青い羊つれづれ日記

2018-08-08

夏休みは北海道

| 14:36

いちはやく梅雨が明けて、いまだ経験したことのない猛暑とともにはじまった今年の七月。

月末の週末には義母の三回忌があるので、今年はこれに合わせて北海道に夏休み旅行に出かけた。

一昨年に引き続き北海道大雪山系に行き、前回天候の具合で未踏峰となった雄大な白雲岳に登りたかった。

7月21日。新千歳空港で借りた非力なトヨタ・ヴィッツのアクセルを踏み込んで、原野のなかに続く高速道路を層雲峡までひたすら走った。

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町に近い静かな国設野営場をベースキャンプにして、大雪山系にアプローチする計画だ。はじめに大雪高原温泉から緑岳を経て頂上を目指すことにした。

二日目の朝、曇り空を眺めながら登り始め、濃い紫のエゾコザクラやシャクナゲの白い花の咲く第二花畑を過ぎて緑岳頂上直下まで行くと、急な斜面に立っていられないほどの強風にあおられ、あたりは一面のガスで視界がなくなってしまい、危険を感じて途中で引き返した。

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(すぐ近くのあちこちで温泉が自噴する大雪高原山荘)

せっかくなので午後は温泉山荘の近くの沼巡りに切り替えたが、ここも途中から雨になって最初の沼(池塘)まででトレッキングを断念した。

歩くのを切り上げて高原温泉の透明な湯にどっぷり首まで浸かるとすっかりモチベーションが下がってしまい、もう登山はあきらめる気になって、この後は涼しい北海道を車でめぐる観光計画に切り替えることにした。

二連泊した深い森の野営場を後にして三日目は、朝一番でハナコの住む美幌町の官舎に向かった。

アポなしでの突然の訪問だったので残念ながら一家は留守だったが、近くの、かつては農業高校だった道立高校は雰囲気のある北海道らしい風情で訪ねた甲斐があった。

美幌からはすぐ近くの網走市に移動した。網走と聞くと、北限のさびれた町のイメージだが、全く違い、明るい街並みが続く都会だった。

まず、ここに来れば誰でもが一度は訪れるであろう、いまは博物館になっている観光施設の網走監獄を見学した。

敷地内は歴史的建造物を移築して整然と整備されていた。

今は亡き高倉健やくざ映画のポスターから思い描いていた先入観とは全く違って、各展示や解説では監獄の成り立ちとなった過酷明治時代北海道開拓史が再現されていた。

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翌日訪れた移築前のそもそものあった場所とは違うからかもしれないし、夏の光が溢れていたからかもしれないが、綺麗に整備された施設は重罪の受刑者を収容する悲惨な監獄というよりも格子が各個室や大部屋についている大きな宿泊所のような印象だった。

各牢屋は狭いけれど明るく、それなりの環境が整えられているので、冬の過酷な環境ではどうなのか想像を越えるが、そもそもこの監獄の始まりの頃は、収監者の大半は政治犯であったので、監獄という言葉から受ける暗く陰湿な感じとは幾分趣がちがうように思えた。

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この日は、寝袋でのテント二連泊に疲れたので湖のほとりの網走湖荘に飛び込みで泊まることにした。

途中、通りかかった美しい網走湖畔の無料キャンプ場に気持ちの良い風が吹いていたので、前日の夜半の雨ですっかり濡れたしまったテントを干してのんびりした。

ここにそのままテント泊でもよいぐらいの気持ちの良い場所だった。

宿は良心的で快適なところだった。おそらくフロントで受付をしていた高齢のご婦人が女将さんなのだろう。丁寧で上品な物腰に親しみを感じた。

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翌日、四日目の朝一番は本物の網走刑務所を訪ねた。

網走川に面した刑務所はそれほど暗い印象はなかった。

むしろ刑務所としては過ごしやすそうな好環境の印象がした。

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(これが現役の網走刑務所の正面。デザインは博物館と同じ。)

この後は女満別を抜けて、道東の岬を巡る旅をすることにした。

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(めまんべつメルヘンの丘)

途中で司馬遼太郎著作を読んで以前から一度訪ねてみたいと思っていた、オホーツク人の貝塚であるモヨロ遺跡を見学した。五世紀から九世紀にかけて北方のオホーツク海沿岸に展開したアイヌとは異なる古代人の文化遺跡だ。近くにはさらにそれ以前の縄文時代遺跡も埋まっているらしい。

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日本は決して単一民族の国ではない。北海道先住民アイヌだけではなかった。多種多様な文化をもつ住民がいたのだ。

