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世界が私たちを変革しちゃったのよ。

2012-04-03

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僕の勤めている会社社長が、新入社員に向けて挨拶した言葉の中に「魅力的な人格者になろう」という呼び掛けがあって、「果たして魅力的な人格者」とはいったいどんな人物なのだろう、と考えてしまった。

爽やかな笑顔で、頭脳明晰で、誰にも優しく接して、仕事はてきぱきとこなして…

冗談じゃない。

そんな魅力的な人格者サラリーマンなんかに収まっているもんか。

現実的なサラリーマンは、上司の顔色を伺って、昼飯は10分で掻きこんで、通勤電車では大きな口をだらんと開けて眠って…

そこまで考えて、ふと思う。

それはそれで、悪くはないんじゃないか

というよりも、今述べたような典型的ダメサラリーマン行動を取る人であろうと、いったい僕達が彼のどこまでを知っているといえるのだろうか?

彼が何を考え、何を思い、どのような人生を歩んできたのか。

我々はその氷山の一部すら知っているとは言えない…彼の人格を知っているとは言えない。

職場では異常なまでに人間関係に焦点があたり、誰も彼もうわさ話ばかりしているけれど、それらは全て外面に現れる行動や発言に依拠したものだ。

何を考えているかまでは、おおよその推測をすることはできても、本当のところは本人にしかからない。

それなのに我々は知ったかぶりで、彼はああいう人だ、彼女はこういう人だ、と断定して、そして安心する。

そう、我々は認めたくないのだ…ちょっと変なあの人が実は魅力的な人格者かもしれないという可能性を。

自分こそが優れているのだ、普通なのだ、まともなのだ…それを誰も保証してくれないから、人を外面から分析し、分かったような気持ちになって、ようやく安心して眠れるのだ。

仕事をさぼってばかりのあのおっさんが実は哲学的な探求に耽っているかもしれないし、浅はかなうわさ話に興じているあの人が実は見せかけの姿で、家に帰ると一人沈思黙考しているのかもしれない。

人の可能性は、同じ人があれこれ断定できるほどに小さなものではない、ということをふと忘れてしまう。

それは人の傲慢である

魅力的な人格者になろう、という呼び掛けの良し悪しはともかく、魅力的な人格者は意外とあちこちに潜んでいるかもしれない、と思えば職場人間関係におけるストレスも軽減されるかもしれない。

2012-02-27

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食べたいものを食べ、飲みたいものを飲む、ということができなくなって一年以上経つけれど、未だにその状況にストレスを感じる。

