれまた幕ごとに色合いの違う性格を演じて絡む。他には舞踏会の来客や娼婦たちといった群集にNoism1&Noismのメンバーが場に応じて扮している。

りゅーとぴあの劇場を張り出して、奥行きもたっぷりな地舞台。そこに劇場備品である箱馬と平台を用いてサイズの違う大きな積み木を状況に応じ出演者たちが自在に組み立て装置に見立てるという空間設定は金森自身のアイデアによるものだという。人形振りや四肢を大きく用いた力感溢れる踊り、迫力あるユニゾンといったようにあの手この手の振付術が駆使される。登場人物たちは役に応じて多彩な色合いに変化する衣装(中嶋祐一)をまとう。『NINA-物質化する生け贄』『PLAY 2 PLAY- 干渉する次元』という金森の以前の傑作に参加したトン・タッ・アンが金森の構想にあわせて書き下ろした音楽もオッフェンバックとはまったく違う現代音楽なのだが刺激的だ。生と死や現実と幻想、耽美と怪奇といった対照的なさまざまの要素が混在し合うドラマを、めくるめく展開と重層的な劇構造のもとに描き出して、大変に見ごたえがある。

金森の前作『Nameless Poison〜黒衣の僧』は、アントン・チェーホフの小説をモチーフにしているが、そこから喚起されたイメージをコラージュした造りで、明確な物語性はない。それに比し『ホフマン物語』は、物語がやや前面に出てくる。とはいえストーリーを語ることに眼目はなく、舞踊・身体表現による創作としては具象と抽象のあいだを行き来する。人物関係がやや複雑なこともあり分かりやすい内容ではない。でも、謎のない創作にマジックなど宿ろうはずもなく退屈極まりない。今作は、ダンサーの身体のぶつかり合いから生まれるエネルギーが生み出す豊穣なイマジネーションと観客の想像力が交感して初めて成立し得る。客席をも含めた劇場空間を巻き込むようなダイナミズムに満ちたパフォーマンスであり、まさに“劇的舞踊”としか呼び得ないものだろう。

劇場空間を非日常な祝祭的空間に変えるダイナミズム、それに、これまで以上に生と死という主題が濃密に出ていることから、金森のなかにあるであろう「ベジャールの血」を強く感じた。あくまで個人的な雑感に過ぎないかも知れないが・・・。作風や振付が具体的にモーリス・ベジャールの作品と似ているとかいうわけでない。そう感じる人もまずいないはず。でも、舞踊芸術という肉体による表現が根源的にはらむ生と死という問題を抱え、イマジネーション豊かなスペクタクルを持ってして多くの観客を祝祭空間に巻き込むという点では、師のひとりであるベジャールと相通じるものがあるのでは。

新潟限定というのが惜しいが、強いてそれを決行する金森/Noismの姿勢は理解できるし支持したい。地域に根付いた劇場専属舞踊集団として時間をかけたクリエーションを行って世界各地でも公演を続けてきたこの6年の成果は、わが国の舞踊シーンの金字塔であり、モデルケースとなるべきもの。りゅーとぴあでのNoism公演は劇場のみならず能楽堂、スタジオでの公演を含め何度も観てきたけれども(2004年の旗揚げ公演以後、ワークショップ公演等を除いたNoismの本公演で上演された作品をすべて観ている評論家は私だけだと思う)、シーズンを重ねるごとに観客の熱が高まってきているのを肌で感じる。今回など、文字通り食い入るように舞台に集中し、カーテンコールでも熱烈な拍手を送る観客が多々見られた。22時を過ぎても続いたアフタートークでも熱心な質問を浴びせ、舞台から受けた印象を熱く語る人が後を絶たないのが印象的だった。

金森は故ピナ・バウシュが、自身の率いる舞踊団の活躍によってヴッパタールを一大芸術都市にし、世界各地からの観客を集めるようになった例を挙げ、そういった展開を志向する旨をインタビュー等で述べている。が、ピナの場合、作品もそうだがピナという存在そのものがあらゆる芸術家の一等星のなかでも例外中の例外といえる格別の個性があって、そこに少なからぬ人が惚れ込んだわけだ。同様にはいくまい。今回のような深くて刺激的だが決して分かりやすいとはいえない大作に、熱心さと好奇心を持って迫る新潟の観客を目にすると、むしろハンブルク・バレエの芸術監督ジョン・ノイマイヤーとハンブルク市民の関係を想起した。ノイマイヤーの作品は深いけれども常識的にいえば難解と分別されよう。でも、ノイマイヤーは何十年も市や市民に理解されて愛され続けている。日本とは文化事情が異なるとはいえ奇跡のようなものだといってもいい。Noismの活動は2013年8月までの期間延長が決まっている。プログラムやアフタートークでの文言、それに何より作品の充実が金森のモチベーションの高さを示していよう。繰り返すが観客も熱い。さらなる先を射程に入れての展開を期待したい。(敬称略)


ホフマン短篇集 (岩波文庫)

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NINA materialize sacrifice [DVD]

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2010-07-18

[]日本人にも親しまれるフランスの純愛物語『シラノ・ド・ベルジュラック』『椿姫』

BeSeTo演劇祭で上演されているSCOTによる鈴木忠志演出『シラノ・ド・ベルジュラック』を観る。2006年にも今回と同じ新国立劇場にて劇場主催公演に招聘されて上演されてもいる鈴木にとっての近年の代表作のひとつである。鈴木は前衛演劇の旗手として注目され、いまなお第一線で活躍する世界的演出家だ。「スズキ・メソッド」という身体訓練法を編み出し後進に影響をあたえたことはよく知られよう(金森穣などもそうだ)。『シラノ・ド・ベルジュラック』は、フランス人、エドモン・ロスタン原作の著名な物語。それを戯曲を読み解いてメタ構造にしつらえ、舞台意匠や演技・所作を日本式にするあたりはいかにも鈴木的だが、音楽にイタリアオペラ・オペレッタが使われるという意表を付かれる演出もあって独特な方法論と美意識に貫かれた異色作である。


演劇とは何か (岩波新書)

演劇とは何か (岩波新書)

鈴木は会場で配られた演出意図を語るリーフレットのなかで、『シラノ・ド・ベルジュラック』と『椿姫』(デュマ原作)は舞台芸術の世界において日本人に親しまれてきたフランスの生んだ二大純愛物語だと述べている。醜顔から、娼婦という職業からそれぞれの主人公シラノ、マルグリッドは自由に生きられない。両者の純愛と悲劇が日本人に身近であったのは、“一時代前の日本人が、人間関係において精神的な不自由を感じ、あるいは劣等感にながら生きてきた証なのかもしれない”と指摘している。

