渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』★★★★☆(洋泉社、2010-1)

刊行されて二年以上も経っているというのに買った本はまだ「初版」だった。こんな素晴らしい本(ただし索引がないのはいただけない)がと思うが、やはり小説ほどには売れないのだろう(って、私とて手を伸ばすのは三文小説ばかりだからなぁ)。

 翻って考えれば、江戸期の日本国家は蝦夷地の征服をなぜこの時期まで延引していたのだろうか。幕府成立の初期に蝦夷地の管理を、わずかに渡島半島の先端に地歩を築くのみの松前藩にゆだねたのは、日本の近世国家が当初北方領域に領土を拡大するような関心も利害も有しなかったことを意味する。蝦夷地は鷹・鷲羽・毛皮を産出し、それはいずれも徳川武家社会の武威を示す必需品である。だが、それは松前藩アイヌ交易で入手できる。あえて蝦夷地を征服せねばならぬ理由にはならない。一方、松前藩蝦夷地をアイヌにゆだねているからこそ交易の利をあげることができた。アイヌとの交易こそこの藩の生命線である以上、蝦夷地を全面的に征服することなど愚の骨頂である。蝦夷地を征服して藩領化しても、統治のコストを考えれば勘定が合わない。それにより蝦夷地を異国として固定し、アイヌ交易の利をむさぼる方が利口というものだった。だから、幕府がこの時期に蝦夷地の藩領化に踏み切ったのは、経済的利潤を目当てにした植民地獲得の一般則に従った行為ではない。それはロシアの南進という悪魔に脅かされた防衛本能の発動であり、日本近世ナショナリズムの最初の血の騒ぎだったのである。(p.204)

p.109にも、版図拡大という衝動が欠けていたのは当時の西洋諸国や清帝国に較べ驚くべきことだという記述がある。

 だが、国際社会に対応するにはあまりに弱体な日本近世国家のあり方を嘲笑したり悲憤したりするのは、果たして二一世紀のあるべき文明の姿を模索する私たちにふさわしい態度だろうか。徳川国家は初めは強大な軍事力を有する武士集団が支配する兵営国家として出発しながら、一九世紀初頭には、武力紛争をできるだけ回避し、平和な談合による解決を重んじる心性が上下ともに浸透する社会を作り出していた。これが恥ずべき事実であるはずはない。ただ、虎狼の論理がまかり通る国際社会の中では、その心性は通用すべくもなかったのである。(p.268)

 江戸という時代は、人間とその文化に対する広闊でゆとりのあるユーモアのセンスを育てた時代だったのだ。源七のロシア語に対する荒尾奉行以下の笑いも、彼らが自分自身を含めて人間というものを客観化しうる寛容なユーモアのセンスの持ち主だったことの証とみるべきだろう。(p.301)

これは『逝きし世の面影』や『江戸という幻景』に通じる部分。

渡辺京二が多数の資料を駆使して紡ぎ出した「ロシア・アイヌ・日本の三国志」は滅法面白く、私にはその文章も心地よいものだった。

第三種接近遭遇後のやりとりなども興味深いものがある。このところ俄にきな臭くなって先行きの懸念される領土問題を考える上でも、初歩の初歩として読んでおきたい本だと思うのだが、ま、私のような知識の薄い者が解説をしてもはじまらないのでここいらでやめておく。

 何のことはない。林蔵もゴローヴニンも揺籃期の民族国家を代表するナショナリストという点では似た者同士だったのだ。ゴローヴニンは彼は「日本の兵法を自慢し、われわれを威嚇した最初の日本人だった」と言っている。荒尾但馬守ら幕臣儒学で培われた普遍主義的感覚のゆえに、また奉行所の下吏や民衆は共同体的な人情のせいで、ゴローヴニンらとの間に人間的共感の橋を架け渡すことができた。だが、常陸国筑波郡の農民の子として育ち、強烈な上昇志向に促されて北方問題のスペシャリストとなった林蔵は、過激なナショナリストたることに自己の存在証明を求めるほかなかった。近代ナショナリズムはつねに、貴族と民衆の中間に位置する新興知識分子の属性である。(p.309)

 アイヌ民族に衰亡を免れる途は存在したのだろうか。その唯一の方途がアイヌ民族国家の樹立であったことは明白である。一七世紀初頭、特産品ももって漢民族と交易して力を蓄えた満州族は、大清国を樹立して漢民族から自立した。アイヌにその途が閉ざされていたとは理屈からすればいうことができない。しかし、アイヌはウタレを率いる有力者以上の上部権力を生み出さなかった。ましてや全コタンを統一する国家権力など、夢想だにしなかった。また、仮にアイヌに民族国家樹立の機会があったとしても、それは一九世紀初頭の幕府の直轄によって永遠に失われt。幕吏はたしかに商人資本の手からアイヌを保護しようとしたが、それは同時にアイヌを日本臣民化し、二級の国民として徳川国家に包摂することにほかならなかった。幕府の慈恵を受け入れることで、アイヌは自立の途を完全に失ったのである。
 しかし、民族国家には明暗が伴う。アイヌには国家形成の能力がなかったのではなく、その意思がなかったのだ。この点において、アイヌは今日なお類いない光芒を放つ。忘れてはならぬが、初めてアイヌ社会を実見した本土の日本人たちは、国家をもたぬアイヌのありかたに羨望と郷愁を覚えた。(略)(p.349)

 クルーゼンシュテルンアイヌの「これらの真に希有なる性質」が、何らかの文化的洗練のせいではなくて、「全く単に彼等の自然のままの性格の刻印」であるように感じた。そして「アイノ人を以て予が今まで知ったすべての民族中最良のものであると考えるに至った」。家族成員の平等と和合、物欲の薄さ等々、見るところは日本人幕吏と一致する。その徳目はまさにアイヌがまだ国家という人間の組織形態を知らぬところから生じた。そして、彼等はまたそのためにこそ衰亡の運命をたどらねばならなかった。だが、衰亡というのも国家の枠組からそう見えるだけのことかもしれない。藤村久和によると、どうもアイヌは日本国民の顔をしながら、あくまでアイヌとしていまでも生き続けているようなのである。(p.350)