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2006-07-05 ヨガ、瞑想、活元運動、プロセスワークの体験

心と体はつながってる体験*癸 断食の体験

ここでuedaが自らの体験を書こう。


僕は小さいころからアトピーを患っていた。西洋医学はもちろん、漢方や針を試したが治らない。

あるとき、思い切って断食を試みた。断食の指導もしているヨガの道場に約3週間滞在した。


しかし、僕は体がすっきりするよりも何か感情が乱れた。食べられないストレスからか、親元を3週間も離れるのがはじめてだからか?

今になって思えば、あの頃の自分は随分と子供だったなと思う。

感情が乱れたせいか、あるいは東洋医学で語るメンケン反応か、ともかく症状はひどくなった。そこで落ち込んだ僕をみんな慰めてくれようとしたのは解ったが、誰も僕の心にヒットしなかった。


期待が外れ、なすすべもない気分で僕は道場を去った。


その後、ある針の先生のところへ行き、断食道場での体験を語ったところ「君は意志が弱い」と片付けられ、それがショックだった。

なら、「僕はなぜ意志が弱く生まれついたんだろう」と心理学を学ぶようになり、瞑想もはじめた。


瞑想ははじめからなじみ、習いたての頃から毎日家で30分くらい座ることは苦ではなかった。この習慣は今でもずっと続いている。

だが、瞑想して心が静まり安らかな気持ちになるのに反して、なぜか皮膚の症状はひどくなる。不思議だった。ストレスが原因なら、心が落ち着けば症状は軽くなるはずなのに。

断食して感情が乱れるとか、心が静まって症状が悪化するとか、何か逆説的な体験から、心と体のつながりを感じた。

[心と体はつながってる体験]NO.2瞑想の体験

僕が瞑想を習いだしたのは、25歳頃のこと、今から22年前だ。

その頃の僕は、とても内向的で今のように公然と人を前にして自分の考えや気持ち、体験を語ったり書いたりするなんて想像もつかなかった。

ただ、疑問に感じたあることを調べ探求していく傾向は今も変わらない。

僕の瞑想体験は、前に書いたように主に身体現象が主体だった。いろいろ症状が外に出るわりに体の中はとても気持ち良く何かが流れている感じがした。体の中が熱くなったりもした。

また集中が深まると、こんな体験もした。

丹田に集中し、その集中感が深まると、丹田の中に自分がいる、という感じだ。

その状態から眉間に注意を移すと、丹田と眉間が重なり合うという体験もした。


この「超感覚体験」がかなり面白くて、瞑想に夢中になった。


それからかなり後になって、野口整体を学ぶようになり、そこに「感覚移動の技法」というのがあるが、それを既に体験していたので、感覚を移動するなんて訳のわからないことも不思議とは思わなかった。

ところで、丹田の中に自分がいる感覚とは何を意味するのだろう?

それは、自分をまるごと受け容れることだ

しかし、その頃の僕がそのことを知っていたわけではないし、自分をまるごと受け容れられたわけでもない。むしろ不満の日々だった。

それでも、その感覚の世界に入ると何か安心する気分だった。

また、眉間に集中するとどうなるのかというと、自分を客観視できる。

自分のことを他人の目から見ているような、外から自分を見ている感覚だ。


もちろん、そのような気分になるだけであり、そのような人間になったわけではない。

そのような人間、つまり自分をまるごと受け容れるとか自分を客観視できる人間になるためには、瞑想を何年も続けるか、それと同じ意味合いを持つ行為を何年も続けなくてはならない。


つまりは、どんなことでも続けられなくては意味がないのだ。その辺の話でもうひとつ僕の体験を話そう。


その頃、食養もやっていた。いわゆる玄米菜食だ。

しかし、食養生をまじめにやろうとやるまいと体の状態は変わらず、それに食養という行為自体に楽しさを感じなかった。周りと違う物を食べなくてはならないことに不満を感じていた。

それでも自分に言い聞かせて続けたが、毎日が面白くない。

加えてその頃、神田のオフィス街で接骨院をやっていたが、来る患者は自分より元気で食養なんてやっていたら勤まらない人たちばかりを相手にしていた。

当然、彼らは僕が食養の話をしても耳を傾けなかった。

結果、僕も食養をやめてしまった。

今から思えば、この「逆説的体験」の意味がよくわかるが、その頃の僕は何がなんだかわからず、イライラした日々を過ごしていた。食養を続けられずに挫折した自分を責めてもいた。