それだけが理由でないにせよ、確かに現在に至るまで、わが国において『シラノ・ド・ベルジュラック』『椿姫』は演劇、オペラ、舞踊等の舞台にしばしばかけられ名舞台も生んでいる。『シラノ・ド・ベルジュラック』の舞台版といえば、なんといっても新国劇の故・島田正吾によるひとり芝居『白野弁十郎』が伝説の名舞台と言われる。私も島田の晩年に早稲田大学大隈講堂で上演された舞台を観て大変感激した覚えがある。新国劇の後進・緒方拳がそれを受け継いだが、その緒方も早世したのが惜しまれる。近年では、市村正親主演『シラノ』という舞台もあった。『椿姫』はヴェルディ・オペラの名作であり、頻繁に舞台にかかる。演劇では、新派の初代水谷八重子や美輪明宏、坂東玉三郎、大地真央らが演じており、私も大地の舞台を観ている。鈴木のいうように、ふたつの物語の底流を成す主題は、日本人になじみ深いのかもしれない。



ここでは、舞踊における『シラノ・ド・ベルジュラック』『椿姫』について触れておこう。

『シラノ・ド・ベルジュラック』でいえば、まず有名なのが、物語のお膝元フランスの生んだローラン・プティ版。1959年、パリ・バレエによる初演である。プティ自身や彼のミューズたるジジ・ジャンメールも出演している。モイラ・シアラーとプティの踊るパ・ド・ドゥは映画「ブラック・タイツ」に収録された。イギリスでは、デビッド・ビントレーが1991年にウィルフレッド・ジョセフスの委嘱曲を使ってコベントガーデンで発表したが不評に終わった。しかし、2006年にカール・ディヴィス曲を得てバーミンガム・ロイヤル・バレエにて発表した版は好評を得たようで、ロシアのブノワ賞にもノミネートされた。ビントレーは、2010/2011シーズンからは新国立劇場の舞踊芸術監督を務めるだけに、ひょっとしたら以後、新国立のレパートリー入りするなんてことがあるかもしれない。日本では、バレエ団芸術座を主宰し、数多の文学作品のバレエ化を手がけている深沢和子が2005年、日本バレエ協会「バレエ・フェスティバル」において中編として発表している。黄凱やミュージカル畑の平澤智の出演だった。さらに昨2009年夏、札幌の「ドリーム・オブ・ダンサーズ」公演においてバレエ界の巨匠・佐多達枝が『シラノの恋』と題した40分程度の中編を発表している。森田健太郎、佐々木和葉らの出演。目下、佐多の本格的な舞踊作品としては最新のものにあたる。東京でも機会あればぜひ見てみたい。



『椿姫』に関しては、ショパン曲によるジョン・ノイマイヤー版(1978年)があまりにも有名。リスト曲を使ったフレデリック・アシュトンによる一幕もの『マルグリッドとアルマン』(1963年)も名作の誉れ高い。他にもアントニー・チューダーらが手がけている。日本では、新国立劇場で発表され、先日再演された牧阿佐美版(2007年)が近年の話題だ。ベルリオーズ曲を用いた2幕構成によるこのグランド・バレエは、2007年の第7回朝日舞台芸術賞も獲得し“美術、音楽ともに詩情ゆたかに演出された舞台だが、特に現代バレエならではの技法を駆使して緻密な心理劇を構築した振り付けが優れている。将来、日本バレエの貴重な財産となるだろう。”等と選考委員から高く評価された。先日の再演も好評を博している。また、牧が1998年にアザーリ・プリセツキーと共同で振付けた版もある(ヴェルディ曲)。その経験も踏まえ、より日本人の感性に添ったものを、新国立劇場という劇場にふさわしいものをと生み出したのが2007年版なのだろう。ロシア公演も行われ成功だったようでそれも喜ばしい。他には近年でいうと、1960年代以降先鋭的・前衛的な創作で一世を風靡し、故・市川雅がモーリス・ベジャール、ジェローム・ロビンズと並ぶ世界三大振付師とも評した偉才・高橋彪が2004年に振付けているのが目を惹く(未見)。高橋は寡作ながら息の長い活動をしているようだ。


2010-07-16

[]大島早紀子演出・振付 東京二期会オペラ劇場 ベルリオーズ『ファウストの劫罰』

東京二期会オペラ劇場が東京二期会/東京フィル ベルリオーズ・プロジェクト 2010の一環としてエクトール・ベルリオーズ作曲『ファウストの劫罰』を上演した(初日観劇)。これは「4部からなる劇的物語」と題されたもので、ドイツの文豪ゲーテの「ファウスト」に基づいたベルリオーズの代表作。しかし、ドラマの展開が断片的といわれることもあって舞台上演は希少なことで知られる。日本では1999年にサイトウ・キネン・フェスティバルにて指揮:小澤征爾、演出:ロベール・ルパージュで上演され話題になっているが、今回は指揮にフランス音楽の第一人者と目されるミシェル・プラッソン、演出・振付にダンスカンパニーH・アール・カオスを主宰する大島早紀子という布陣だ。二期会と大島がタッグを組むのは2007年のシュトラウス『ダフネ』以来2度目のことである。

生への欲望から悪魔メフィストフェレスに魂を売った老人ファウストの悲劇――。大島はそこに現実と仮想が錯綜し、ヴァーチャルな世界で生の実感を得難い現代における身体性の喪失を重ね合わせる。これは、近年の大島の一連の仕事の延長にあるといっていい。2004年のH・アール・カオス公演『人工楽園』や2008年の愛知芸術文化センター制作によるダンスオペラ『神曲』などは、同様といっていい主題を扱ってきた。ことに後者は『ファウストの劫罰』と同じ原作者による「神曲」をモチーフとしたもので、時空を超えた空間で展開されるエロスとタナトスをめぐるドラマという点でも相似形を成す(『神曲』に関しては当時、美術誌に依頼されて評を書いた)。『ファウストの劫罰』は、これ以上ない最適の演出家の手に委ねられたいっていいだろう。実際、視覚的な美しさに定評ある大島演出であるが、今回はより哲学性の深い「読み」のある演出が光った。

