浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



帝国ホテル・ラ ブラスリー

10月23日(金)夜



金曜日。


6時前、日比谷で終了。


なにか食べて帰ろう。


なにがよかろうか。


中華の[慶楽]でもやしの焼きそば、
あるいは、牛ばら肉かけご飯。


うん。それもわるくない。


が、、。


他には?。


そうだ。
帝国ホテルのレストラン。


帝国ホテルにはテナントを含めて飲食店は
たくさんあるが、候補は二つ。


どちらも洋食といってよかろうが、
一階の[パークサイドダイナー]か地下の[ラ ブラスリー]。


帝国ホテルというのはある意味、我が国の
洋食界のある一角の巨頭としてリードをしてきた
といってよいのであろう。


明治23年、開業。


それ以来、歴代の料理長が当時最先端であった、
フランス料理などをベースに、数々のオリジナル料理を
生み出し、また育てた料理人をその料理のレシピ
とともに日本中に広めてきた。


特に戦後の名物、村上信夫料理長の功績は
大きいのであろう。


1960年からNHKの「今日の料理」に出演し家庭の主婦に
洋食のレシピを発信した。例えば、ハンバーグステーキなど
今は家庭のスタンダードなメニューになっている洋食を
広めた。


また1964年(昭和39年)の東京オリンピック
選手村の食堂の総料理長として全国から集められた
料理人を指揮しこれがまた、帝国ホテルの
技とレシピを日本中に広めることになった。


その日本中に広まった元祖ハンバーグステーキは
[パークサイドダイナー]で食べられる。


またもう一つの名物メニューである
シャリアピンステーキ


これも日本中の洋食や、レストランの多くで
見たことがあるメニューではなかろうか。


これは昭和11年、帝国ホテルに宿泊していた
ロシアの声楽家シャリアピン”氏がステーキは
食べたいが歯がわるくて食べられないというので
玉ねぎのみじん切りに肉を漬けこんで柔らかくする
という技を使って開発したオリジナルメニューである。


これは[ラ ブラスリー]で食べられる。


と、いうことで[パークサイドダイナー]でハンバーグステーキか
[ラ ブラスリー]でシャリアピンステーキか、ということ。


ちょっとお高いが、今日は[ラ ブラスリー]に
してみようか。


6時すぎ、階段をトントンと降りて地下へ。


予約はないが、一人といって入る。
にこやかなウエイター氏の案内で席に。


やはり、ここのサーヴィスというのもそうとうに
レベルは高く、常ににこやか。


落ち着いた木製の内装に赤いベルベットの椅子。


飲み物のメニューが運ばれ、どこへ行っても同じだが、
ビール、ヱビスの生を頼む。


食事のメニューもくる。
シャリアピンステーキは決まっているとして、
前菜ももらおうか。


基本ここはオーソドックスなフランス料理、
あるいは、洋食。


前菜はスモークサーモンや、やはり帝国ホテル名物の
ニシンマリネ、などもあるが、エスカルゴを
食べようか。


パンを肴にゆっくりビールを呑む。


きた。





殻に入れて焼いたものではなく、
凹んだ陶器の皿に入れたもの。


この皿ごとパセリの入ったガーリックバターで、
オーブンで焼いているのであろう。


薄く切ったバケットも最初に運ばれたパンとは別に
出してくれた。


ここに一つ一つ、のせて食べる。


これがまずかろうはずがない。
また、この残ったガーリックバターをなめたいほど。


エスカルゴを食べ終わった頃、
シャリアピンステーキがきた。





ここで食べるのは二度目であろうか。


柔らかくするために叩いてあるのでこの薄さ。
上にのっているのは、やはり玉ねぎのみじん切りの
ソテー。


これがソース替わりなのだが、
あまくて香ばしく、うまい。


ペロリ、で、ある。


ご馳走様でした。


おいしかった。


会計をして、出る。


以前に一度だけ、シャリアピンステーキを

自作してみたことがある。
おそろしく手間が掛かるのだが、
また、やってみようか。







帝国ホテル