このイライラと挫折感を瞑想で癒していた。

瞑想は僕にとって続けられるものだった。


この頃の体験から思うに、いくら体に良い事でも行為に面白さ、楽しさがなければ続かないし、面白くないことを続けるならなおさら、2~3ヶ月で結果が出なければ止めてしまうのは人間の自然の反応だ、ということ。

しかし、体によくない事でもそれが面白いと続けてしまう。

あるいはすぐに結果が出なくても、行為に面白さが感じられれば続くものだ。


人が病気になるのは、日々の生活に面白さ、楽しさがないからか、あるいは体によくない行為を面白く感じているからではないだろうか?

でも、体によくない事でも行為に楽しさを感じているなら、それほど深刻な病にはならないと思う。

人が体調を崩し深刻な病に至る原因は、日々の生活に楽しさ、面白さがないからではなかろうか?

2006-06-30 心身共通?大まかな原理的なこと

からだとこころの変化・平衡・再構築

銀河系太陽系それぞれが移動しながら運行し、地球も自転しながら太陽の回りを回り続けているそうです。

全く同じ一瞬というのはきっとないのでしょう。

四季がありそれに応じて身体も変遷しています。

血液細胞は3ヶ月で入れ替わり、体の全細胞は6、7年で別のものに変わるのだそうです。

全ては変化し続けている。このこと自体はどうも不変のようです。

私など「ああ、このまま時間を止めてて欲しい」そう思うことが度々ありますけどどうにもならないようです。


あるご夫婦は二人して風邪を引き「明日、二人共仕事で出張するからなんとかしてくれ」と眉が八時二〇分になってしまった悲壮な顔でやってきました。

「明日大事な仕事が出来てしまったけど風邪を引いてしまった。熱も出てきたどうしよう‥‥よし、奥の手を使おう。」ということで

「時間よーーー止まれっ!」

「時間が止まっている間に整体で風邪を治してしまおう。」そう思ったかどうかは分かりません。(私が子供の頃「時間よー止まれっ!」と言うと時間を止めることが出来る少年がいて事件難問を解決するというテレビ番組がありました。年がバレルか)(笑)

このご夫婦は医者や薬が嫌いで、これまで何度も風邪を自然治癒経過させてきたまれに見る自然派的な発想の持ち主なはずでした。

しかしこのときの困惑ぶりは大変でした。たぶんとても大事な仕事だったのでしょう。

結局のところ、私はさして何もせず「成るようにしかなりませんよ。ちょっと力が入りすぎていませんか?」と告げました。

そうしたら二人ともカクンと肩の力が抜けてしまいました。(笑)(ヒドイ先生)

で、そのまま遠方に出張に行かれました。

でも後で、少し汗をかく程度で風邪はさしてひどくもならず、熱もそれほど出ず、軽い風邪引き状態のままつつがなく仕事も終えてかえって来られたと報告がありました。風邪はそのまま自然消滅。



「うわぁ!今風邪ひいちゃぁいられないのにどおしよう」

不安が元でコントロールに力が入るその気持ちも分かるのです。

しかし、「変化し続けている」ということを信頼することも大事です。

心に力が入りすぎてしまうと心の変化自体が滞ってしまって、本来ノーマルに働く自然治癒力まで渋滞を起こしてしまうこともあるのです。


風邪も心のあり方と関係があります。

年の瀬に全部仕事を終えたら必ず風邪を引く人

    • 過剰な緊張が抜けるから自然治癒力が働きやすくなるのでしょうし、そうやって熱と汗をかけば足の長さの左右差がとれたり、体の歪みを つくっている緊張もとれます。
    • 場合によっては心理的疲労も取れたりします。それは熱を伴う汗は深い汗で諸々の毒性の排泄が促進できるのです。頭もスカッとします。

緊張が取れて経過が早くなる

    • 体の勢いが少し弱いときは熱も高くならず汗の量も少ないです。先のご夫婦の例です。こういう時にも頭をごちゃごちゃさせていると簡単に経過するものまで停滞するのです。自然のプロセスを心のあり方が邪魔をしてしまうというケースです。

エネルギー過剰で引く風邪

    • エネルギー過剰を放置していて風邪を引くことがあります。このことには逃げ腰な気分、消極的な気分という緊張感の無さが原因になっていることが多いです。
    • もっと具体的にいうと仕事や自分を試す緊張感からのがれたいときなど。
    • まあ、これは風邪でエネルギーの調節をして体をブラッシュアップしてまた頑張ればいいでしょう。