大島のミューズ白河直子をはじめとしたH・アール・カオスのダンサーたちは例のごとく数々の象徴的なイメージを鮮やかに体現する。専売特許ともいえる華麗なるワイヤー・ダンスは今回も健在だ。しかし、これまでのダンスオペラや『ダフネ』上演のときとダンスの魅せ方は違ったように感じた。これまでは、命を燃やし尽くすかのような燃焼度の高いダンスが表象すべきイメージを超えてしまう印象も。それはそれで大変に魅力的であったが、構成や演出のバランスからすればやや過剰に思える印象もあった。今回は、ワイヤー・ダンスにしても床や階段を使ったダンスにしても最初は抑制された用いられ方をしている。終盤の山場でも多彩なダンスが展開されるが、音楽や歌・合唱それに照明と相まって劇的高揚を最大限引き出すための要素として効果的にダンスを配している。足し算でなく掛け算。大島の演出家としての懐の深さが広がった。オペラは趣味で見るだけなので門外漢だが、オーケストラ、歌手・ソリスト陣の水準も高いと感じた。沢田祐二の照明も陰影深くそれでいて随所に色気があってハッとさせられる。管弦楽と歌・合唱とダンスが高い次元で融合し、美術・照明等の諸要素も充実して、美的にも強度の高い作品に仕上がっていたのは喜ばしい。終幕に得られる圧倒的なカタルシスのすばらしさにはただただ圧倒されるばかりだ。

今日、オペラ演出には、映画監督や演劇の演出家をはじめ音楽畑とは違う異分野の演出家が参入している。ダンス畑でも今は亡きモーリス・ベジャールやピナ・バウシュにはじまり、トリシャ・ブラウン、天児牛大、勅使川原三郎、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル、ジョゼ&ドミニク・モンタルヴォらの仕事が知られる。大島と二期会のコラボレーションもこれらの系譜のなかにおいて特筆されるべきものであろう。二期会では映画監督の故・実相寺昭雄やミュージカル畑の宮本亜門、小劇場演劇出身の白井晃ら異分野の異才を演出に起用してオペラ上演を行っており、実相寺の『カルメン』や宮本の『フィガロの結婚』等は観たことがある。今回の『ファウストの劫罰』に接して、わが国の誇る多才な演出家を活かし、歌手・合唱陣は常に日本人オンリーで、実験的かつ質の高い上演を続ける二期会の活動の充実ぶりをあらためて実感させられた。


2010-07-14

[]東京バレエ団海外公演700回と高岸直樹・由良之助

先日、東京バレエ団がミラノ・スカラ座での『ザ・カブキ』公演をもって海外公演700回を達成した。東京バレエ団のblogのほかネットメディアでも取り上げられている。

http://www.thetokyoballet.com/news/

海外公演700回目は偉業だが、さらに驚いたのが、記念すべき海外での700回目の公演で主役の由良之助を演じた高岸直樹が、2年ぶり64回目の登板だったこと。1986年の初演時に傘持ち役で初舞台を踏んだ高岸であるが、翌1987年に由良之助に抜擢されて以来内外で演じ続けているというわけだ。これは凄いことではないだろうか。

『くるみ割り人形』『白鳥の湖』といった頻繁に上演される古典全幕の主役や現代作品の小編・中編の主役(たとえばベジャールでいえば『ボレロ』など)であれば、100回、200回と主演するのは不可能ではないが、現在、創作もののグランド・バレエ大作で64回も主演するというのは世界的に見ても例外に属するだろう。しかも、全2幕ほぼ出すっぱりで途中に7分半にも及ぶ超絶ヴァリエーションまで含むダンサー泣かせの振付だ。四半世紀近くにわたって踊り続けるのは並みのスタミナと精神力ではできないはず。公演場所に関しても国内以上にパリやベルリン、それに今回のミラノにある著名歌劇場や欧州はじめとした各国の主要劇場での上演が圧倒的に多いのも特筆される。

由良之助役の系譜は初演時のエリック・ヴ=アンと夏山周久、その後は高岸、後藤晴雄、そして今春はじめて踊った柄本弾と続くが“高岸由良之助”の異名も取るように、高岸といえば由良之助。もはや切っても切り離せない。勇壮、剛健な日本男子ぶりは嵌っている。日本では2008年にベジャール追悼公演で踊ったのが直近の舞台となる。今回のミラノでの舞台は久々だったわけだが、日本でも機会あればぜひもう一度踊って欲しい。力強く健康的な色気を振りまく『ボレロ』のメロディ役とともに。

Vous avez dit Béjart ? - Kabuki -

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2010-07-13

[]艶やか極まりない法村珠里『ドン・キホーテ』キトリ

「艶やか(あでやか)」という言葉がある。大辞泉を引くと“[形動][文][ナリ]《「あて(貴)やか」の音変化》女性の容姿がなまめかしいさま。美しくて華やかなさま。「―にほほえむ」「―な衣装」[派生] あでやかさ[名]”という意。どうしてここでいきなり持ち出すかというと、少し前になるが、そうと呼ぶしかできない演技に接したからだ。

それは6月に行われた大阪の法村友井バレエ団公演『ドン・キホーテ』全幕においてキトリ役を踊った法村珠里の演技である。珠里は若手プリマの有望株として注目され、抜群の柔軟性と無尽蔵と思われるような豊富なスタミナを有する逸材。身体のラインも映える。そんな珠里であるが、粋でいなせ、開放的なキャラクターが特徴的なキトリ役と相性がいい。日が経つにつれその印象が鮮やかに蘇ってくる。高々と上げられる脚のラインが美しく、跳躍も伸びやかで、背中を反らしたポーズも実に綺麗。そして、おきゃんで愛らしいなかにも、ワディム・ソロマハ演じるバジルとの何気ないやり取りや踊る際のたたずまいに、そこはかとない色香が立ち昇る。踊り・所作の端々が艶やかでいて品がある。ロシア・バレエに通暁した法村牧緒の演出は、マリインスキー劇場版に基づき群舞を一層華やかにしたり、人形劇の場でも人形芝居でなくダンサーが踊るなど踊りの見せ場豊富であるが、珠里はその重厚華麗なる舞踊絵巻の中心に相応しい。

公演後にでた批評記事のなかで舞踊評論の大御所・山野博大が珠里の演技を「あでやか」と評したのに膝を打った。いい得て妙で、珠里の演技をひと言で形容すれば、確かに、そうなると思う。では、その若さに似合わぬ見事なまでの艶やかさは一体どこから来るのだろうか。山野はさらに珠里の祖母に当たる伝説の名花・紫綬褒章受章者の故・友井唯起子を彷彿とさせると述べている。友井は、法村康之とともに1937年創設のバレエ団を発展させ、のちには2代目団長、日本バレエ協会副会長を務めたバレエ界の重鎮。ダンサーとしても歴史に名を残す。バレエ団の初期には『カルメン』『舞姫タイス』といった創作に主演し人気を博するが、なかでも『シェヘラザード』ゾベイダの演技は、写真でみるだけでも肢体の柔らかさや艶かしい色気が伝わって来てゾクっとさせられるほどだ。珠里が友井の血を引くというのも、なるほどそうか、と思わされる。

