浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



続・五反田・讃岐うどん・おにやんま と五反田考 その2

dancyotei2015-12-03

11月30日(月)夜 12月1日(火)朝、夜


引き続き、五反田ガード脇の讃岐うどん[おにやんま]と
五反田考。


[おにやんま]はここなん年かの間でも、かなりのインパクトのある
出会いであった。


しばらくは高頻度で通いそうである。


火曜日は朝、始めてきてみた。


朝も夜と同じような客の入りよう。


天ぷらと並んでもう一つの主要メニューである
肉うどんを食べてみた。







480円。



肉は牛丼などに使われている牛バラのよう。
少し前に大阪で「肉吸い」(肉うどんのうどん抜き)を
食べたが、味は関西風の肉うどんの肉。
讃岐と大阪でも味付けが違うのかもしれぬが細かなところは
私にはわからない。
東京だと甘辛の濃い味にするが、甘味は多少あるが
しょうゆ味は薄めのもの。


そして、また夜。






メニュー名は忘れてしまったが、冬野菜の○○と
いうようなものであったと思う。


大根にんじんなどが入り、赤いのは辛み。


けんちん汁のようなものが辛くなっている
という感じであろうか。
季節メニューということかもしれぬ。


ガテンな感じのここの店には多少似合わぬかもしれぬが、
味はまあまあ。


これで、大方のここのメニューは食べたかもしれぬ。
あとは、海老天ぐらいか。


さて。


またまた、引き続いて、五反田考。


昨日は私の第一印象を含めた、どちらかというと
表面的な五反田のことを書いてみた。


上品があって、下品があって、
一見、ガラがわるそうだが、ギリギリのところで
保っている?。
ちょっと不思議な感じの街。


もう一度、江戸の地図を出してみる。





今の五反田駅の位置と思われるところを入れてみた。
下の方にあるのは、目黒川。
(江戸の頃からは多少、流れは変えられて真っ直ぐに
なっているようであるが、大きくは変わっていないだろう。)


ご覧になっておわかりの通り、田畑が交じりっており、
江戸の街の南の端といってよろしかろう。


昨日書いたように、備前岡山藩池田家の下屋敷
これは地図上は、松平内蔵頭としてあるところで、これが池田山。
右側に小さく見えるの、松平陸奥守が、仙台伊達藩で明治になり
島津侯爵邸〜清泉女子大。


江戸の周縁部。


上の方に灰色の町屋が両側にある通りが今の目黒通りで
ずっといくと、今の目黒駅。


池波ファンであれば、お気付きになるかもしれぬ。
「品川台丁」「雉子宮」なんという名前が見える。
仕掛人藤枝梅安の家のあったところである。
この通りは今の桜田通りにあたるのか。


この地図には表記されていないが、このあたりは
江戸の頃から、広く大崎と呼ばれていた。
下大崎村、上大崎村。


五反田という地名は、五反の田んぼがあったというくらいのことであろうが、
小字(こあざ)名であったようである。


桐ケ谷、白金、北品川などを含めて、大崎村ができたのが
明治22年。の五反田駅ができたのが明治44年


このあたりが変りはじめたのはいつ頃からなのであろうか。


現在詳細は別途調べているところなのだが、
明治終わりから大正、昭和初期あたりに宅地化と、
目黒川沿いに工場が建ちはじめているのだが、
どうもそれまで、明治期には江戸から続く農村で
大きなかわりはなかったのようである。


私の父方のルーツはこの大崎の南隣にあたる大井町
まんざら関わりがないところではない。
曾爺(ひいじい)さんまで遡ると、明治初期になり、
名主であったともいうが、やはり、このあたりの住人は
お百姓をしていたことが裏付けられる。


品川区の資料では「上大崎村の豌豆 (えんどう)、下大崎村の
稲・クワイ、北品川宿のネギ、白胡麻、あぶらな、桐ヶ谷村の
冬瓜 (とうがん)、下蛇窪村の秋大根、大井村の人参、戸越村・
上蛇窪村の孟宗竹筍など」が当時の特産物であったようである。


様相が変わっていったのは、日清、日露の両戦争後。
第一次大戦時、日本は一気に工業化が進むわけだが、その頃に
工場ができていったのが東京郊外で、目黒川の水もあった
大崎町であった。


またまた品川区の資料。


「大正期に大崎町で創業もしくは東京市内から移転してきた


主な工場をあげると、大正2年明電舎 (めいでんしゃ)(機械工業)」


明電舎の工場は今の大崎駅前のゲートシティーの前身。



大正4年の園池製作所 (そのいけせいさくしょ)(工具)


大正5年の高砂工業 (たかさごこうぎょう)(のち高砂鐵工 (たかさごてっこう))、


大正6年に移転してきた日本精工 (にほんせいこう)(ボールベアリング)、


そのほか星製薬(星製薬は明治44年創業、大正期に工場を増設)などがあります。


このほか、森永製菓の工場もこのころ建設されました」



星製薬は、かのSF作家星新一氏の父の創業した製薬会社であるが
戦後、今のTOCになっている。


森永製菓はどこにあったのか調べてみると、
住所は「品川町大字北品川」ということで、大崎よりは品川寄りで
あったようである。


この他、五反田、大崎地区には、大日本印刷、千代田グラビアなどの
印刷会社も工場を設け、大正から昭和初期には既に工場と住宅で
飽和状態という有様であったようである。



と、いうことで、今回はこれで終了。



つづきは、また。







おにやんま
品川区西五反田1-6-3