引っ越しの風邪

    • 引っ越しをした際にしばらくして風邪を引くことがあります。体がその土地用にリフレッシュしようとするのです。特に遠方や外国に引っ越した時には注意しましょう。
    • 心理の嗜壁(しへき)関係の本に「引っ越しをしたら奥さんがやや重いうつ状態になった」という話が載っていました。
    • これは潜在意識の問題かもしれませんし、女性の場合男性よりは感覚的に出来ていますから前の家と体がくっついたままだったのかもしれません。こうなると心と体を分けて考えることができなくなります。
    • でも、前の家の全てに執着しれいるとは考え難いですし、これはその家にあった何らかの要素を排除しないで次に持ってくる必要があるのだと思われます。失ってはいけない何かがあるのでしょう。

 

風邪を例に取ったのは風邪が体のあちこちの緊張(つかえ)を取る作用があり、体の「変化に応じて平衡をとり再構築使用とする自然の働き」が分かりやすいと考えたからです。

でもこの風邪のプロセスもを全うさせるコツをつかんでいる人も少ないです。風邪は万病の元というのもここらに意味があるのでしょう。

風邪は心身のツカエを取る作用がある。だからその際には心も柔軟にしよう これがここまでの要点です。



心の力を抜くってことはとても難しいことです。大体において私達は思いこむことや頭に力を入れることで生活をまかなっているからです。

古人は「 とらわれず こだわらず ひっかからず 」と言ってますけど、それこそ言うは易し‥‥です。

私も整体をやって来たお陰で体に余分なツカエがない方がよいとか、心身はつながっているらしいよねとは言えても、柔軟な心については全く自信がありません。

ただ、風邪におけるその自然経過をお手本にしてみると、そこに心の風邪の引いたときのその『 変化し続ける心 』へのサポート方法のコツを見いだせるように思うのです。

そのためには、今内部で起きていることを感じるというより、感じ取ることとそれをジャッジしないで受け入れ、認めることは有効です。

受け入れたり認めたりすると体がフッと弛むと同時にそれが新たな引き締まりになるからです。

例えば「ああ、自分は焦っている。これをなんとかせねば‥‥、いやこの焦りは不安が元だ。不安?どの程度の不安?体はどうやって不安がってる?そうかこんな格好か。」という具合に体と心の状態をピッタリ合わせてみるのです。

そしてこわいと思うと同時に体に入っている力の方向を見つけて更に力を入れます。できたら「こわいー」と言ってみるのもいいです。(エネルギーの分散による弛緩)

変なやり方のように感じるかもしれませんが、焦っているときに「焦っていない!」と断定しようとすると分裂矛盾が生じるのはお分かりだと思います。

この方法は病的な心の状態だと一人では難しいかもしれません。

せめて自分の状況のありのままを受け入れてあげるのは心のゆらぎの幅を拡げることに役立ちます。

ささいなことは別ですが、本当に悲しいときに泣けないのは心身に緊張を残すでしょう。この意味では感情をネガティブにとらえない方が良いと私は考えています。


風邪の時には最初だるくて(弛みが中途半端)、熱が上がり汗が出てくると(エネルギーの分散と弛みの交互)その度に深く弛みます。

必要なだけを汗で排泄すると全身が均等に弛みきって(一度平熱以下になる)それから使える体に戻ります。

深さの問題は別として、心も同じ原理で成り立っているように私は感じるのですがいかがでしょうか。

変化し続けているということは、浮き沈みや高潮低潮の波があって当たり前ではないでしょうか。

最近はうつ病が流行っていますがこの病の原因の一つに「細やかな変化の無視の蓄積」があるように思います。

ある季節になるとこの症状が起きる人の場合、体の季節変動と心の連動があるでしょう。

心の変化がどこで閊え(つかえ)とまっていて、それをどのように動かし流れをつくり(弛みによるエネルギーの分散)、調和をとり価値かするか、

このような言い方はちょっと理屈っぽいですが、体の変化がそのように出来ているなら心の症状も単にネガティブにとらえるだけでなく再構築の一途として私は受け止めたいと私は考えています。



この内容にご賛同していただける方、面白い、認めてあげる、そういう方はどうかこちらをクリックしてやって下さいませ。(笑)

