明日は我が身

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入管の都合で餓死だとよ。組織の都合で餓死だとよ。国の都合で餓死だとよ。

入管は、組織は、そして国は、その都合のためなら当たり前に人殺しをやるんだよ。

入管の非道がSNSで問題になってから二年近い。問題点は既に指摘されている。でもやるんだよこーいうことあいつらはアタリマエに。

 

今日、消費税が上がったよな。

 

これまで生きるだけで精一杯だった貧困層が今度はどれだけ犠牲になるんだろうな。

これ、自民党政権だけの問題ではないところがミソでさ、反安倍政権の野党共闘陣営も結局口だけだった。上がったら元に戻すとか言って話題になってたけど、枝野の方針はこのままで行くってことらしい。そりゃそうだ。野田を代表に消費税上げたい勢力と組まなきゃ「野党共闘」の砦は守れないもんな。

そういう都合。

そして犠牲になる貧困層

極論とか言うんじゃねえぞ。明日は我が身だよ。組織の大義とやらのために下々のモンは討ち死にだよ。戦中だよ。相手は安倍でも自民でもなく「政治家」全体になっちまったよ。

いろいろあるのは分かるけどさ、そのあんたらの都合、人をコロしてまで通さなきゃならないもんなのか?

「団結」はせんでいいから「俺たち」でいてください

職場で政治の話をするときどうするか。

まあ大体「〇〇のニュースアタマに来てよー」みたいな「振り」から入るんだよね。んで「え?××さん(俺の名前)そういう人ですか!?」みたいな、ぎょっとされるリアクションがある。警戒されちゃう。なのでこのときよく使うのが「知り合いにどパンクなやつがいてなー、影響されちって」みたいな方便。これでとりあえず「政治の話するやつ=怪しい団体」みたいな警戒からは逃れることができる。「え?パンクなのに?」みたいなリアクションされて「いやパンクってそうでしょ」とCRASSやらS.H.A.R.Pやらの話しても「あーやっぱ××さん(俺の名前)変なやつですねー」な扱いは受けても「警戒」はされないで済む。「変なやつですねー」はいっつもそうなんで気にしない。とにかくここでは俺が彼らにとって「俺たち」であることが重要なのだ。

んで、たとえば辺野古の話な。アタマに来ねえのかオマエわ、みたいな話をする。九割がた知らない。そりゃそうで、一日のうち半分以上を職場で過ごすやつがいちいち新聞なんて見るわけないのだわ。職場でだって普段なら雑談する時間なんてあまりない。秒単位を無駄にしないような作業を一日続け、休憩時間はシフト上ひとりづつとるしかない。そんな人が家帰っていちいちニュース見ると思うかっての。いい年で独身で、仕事がハケても家の仕事しなくていいなんて人はそうそういないし。

だからいちから説明することになる。なにしろ何も知らないからヘンな偏見もない。少なくともネット上でグダグダ言ってるやつらより数段理解が早い。今日本で起きてることなんて、常識人の脳内キャパでかんがえれば考えるほどおかしなことばっかりだからすんなり怒ってくれる。「頭来ますねー。なんとかならないんでしょうかねー」

で、問題はそこから。

じゃ、おまえもデモいくべ、と、言いたい。言いたいけど、言えない。なぜか。「デモとかやってるのは怪しい団体」という先入観があるから。彼らは「俺たち」と呼べる存在ではない、という偏見があるから。その誤解を解くのが先になる。

「ちがうって。今国会前とか行くのは俺らみたいな普通の人が圧倒的に多いんだってば」

そう言いたい。彼らは「俺らと同じ」「頭に来てる労働者」なんだと。

けどそうなのか?