まだ発見されていない未知の文化があるかもしれない。人の営みは連綿と続いて今がある。

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原生花園に自生するエゾキスゲ

日中は強い日差しとなり、花が咲く小清水原生花園を散歩し、野付半島をめぐると留鳥となったタンチョウの白い羽が眩しく光っていた。

すぐ目の紺碧の海の向こうが北方四島だ。望遠鏡で見ると回転する風力発電の風車が見えた。

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夕方近くになって根室の町にたどり着いた。寂しげな、それこそイメージ通りの辺境の町だった。

すでに列車が通わなくなって2年になる根室駅前の蟹屋の店先で絶品の朝採れ花咲ガニを食べた。きっとこの先忘れられないだろう、めったに経験できないほどの美味だった。

泊まった宿は駅から歩いて数分の、築五十年以上は経っていると思われる古い旅館だった。二階の廊下を歩くと宿全体が傾ぐような建物だ。

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夕食は宿からあるいて10分ほどの回転ずし店「花まる寿司」でたべた。ここがチェーン発祥の店で本店だ。さすがに本店だけのことはあって、ネタはすべてが美味かった。

旅行の中日は朝食の前に納沙布岬に脚を伸ばした。あいにくの霧で景色はなにも見えなった。

宿に戻り、老いた女主人の設えてくれた質素な干し秋刀魚の朝食を食べてから、雑誌に載っていた、釧路湿原をゆっくりトロッコ列車が走るのでノロッコ列車と名付けられた観光列車に乗ってみることにして、釧路の街に向かった。海辺を走ると道路沿いには昆布を干す広場があちこちに広がっていた。

釧路駅みどりの窓口で駅員がもうじき満席になるというので往復指定席を買って乗ったけれど、自由席はがらがらで、むしろ自由席のほうがのびのびできる雰囲気だった。結局、帰りは指定席券を無駄にしてしまった。

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車窓からは、すぐそばのかつて蛇行して流れていた釧路川が残した三日月湖はよく見えたが、線路際は樹木が多くて湿原の景色はよく見えなかったし、高齢者ボランティアがもぞもぞと話す説明もよく聞き取れなかった。それにき引き換え、元気な女性による甲高い声の中国語の解説が耳に残った。

昨年のアラスカ旅行の思い出があったので、ついつい比べしまうのは酷かもしれないが、もう少し工夫の余地があるだろうと思われた。イメージ先行で、残念な感想となった湿原トロッコ列車の旅だった。

快晴の空の下、釧路を後にして、途中で予約した十勝ナウマン温泉に向かった。

宿のある忠類町は原野の森が続くなかに突然と現れた開拓の町だった。町おこしナウマンゾウ化石が一役買っている。

鳴り物のナウマンゾウ博物館は、残念ながら休館日だった。

翌朝、襟裳岬を観光してから美しい海岸沿いの道をひた走り、この旅のもう一つの目的地である静内の町に向かった。

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(襟裳の夏はぁ〜ぁ、・・・)

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静内高校のすぐそばの深いワインレッド色の建物が家内があらかじめ住所を聞いてあった目指す場所だった。

近くにはクラブ活動を終えて帰路に就く日焼けした若者たちの姿が見られた。

この町はアイヌの悲劇の英雄シャクシャインの戦いと池澤夏樹の小説「静かな大地」の舞台となった場所だ。

いまでは静内の町名も新ひだか町と変わり、その中心地として行政機関が置かれている。

北海道のなかでも古くから先住民族が拓き、輝かしい歴史のある町だ。

想像していた僻地のイメージとは少し違い、活気のある明るい現地を訪れてほんの少しだけホッとした。

静内の町中を車でウロウロして、この町の雰囲気と空気を吸って家内の実家がある白老に向かった。

これで道東の旅はひと段落だ。次回、北海道に来るときはまた大雪に登るか、阿寒岳に登る計画を立てたいと思う。

夏休みの6日目は、一族郎党が集まるにはまだ一日余裕があったので実家から高速道路に乗って、小樽積丹半島に観光に出かけた。

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小樽名物ばんじゅう」)

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(セタカムイの伝説が残る犬の遠吠えの姿をした奇岩)

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積丹半島カムイ岬)

小樽駅前で車を降りると、関東と同じような30℃を超える暑く、めまいがするほどの日差しだった。

小樽にはずいぶん昔、おそらく40数年前になるだろうか、一度訪れたことがあったが、まったくそのころとは様相が変わっていて、小綺麗で都会的な観光地になっていた。

ここも中国人の観光客が圧倒的に多く、昼食時ちかい駅前の狭い市場には彼らが溢れていた。

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一日あけて7月28日。義母の三回忌はつつがなく終了。

もうこれほどの人数の親族が一堂に集まることはないだろう。

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