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世界が私たちを変革しちゃったのよ。

2011-05-20

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駅で電車を待ちながらスマートフォンを弄っていると、突然後ろに立った男が話しかけてきた。

「それってスマートフォンですか?」

なんで話しかけてくるんだよ、と僕はちょっと腹立たしく思いながらも「ええ、そうですね」と答える。

無視したら怒り出すかもしれないと思ったのだ。

男は深々とうなずくと、「それで、どのへんがスマートなんですか?」と重ねて聞いてきた。

僕の苛立ちはさらに高まり、露骨に面倒そうな口調で「さぁ、よく知らないです」と言葉を放った。

さっさと会話を終わらせて、ツイッタータイムラインが産み出す言葉洪水に戻りたかった。

しかし男はしつこく食い下がってくる。

スマートフォンのどこがスマートなのかも知らないのに、スマートフォンだって答えたんですか?」

愚弄するようなその声は、粘着質な響きを帯びて僕の耳と心に不快感を生んだ。

とっさに「うるせぇな」と吐き捨てたい衝動に襲われるが、数年間の社会人生活の経験が歯止めを掛ける。

何事も穏便に済ませておいたほうが、のちのち面倒がない。

何だかよく分からないけれど、いきなり知らない人間に話しかけるような奴だ、どこかおかしいに違いない。

変に怒らせたりすると、どんな厄介なことになるかもわからない。

一瞬でそう計算すると、考えうるもっとも無難選択肢、すなわち無視を決め込む。

男の言葉が聞こえなかったふりをして、僕は手のひらの小さな画面に視線を固定した。

男は無視されたことを無視するかのように話し続ける。

「そもそもスマートフォンの略称もスマフォスマホなのかはっきりしないですよね」

思わず「確かに」などと同意しかけてしまったが、一度決め込んだ無視を撤回するのも気まずい。

それにやっぱり変なやつだ。

とにかく画面を覗き込んでいるふりをしてやり過ごす姿勢を続けることにする。

男は一人でしゃべり続けた。

「いやね、世の中にはよく分からないことがいっぱいあるのになんとなくわかったような気で生きている人が多すぎる。変だと思いませんか?いやいや、別にあなたを責めているわけではないんですが」

正直なところ今立っている場所を離れて、いっそ別の所へ行こうとも思ったが、流暢に話し続ける男の口調に耳を奪われつつあるのも確かだった。

しょうがないのでひたすらスマートフォンの画面を注視するふりをつづけるが、意識は完全に男の話に向いてしまっている。

「そうなんだ、わからないんだ。実はこうして無視されながらもあなたに話しかけ続けている今この瞬間の自分を動かす動機もよくわからないんだ」

それから男は大きな溜息をつくと、「どうも失礼しました」と言って立ち去った。

僕は何だか取り残されたような気持ちがして、いっそ男の背中を追いかけて話しかけようとも思った。

でもそれはきっと思うだけで、実際に足が動くことがないのはわかっていた。

出来もしない行動、言い換えれば決して実現しない可能性を空想することは僕にとって日常茶飯事なのだ。

男の背中は駅の喧騒にあっという間に紛れてしまい、人の波に吸い込まれるように視界から消え去った。

あの男はいろいろなことが分からないといった。

その言語は折れ曲がった釘のように僕の心のなかにしっかりと刺さり、二度と抜けないような気がした。

ただなんとなく生きていても、色々と分からないことがあり、その都度ちょっとばかりは頭を悩ませてみるのだが、やがて考えるのが面倒になってしまい「まぁいいか」と思考を停止する。

それが僕の人生スタンスというか、ひとつのやり過ごし方だった。

からスマートフォンがなぜスマートと呼称されるのかよく分からなくても、これはスマートフォンだと答えてしまったのだ。

ひょっとしたらこれはスマートフォンの外形をしているだけで、中身は全然別のもの―例えば草もち―なのかもしれなかった。

少なくとも現時点において、スマートフォンと草もちの本質的で決定的な相違について、僕は説明ができないのだから

僕はそっとスマートフォン―あるいは草もちかもしれないなにか―をかばんのポケットにしまった。

今まで何の違和感もなくしっくりと僕の手に収まっていたそれが、何だか得体のしれないものに思われてきたからだ。

この突如として僕を襲ったスマートフォンへの不信感は、いずれは落ち着くであろうことは眼に見えていたが、しかしそれが近い将来であるかどうかは自信が持てなかった。

間髪おかず電車が滑りこんできたので、僕はスマートフォンと男のことを忘れた。

それから数日の間、僕はスマートフォンをポケットから出さなかった。

正確には出すことを忘れていた。

それまではあれほどしょっちゅう弄っていたのに、その数日間は思い出しもしなかったのだ。

それでいて特に不便もなかった。

スマートフォン存在を思い出したのは、かばんの手入れをしたときだ。

皮の部分に皮革用クリームを塗りこんでいると、ポケットに何かが入っている感触があったのだ。

そういえばこんなところにしまったんだっけな、と微かに記憶が蘇った。

ついでにあの変な男のことも思い出した。

もうずいぶん遠い昔の出来事に思えた。

着信やメールが溜まっているかもしれない。

そう思いながらポケットに手を入れてみると、そこには草もちが入っていた。

鮮やかなグリーンの皮は、潰れてちょっと餡がはみ出していた。

その傷さえなければ、とても素敵な草もちと言えそうだった。

さて、と僕は思った。

ここにはスマートフォンを入れておいたはずだ。

それがどうして草もちになっているのか。

から僕は考えることにした。

ゆっくりと焦らずに、しかしながら諦めること無く、じっくりと考えることにしたのだ。

あるいはこれが、やり直す―何をやり直すのかは僕もよくわかっていないが―最後のチャンスなのかもしれないと思いながら。