人間の食欲って、なかなかコントロールできない。

過敏性腸症候群に悪い、と分かっていてもビールを飲みたいなと思うし、揚げ物を食べたいと思うときもある。

夕食を買うときなんか、食べたいけれどお腹に悪そうだな、でも食べたいな、と迷いがえんえんとループして、お弁当コーナーで立ち尽くしてたりすることがある。

好きなものを食べればいい、って気楽に言えるひとは、胃腸が丈夫な人。

お腹を壊すかもしれない、という恐怖につねにつきまとわれながら食事をする気持ちは、おそらく同じ病に悩む人にしかからないのではないかと思う。

食べるのが怖い、でも食べたい。

この葛藤結構辛いものだ。

お腹が一番大事だ、と割り切って魚や野菜を中心に摂取していればまず大丈夫なのだけれど、ときおりジャンクフードアルコールへの堪え難い欲求が湧いてくる。

過敏性腸症候群になる前は、わりと普通に摂取していたから、身体が覚えているのだろう。

そいいう意味では、アルコールジャンクフードは極めて依存性の強いものなんだな。

同じ三大欲求でも、睡眠欲は週末に満たすこともできる。

性欲は食欲ほど自在に満たせるものでもないと分かっているし、スポーツ趣味で発散することもできる。

しかし食欲は実にコントロールしにくい。

社会の中に誘惑を発するビーコンが多すぎる。

テレビ、吊り広告百貨店の地下街、コンビニ

ありとあらゆるところで、食品メーカーや酒造メーカーあの手この手で食わせよう、飲ませようとしてくる。

その頻度、インパクトたるや寝具メーカー風俗店とは比べ物にならないもんね。

まさに飽食の時代もここに極まれりという感じだが、うまそうなものはだいたいお腹に悪いから困る。

からみんなガンになっちゃうんじゃないかという気もする。

とりあえず米と加熱した野菜を食べてればまず下痢はしないよ。

でもそれだけじゃ辛いんだ、と思いながら、しか明日明後日通勤があることを考えると、今夜もビールジャンクフードはぐっとがまんして、豆腐とかネギを食います。

いや、豆腐ネギうまいよ。

でも豆腐ハンバーガーじゃないし、ネギラーメンじゃないんだよね。

2012-02-05

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誰かに苦言を呈されるのはとてもありがたいこと。

最近、つくづくそう思うようになった。

僕の仕事の同僚である女性を見ていての実感なのだ

彼女ストレートに言って、仕事ができない。

より具体的に言うと、銀行の事務に必要な注意力が不足しているし、スケジュールを立てて行動を管理するという資質に欠けている。

そして、それを何度注意されても、反省して自らの行動にフィードバックし、改善するということもしない。

仕事が絡まなければ、無邪気でちょっと変わった人だな、ぐらいの印象だが、仕事絡みではできれば関わりたくない人である

彼女もっとも問題であるところは、注意されてもまず自らの誤りを認めず、むしろ食ってかかるように反論する点なのだ

その反論に正当性があるならばともかく、ほとんど意味を成さない自己防衛的な反射行動である

例えば、「昔からそうだったので」とか「知らなかったので」といったような。

僕の上司はかなり温厚な人で、滅多なことでは声を荒げないし、注意するときもそれこそ注意深い言葉選びをしている。

僕も彼からたまに指導されることはあるけれども、穏やかで論理的なので大変貴重な上司だと思っているのだ。

ところが彼女はそれをいいことに、露骨に反抗的な態度を見せる。

注意されると、あっという間に声のトーンが低くなり、肉食獣みたいな顔になってふくれっ面になる。

この前なんか、上司が注意しているにもかかわらず、飲み会の予定があるとかで、パソコンの画面を見たまま上司の方を見向きもしなかった。

朝礼の時に、上司が「あの仕事どうなったの?」と確認しても「やってません」と平然と言ってのけ、そのやり取りが一週間続いたりする。

たまりかねた上司が「上司に、どうなった?と聞かれるのは基本的に恥ずかしいこと。自ら先手をうって報告するぐらいのスタンスで臨むように」と注意しても、一向に治らないのである

それどころか、「わたしの仕事は一杯なんです!忙しいんです!」と逆襲する始末。

ちなみに彼女仕事の幾つかは僕や後輩が引き継いでいるので、実はグループでもっと仕事が少ないはずなのである

そうでなければ、毎日のように早く帰って飲み会にはいけないよね?

