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deadman 2 〈訃報系blog〉 このページをアンテナに追加 RSSフィード

 

wrote on 06 Feb, 2007

2007-02-06? イラストレーター「金魂巻」 渡辺和博さん逝去 56歳

1980年代に「金魂巻」など元祖ヘタウマ系のイラストで一世を風靡し“ナベゾ画伯”の愛称で親しまれたイラストレーター渡辺和博さんが肝臓癌で死去されました。まだまだお若いのに残念です。2004年にガン告知後の闘病イラストエッセイを出されてたんですね。ご冥福をおいのりいたします。

訃報

「困った人」につけるクスリ―読めばよく効く人生相談 ザ・90年代あぁ、そうだったのか。 ちょいモテvs.ちょいキモ

wrote on 26 Nov, 2006

2006-11-23 元世田谷美術館長 大島清次さん逝去 82歳

世田谷美術館の館長を開館時(1986年)から2003年まで17年間努められた美術評論家の大島清次さんが肺炎で死去されました。ジャポニスム研究で知られるほか、パリ国立図書館版画部、栃木県立美術館長という経歴から美術館活動や文化行政についても積極的に発言されていたそうです。著書に「美術館とは何か―FIELD NOTE BOOK」「ジャポニスム―印象派と浮世絵の周辺 (講談社学術文庫)」など多数。ご冥福をお祈りいたします。

世田谷美術館は今年でちょうど開館20周年になるのですね。開館20周年記念展示「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」は来月10日まで。

副題

wrote on 10 Jun, 2006

2006-06-09 シルクスクリーン刷り師 岡部徳三さん 74歳

日本のシルクスクリーン版画の草分けで、横尾忠則らの作品を手がけた刷り師の岡部徳三さんが肝臓がんで亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りします。1964年に秦野市でシルクスクリーンの工房を開設し、現代作家の作品を手がけました。有限会社岡部版画出版代表取締役。

青山のギャラリー「ときの忘れもの」のブログに詳しい経歴などがありました。

日本の版画においてシルクスクリーンが認められたのは近々40数年に過ぎません。刷り師としてその先端を切り開いてきたのが岡部さんでした。オノサト・トシノブ、靉嘔、横尾忠則、前田常作、ジョナス・メカス、かれらの版画作品は岡部さんという協働者がいたからこそ生まれたものでした。

近年では弟子の石田さんが先鞭をつけた草間彌生先生の版画にも携わっておられました。

ギャラリー ときの忘れもの:名人刷り師・岡部徳三死す〜画廊亭主の徒然なる日々 - livedoor Blog(ブログ)

版画というのは作家の方が自分で版を起こして自分で刷るのかと思っていましたが、「刷る」専門職(プリンター)がいらっしゃるということをはじめて知りました。昔の浮世絵のようですね。

シルクスクリーンと刷り師について

少し調べてみました。

シルクスクリーン版画の歴史は、木版や銅版画と比べてそんなに古くありません。技法としては日本の捺染型紙による「染めもの」や、琉球の紅型(びんがた)、西洋の型抜き印刷(ステンシル)等が起源として考えられますが、1910年代になって写真製版が技法として確立され、今日の多様な発展の基盤となりました。

シルクスクリーン版画が、美術作品として製作され出したのは1950年代の米国と考えられますので、50年の歴史と云えます、反面歴史の浅い分だけ大きな可能性を秘めた分野であり、技術の進歩と共に、今後の展開も期待されています。

シルクスクリーン版画のこと

写真製版技術により使っている色毎にシルクスクリーンを制作する。そして、謄写版印刷のような手法でインクを塗り重ねる。その作業を「刷り師」と呼ばれる匠が行う。これが版画の工程だ。(詳しくは「はり絵で描く風景たち」日貿出版社で)

繊細な原画を忠実に、しかし原画にはない版画のよさを活かした作品にまで昇華するには優れた「刷り師」が居なければ成立しない。

藤倉英幸の風景たち『静かな風が吹いていた。』

wrote on 19 May, 2006

2006-05-15 コマーシャル・アーティスト ジョイス・ブランドさん

ジョイス・ブランドさん(米アーティスト)AP通信によると、15日、米フロリダ州の自宅で死去、88歳。約2週間前に心臓発作を起こし、静養していたという。

同通信によると、米ネブラスカ州生まれ。1959年、当時3歳だった自分の娘をモデルに、日焼け止めクリームで知られる「コパトーン」ブランドのシンボル「コパトーン・ガール」の原案を考案。いたずら好きの子犬が女の子の水着をくわえてずり下ろそうとするユーモラスな絵が人気を呼んだ。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/fuho/20060518/ftu_____fuho____006.shtml

米国での訃報はこちらです。

Mrs. Brand was working for a New York firm, Grant Advertising, in 1959 when she was handed a rough drawing of stick figures and from that created the famous image for the Coppertone suntan lotion. It showed a dog tugging at the bathing suit of a little girl, exposing her bottom and tan line.

(snip) She was an illustrator for Sports Afield magazine for 20 years. In addition to creating the Coppertone Girl, she worked on campaigns for Pampers diapers, Ovaltine, Coca-Cola, Pepsi and General Motors.