クリックして下さった方、そうでない人も読んでくださってありがとうございました。

2006-06-16

体の反応、心の感応* 癸粥‖が合うことの大切さ(3)【ハッとウム】/体・呼吸・心

キスをするとき、「吸う」という行為に力が入ってます。

そして「吐く」息が「はぁ〜〜」と熱い息に変わり首と全身が弛みます。そうやって心身一如で興奮して参ります。(笑)

この興奮状態にはホルモン的な影響もあるでしょうけど、多少姿勢学的な仕組みもあるようです。

ちなみに、キスをするとき鼻が詰まっていたら大変です。息が出来ませんので「 命がけのキッス 」になってしまいます。(笑)

そういえば「鼻が詰まってて亭主とキスするのに困っているから何とかしてくれっ!」と言った人がお一人いました。切実だったみたい。

のっけから生々しい出足となってしまいました。

落語では最初の部分を枕と呼ぶそうでして、ここでは大爆笑させると言うよりは物足りなさを感じさせます。

「もっと笑わせろ」という欲求を起こせるが如く、客に深く息を吐かせることはしません。(徐々に本題に入ろうとしております。)

上手い落語家の話というのはハマるといいますか、こっちの気分が高まっているのにちょっとじらすような展開があったりします。(これで客は呼吸を誘導させられてしまう。)

このように、人間には快感が伴うと呼吸を他者にコントロールされても充分満足できる不思議な生き物性があります。動物にはこんなのあまりないような気がします。私は学術的に説明はできないけど、動物は全て本能だけで呼吸をコントロールされてると思う。

「笑わせて欲しい!」

これは最近の十代女の子が恋人に求めていることらしいです。

NHKラジオ番組・日曜日夜「きらり10代」の「トアール探偵事務所のコーナー」でアンケートを紹介してました。街中インタビューアンケートで2位でした。

この番組は若い人の悩み事や気持ちを知るにはいい番組です。聴取者のメールや声が見事実って、入院していた彼との関係が壊れそうになっていた子の悩みが修復したときには思わずホロッとさせられました。

私にも子供が3人います。親に言えない悩みを子供達は沢山持っているのですね。相談相手が親でない方がよいこともあるでしょうけど、忙しさにかまけないで子供の気持ちを感じ取っていなければいけませんね。

それにしても、十代の男の子も大変です。学校の勉強だけでなくお笑いタレントじみてなくちゃいけないなんて。

もし私が十代だったらどうしよう。お笑いを迫られたらもうアウトです。寒いダジャレしか提供できない。彼女を作る自信もないけど、できたとしたらまずはコンビニでアルバイトだ。

必死でお金を貯めて寄席とか、たまにコロッケのライブとかご招待申し上げるしか手がありません。(というより自分が見に行きたいのが本音だけど)


えーと、呼吸の話でした。

ハッとすると息を吸っています。

吸う呼吸にだけ力が入っていると、緊張してしまうのです。

吐く呼吸に力がついてくると緊張を和らげるバランス力がつきます。

パニック症状(パニック障害)では突然に心臓が高鳴り口や喉が渇き呼吸が速まりこのバランス能力欠如が症状化しているのです。だから原理的には深い呼吸ができるように心身を誘導していくと治ることになります。

簡単に言うと「笑う能力」が落ちているのです。大雑把な話ですけど。

笑うときには腹に力を集めて吐くだけ吐ききり、息を吸うことを繰り返します。腹にに力が集まると副交感神経の働きが高まり肩や首の緊張が取れ、交感神経の緊張に対して拮抗力がつくのです。

整体であれヨガであろうと、病的な体の状態を整えるには体の余分な緊張を弛めることにコツがあります。

それは心の問題も同じであるように私は考えています。緊張した部分が弛まないということは本来の緊張能力も無くなっていると思って間違いありません。

そして改善の方向性は姿勢でいうと腰と腹が拮抗した張力を保てるように導くことにあります。これは筋力中心に偏っているスポーツの体の整え方に求めても無理があるのです。多くは呼吸は筋力鍛錬の従者になってしまうからです。

ネガティブな面でハッとさせられたり、そのままハッとして行動した場合たいがい良いことはありません。「ウム」と腹、腰に留息して受け止めたのと違って心身の異常緊張が冷静さや安定した行動力を失わせるからです。

もう少し具体的に説明しましょう。

呼吸を通して心身を整える方法

これにはいろいろありますけど、オーソドックスな方法を一つ紹介します。

▼1[正座か椅子に座る]