彼女の不遜な態度は僕や後輩にも及んでいる。

ある日後輩が、彼女の作った資料を確認したところ、印刷するとエクセルの一部が表示されない状態になっていることを発見した。

後輩は何気なく「これ一部間違いがあったんで、直しておきました」と彼女に言った。

普通であれば、「ありがとう」と返すところを、彼女は不機嫌になって「間違いじゃない、表示されないだけだよね」と言い放って、とても不機嫌な表情になった。

僕と後輩はぽかんとして顔を見合わせ、後輩は「何で俺が怒られなきゃならないんですかね?」と僕に聞いた。

僕は黙って肩を竦めるしかなかった。

またある時は、金曜日中に作らなければならない書類を、彼女はその日の夕方からようやく作り始めた。

それ以前の仕事ミスを重ねまくったたため、その処理に時間を要したことと、もともとスケジュールを立てられない性格引き起こした事態である

ところが彼女は、「飲み会があるのに…」と凄まじい不機嫌オーラを放ち始め、それに耐えかねた後輩が「じゃあ僕やりますよ」となぜか引き取る羽目になったのである

そして彼女は颯爽と飲み会に繰り出していった。

多分飲み会中は仕事のことなんか欠片も思い出さないのだろう。それはそれで幸せ脳みそだ。

ちなみに後輩も飲み会があったようだが、どうやら諦めたようだ。

ミーティングから戻ってきた上司が事態を把握したときには、彼女は既に銀座だかどっかでビールでも飲んでいたのである

このように不遜な態度を撮り続ける彼女に対し、上司も後輩も、そして僕も、当初は怒りを感じていたが、次第にその怒りは諦めへと転化していく。

何を言っても、行動が改善されないと、もはや何を言っても仕方が無いという気持ちになる。

上司については、彼女を指導することが職務であるから、さすがに放棄することはしないけれども、明らかに注意の量と根気が減ってしまった。

僕や後輩はもう何も言わない。彼女に苦言を呈する義理も義務も無いからである

こうして彼女はこのままマイロードを驀進するのだろうが、それはとても怖いことだ。

下手をすると、一生周囲の人に「ダメな人だな」「使えないな」と思われながら過ごすことになるかもしれない。

それを気にしないのならそれでもいいかもしれないが、だが果たしてそれは充実した人生と言えるだろうか?

この文章の最初で「仕事絡みでは関わりたくない」と書いたが、正直、今は何一つ関わりたくないという気持ちになっている。

人は公と私で人格を使い分けられるわけではない。

仕事におけるいい加減さや不遜さは、おそらくプライベートにも大きく影響を与えているに違いないと思ってしまうからだ。

誰かに苦言を呈することは、とても勇気や決意や言葉選びが必要で、それだけに言ってもらえるありがたさという重みを感じる。

言い古されているテーマではあるけれど、実際に人が苦言を呈さなくなる過程を目の当たりにすると、自戒の念が高まらざるをえない。

ましてや年次が更に上がっていけば、それだけ苦言を呈する事のできる人の母数も減っていくわけである

人は歳を経ることに傲慢になりがちだから、ほんとうに気を付けなければならないと、若干の恐怖すら覚えた次第だ。

特に職場の人は自らの利害も絡むだけに、人をシビアに見ているのだ。

わざわざ苦言を呈してくれるということ、それはもはやある種の愛といっても差し支えないと思うのだ。

2012-01-31

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早寝早起き人生が激変!