さて、最後に「艶やか」という言葉とバレエ評について。いまから20年前以上のバレエ雑誌掲載の公演評(なんであったかは失念した)のなかで、ジャーナリスト/編集者の谷孝子が「艶やか」という言葉をつかいつつ、当節バレエ評のなかに見かけることは少なくなったと苦笑してしまった、と記している。戦中から戦後にかけて活躍した洋舞の評論家たちと、谷や前述の山野含め戦後出てきた新世代の評論家では、感性も言語感覚も違ってくるのだろう。その山野が珠里を「あでやか」と評するのだから、おもしろい。いま、現在のバレエの状況を顧みると、プリマたちの演技に濃厚な色香、大輪の華の如きオーラを見出すことが難しい印象も。「艶やか」という言葉が死語というか使われなくなっていったのも必然なのかもしれない。「艶やか」――昔風だがいい響きだ。そういった形容をもっと使いたい。いまのプリマたちの好演に期待しよう。(敬称略)

2010-07-12

[]カジワラトシオ×東野祥子 『UNTITLED RITUALS NO.1-NO.5』

原宿にあるリトルモア地下という地下の小スペースで行われたカジワラトシオ×東野祥子 による『UNTITLED RITUALS NO.1-NO.5』という公演を観た。

若者向けの雑誌や写真集を制作するほかレコードのレーベルも持ち、映画の配給等も手がけるリトルモアの運営するリトルモア地下では、このところ東京の演劇・ダンスシーンで話題を集めるアーティストに場を提供して小空間ならではのパフォーマンスを展開している。今回はNYのアンダーグラウンドな音楽シーンに関わり、即興パフォーマンスからクラブでのDJなど多彩に活躍するカジワラと、関西出身でいまは東京を拠点に活動するダンサー/振付家である東野の共演だ。音楽をカジワラ、振付を東野が手がけ、演出は両者の共同によるパフォーマンスであるが、東野は同会場では昨年の『---MESs---メス---』続いての登場。カジワラもその際、音楽として参加している。

『UNTITLED RITUALS NO.1-NO.5』では、カジワラの、絶妙なターンテーブリストぶりのほかに東野の腹の上に載せたドラムを叩くといった意想外の音楽的演出と東野の、屈伸したものやフロアの動きも多様した小空間での緻密な身体コントロールによるダンスの応酬を楽しむことができた。レーザー光線やスモークを多用し、巨大なビニールの風船のようなオブジェやアルコールランプといった小道具も巧みに使われる。即興的なセッションの魅力と練り上げられた演出が共存するパフォーマンス。東野のダンスは今回に限らないが、レプリカントのような無機的であったり、あるいは生っぽいイキモノであったり変幻自在だ。踊りのボキャブラリーの多さと磁力ある存在感は凄い。『---MESs---メス---』でも、今回同様レーザー光線の多様やカジワラが方々に張り巡らされたテープを引きちぎる際の耳をつんざくような音の演出、無論東野のダンスは鮮烈だったが、いまいち空間を生かしきれていない印象も。今回は、スペースに慣れたこともあってか、あらゆる点で『---MESs---メス---』以上に魅力的なパフォーマンスだった。

東野は主宰するBABY-Qの自主公演を定期的に持つが、その合間に、今回のような外部からの依頼による公演や企画、ワークショップなどを行うし、煙巻ヨーコ名義でクラブでも頻繁に踊るなどその活動は留まるところを知らない。海外公演も少なくない。文字通り東奔西走し疾走するアーティストといえる。特筆は、そういった多忙ななかでも、クオリティの高い創作を続けていること。2004年「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2004」の「次代を担う振付家賞」、2005年「横浜ソロ×デュオ〈Compe´tition〉+」の群舞部門「未来へ羽ばたく横浜賞」という、コンテンポラリー・ダンス界の2大コンペを制したのちも、2006年に音楽、舞踊、演劇、映像の情報、批評による総合専門紙「週刊オン・ステージ新聞」の新人振付家ベスト1に選出され、今春には舞踊批評家協会賞新人賞を獲得するなど、コンテンポラリー・ダンス畑以外のダンス関係者からの評価も得ていることから実証されていよう。音楽シーンや美術シーンからの注目度も高い。

東野が広く注目され、コアな観客も持つ理由とは?まずもってダンスの凄さがある。これは余人に真似できるものではないものだ。それに加え大きいのは、アングラチックな味を特徴に、美術や衣装、音楽、映像等の諸要素をトータルに考えてプレゼンテーションする力量、それに、旬でエッジーなアーティストを呼び込む感度のいいアンテナのようなものを持っているからだろう。才能・センスがあってもなかなか結果=作品として世に送り出せないアーティストも少なくなく、見ていて歯がゆい思いをすることもしばしば。そこをどうするかの可能性の一端は、他人を巻き込む力と自己プロデュース力にあるということであると、当たり前のことなのであるが、東野の舞台を観ていつも感じる。これも簡単に真似できるものではないが、後続の人には示唆に富むのではないか。

東野/BABY-Qの活動では、今年は既に2008年秋に発表したソロをブラッシュアップした快作『VACUUM ZONE』(3月、シアタートラム)があった。今後も今月末、世田谷美術館での野外パフォーマンス『私はそそられる―Inside Woman』などいろいろ続く。来春までにはBABY-Q公演も予定されているようだ。そちらも楽しみにしたい。


Yoko Higashino Solo Dance "E/G - EGO GEOMETRIA"

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BABY-Q Dance Performance "GEEEEEK - 愛の乞食と感情の商人、その家畜たち ───"

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2010-07-11

[]ダンサーを観る楽しみ 作品を見る楽しみ

今にはじまったことではないが、バレエの舞台を鑑賞する際、ダンサーで観るか、作品で観るかというのは人それぞれだといわれる。このところ世界的にスターが不在と嘆かれる。現代作品やコンテンポラリーとなると「振付家の時代」と目され、ダンサーは作品・振付家の後に来る印象がどうしても強い。また、古典作品の上演に関しても主役のスター性・ネームバリューでなく、舞台美術や衣装、照明効果の充実や群舞のスタイルの統一感など総合的な完成度で勝負する時代との考えもある。正直、スターが育ちにくい時代なのかも知れない。とはいえ、たとえば、昨夏の「世界バレエフェスティバル」全幕特別プロ『ドン・キホーテ』に主演したダニール・シムキンの剃刀の上を渡るような派手なテクニックや抜群のスター性に触れ、同時に観客の熱狂ぶりに接したりすると、破格の個性はいつの時代も求められているのだと実感させられたりもする。