ゆったりと胸に息を吸い(胸式呼吸)、少し息を漏らし、続けて無声でウムと下腹に息をこらえます。続けて小さな声をウーーー‥‥ムと出しながら、残った息をゆっくりはき出します(やや前屈みになってもかまわない)。以上を無理のない自分のペースで3〜5分繰り返します。

集中して短時間ですませ、長時間やろうとしない。これを日に2〜3回行います。

姿勢は骨盤の上にフッと腰を載せた感じで。

呼吸のペースがきつければ漏らす息の量でコントロールを。

気張らないこと。これははスッごく好きなことをやったりして集中しているときに自然とやっている呼吸に近いのです。その他「道」と名の付く日本の武芸でもこの呼吸法は自然と身に付きます。

頭がクラクラしたりかえって息が苦しくなったりする人はミゾオチが緊張しているからです。ヨガ呼吸法の前にポーズで体を整えるのはこういった意味があります。正座で膝を開きミゾオチを両手で軽く押さえ、前屈みになりながらハーッと息を吐き出すことを習慣づけるといいでしょう。眠りの質も良くなります。(次の呼吸法も同様)

 「こんなの電車の中でやってて隣の人に声聞こえたらまずいじゃん!」

 そう言う人は声を出さない方法もあるのでそちらを。

▼2[正座か椅子に座る]

腰を反らせ息を吐ききる。息を止めたまま下腹を膨らませます。そのまま鎖骨の下辺りまで、つまり上胸部だけでしばらく呼吸します。1〜3分、でも3分は長いかも。最後は下腹から上胸部まで自然に息を通します。この後しばらく休みます。

長時間やらないように注意してください。声を漏らさない分、そのエネルギー消費はなく自分に向かってしまうのです。

習慣化した姿勢によってはこの呼吸法が難しい人もいますが、そう言う人こそホンの短い時間でいいからやるようにしてください。

※本来は仰臥でやるのが本式ですがその方が注意点が細かく難しいです。

下腹を膨らます。この表現に抵抗がある人もいらっしゃると思います。(笑)下腹に脂肪がまとわりつくのはその部分が弱くなったのを援助するためにつくのです。ここでの方法は腹部の深層筋肉に力をつけますのでご心配なく。腰も伸びるのでスタイルが若く清々しくなりますよ。

どちらの呼吸法も気力充実します。腰が伸び、呼吸が深くなり酸素の供給量が増え血液が浄化されます。勉強・仕事のストレス、パソコン作業の疲れをとり、個人的積極性を取り戻す助けになります。下腹は自然治癒力の源泉です。無理のないようにさえやれば治病効果の大きな助けになります。治療費医療費が浮けば国にプールされるお金も増えます。その余裕は医療費増額の抑制力になるでしょう。

吐く吸う止める

呼吸にはこの3パターンがあります。大まかなところ「胸ですって腹で吐く」と覚えれば良いでしょう。先に紹介した呼吸法は吐くことを重視しながら3パターンのバランスが取れているのです。

付記:キス効果の姿勢学的な仕組みについて

キスでは「吸う」ときの力の使い方をしているけど、口の筋肉を支配している首の神経の緊張が弛むせいで首が弛むのです。

でもこれだけではありません。吸うのは頸椎4番神経が司っていますが、ここは感情のツカエが溜まりやすいところでもあるのです。それが開放されれば当然心地よいです。(心地よい上にツカエの開放!危ないですねぇ(笑))

加えて4番には恥骨周辺との連動関係もあり、それで骨盤がクネッとなってしまう。(ますます危ない。)

口の筋肉は吸いに力が入っていますが、呼吸は鼻でしてますから横隔膜は活動している。それで横隔膜が下がるときには腰と腹に力をいれなくてはいけません。

試しに親指をチュバッと吸ってみてください。

そのまままず鼻で浅く呼吸をしながら、ちゅよく(強く)親指をちゅってからチュパッと親指を離してみてください。んーーーーーっチュパッて。ほら下腹と腰に力が集まってからフア〜ンて弛んだでちょ。けっこう気持ちいいでちゅ。

愛が無くてこんなことやったら危ないでちゅ。

そんなわけでキスをすると「接触刺激からくるホルモンによる脳の興奮興奮+姿勢や呼吸の作用」が働くのであります。


おおまかなところ、最後はなんとか笑いに戻れた。どうなることかとおもったけど。(笑)