―はしないけれど、でもそれなりに快適になる。

毎朝4時半少し前に起きて、夜9時半過ぎにはベッドに入る生活を続けて半年近くになる。

人に話すと驚かれるが、慣れてしまえばそれが当たり前になるので、特段辛さを感じることはない。

サイクルが回り始めれば、体も意識も半ば自動的にそれに従うようになるからだ。

早寝早起きをするには幾つかの理由がある。

まず第一に、ゆっくりトイレに行けること。

過敏性大腸炎に悩まされる身としては、朝の通勤列車ひとつの難関である

トイレがない列車という空間に対する恐怖が便意を呼び、途中下車を強いられることもあるからだ。

これは経験者にしかからないと思うけれど、実に辛いし惨めな気持ちになる。

これに対応するために考えたアイデアある意味とてもシンプルで、要は電車に乗る前に全部排出してしまえばいい。

もうでないだろうという安心感が、腹痛と便意を和らげてくれる。

この安心を得るためには、平均3回程度トイレに行く必要があり、時間にしておよそ30分程度を要する。

第二に、朝食のおにぎりを作るため。

僕は身分不相応にも外車を買ったので節約をしなくてはならない。

それからお腹も弱いので、できるだけ外食は避けたい。

このニーズを満たす手段は自炊である

はいえ昼は社員食堂、夜は時間があまりないから外食もやむを得ない。

こうなると自炊の余地があるのは朝ということになる。

そこで炊飯器を買って、米・海苔・塩等を取り揃え、毎朝おにぎりを製造している次第である

おにぎりというものは実に偉大な発明で、適当に作っても大変おいしい。

古来から米食であった歴史的背景も後押ししているのかもしれないが、時間が経って冷えることがおいしさを引き立たせる食物はそうそうない。

それに、おにぎりを作る工程不思議と心を落ち着かせる効果もあるようだ。

つやつやと輝くごはんを容器に詰め、見るだけで唾液が出るような真っ赤な梅干しをそっと載せる。

その上にまたごはんをかぶせ、ラップでぎゅっと握る。ごはんの温かさがじんわりと手のひらにしみこんでいく。

ほどよく塩をふりかけ、パリパリの海苔でそっと包みあげれば、世界に誇る携帯食、おにぎりの完成だ。

これはまじめに作ると10分強はかかるので、これまた起床時間を早める要因となる。

第三に、電車に座って通勤したいため。

僕は悪名高き田園都市線沿線に住んでおり、朝の通勤ラッシュはとても人の乗るものではないレベルの混雑である

ところが、朝5時台の電車であればほぼ確実に座ることができる。

わずかに30分程度の時間ではあるが、座れるのと座れないのでは、モチベーションと体力に大きな影響を与える。

だって集中して読めるし、疲れているときは眠ったっていい。

座ることは素晴らしいことなのである

その為には、必然5時よりも前に起きなくてはならないが、座って通勤するという特権のためにはやむを得ない犠牲である

このような理由から早寝早起きをしているが、過敏性大腸炎は別として、体調は良好だ。

仕事の能率も上がった気がする

朝早くメールチェックができるので、トラブルが起きていても、上司が出勤してくるまでに「課題」と「対応案」の骨子ぐらいできているからである

これは大きなアドバンテージだ。

もちろん始業時間前に仕事をする義理はないけれども、早く来て何も起きていなければ遊んでいればいいし、何かあった時だけちょっと頑張ればいいのである

遅く来て遅く帰るよりはずっといいと、個人的には思う。

ついでながら朝早く会社に来ることが素晴らしいと妄信的に思い込んでいる古い社畜も多いので、彼らの心証も勝手に良くなる。

仕事自己啓発なんぞ別にしなくても、朝早く来ることはエライ、と反射的に思ってくれるので、そう思わせておけばいいのである

更に付け加えると、早寝早起きキャラが定着すると社畜飲み会回避しやすい。

最悪、一次会を回避できず被弾しても、二次会については「あ、もう俺眠いっすwっw無理ッスwっw」といえば「ああ、お前朝早いもんな」と開放してもらえる。

これは実に素晴らしい効用である

社畜ライフハックとしても早寝早起きは大変有効であるので、是非みなさんもやってみてください。

おっと、もうそろそろ寝ます。おやすみなさい。

2011-12-28

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明け方の大手町、冷たい風が吹きつける中をとぼとぼと歩いていると、ときおり「生きている意味ってよくわかんねぇなぁ」などと心がささくれだっていくことがある。

午前7時にもなっていないというのに、ビルのあちこちに明かりが灯っているのを見ると、更にやりきれない。

企業戦士たちが、命を削って灯す輝きなのである

自分もいつか、ああして身体や生活を削ってまで働かなければならない局面を迎えるのだろうか。

そんな日が訪れたら、耐えられるだろうか。ああ、嫌だなぁ。実に嫌だ。

などと気持ちはどんどん暗くなってゆくのだが、何とかオフィスにたどり着いて、温かいコーヒーを飲んだりなんかすれば、あっというまに暗い気持ちはしぼんでゆき、「まぁ、なんとかなるんじゃないか」という元気みたいなものがふつふつと沸き上がってきたりなんかする。

つまるところ、人は寒いと不幸を感じ、暖かい幸福を感じるという、いたってシンプル法則に支配されているのかもしれない。

暖かい正義。うん。