また、近年、日本でも相次いで上演されたフレデリック・アシュトン『リーズの結婚』『シルヴィア』、ジョン・クランコ『オネーギン』、ケネス・マクミラン『マノン』『ロミオとジュリエット』、アンドレ・プロコフスキー『アンナ・カレーニナ』『三銃士』、ジョン・ノイマイヤー『椿姫』といった20世紀バレエの巨匠の手によるドラマティック・バレエの傑作群に接すると、その奥深い作品世界や練られた演出・振付に感嘆させられるとともに、あらためて踊り手によって受ける印象が大きく異なることを再認識させられた。マクミランの『マノン』などアレッサンドラ・フェリ、ダーシー・バッセル、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、アリーナ・コジョカル等がタイトル・ロールを踊るのほぼ同時期に観たが、同じ物語、同じ振付を踊りながらかくも解釈や表現が異なるものかと感嘆させられる。

古典作品でも例外ではない。斬新な解釈による現代版の演出は別にしてオーソドックスなバージョンの上演においても、演者によってはありきたりな様式美を超えた、胸をえぐるような切実なドラマとして立ち上がってくるものも少なくない。最近では、タマラ・ロホが主演した『白鳥の湖』の紡ぐ濃密な心理ドラマや上野水香の踊ったラコット版『ラ・シルフィード』の、過去の上演史を覆すような斬新かつ説得力ある演技など、様式や古典の枠組みを超えた現代的な息吹や解釈を感じさせる上演に遭遇した。主役によって作品の色合いどころかドラマの本質すら大きく変わる現象も時には起こる。

個人的には、近現代&創作バレエ、コンテンポラリー&モダンに惹かれ、振付家に興味がいく傾向にあるかと思う。でも、舞踊というものはダンサーが踊らなければ存在せず、作品も成立しないということは常に忘れないようにしている。ダンサーに対するリスペクトを忘れず、同時に、未知なるスターの誕生を願うのがダンス・ファンの仁義であろう。作品の完成度や諸要素のディティールにばかり目が行くと、評論家・実演家や関係者は無論のことシアターゴーアーであってもフツウーの観客目線から乖離してしまう。ダンサーを見る楽しみと作品を見る楽しみ。バランス感覚は誰にとっても必要だ。


Ballet - Maria Kochetkova & Daniil Simkin

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Sylvie Guillem Manon First Pdd

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Tamara Rojo, Carlos Acosta - Swan Lake

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2010-07-10

[]ローザスと鬼才振付家ケースマイケルの現在

8月に開幕する「あいちトリエンナーレ」のパフォーミング・アーツ部門で上演予定されているローザス『ローザス・ダンス・ローザス』のチケットが早くも完売したようだ。10月末の平日3日間の小ホール公演とはいえ、コンテンポラリー・ダンス公演として何百人も動員するのは大変と思われる名古屋において3ヶ月以上前に完売とは恐れ入る。

ローザスといえば、コンテンポラリー・ダンス ファンには説明するまでもない著名カンパニー。振付家のアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルが芸術監督を務めるベルギーを代表するダンスカンパニーであり、1983年に結成された。『ローザス・ダンス・ローザス』は、ローザスを結成した4名のダンサーと音楽家ティエリー・ドゥ・メイなどで創作された、カンパニーのデビュー作にあたる。折からのヌーベルダンス・ブームに乗じて処女作からして世界的にブレイクした記念碑的作品だ。1994年の来日公演も観客やダンス関係者に大きな影響をあたえたとされる。伝説の名作であるが、2009年にケースマイケル自身が踊るバージョンとして再振付され、カンパニーのレパートリーに復活した。コンテンポラリー・ダンス史上に残る傑作であり、今回、愛知のみでの上演が売りである。観られなくて残念がる人も少なくないだろう。追加公演等はできないものか。

とはいえ、その直後にローザス製作、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル+ジェローム・ベル+アンサンブル・イクトゥスがコラボレーションした近作『3Abschied(3つの別れ)』が名古屋で日本初演を迎えたあと、埼玉でも上演される。これは、マーラー「大地の歌」(シェーンベルク編曲)に基づいて現代音楽アンサンブルのイクトゥスが演奏し、女性独唱がそこに絡むという異色作のようだ。こちらにも期待したい。

現在の世界のコンテンポラリー・ダンス界の現状をみると、世界的名声を得たピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団は振付家の死という重大な局面を迎え、現代ダンスの鬼才、ウィリアム・フォーサイスはカンパニーの規模縮小を余儀なくされ、来日公演も途絶えている。イリ・キリアンもネザーランド・ダンス・シアターの一線から退き、ナチョ・ドゥアトはスペイン国立ダンスカンパニーの芸術監督の地位から降りる(私的にはドゥアトはコンテンポラリー・ダンスではなくバレエ畑と認識しているが…)。そんななか、ケースマイケルとローザスの意欲的で衰えを知らぬ活動が一際光彩を放つ。日本でも1990年代に来日した『ローザス・ダンス・ローザス』や『永劫の愛』がコンテンポラリー・ダンス・ブームに火を付け、2001年に久々に来日上演されたスティーブ・ライヒの卓越した視覚化『ドラミング』で再ブレイクし、近年も『デッシュ』『ツァイトゥング』等で新たな観客を獲得している。コンテンポラリー・ダンス界の寵児・異才から押しも押されぬ巨匠へと鮮やかにシフトチェンジしつつあるケースマイケルに一層注目が集まること大である。


Rosas | ROSAS DANST ROSAS

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ローザス・ダンス・ローザス [VHS]

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ローザス 短編集 [DVD]

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2010-07-09

[]ルジマートフ究極の名演『シェへラザード』金の奴隷

孤高の名ダンサー、ファルフ・ルジマートフ。長年にわたってクラシック・ダンサーとしてあらゆるレパートリーをこなし頂点を極めてきたが、表現者としての独自性は、クラシックを越境した近代バレエやモダンにおいてより発揮されていると思う。笠井叡『レクイエム』や、今回開催の「バレエの真髄」で踊った岩田守弘『阿修羅』でみせた精神性高い踊りは、バレエ・ダンサーとして未踏の境地へと足を踏み入れたものである。

なかでも畢生の当たり役がフォーキン振付の近代バレエの名作『シェヘラザード』の金の奴隷役だ。猫のようにしなやかと評された天才ニジンスキーの名演を彷彿とさせる敏捷さと、この人一流のメランコリックリックなたたずまいに秘められた情熱が相俟って圧倒的な芸術的感興をもたらす。マリインスキー・バレエやロシア国立バレエ等の来日公演でたびたび披露しているが、今回の「バレエの精髄」におけるキエフ・バレエの名花、エレーナ・フィリピエワと組んでの舞台でも底力を見せつけた。野性味はありながら、そこはなとない品位は失わないという、しとやかな獣ぶりはこの人ならでは。

