Hatena::ブログ(Diary)

deadman 2 〈訃報系blog〉 このページをアンテナに追加 RSSフィード

 | 

wrote on 28 Feb, 2005

2005-02-26? 「Macintoshの父」ジェフ・ラスキン氏 61歳

コンピュータのマン=マシン・インターフェイス専門家であり、米Appleの31番目の社員(1978年1月入社)にして、オリジナルMacintosh開発チームの立ち上げに多大な業績を残した(しかし製品発表前=1982年にはすでにAppleを去っていた)ジェフ・ラスキン(Jef Raskin)氏が癌で亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りします。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0502/28/news008.html

ラスキン氏はMacintoshのオリジナルのアイデアを考えつき、Apple Computerでプロジェクトを進めていたが、そののちに当時のスティーブ・ジョブズ氏にプロジェクトを奪われたという経緯がある。同氏はMacintoshの名付け親とも言われている。

GUIのアイディアの元祖はXerox Palo Alto研究所が1973年に開発したAltoだと言われていますが、ラスキン氏はPARCとの関係があったことがCNETの記事にあります。

http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000047674,20080965,00.htm

PARCができて間もない頃、私は研究者の立場でよく遊びに行き、議論に参加したり、開発中の技術の一部を見て喜んでいた。またPARC研究者のほうも、ユーザインターフェースUI)に関して私が彼らとかなりよく似た考えを持っているのを知って喜んでいると思った。私には、UIとグラフィックが将来のコンピュータにとって最も大切なものになる、という考えを売り込む必要がなかったからだ」と、同氏は後に書いている。

Raskinは1976年にSteve JobsとSteve Wozniakに初めて出会った。当時2人が仕事場にしていたガレージで、Raskinは自分がPARCで目にしたものの話をした。同氏はAppleで働き始めたのを機にPARCに足を運ぶのをやめたが、これは「利害衝突の可能性を避ける」ためだった。

なお、ラスキン氏はコンピュータ一辺倒だったのではなく、非常に多彩な方だったということがITmediaの記事からわかります。

ジェフ・ラスキン氏がパーソナルコンピュータにもたらしたものITmediaニュース)

コンピュータ業界では最も知られている存在であるが、ラスキン氏の興味は別のところにもあった。ラスキン氏はSan Francisco Chamber Opera Societyの指揮者であり、3種類の楽器をこなしていた。同氏の美術作品はニューヨーク現代美術館(MOMA)に展示されている。また、航空機の翼構造に関する特許も取得している。

友人らによれば、ラスキン氏は洋弓、ターゲット射撃の達人であり、時にはレーシングカードライバーにも変身していたという。

「彼は楽しむということの価値を信じていた」とバースタイン氏。「Appleで彼と仕事をしていた人たちによれば、おもちゃ、ゲーム、喜ぶセンスがいかに重要かということを彼は話していたという」

ラスキン氏の著書は邦訳も出ていますね。レビューが賞賛と非難の両極端に分かれているので却って興味を引きました。

wrote on 27 Feb, 2005

2005-02-27] 映画監督「ビーバップ」「デビルマン」 那須博之さん 53歳

これはまた若すぎる訃報のうえに、遺作が『デビルマン』とは!

東大卒業後、日活の助監督に。フリーとなって監督した「ビー・バップ・ハイスクール」(1985年)がヒット、シリーズ化された。ほかに薬師丸ひろ子主演「紳士同盟」など。昨年秋の「デビルマン」が最後の劇場映画監督作となった。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/fuho/20050228/ftu_____fuho____000.shtml

ご冥福をお祈りします。

那須博之日本映画データベース
もともとロマンポルノ系の監督だったんですね。つか『ピンチランナー』!
最低映画単位[kDm]の創造者、世を去る
R30氏による弔辞。涙無くしては読めない(棒読み)。

ビー・バップ・ハイスクール [DVD] ピンチランナー [DVD] デビルマン [DVD]

紳士同盟』はDVD化されてないっぽい。それにしても見事にバラバラやなあ。無理に言うなら青春モノを得意としたと言えなくはないというか……それにしても『デビルマン プレミアムセット [DVD]』って誰が買うんだ? 主役のファンか?

