私から主へ。

今年の2月、私の誕生日に、私は初めて歌を作った。
その日完成した。不思議と多くの時間はかからなかった。
初めてだったが、歌詞とメロディーもきちんとできた。
初めて自分で作った賛美を主に捧げた。
少し寂しいような曲、でも不思議とよく出来た、そう思った。


欲望ではなく
自分の願いでもなく
ただ主の心をもって生きたい

偽善ではなく
自分の立場でもなく
ただ主の目に叶う 心をください


恐れる私の心
どこへ行けばいいのでしょう
あなたが願う 私の道を
歩ませてください


我が手を取って 我が手を取って
強く引き揚げてください
いま主のもとに 父よ みもとに
私を抱いて包んでください


欲望ではなく
自分の願いでもなく
ただ主の心をもって生きたい

偽善ではなく
自分の立場でもなく
ただ主の目に叶う 心で生きたい

うさこちゃん(ミッフィー)



しおんがある兄弟にテッシュをほしいと、言いました。
その兄弟はテッシュを一枚渡しました。
自分で使うのかと思えばそうではなくて、絵本のところに行きました。
すると、絵本の中で泣いているミッフィーの涙を拭きました。
・・・すごく嬉しかったです。
こんなこと子供でなければ考えつかないです。
良い子に育ってください。

Aska

・・・私は、一人の人間としてAskaの復活を心から祈る。

どれほど夢中になったことだろう。中学生だったころ、福島に住んでいながらやっとチケットを取って大阪城ホールまでコンサートを見に行きました。部屋中チャゲアス、毎日チャゲアスでした。
自転車には恥ずかしげもなく大きなチャゲアスのステッカーを張ってどこにでも行きました。高卒頃には自然にはがれてしまい取れてしまったが。
もっとも私は若いこともあり、そのころ歌詞の意味はほとんど理解していませんでした。
ただ、とてもかっこよく、声も綺麗で、非常に感動したのです。多くの人の一人のように、大げさではなく、生きる力をもらったと思います。

・・・長くなりそうです。
考えて、あえてブログに書こうと思いました。

・・・Askaさんの歩む道は果てしなく険しいだろうと思います。
・・・そして、果たしてこれからどんな希望を見つけて生きることができるのだろうか、と。

私としては、ひとつを願います。
AskaさんがAmazing Graceを作曲したジョン・ニュートンのように真に悔い改め、
彼の賜物を活かしてgospelを歌う日が来ればと、私は心から主に願っています。

雪よりも白くしてください。

2月です。
2月に私がとてもお世話になっている方々が、山形に来て下さりました。短い期間でしたが、祝福された時間をもつことができました。

また、10日は私の誕生日でした。私も歳をとりましたね。1年程前のある日、ふと自分が一体何歳か忘れてしまいました。
もっと若かったと思ったのですが、冷静に考えて、数分間で実際の歳を確認し、とてもショックを受けたことがありました。

もう一つ。
2月は日本全体で大雪となりました。山形も先々週と先週の主日は大雪で、雪かきも大変でした。その夜、少し祈った時に、ふと、みことばを思い出しました。
イザヤ書1章です。1:18「論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも
雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても
羊の毛のようになることができる」。

雪のように罪を白くしてくださる、ということ。
雪かきも大変でしたが、大雪が日本全体の生活に影響したように、
日本の罪を雪のように白くしてください、こう祈るべきだな、と気づきました。そして、そのように祈りました。
また、そのように願う想い、主に望まれる心がほしいと思いました。
ダビデは主に祈りました。詩編51篇。
雪よりも白くしてください、と。

祖母と聖音

もうすぐ12月です。
あまりに更新しないのでどんな内容にしようか考えました。
確か、本来の目的はゴスペル紹介だった気がします。

今年の8月に久しぶりに実家に行きました。シオンを1週間ほど実家で預かってもらいました。
私は、その時がいつ来るのか、と心に想いを抱いていました。
シオンと祖母が会いました。
祖母が曾孫を見れるというのは、それは、
あまりに大きな恵みです。
祖母はシオンを可愛がってくれました。
シオンも怖がりませんでした。
この写真は、私が祖母とシオンに、こうやってみて、と言って撮った写真です。
祖母はシオンにスープを食べさせました。
シオン(まだ一歳ですが)は、祖母にぶどうを食べさせました。
私と、祖母、シオンの三人でした。
とても自然でした。

、、、祖母は96歳です。杖をついていますが、まだ自分で歩けます。会話は出来ます。でも、少し痴呆があります。
10分毎に、「ところで、あなたはどこの人ですか?」と言います。
そして、私はあなたの孫であることを説明します。すると、ああ〜そうか!と言って理解します。こんなことをおそらく数十回しました。
以前、祖母は、「ぼけてあなたのことが分からなくなったら、死んだ方がいいな」、と言っていました。
今、それに近いことがおこってます。といっても説明すればはっきりと私を思い出しますが、。
、、、不思議なことにですが、何十回、私が誰であるか、シオンが誰であるか説明する時にも一つも苛立ちはありませんでした。
ただ主の恵みです。
、、、手を握って祈りました。
祖母は最後にアーメンと言いました。
主が祖母を守ってくださること、主の御手の中にいることをただ感謝します。