ニジンスキーの踊った金の奴隷は見られなくても、ルジマートフのそれを見られたならば悔いはない!その思いを新たにさせられる名演を堪能した一夕であった。


Schéhérazade: Elena Filipeva- Farukh Ruzimatov D

2010-07-08

[]イサム・ノグチ母を描く「レオニー」 勅使川原三郎出演

日系アメリカ人の著名彫刻家イサム・ノグチ(1904〜1988)は、日本の詩人で慶應義塾大学教授の野口米次郎とアメリカの作家で教師のレオニー・ギルモアとの間に産まれた。事情あってシングルマザーとなったレオニーは、若きイサムとともにふたつの国で、戦争等の混乱の時代を生き抜くことになる。そのレオニーの波乱に満ちた生涯を取り上げた映画が今秋公開(11月20日)される。「ユキエ」「折り梅」の松井久子監督が完成に7年を要したという「レオニー」である。100年前、ひとりで日本の地を踏んで天才芸術家を育てた女性の生をドラマティックに描く感動作として注目されている。

イサムといえば、ニューヨークで活躍していた日本人舞踊家・伊藤道郎の作品に参加して仮面を造ったのを嚆矢に舞台美術家としても活躍した。モダンダンスの巨匠であるマーサ・グレアム作品の舞台装置の制作によってグレアムの創作に多大な影響を及ぼしたことは知られよう。「レオニー」では、イサムを彷彿とさせる彫刻家役に舞踊家/振付家の勅使川原三郎がキャスティングされているというのが話題だ。主人公レオニーを演じるエミリー・モーティマーのほか中村獅童、原田美枝子、吉行和子、竹下景子、柏原崇、大地康雄、中村雅俊らのキャスト陣とともに勅使川原の演技にも注目したい。


映画の原案本

イサム・ノグチ(上)――宿命の越境者 (講談社文庫)

イサム・ノグチ(上)――宿命の越境者 (講談社文庫)

イサム・ノグチ〈下〉―宿命の越境者

イサム・ノグチ〈下〉―宿命の越境者

「イサム・ノグチ」特集号

Casa BRUTUS特別編集 イサム・ノグチ伝説 (Magazine House mook)

Casa BRUTUS特別編集 イサム・ノグチ伝説 (Magazine House mook)


勅使川原三郎出演映画「五条霊戦記」

五条霊戦記//GOJOE [DVD]

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2010-07-07

[]バレエ界待望の超新星!ダニール・シムキン!!

昨夏の「世界バレエフェスティバル」で大ブレイクした新星・ダニール・シムキン。ロシアのバレエ一家に生まれ、主要な国際バレエコンクールを総なめにして早くから注目される存在だったが、プロのダンサーとしての成長も目覚ましく、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いといえる。超絶テクニックの持ち主だが、美技をきれいにみせる音楽性豊かな表現力を備えているのが魅力的。それに小柄ながら愛嬌のある笑顔に好感を抱かずにはいられない。女性のみならず男性からみても好漢、ナイスガイといった感じである。

バレエフェスの全幕特別プロで踊った『ドン・キホーテ』バジル役では、客席を熱狂と興奮の渦に巻き込んだ。あれほど劇場中が沸き返えることはそうはない。その話題騒然の演技が8月、東京バレエ団への客演で蘇える。シムキンのバジルに対するのは小出領子のキトリ。身体のラインが美しく、知的な表現力を持ち味とする。技術もしっかりしており、音楽性にも磨きがかかってきた。両者の共演は盛り上がること必至だろう。

さて、その東京バレエ団『ドン・キホーテ』に併せ新書館から「ダニール・シムキン 奇跡のバレエ・ダンサー」が刊行されるようだ。刊行を記念して8月23日にはシムキンを招いてのファン・イベントも行われる。7月17日からイベントの整理券の配布が始まるとか。世界的にスター・ダンサーが乏しいといわれるなか、パリ・オペラ座バレエのマチュー・ガニオと並んで、シムキンの活躍は大いに期待される。シムキン旋風が楽しみだ。

「ダニール・シムキン 奇跡のバレエ・ダンサー」刊行記念 ダニール・シムキン ファン・イベントのお知らせ

http://www.shinshokan.co.jp/dance/simkin.html


ダニール・シムキン 奇跡のバレエ・ダンサー

ダニール・シムキン 奇跡のバレエ・ダンサー


Daniil Simkin - Ballet Don Quixote - Basil

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2010-07-06

[]ミクニヤナイハラプロジェクトvol.5 『幸福オンザ道路』

ディレクター制によるアート集団であるニブロールを主宰する矢内原美邦が主に「演劇」を上演するために立ち上げたのがミクニヤナイハラプロジェクト。ただ、そこで上演されるものは、常識的な意味での演劇とは趣を異にする。何を喋っているのかわからぬ位に演者が早口で台詞をまくし立てたり、叫ぶ。同時にダンスようなあるいはダンスらしからぬような動きで小空間を所狭しと走り回わったりする。言葉と身体(それに高橋啓祐の映像)がぶつかり、交錯して展開していくめくるめくような疾走感が特徴だ。

ただ賛否両論ある。意味や物語を読み取ろうとする観客は、ハイテンションで情報量の多い矢内原ワールドに置いてけぼりを喰らうことになる。物語性やドラマツルギーで考えると破綻はあるという指摘もなくはない。また、演者は激しく動いて叫ぶので、何を言っているのか意味不明な状態に陥ることも少なくなかった。無論、それは演出の意図でもあるかもしれないが、ときに最小限伝えるべき情報すら伝わらず、矢内原の表現したいものが見え難くくなり、困惑させられていたのも事実だった。身体訓練や発声法等のメソッドを確立していくべきという意見ももっともな面もあった。

今回の『幸福オンザ道路』(7/11まで上演中@STスポット)では、そういった課題や批判に対して矢内原が意識して対処したのかどうかは分からないが、結果として課題をクリアし、さらにその劇世界の奥行きを増すことに成功しつつあるように感じた。

今作は、ビート・ジェネレーションを代表するジャック・ケルアックのカルト小説「路上」をモチーフにしているが、謎解き、サスペンスの要素を取り入れたのが大きい。ビルの上から何人もが同時に飛び降り自殺を起こした事件の真相が、事件に関わるさまざまの人物たち――天才女性外科医や喫茶店のマスターやネタバレになるので書けないがある特殊な設定の男たちの群像劇によって明らかになっていく。これまでの諸作に比べ、ストーリーというか展開は「分かる」。だから、矢内原流「演劇」を敬遠する人でも、多少は拒否反応は少ないかも。無論、「分かる」ことが重要ではない。ただ、サスペンス、謎解きという核があって、だからこそ、細部がより細かに見えてきた。複線の数々や動きのディティール、台詞に秘められた寓意や切実さといった細部の数々がつながっていき、バラバラになったパズルが鮮やかに埋まっていくような快感を味わえた。

