2010-03-24
■[日記]
成りきれない感覚は昔から悩んでいて、例えばオタクに成るってのが俺にとってはすごい難しい事なのです。高校生ぐらいの時は俺はオタクだなと自負していたし、いやいや、まだまだオタクの先輩達には叶わないとかしなくてもいい謙遜とかしてたけど、いつのまにかオタクに成っていました逃れられませんみたいな笹原君とか荻上ちゃんみたいなものでもない。どっちかというと、成りきれない自分に苛立ち自家撞着に陥るってのだけを引きずってる。そういう自意識がオタクなのかなあとちょっと前までは思ってたけど、それはまた別のもので、アイデンティティの未発達とか幼児性格とかその類。
昔は、漫画が好き!って気持ちを先に押し上げて、たぶんオタクになろうとしてたのだ。今でも漫画は好きだけど、ほとんど読まなくなったし、ネット巡回して、あーそーなのかーふーんって情報集めて知った気になって終わりだ。ていうか、マジで読んでない。
最初に純正の衝動で”好き”があって、そこから周りを気にせずに何でも言えたら素敵だけど、寛恕とか気にしちゃって、全てを理解できる者に成りたいとか思っちゃって、でもそれを支えるモノは何もなくて、潰れちゃうのだ。熱く語るぐらいエロゲ好きでも、”好き”の根幹にある自分を信じれないのだ。好きなら間違ってても語ればいいのに、言い切る自信が一つもないから、なんだかつまらない言葉で濁してしまう。どうせ俺が言わなくても、他の頭のイイ人が語ってくれるでしょ。俺の思想が練りこまれた凡庸な文章より何倍も鋭い考察があるんでしょ。って沈黙して、他人の知識にぶら下がって、それで頭よくなった気になる。だから、下地のない、ぶれた、人間になってしまったんだろう。
上京して、秋葉原にもコミケにも行った。精一杯オタクに成りきったつもりだった。そのはずだった。だけど、生活が安定してなかったせいだろうが、心踊るような楽しさを見出せなかった。楽しいはずなのに、楽しむはずの心が惰弱になっていた。
秋葉原もコミケも人が多い。人が多いと、一人になった気分になる。ここにいるはずなのに、溶け込めていない。コミケとかめちゃ糞人がすれ違う中で、ぼんやりと立ち止まって、あれー?あれれー?楽しいはずなのになー?って沈む馬鹿は俺だけでいい。当時、メガネをかけて視界がくっきり見えてしまうのさえ、恐くなっていたので、群集の中に紛れ込んでいる自分が明らかに浮いているように思えたのだ。俺はオタクじゃないのではないか?という疑問が解決するまでずっと同じ気持ちが呼び起こすのだろう。たぶん、今行っても、落ち込む事必至。
書いてて思ったけど、やっぱ基本的に暗いな。コミカル目指してたのに、どうしても自意識が入り込むのは、やっぱ自分の事を書いてるからだろうなあ。お蔵入りする自制心もほんのり芽生えてるけど、あえてこれが俺のアイデンティティだって見せ付ける勇気。