[追記] プログラムピクチャーについてほか

訃報に際していくつかの日記/ブログを読んだが、みな異口同音に『デビルマン』については「評価は変わらない」としつつも、最期の「プログラムピクチャー」である『ビーバップハイスクール』シリーズでの手腕を惜しんでいたようだ。ところで当方は映画にあまり詳しくないので、そもそも「プログラムピクチャー」とはなんぞや、ということで検索してみました。

ラピュタ阿佐ヶ谷 劇場チラシより◆プログラムピクチャーの栄光

プログラムピクチャーとは、新作が毎週、製作会社の直営館と系列契約館で封切られるブロック・ブッキング、つまり映画製作と興行が一体化された体制のもとで、番組(プログラム)を埋めるために量産された作品を意味する。

つまり往年の「××」シリーズというヤツだ。喜劇ならクレイジーキャッツの「無責任シリーズ」とか森繁の社長とか、アクションなら日活裕次郎とか渡り鳥とか、トラック野郎とか若大将もそうなのかな。つか70年代の東映は凄すぎる(わらい

で、80年代を代表するプログラムピクチャー「ビーバップ」シリーズについてはこちらとか参照

http://www.geocities.jp/kumkonman/yotarou.html

あと椣平夢若食い散らかし日記さんによると、那須監督の作品では『美少女プロレス 失神10秒前』がオモロイらしいです。『ピンチランナー』より。

wrote on 24 Feb, 2005

2005-02-24 懐かしの塗り絵作家 蔦谷喜一さん 91歳

毎日新聞より

1947年から描き始めた「きいちのぬりえ」が子どもたちの人気を集めた。広告にも多くの作品が使われた。

最近復刻されたりして再評価されているところでしたね。懐かしい。というかこの表紙の絵がなんとかく中島らも画「てっちゃん」(カネテツデリカフーズ)にクリソツ見えるのは偶然?*1

THEきいちのぬりえBOOK

THEきいちのぬりえBOOK

関連リンク

戦争を語る・蔦谷喜一
戦前から「ぬりえ」を書かれていて、やがて統制でそれができなくなり、徴兵。敗戦は解放でもあったんですね。
「トマト」蔦谷喜一さん(お品書き - YOMIURI ON-LINE)
粗食が長寿の秘訣。元祖モボとして培ったファッションセンスが「ぬりえ」に生きたんでしょうね。
文化屋雑貨店(高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」)
子供のころ遊んだ「ぬりえ」を文化屋雑貨店で買ったこと。そして「喜一のぬりえ展」の思い出。
北千住 私のおすすめ きいちのぬりえ出没!アド街ック天国 - 大江麻理子のページ)
北千住の11位。2004年5月の放送です。
ぬりえ美術館
蔦谷さんの姪が館長。当初は「きいちのぬりえ」美術館にすることも考えたが、世界中を対象にしたとのこと。なんとぬりえブログがありますYO。しかも自前MT。

*1:じゃないよね? コレってらもさんの遊び?

wrote on 18 Feb, 2005

2005-02-18? NNR/ACID Panda/iceGear 秋山智俊さん 36歳

日本のテクノ+ネットの黎明期に活動した「NNR(Neuro Net Recordings)」やレオパルドンらを生んだテクノイベント/レーベル「アシッドパンダ」の主催者であり、また「オンラインソフトウェア大賞2002」を受賞したフリーのチャットソフト「タキビ」の開発(iceGear)でも知られるテクノDJ+オーガナイザープログラマーアイスワークス取締役)の秋山智俊(あきやま・ともとし)さん*1が、2月18日、クモ膜下出血のため亡くなられたそうです。ご冥福をおいのりします。

関連

秋山くんは私(当ブログ管理人)の友人でした。こころよりご冥福をお祈りいたします。

私的な弔文を http://d.hatena.ne.jp/mohri/20050218/akiyama に置きました。

*1ライトノベル作家秋山瑞人氏の実兄でもある

wrote on 08 Feb, 2005

2005-02-08? ジャズ・オルガン奏者 ジミー・スミスさん逝去 79歳

http://www.bounce.com/news/daily.php?C=4958

ハモンドオルガンの先駆的プレイヤーとして50年代、60年代ジャズ界で活躍。……「BLUE NOTE」時代にトリオで吹き込んだ『Crazy! Baby』、「VERVE」レーベル時代にオーケストラを従え吹き込んだ『The Cat』、ビースティ・ボーイズサンプリングした『Root Down』など数々の名演を残した。