演者に関しても、矢内原組初参加となる、いま東京の気鋭劇団のコアメンバーとなっている個性派にして実力ある人が揃う。激しく動いても、口跡・発声は確かなもので、ダンスというか動きに関しても、いわゆるダンサーとは違った癖はない。それでいて鍛えられた身体感覚と豊富なスタミナを有している。近年のニブロール作品や今年3月の矢内原美邦ダンス公演と銘打たれた『あーなったら、こうならない。』では、以前に比べて「踊れる」ダンサーを使うようになってきた。それにはさまざまの意図や必然があるのだろうが、ダンサーでない人々を多用した初期の頃に比べ角が取れている印象もあった。今回、久々にエネルギッシュな矢内原振付を見ることができたのも新鮮だった。

サスペンスを織り交ぜ劇世界にしっかりした構造を持ち込んだこと、より練度の高い演者の表現力を活かしたこと、以上、2点によって、これまでの矢内原の演劇作品において舌足らずだった部分が補われ、疾走感・エッジーな感性はそのままに、その劇世界は大きく飛躍と遂げつつあると感じた。とはいえ、以前からの長所は変わらない。理知的な面もあるが台詞の一つひとつが生きた身体を通して出てきた言葉であり、かつて野田秀樹が松尾スズキを「身体で書く作家」と評したが、矢内原もそうだと思う。今回の戯曲が物販に出ていなかったのは残念だったが劇作家としても注目される。

ただ、気になるのは、配られたノートに書かれた3月の本公演に向けて完成度を高めていきたいという風なことがかかれていたこと。完成とは何を指すのかがいまいちよく分からない。戯曲の手直しとかのレベルのことなのだろうか。ミクニヤナイハラプロジェクトでは、劇場での本公演の前に小スペースで準備公演を行うのが通例になっている。コアなファンの間では、本公演よりも準備公演でのパフォーマンスのほうが不定形なおもしろさがあるとの声もあるようだが、実際、横長でフラットな小空間での今回のパフォーマンスの異様なまでの迫力・緊密感は捨て難い。個人的には矢内原作品では2002年、麻布のデラックスという倉庫で上演された『コーヒー』を観たとき以来の興奮を感じた。今作が横浜赤レンガ倉庫1号館でどのよう上演されるのかちょっと想像がつかない。空間によって演出を変えてはくるだろうが、今回を上回るパフォーマンスが実現するのか興味深いところ。演出家としての矢内原の腕が問われてこよう。

『幸福オンザ道路』矢内原美邦 突撃インタビュー! D


オン・ザ・ロード (河出文庫)

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2010-07-05

[]「ホフマン物語」オペラ&バレエあれこれ

Noism1&2合同公演 新潟限定 劇的舞踊『ホフマン物語』の初演が迫ってきた。

オペラの「ホフマン物語」はよく知られよう。主人公の詩人ホフマンが、歌う人形のオランピア、瀕死の歌姫アントーニア、ヴェネツィアの娼婦ジュリエッタと次々に恋に落ちるも成就できないというものだ。ジャック・オッフェンバックの作曲。バレエ「くるみ割り人形」の原作となった童話「くるみ割り人形と二十日ねずみの王様」を著したドイツ・ロマン派の詩人E.T.A.ホフマンの小説から3つの物語を用いて脚色したジュール・バルビエとミシェル・カレの同名の戯曲に基づきジュール・バルビエが台本を執筆した。1881年2月10日にパリのオペラ=コミック座で初演されている。未完のままオッフェンバックが死んだこともあって、これまでにさまざまの版が存在しているようだ。日本では東京二期会オペラ劇場、新国立劇場が上演したほか、今秋行われる「愛知トリエンナーレ」のメインプログラムのひとつとして制作されるのも音楽界の大きな話題となっている。

今回新制作されるNoism/金森穣版は、ホフマンの小説「砂男」「クレスペル顧問官」「大晦日の夜の冒険」を基に新たなストーリーを紡ぐという大作舞踊劇として独自に構想されるとのこと。音楽もオッフェンバックではなく現代音楽家のトン・タッ・アンによるオリジナルなものというから、観るまでは舞台の予測はできない。観劇前に無理に「お勉強」をすることはないし、振付家も付け焼刃の前知識など持ってみてほしくないかもしれないが、ホフマンの小説世界やオペラについて調べてみると、より深く味わえるかもしれない。それはパフォーミングアーツ・ファンの楽しみのひとつでもある。

さて、バレエ&ダンスで「ホフマン物語」というと、何といっても「赤い靴」で知られるモイラ・シアラー主演で1952年に制作された映画が挙げられよう。ソプラノ歌手役がプリマ・バレリーナに設定変更され、バレエ・シーンもある。振付はフレデリック・アシュトンで、レオニード・マシーン、ロバート・ヘルプマンら舞踊史に残る巨匠たちも出演している。

バレエ版では、モーリス・ベジャールが1961年に取り上げているが、スコティッシュ・バレエの芸術監督を務めたピーター・ダレル振付版(1972年)が著名。アメリカン・バレエ・シアターでも上演されている。日本では牧阿佐美バレヱ団がレパートリーとしており、2002年には12年ぶりに再演されて話題となった。老詩人ホフマンを哀れ深く演じた森田健太郎の秀演、彼の過去の女性たち3人を演じた田中祐子、上野水香、佐藤朱美らの華麗なる競演が今でも忘れられない。もっとも以前には、大原永子や川口ゆり子、大畠律子ら日本のバレエ史に残るプリマがそろい踏みしてもいる。優れたプリマを何人も要する大作であるが、ぜひ再演を期待したいところ。

日本では邦人の海外進出のパイオニア深川秀夫が全幕ものとして振り付け、深川自身代表作と自負しているようだ。2008年には名古屋の松岡伶子バレエ団の「アトリエ公演」にて「アントニアの場」が上演された。アントニアを繊細、大胆に演じた伊藤優花の好演が光っていた。ジョン・クランコに師事、アシュトン作品も踊った深川のドラマティックな資質が発揮されたものとして評価は高い。こちらも再演を望みたい。



ホフマン物語 [DVD]

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クルミわりとネズミの王さま (岩波少年文庫)

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2010-07-04

[] ボヴェ太郎『消息の風景−能《杜若》−』

7名の能楽師と共演し能の名作「杜若」に挑んだボヴェ太郎の新作『消息の風景−能《杜若》−』(7月2、3日 伊丹アイホール、3日所見)は、期待にたがわぬ刺激的な舞台だった。“空間と身体の呼応によって生成される「場」の可能性を、舞踊を通して模索してきた”(公演で配布のノートより)と自負するボヴェは、劇場空間のみならず美術館のエントランスや酒蔵といった空間でパフォーマンスを行ってきたが、今回、能楽囃子と地謡をバックとする能の上演形式に則ったうえで夢幻能「杜若」のなかに入り込み、がっぷり四つに組むという、荒業というか、いまだかってない、とんでもない試みである。

