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2012-07-04

[][]姫野カオルコ『終業式』(角川文庫、H16-1、解説:藤田香織)★★★☆

まだ二冊目だが、姫野カオルコ中毒になりそう。というほどには何もわかっていないのだけど。ま、それは解説の藤田香織も言ってることで、要するにお楽しみが沢山残っていることなのかと……。

 この物語は、これまでの著者の作品の中で、一番「普通」の話です。軽はずみに「普通」という言葉を使うのもどうかと思いますが、それでもあえて繰り返したいほど「普通」。(p.345 藤田香織

もっとも「主人公は高校2年の八木悦子」(p.345 藤田香織)としてるのは、どうなんだろ。確かに出てくる人間の一番中心は八木悦子ではあるが、私的には遠藤優子が断然主人公なのだった。というか、そういうのは読者にまかす、と最初に書いてあったのだった。

この本では、登場人物が何をしたのか、どこで何があったのか、すべてが手紙のなかに秘められています。それを解くのは読者です。手紙やメモ、FAXの一つ一つにどのような想いが託されているのか、感じとるのも読者のあなた自身です。

引用したい箇所はいくつもあって、例によって自分用のメモにはしこたま書き出してしまったのだけれど、今はその遠藤優子をめぐるいくつかを……。

 いつもそうなの。

 きみはそうして、私も明るくさせる。悩みごとをグチるために会っていてさえも。

 いつもそうなの。

 きみはそうして、私を救う。私は自分でさえも気づかなかった自分の陽気な部分を、きみに引き出される。視界がクリアーになってすっごくたのしくなる。

 たのしくなるよ。だからきみはもう、やさしくしないで。もっとたのしくなることにきみが怯えるのなら、もうやさしくしないで。きみの代用を探して暮らす生活にも、限度ってもんがあるんだから。

 私があんなことをしたのは、それはきみのせいだよ、って言えないよ。そしたら、きみはまた私を恐れるだろうから。

 きみは女が男に求めることは、ユビワとか結婚とか、もうすこしリリカルに表現するなら、すてきなお食事とか甘ったるく肩を抱くこととか「一人だけを愛する」と言ったり自分の肝に銘じたりすることとか、そうしたことだけだと思ってる。

 きみの持ってる女のデータから、そう判断する。それはしかたのないことだし、そうした希望を抱く女の人もちっとも悪いと思わないけれど、私がきみに求めるものは、ぜんぜんちがう、もっともっとワイド画面な関係で、それでもアガペーではなくエロスであるということ、きみはわからなくて、きみはいつも、ただ私を励ます。いつもそうなの。そうして、私はきみと会うと黙ってなくちゃなんなくなる。

 それがいいなら黙ってるけど、黙ってるときみが遠い遠いところにいるんだなってよくわかる。トーゼンなんだよ。きみはうんと遠くにしかいないんだからさ。じゃあさよなら。(p.201)「怯」に「おび」、「肝」に「きも」、「銘」に「めい」のルビ。

 俺は、昨夜、うまく言えなかったけど、昨夜の今日で、ちょっと二日酔いで迎え酒をしてしまって、ぐったりしてるから、思い切って書くけど、遠藤のこと、ずっと好きだった。ただ、いわゆる「好き」というのとは違って、複雑なかんじの「好き」だった。だから、無責任に「好きだ」って言えなくて、言わないことにしてた。八木のこともあったし、よけい言えなかった。八木と天秤にかけて、っていう意味での「好き」ではなくて、うまく説明できなかったし、今もうまく説明できないけど、世の中の「好き」というのとは一種ちがうかんじで「好き」だった。それでいて、友情というのとは違って、ほんとに今だから言うけど、女として好きだった。それは自分でわかってたけど、口にしたり行動で表現したりすると無責任になるようにしか思われなくて、言えなかった。心から幸せを祈る。遠藤ならきっと最高の奥さんになるよ。(p.306)「天秤」に「てんびん」のルビ