Joyce B. Brand, Commercial Artist, Dies at 88 - New York Times

「コパトーン・ガール」についてはWikipediaに詳細がありました。

f:id:deadman2:20060520041746j:image

Coppertone girl - Wikipedia, the free encyclopedia

かわいいイラストですが、これをコスプレするってのがあるらしくて、上のWikipediaにもパロディにした雑誌の表紙がありますが、なんかこっちにはかなりヒドイのんがありますでー。

wrote on 17 May, 2006

2006-05-16 鎌倉彫「博古堂」 後藤俊太郎さん 82歳

後藤俊太郎さん 82歳(ごとう・しゅんたろう=博古堂社長)16日、胸部動脈りゅう破裂のため死去。

鎌倉時代から続くと伝えられる鎌倉彫後藤家28代当主。鎌倉彫の普及に尽力した。

訃報:後藤俊太郎さん 82歳 死去=博古堂社長 /神奈川−訃報:MSN毎日インタラクティブ

鎌倉彫と博古堂については下記に詳しいです。

鎌倉時代の仏師に端を発する歴史のある彫刻工芸だそうですが、明治の廃仏毀釈で鎌倉の仏師が激減するなか、俊太郎さんの曽祖父と祖父の代で仏像・仏具から美術工芸へと転進を図って成功されたようです。

俊太郎さん自身については「湘南よみうり」のサイトにインタビューがあります。

「母が36歳で亡くなり、後藤家の後継者として祖父(運久)に引き取られたのは小学校に上がった頃でした」という現当主の俊太郎(82)。「小学生の頃から、登校前に仏像など大切なものが飾ってある棚の掃除と、下校後1時間、縁側での小刀研ぎが日課でした」。 理屈ではなく体で覚える というものであった。「祖父は朝起きてから寝るまで図案を描くか彫るか、いつも仕事をしていました」と述懐する。

老舗ものがたり・鎌倉彫博古堂

著書に『鎌倉彫』『鎌倉彫後藤家四代』『鎌倉彫』があります。

wrote on 09 May, 2006

2006-05-04 現代芸術家 村上善男さん 73歳

村上善男氏(むらかみ・よしお=美術家)4日、心不全で死去。73歳。

盛岡市生まれ。現代美術家として活動する傍ら、大正期の洋画壇の旗手として知られる岩手県東和町(現花巻市)出身の画家・萬鉄五郎の研究家としても知られる。

1982年から弘前大教授、98年から弘前大名誉教授。

村上善男氏=美術家 : おくやみ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

略歴など

かなりシュールな作風で、岡本太郎とも交流のあったそうです。

村上は、昭和28年から36年までの二科展出品を通じて、 前衛美術家の岡本太郎の大きな影響を受け、 新しい表現に取り組む創作家としての方向を確立していきます。 昭和35年ごろから、さまざまな既製品を画面に貼り付けて作品を制作するようになっていましたが、 中でも特に注射針にひきつけられ、数多くの注射針を画面に貼りつけた作品を作っています。

(中略)昭和38年、注射針を組み合わせた立体作品「針供養」を発表。 これ以降注射針の作品は制作されなくなりました。 しかし事物を画面に貼り付ける手法は以後も続けられ、 それはやがて東北の風土をテーマとした作品へと結実していくことになります。

村上善男 - 盛岡ガイド

二科展を通じた岡本太郎との交流については下記のようなブログの記事がありました。

1955年、二科展に応募した村上の作品《ヴァグースQ》に目を留めた岡本太郎に、二科会九室(通称太郎部屋)に誘われたことをきっかけに二人の交流がはじまったとのこと。盛岡から上京して絵を描きたいともらした村上に、岡本は「お前はそこ(東北)で闘え」と。

bookbar5 : 北に澄む 村上善男展

岡本太郎らしい力強い言葉です。

このブログのエントリで紹介されている展示会「北に澄む」は盛岡や川崎岡本太郎美術館などを巡回した展示だったようです。詳細は以下のページなどを参照してください。

そのほか以下のところで作品が見れます。

この盛岡駅の地下道にある作品は面白いですね。

著作など

歴史の文字―記載・活字・活版 (東京大学コレクション)」に提供したテキストが、東京大学総合研究博物館の「刊行物データベース」サイトで読めるようです。

活版活字への愛があふれた文章でした。

鋳造の現場で、打ち出されたばかりの、きらめく活字を、一本指先につまみ、その美しさに見惚れていた学生たちの姿に、今後再び触れることはないのである。

活字一本に刻まれた、一つの文字の存在の実感、とでもいえばいいか。ピンセットで扱うルビから、一号、初号の重量感までを、指の腹で押えながら文選作業を進める。そのすばやい手工芸家のような手慣れた作業を、飽かずに眺めた。

歴史の文字 記載・活字・活版 - ゲタと印壓

そのほかに以下のような著作があります。

万鉄五郎を辿って 東北という劇空間

wrote on 21 Apr, 2006

2006-04-19 彫刻家 飯田善国さん 82歳

先鋭で詩的な抽象彫刻で知られた、彫刻家の飯田善国(いいだ・よしくに)さんが19日午後6時30分、心不全のため長野県松本市の病院で死去した。82歳だった。

慶応大学で美学美術史を学び、その後、東京芸術大学の油画科で梅原龍三郎に師事した。50年代半ばにローマに渡り、彫刻に転じた。ウィーン、ベルリンなどでも活動。磨き込んだステンレスによる金属彫刻や、単純化された立体と彩色ロープを組み合わせた作品で評価され、屋外の公共彫刻も多く手がけた。68年の第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で大賞を受賞。

また、美術評論やエッセー、詩作などの活動も旺盛で、著書に「見えない彫刻」「彫刻家―創造への出発 (岩波新書)」「円盤の五月」などがある。

asahi.com:彫刻家の飯田善国さん死去 - おくやみ

千里中央広場に「ステンレスの林」という作品があるそうです。

新橋には「三つのM」。

飯田・スザンナ・青子さん

娘さんもカリスマセレクトショップオーナーとして有名な方だそうです。

 
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