小説「兎の眼」「太陽の子」などで知られる児童文学作家で、元小学校教諭という立場から子供の問題について積極的に発言した灰谷健次郎さんが食道癌のため死去されました。
1934年生まれの灰谷さんは印刷工や電気溶接技師として働きながら定時制高校に通い、大阪学芸大(現・大阪教育大)卒業後、1956年から17年間神戸市の小学校教員として教鞭を取るかたわら、小説を発表したり児童詩誌の編集に携わるなど文芸活動を熱心にされました。子供の詩集「せんせいけらいになれ (角川文庫)」はこのころの作品です。
長兄の自死などをきっかけに38歳のとき朝礼で突然に辞職を宣言してそのまま退職。沖縄放浪を経て「兎の眼」を執筆。児童書ながら広く大人に読まれてミリオンセラーになり、作家としての地位を確立しますが、1980年に淡路島、1991年に沖縄(渡嘉敷島)に移り住み、常に東京とは距離をとりながら活動を続けられました。
「兎の眼」以降のすべての作品を専属契約のように新潮社から刊行されていましたが、1997年に神戸で起きた連続児童殺傷事件で新潮社の「フォーカス」が犯人の「酒鬼薔薇」と名乗る加害少年の顔写真や氏名を掲載したことに抗議し、すべての版権を引き上げ、角川書店に移りました(角川に熱心に灰谷さんに手紙を書いていた編集がいたという話を読んだことがあります)。自身の活動のスジを貫いたことになります。
まったく個人的な思い出ですが、小学校のころ「きみはダックス先生がきらいか (大日本の創作どうわ)」がおもしろくて(単行本ではなく学研の学習雑誌の読み物付録に全文掲載されていたような曖昧な記憶があるのですが)何度も読み返した記憶があります。あまりに出来すぎた話だとはおもってましたが、お話なんだからそんな理想郷みたいな教室があってもいいのかもなーと思ってました。
ご冥福をお祈りいたします。
なお、このエントリを書くのに小説新潮1997年7月号臨時増刊「灰谷健次郎 まるごと一冊」というムックをかなり参考にしました。この編集作業中にまさにフォーカスの事件があったようで、巻末に抗議文が再掲されています。これが新潮社との最後の仕事になったのでしょうね。