まだご存命だったというのがちょっとした驚きでした。伝説のJAZZレジェンドというイメージだったので。上記「bounce」記事中のアルバムはこれですね。

Crazy Baby ザ・キャット(紙ジャケット仕様) ルート・ダウン

個人的にはこのウェス・モンゴメリーとの共演盤の(主にジャケの)イメージが強いです。なんかユルイ感じで楽しげで。

真似ジャケ

関係ないけど、ACOの『Lady Soul』のアナログ限定版が上の『The Cat』のジャケ真似ですたが、うーん画像が見つからないなあ。ほぼそのままなんですよね。でもって当時のACOのイメージに合ってた。ACOというと今はもっとクールでアブストラクトな感じだけど。

wrote on 07 Feb, 2005

2005-02-06? 最後の30勝投手 元南海ホークス 皆川睦雄さん 69歳

http://www.nikkansports.com/ns/general/personal/2005/pe-050206.html

プロ入り3年目の1956年から8年連続2ケタ勝利を挙げ、エースだった故杉浦忠氏(享年66)とともに南海黄金時代を支えた。…… 肩の故障をきっかけに下手投げに転向し、200勝投手になった。シンカースライダーを駆使して、1968年には31勝10敗、防御率1.61で最多勝利と最優秀防御率のタイトルを獲得。その後、30勝投手は出ていない。…… 現役18年間の通算成績は221勝139敗。オールスターには6度出場。現役引退後は阪神巨人近鉄でコーチを務めた。

通算221勝ということは名球会入りの大投手ですね。ご冥福をお祈りいたします。現・ソフトバンクホークスの前身である南海戦士であるだけでなく、巨人コーチ時代には監督が王さんだったということだそうです。それにしてもなぜホークスの監督やコーチをされなかったんでしょうか?

プロ野球 通算勝利 2004年度版野球バンク
221勝は歴代14位。通算完封数では堀内(現・読売監督)と並んで19位。なんと南海(というよりホークス)では50位までに唯一のランクインです。しかしこうしてみるとホント金田ってとんでもないなあ。
皆川睦雄(睦男)(伝説のプレーヤー)
最強の二番手だったことがうかがえます。それにして「気持ちが入ってないからボール」て!

以下、略歴などが掲載されたページをいくつか

wrote on 06 Feb, 2005

2005-01-29? クオリーメンのギター エリック・グリフィス氏 64歳

ビートルズの前身バンドであるクオリーメン(Quarryman)のオリジナルメンバーであり、2003年には再結成クオリーメンで来日(ハイロウズとのジョイントライブ)も果たした、ギターのエリック・グリフィス(Eric Griffiths)氏が、膵臓癌のため亡くなられたそうです。

地元の学校に在学中、ジョン・レノンらと友人になり、1950年代後半に学校の名前を取ったバンド、クオリーメンを結成。レノンとともにギターを担当し、同バンドはその後、ポール・マッカートニージョージ・ハリスンらの参加を得て、1960年ビートルズになった。

クオリーメンのグリフィス氏死去 nikkansports.com

ビートルズくらい大きなバンドになると、アマチュア時代に組んでいたバンドですら伝説になるわけです。これってつまり日本で言うなら「電気グルーブ」の前身バンド「人生」の「王選手」とかそういう位置づけっすよね「耳夫」とか……違う?

「バンドを解散して二人でやり直さないかって言うジョンに、ポールはいいやつだし、バンドに大いに役立つ、僕らには彼が必要だって言ったんだ……。僕はビートルズの歴史上でいちばん大きな貢献をしたと思うよ。ポールとクオリーメンの関係を切ろうとしたジョンを引き留めたわけだからね」(エリック・グリフィス:本文より)

書籍 ザ・クオリーメン ジョン・レノンの記憶

ううむ。やはりビートルズくらいのバンドになると関連した前身バンドのメンバーまですべてが伝説なのだった。

Quarrymen
公式サイト。
THE HIGH-LOWS 『Puttin’on the Style』 2003.9.9(TUE) 渋谷公会堂 ライヴレポート
来日ライブのレポ。ウォッシュボードを使ってたりするところがスキッフルバンドって感じっすね。

この来日公演の様子はDVDになっています。ちょと見てみたい。

Puttin’ on the style [DVD]

Puttin’ on the style [DVD]

追記 [2005.0209]

クオリーメン時代からのビートルズの歴史を扱った日本語サイトです。

グリフィス氏がいつまで在籍したとかは英語のサイトにあたるとありました。

Beatles history - 1958beatles-discography.com)

このサイトによると1958年6月のジョージ加入にともなってはじき出されたようです。

George's arrival meant that they now had four guitarists - him, Paul, John and Eric Griffiths. And that was one too many. So Nigel Whalley was given the unenviable task of kicking Eric out: ……

 | 
2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
カテゴリー
about this site

deadman2

deadman2

訃報 死去 追悼

テクノラティプロフィール