水草と車

また久しぶりの更新です。
山形に来てから急に車の調子が悪くなり、エンジンオイル漏れ、ワイパーの付け根が緩み、雪道も雨の日もワイパーがほとんど使えないという状況で、かなり大変でした。直すにもかなり費用が出るようで、どうにもこうにもいかない状況でした。
2月にある病院にお見舞いに行き、経由で人に会うために米沢に行きました。その日はすごい雨で運転がかなり厳しく不満でいっぱいでした。私はiPadに録音したジョン・ピルド先生のメッセージを聞きながら行ったのです。
主は必要を満たしてくださるというメッセージでした。
とても恵まれましたが、車はまず無理いう考えでした。
しかし、運転しながら祈りました。
米沢で人を待っている時間があったので、熱帯魚屋を検索して行ってみました。
(2月上旬頃に熱帯魚を買いました。教会に来る子どもが魚好きで、買ってしまいました。一匹100円くらいですが、とても綺麗でした。
しかし、水槽がなく、シオンちゃんのお風呂で飼ったのでした。
3月に伝道していた時、近所の庭に捨てられていた水槽があり、その家の人に話したら頂くことができたのです。かなり年季が入っていましたが掃除しました。とても感謝でした。)
熱帯魚屋を検索してを探しましたがもう潰れていました。それでもせっかく山形から来たので見させて頂きました。苔がはえて電気も半分しかついていませんでした。水草ある?と言われ、ありません、と答えたら、何と、おじさんは、持っていきなさい、と言い、袋にいろいろな水草をたくさん詰めて下さいました。教会の子どもたちが喜びます、と感謝しました。とても驚き、感謝でした。
こんなことがあるのかと主に感謝しました。
水草欲しかったのですが、魚より高いです。
教会に来る子どもが喜ぶと思いましたが、私が一番喜びました。大人も喜びました。

どんどん車の調子が悪くなり、ピクニックで蔵王の山を登った時は30kmしか出ませんでした。
しかし、主は次の日、車を与えてくださったのです。
もちろん中古車ですが、7人乗り、10万走ってますが、自動車税、車検、3月に全部済んでおり、外装も綺麗で、中も修理してありました。
あるボランティア団体を通してくださったのです。とても調子がよいです。
まさか、と言う出来事でした。水草と車は比べものになりません。
主は満たしてくださる…、
ただ主に感謝し栄光帰します。

命の尊さ4

続きです。

私たちは神様の前でどれほど罪を犯しながら歩んでいるのか。
一歩踏み込み、どうしたらこのような社会、世を変えることが出来るだろうか。
私はこの国がイエス・キリストの福音に満たされることだと信じます。イエス様の愛が一人一人の心に満たされる時に、人は悔い改めて、神様の元に帰って行きます。
だからリバイバルを求めます。

ネヘミヤ記1章を見ると、国の罪のために祈ったネヘミヤがいます。彼を通してイスラエルは再び再興して行きました。
一番始めにルカによる福音書を紹介しました。
15節、イエスに触れていただくために…
他の福音書では、イエスに祈っていただくために、とある。
祈りは重要です。
子どもたちはイエス様に祈ってもらっても意味も分からないし、理解出来ないと思う。しかし、祈りは意味があり重要です。
弟子たちは叱ったとあります。
1子どもたちを軽んじたという理由
2緊迫した中でエルサレムに向かっているイエス様が疲れないように、という配慮から。いろいろ考えられますが、
…どちらにしろイエス様の御心ではなかった。
16、17節
神の国は子どもたちのような者である
子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることは出来ない。
子どものように 。態度のことです。
1受け取る、という純粋な態度
自分を偉くせず、経験や知識を言わない。
2来る、という態度。
シオンちゃんを私は時に叱ってしまう。うるさくて我慢できなくて怒ってしまう。私も申し訳ないと思う。
シオンちゃんは泣いてしまう。しかし、その瞬間にでも両手を広げて、私に抱っこしてほしいと求める。始めてこうした時に驚きもあったがとても感動した。
そして私は抱いてあげた。
少し神様の愛を悟った気がした。
(育児院の子どもの姿も思い出された)

また、この御言葉を見ながら、親には子どもたちを主の前に連れて行く義務があると悟る。

不完全だと思いますが、今回はメッセージ風に書いてみました。
祈り。
私たちの罪を赦して下さい。日本が主の愛で変わって行くように、リバイバルを起こして下さい。私たちにいつも謙遜な心を下さい。
いつも主のもとに行き、受けとり、また子どもたちを主のもとに連れて行くことを実践させて下さい。
命を与えてくださったイエス様の御名によって祈ります。