 卒業式の日、図書館のわきの階段のところでたづるちゃんが泣いていた。修二くんが東京に行くから。あとで聞いた話だが、彼らは長寿山で初キスをしたらしい。そんなことをしてた人もいたのか……。私なんかイヤってほどラブシーンを書いたが実際にキスをしたのなんか、ほとんど最近なのに。(p.341)

最後のこれはあとがきだが、他のと同じように「手紙として」おかれている(「あとがきにかえて 姫野カオルコ」とある)。こんなことされると余計な勘ぐりを入れたくなるのだが、姫野カオルコを知らない私には無理なのだった(白状しておくと、姫野カオルコなんて名前を付けるヤツを私は信用してなかったのだ。名前で判断なんてね)。


2008-12-20

[]情報が何もないところと情報が洪水のようにあふれているところって同じようにたったひとりの気分になれるんです。

メトロミニッツ(スターツ出版)1月号、p.47 藤原新也「撮りながら話そう コスモスの花咲くころの郵便配達」

彼女の書いた住所に彼女はいない。

だけどいま僕は彼女の心の真っ只中にいる。

そんな気がした。

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2008-12-06

[]それに、ある村が戦場になり、双方の軍がその村を挟んで、にらみ合いになる。黙っていると、両軍から税(年貢・夫役)を二重取りされる。こういう事態はよく起きていたらしく、中世の村では、それを「二重成」といって、ひどく嫌った。そこに、新たに「半手」という習俗が育っていた。双方の軍に税を半分ずつ納め、現代の板門店のような厳しい境界を設けず、村人の出入りは自由、というのが習わしであった。そんな両属の村が、戦国の世には、至るところにあったらしい。戦国の大名たちの合戦は、領土紛争ではあったが、半手といのは、境界をアバウトにして決戦を避ける、ということでもあった。

(注:「夫役」には「ぶやく」、「二重成」には「ふたえなし」、「半手」には「はんて」のルビ)

本(講談社)2008年11月号、p.25 藤木久志「村に戦争が来た」

「村に戦争が来た」ら、村人はどうしてたかという話の、ほんの一部(要約力がないんで、だからって全文引用するわけにもいかないので、ご勘弁)。『七人の侍』は、映画のようには探せないからね。

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2008-09-29

[]この数年、地味系スポーツを題材にした小説がヒットしていることもあり、それまでしらなかった世界を、汗もかかずエアコンのきいた部屋で、のほほんと覗き見る機会もぐっと増えた。そんなとき、つくづく読書の幸福を噛みしめてしまうのだ。

星星峡(幻冬舎)2008年9月号、p.96 藤田香織「汗とは無縁の室内で、熱き戦いを読む幸福。険しき「武士道」をつき進む、剣道少女再登場!」(誉田哲也『武士道セブンティーン』の書評)

そう言われてみると、読書(映画とかも)なんて、ずいぶんといい加減なものである。自分は別のところにいて、その気になろうてんだから(そこまではのめり込まないという読み方もあるが)。だけど、本を読む行為はあまりにありふれていて、特別なこととは思ってもいなかったから、そんなふうには考えもしなかった。あくまで疑似体験と、高をくくっていたことになるんだろうか。まあ、ここでは読書の幸福について語っているから、そう気に病むことはないのだが。

本を読む楽しさは数あれど、出不精で運動嫌いな私にとって、スポーツ小説には格別の思いがある。

書評の出だしはこうで、だから藤田香織は余計そう思うのかも。

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2008-09-22

[]私たちの大便は、だから単に消化しきれなかった食物の残りかすではないのです。大便の大半は腸内細菌の剥落物、そして私たち自身の身体の分解産物の混合体です。ですから消化管を微視的に見ると、どこからが自分の身体でどこからが微生物なのか実は判然としません。ものすごく大量の分子がものすごい速度で刻一刻、交換されているその界面の実は曖昧なもの、きわめて動的なものなのです。

本(講談社)2008年9月号、p.23 福岡伸一「世界は分けても分からない4 相模原、二〇〇八年六月」

切り離しが行われたかどうかでいいじゃないかと思ってしまうのだけど。素人は大局観ですよ、ってそういう論旨ではないようで。

福岡伸一の最近の露出度の高さったらすごいです。

080922-146