曙光のなかで

2007-07-15 サンフランシスコの「避ける人」たち

大学の映像概論という授業の大半の資料をYouTubeで見つけて使った。学生にも、自分がこれだと勧める映像をネットストリーミングから選んで、それを論評するという課題を出した。これはこれで、人数の多い授業にも関わらず、同じ傾向に偏らずに、さまざまなサンプルが出てきた。これはとてもおもしろいことだと思う。映像の文化がこのようになっているというのは、まさにストリーミング映像の存在によって大きく変わっている。


映像アーカイブというものも、ほんとうにアーカイブを考えるならば、ストリーミング映像の様にしたほうがいい。そもそも「アーカイブ」という考え方自身が、「もの」的な発想だ。


このサンフランシスコのマーケットストリートの路面電車軌道を下っていくだけの映像を見ているだけで、その時代のアメリカの感じがわかる。人々の歩き方や、乗り物の往来だけを見ても、文化がわかる。これを見ていると交通信号がなく、乗り物も人も自由自在に束縛されることなく走り回っている。まだ交通法規の体系がなくても、どうにかなっている時代で、乗り物の速度も、まだ避けることができるものだ。人々は乗り物を避けながら移動している。

D

ぼくはこの映像を見ていて、かつて住んでいたブルックリンを思い出した。ブルックリンニューヨーク市とは別の市であった時に、とても強い野球チームがあり、そこではアメリカで最初の黒人の野球選手も活躍していた。そのチームの名前は「ブルックリン・ドジャース」。つまり「ブルックリンの避ける人たち」だ。ブルックリンは商業も盛んで、路面電車も走っていた。人々はその電車を避けながら歩いていたことから、「避ける人たち」dodgersという言葉が生まれた。このチームは、やがてロサンゼルスの本拠を移して現在に至っている。


この映像を見ていると「避ける人たち」っていうのは、こんなふうだったのだなってわかる。


Old San Francisco