2006-06-15 ヨガ、断食、瞑想、活元運動、プロセスワーク

2006-06-13 ヨガ、瞑想、活元運動、プロセスワークの体験

心と体はつながってる体験*癸 断食の体験

ここでuedaが自らの体験を書こう。


僕は小さいころからアトピーを患っていた。西洋医学はもちろん、漢方や針を試したが治らない。

あるとき、思い切って断食を試みた。断食の指導もしているヨガの道場に約3週間滞在した。


しかし、僕は体がすっきりするよりも何か感情が乱れた。食べられないストレスからか、親元を3週間も離れるのがはじめてだからか?

今になって思えば、あの頃の自分は随分と子供だったなと思う。

感情が乱れたせいか、あるいは東洋医学で語るメンケン反応か、ともかく症状はひどくなった。そこで落ち込んだ僕をみんな慰めてくれようとしたのは解ったが、誰も僕の心にヒットしなかった。


期待が外れ、なすすべもない気分で僕は道場を去った。


その後、ある針の先生のところへ行き、断食道場での体験を語ったところ「君は意志が弱い」と片付けられ、それがショックだった。

なら、「僕はなぜ意志が弱く生まれついたんだろう」と心理学を学ぶようになり、瞑想もはじめた。


瞑想ははじめからなじみ、習いたての頃から毎日家で30分くらい座ることは苦ではなかった。この習慣は今でもずっと続いている。

だが、瞑想して心が静まり安らかな気持ちになるのに反して、なぜか皮膚の症状はひどくなる。不思議だった。ストレスが原因なら、心が落ち着けば症状は軽くなるはずなのに。

断食して感情が乱れるとか、心が静まって症状が悪化するとか、何か逆説的な体験から、心と体のつながりを感じた。

[心と体はつながってる体験]NO.2瞑想の体験

僕が瞑想を習いだしたのは、25歳頃のこと、今から22年前だ。

その頃の僕は、とても内向的で今のように公然と人を前にして自分の考えや気持ち、体験を語ったり書いたりするなんて想像もつかなかった。

ただ、疑問に感じたあることを調べ探求していく傾向は今も変わらない。

僕の瞑想体験は、前に書いたように主に身体現象が主体だった。いろいろ症状が外に出るわりに体の中はとても気持ち良く何かが流れている感じがした。体の中が熱くなったりもした。

また集中が深まると、こんな体験もした。

丹田に集中し、その集中感が深まると、丹田の中に自分がいる、という感じだ。

その状態から眉間に注意を移すと、丹田と眉間が重なり合うという体験もした。


この「超感覚体験」がかなり面白くて、瞑想に夢中になった。


それからかなり後になって、野口整体を学ぶようになり、そこに「感覚移動の技法」というのがあるが、それを既に体験していたので、感覚を移動するなんて訳のわからないことも不思議とは思わなかった。


またその頃、食養もやっていた。いわゆる玄米菜食だ。

しかし、食養生をまじめにやろうとやるまいと体の状態は変わらず、それに食養という行為自体に楽しさを感じなかった。周りと違う物を食べなくてはならないことに不満を感じていた。

それでも自分に言い聞かせて続けたが、毎日が面白くない。

加えてその頃、神田のオフィス街で接骨院をやっていたが、来る患者は自分より元気で食養なんてやっていたら勤まらない人たちばかりを相手にしていた。

今から思えば、この「逆説的体験」の意味がよくわかるが、その頃の僕は何がなんだかわからず、イライラした日々を過ごしていた。ここで「イライラする」という理由も今ではよくわかるが、このイライラも瞑想で癒していた。


この頃の体験から思うに、いくら体に良い事でも行為に面白さ、楽しさがなければ続かないし、面白くないことを続けるならなおさら、2~3ヶ月で結果が出なければ止めてしまうのは人間の自然の反応だ、ということ。

しかし、体によくない事でもそれが面白いと続けてしまう。

あるいはすぐに結果が出なくても、行為に面白さが感じられれば続くものだ。


人が病気になるのは、日々の生活に面白さ、楽しさがないからか、あるいは体によくない行為を面白く感じているからではないだろうか?

でも、体によくない事でも行為に楽しさを感じているなら、それほど深刻な病にはならないと思う。

人が体調を崩し深刻な病に至る原因は、日々の生活に楽しさ、面白さがないからではなかろうか?