「杜若」は、いにしえの時代に在原業平が「かきつばた」の五文字を和歌に詠み込んだ、という話に基づいたもので、自然の情景、大和言葉の美しさや詩情を存分に反映しているとされる夢幻能の名作だ。黒の胴衣に白足袋のボヴェは正面客席からみると菱形のように設えられた正方形の木版のうえで、背後に座する囃子・地謡と三方から囲む観客を前に即興的に80分間、舞い、踊る。能でいうシテをボヴェが演じているようにみえるわけだが、能のシテよりも動きは多い印象で、手も大きく用いたり、足元の動きも多彩である。囃子・謡とは、ときに打々発止の関係であったり、ときに絶妙なる融合であったりと、音と動きの幅のある交感が空間を揺るがし、独特な密なる空間を生み出して、一時たりとも目を離せなかった。繊細な照明プラン(吉本有輝子)もすばらしい。

ボヴェはトヨタコレオグラフィーアワード2003のファイナリストに選ばれ『不在の痕跡』を発表、注目された(私も観た)。その後、2005年にジャワのガムランを演奏するグループと共演した東京公演の評が朝日新聞に掲載されたり(評者:稲田奈緒美氏)、2009年には舞踊研究家の芳賀直子氏のコーディネートによって京都精華大学にて開催された「バレエ・リュス展」の関連企画に取り上げられるなどしたが、ボヴェの、緻密に空間を操り身体との豊かな呼応関係を生み出すメカニズムを短評ながら鮮やかに解明・分析したのが門行人氏が身体表現批評誌「Corpus(コルプス)」3号に寄せた『implication−風景として響きあう空間と身体− 』(2007年7月)評であろう。その『implication』はアイホールの実施する「Take a chance project」公演であり、3年にわたってボヴェがアイホールで作品発表の機会を得るものの第1弾だった。第2弾が『Texture Regained -記憶の肌理-』(2008年)、そして第3弾が今回の『消息の風景−能《杜若−』というわけである。私は『Texture Regained -記憶の肌理-』を関西にバレエ公演の拝見に伺った際に折りよく見ることができ、その前後に東京で上演された『余白の辺縁』(2007年 セルリアンタワー能楽堂)、『in statu nascendi』(2009年 世田谷美術館)と伊丹での『陰翳-In praise of shadow-』(2010年 国指定重要文化財「旧岡田家住宅」)もフォローしている。空間との兼ね合いもあり、すべてうまくいったわけではないが、才能は疑いない。舞踊家としての独特な感性も捨てがたいが、それ以上に、空間構成の緻密さが特筆され、踊りとの化学変化から立ち上がる密度の濃い表現は圧巻だ。

ボヴェには今回の公演で監修を務めた前アイホール・プロデューサーの志賀玲子、現・アイホール・プロデューサーの小倉由佳子らブレーン的存在がいるようで、心強いが、今後のボヴェの展開はどうなるのか。1981年生まれと30歳手前だが、この異能がどう芸術家としてのさらなる可能性を見出していくのか。関西のコンテンポラリー・ダンス系の評論家等からはそれなりの評価は得ているが、関東の関係者筋等からは前記の方やその他一部を別にすればスルーされている感。何も売れたり賞を貰ったりすればいいわけでない。本人が悔いのない舞踊人生を歩めばいい。が、多くの観客との出会いも期待したい。今回公演のアフタートークで、今作など機会あればさまざまなホール等で上演したいとボヴェも話していたが、日本各地、そして、世界各地でも高く評価され歓迎され得る可能性を秘めている。売り方次第といえば商売臭がするが、優れた才能が埋もれることがあっては、損出だ。ボヴェの洋々たる前途を願っている。

2010-07-02

[]大野一雄 お別れ会「ブラヴォー!大野一雄の会」詳細

故大野一雄さん(舞踏家)のお別れの会である「ブラヴォー!大野一雄の会」が7月17日(土)に行われる。大野一雄舞踏研究所 公式WEBサイトにも詳細が出ている。

会場内にて随時献花と展示観覧ができるようだ。展示:細江英公「胡蝶の夢」写真絵巻他映像等上映有り。平服参加希望で、花は会場にて準備してあるとか。当日の花の持ち込みは遠慮願いたしとのこと。格式ばらない、心のこもった会になりそうだ。

日時:2010年7月17日(土) 14:00 - 19:00

場所:BankART Studio NYK / NYKホール

会費 1,000円 (ワンドリンク付き)

主催:「ブラヴォー!大野一雄の会」実行委員会

(代表:細江英公)

企画制作:有限会社かんた (070-5565-7057)

協力:BankART1929

大野一雄 百年の舞踏

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大野一雄 御殿、空を飛ぶ。 [DVD]

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2010-07-01

[]第30回ニムラ舞踊賞に厚木三杏が決定!

長野県諏訪市主催の第30回ニムラ舞踊賞に厚木三杏が決定した。

第30回ニムラ舞踊賞受賞者決定

http://www.city.suwa.lg.jp/www/info/detail.jsp?id=1885

受賞理由は以下のとおり。

新国立劇場バレエ団公演のトワイラ・サープ振付『プッシュ・カムズ・トゥ・ショヴ』、『白鳥の湖』、ボリス・エイフマン振付『アンナ・カレーニナ』に出演し、それぞれの作品の意図するところを的確に体現し、確かな存在感を示した。またこれまでに、厚木凡人、鈴木稔、石井潤、ナチョ・ドゥアト、山崎広太、加藤みや子らの現代作品においても、その演技は高く評価されている。その舞踊界への貢献に対し、第30回ニムラ舞踊賞を贈る。

ポストモダン・バレエの巨匠・厚木凡人の娘として生まれ、スターダンサーズ・バレエ団を経て現在は新国立劇場バレエ団のソリスト。個人的にはスタダン時代に踊ったロビンズ振付『牧神の午後』、マクミラン振付『コンチェルト』の清新な演技が忘れられない。新国立ではドゥアトなどの現代作品で活躍するほか古典全幕の主演も務めるようになり、『ドン・キホーテ』キトリや『白鳥の湖』オデット/オディールなどを踊っている。技術はともかく役柄を解釈する力、音楽性においては新国立の契約ダンサーのなかでは他を圧しているのは間違いない。エイフマンが『アンナ・カレーニナ』主役に抜擢したのはさもありなんと感じたし、今回の受賞も当然に思う。おめでとうございます。

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