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2011-04-07

[]大野いとは「高校デビュー」で「非コミュ」をスクリーン上に形にしたという快挙を成し遂げた。 19:16 大野いとは「高校デビュー」で「非コミュ」をスクリーン上に形にしたという快挙を成し遂げた。を含むブックマーク

梅田でもらった、大野いとちゃんのサイン。

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高校デビュー」で演技デビューになった、大野いとちゃんの話。


基本的に俺は若手の女優さんでもそれなりの演技力は求めるし、

ちょっとでも演技内容に「なんだかなー」とか思うと、

とりあえず距離を置いてしまうんだけども。


それを考えたら、石原さとみは最初から異常に演技力があった。

彼女と比べたら大野いとの演技力なんて、演技力でも何でもない。


高校デビュー」を見てもらえれば分かると思うのだが、

お世辞にも演技力があるとは言えない。というか、かなり、ない。

台詞まわしは棒読みではないが、感情が入ってるとか、

どうのこうの言えるようなレベルにも届いてすらいない。


だからと言って「高校デビュー」という映画が「ハズレ」ではない、のだ。

そこが異常なのだ。


演技力がない人物が演じているのに「アタリ」なのである。


かと言って、大野いとの「素」でもない。

彼女が演じる「春菜」が大野いとそのものだから問題なかったんだろう。

という向きもあるようだが、決してそんな事はない。


大野いとはどちらかというと、天然でおっとり、

自分から何かをどうのこうのしようとするような、

「押し」の強い人物ではなさそうなのである。

対して「春菜」はぶっ飛んだ役で無駄に「押し」も強い、

厚かましい人物である。


そういう意味では、大野いとは「春菜」を演じている。


ではいったい「高校デビュー」という映画内で、何が起こったのか?

演技力がない人物が演技をし、観客を「訳が分からない納得」に導くのは、

一体何が原因なのか?


演技力のなさが「非コミュ」味を演出した。

簡単に言うと、大野いとが演じた春菜は、

非コミュ」の人物そのものであった。


日常で誰かと会話をする時に「お前、何かのセリフを読んでるのか?」

というような違和感のある気持ち悪い会話を行う人物に、

会った事がある人は世の中にたくさんいるだろう。


そういう「非コミュ」な人物を、

演技力がない大野いとがスクリーン上に作り上げてしまっているのである。

演技力がある「リア充」な人物が「非コミュ」を演じても、

そこにリアリティを感じさせるのは難しい。

(「電車男」を演じた彼らを思い出すと適切かもしれない。)


だが、演技力のない人物がセリフを一生懸命覚えて、

一生懸命演技をすると、スクリーン上には「非コミュ」な人物が出来上がったのである。

しかも、最初は、壮絶にぶさいくである。

「何でお前が映画で主演で出てきてるんだよ!」と言いたくなるレベルである。


しかしながら、ストーリーが進むにつれ、

顔は美しくなり、瞳には輝きがやどり、徐々にセリフまわしが、

最初よりも良くなって行く。


その流れがまさに「非コミュ」→「リア充のちょい手前」を、

演出していて、そのままエンディングへと向かって行く。


ただ1本の映画内でこれほどまで成長する人物もいるのか?

という驚愕とストーリー展開のむちゃくちゃっぷり、

大野いとの演技への苦悩と演じた「春菜」の恋心の苦悩ぶり、

それらがごちゃまぜになった、なってしまっている、

そんな「人間の成長の早回しドキュメント」を、

是非あなたも観てみていただきたいところ。


これを観ずに「可愛い女の子が好き」なんて語るべきではないね。

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