選挙とかあるたんびに、野党が無様に敗退するたんびに「愚かな労働者どもが投票行かないせいで」とか言ってるやつが現れる。言葉のちょいちょいに低学歴の地元志向の強い労働者を小ばかにしたニュアンスを感じる人が何人もいる。そういう発言に「愚かな大衆のせいで」みたいに乗っかるリベラルアカがこれまたたーくさんいる。

すくなくともああいった連中は「俺らとおなじ」ではないよな。そう思うともう「じゃあおまえもデモ行くべ」は言えなくなる。デモで主張されることに共感していても、参加している人たちは少なくとも「俺らみたいな普通の人」とは思えないからだ。

もちっと端的な話をしようか。前の前の職場にはやたらと労働問題にうるさい同僚がいて、むっちゃ嫌われていた。何時間働いたら何分休まなければならない。何時間以上働いてはいけない。これは法律で定められていると、彼の言うことは常に100%正しかった。しかし、仕事がそこからはみだすと有無も言わさず帰ってしまうのだ。その穴は、彼の周りにいる俺らが全部埋めなければならないことは自明な状況なのに帰ってしまう。次の日顔を合わせても「大変だった?」のひとこともない。こうなると「彼」はすくなくとも「俺たち」と呼べる相手ではなくなる。彼の吐く「正論のせいで」こっちが余計に働「かなければならなかった」という事実が「俺たち」の体にすりこまれる。結果「労働問題にうるさい奴はうざい」という空気が出来上がる。

いくら彼が正しくても、これはどうなのか。まずこのような状況を生んだのは会社なのだから会社が100%悪いのは確か。悪いのは会社であって彼ではないので、俺みたいな中途半端な左派は「文句はとにかく上に言おうよ」と言って回ることになる。けど俺にしてもほかの同僚にしても「彼」を見る目はどうしても冷たくなる。どのような理由であれ彼がさっさと帰ったことと自分らが余計に仕事しなきゃならなかったことの因果関係は否定できないし、彼が「そうなると知った上で帰った」という事実は曲がらないからだ。こんな状態でいくら彼が正論吐いても「そりゃご立派なことで」となるのが「道理」である。よーするに彼は「俺たち」ではないのだ。

こんな状態で、それでもまだ国内政治に関心持っていられる程度に体力の残ってる自分がどうしても言いたくなるのは、ワーキングクラスをかたり、国内世論を引っ張り上げようとリキんでる人はとにかく「俺たち」であってくださいってこと。そういう努力もなしに上から指導者ぶって、「俺たち」が動かなかったからって勝手に「愚かな民衆どもが」と絶望しないでくださいってこと。

こんな俺が、それでも国会前とかデモとかに参加できていたのは、それを運営してる人たちがしてきたとんでもない努力への敬意と、「311後の運動は個々人によるもの」という言葉に辛うじて居場所を確保してもらってるからで、「団結」とかを求められたらもうムリ。自分が「社会運動の最前線」と見定めている「職場」という場所で、あたふたと闘い続ける以外ないだろな。

高プロ「対象者が業務命令に従う義務がない」は条文に明記せよ

この記事への反響が意外と薄い。
https://mainichi.jp/articles/20180606/k00/00m/010/150000c
立憲民主党石橋通宏氏は、法案に高プロ対象者に対する労働時間に関する業務命令の規定がないことを問題視し『高プロ対象者に裁量権はあるのか』と質問。加藤勝信厚労相は『時間帯や時間配分を労働者自らが決定すると省令に位置づけ、運用されていくことが必要となっている』と述べ、対象者が業務命令に従う義務がないことを省令に明文化する考えを示した」
実はこれ、相当重要な発言で、ずっと「働かせ放題」の根拠とされてきた「所定労働時間には従わざるを得ない以上、社にたとえ24時間労働を指示されたとしても合法」が崩れるのだ。何しろ労働時間を自分で決めることができるのだから。
ただし穴はすでに指摘されていて、つしまようへいさんのこのツイート
https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1003787272456581120
高プロ。働く時間や場所を指示できないとする規定を省令で定めるらしい。でも、企業は人事権も懲戒権も手放しません。それさえ握っていれば、企業は従業員を相当コントロールできます。高年収の霞が関の官僚たちを見てください。人事権を握られたことで不正にも手を染めるくらいですから。」
また、会議その他の「社との連携」を図る時間を指示できなくなるなど、別な問題も生じることになる。また、対象労働者の権限が増す分、与えられる仕事も余計に増やされるかもしれない。
けどだからといって、条文上「柔軟な働き方」が全く保証されうる規定がなかったこれまでと比べれば大いなる進歩なのは確かだろう。これが徹底されれば少なくとも単に労働時間伸ばさせたい会社による悪用は出来なくなる。「働かせ方の自由」がこのことによりむしろ制限されるからだ。
なのでまず何より、このことを「省令で義務化」と言わず、違反した場合の罰則含め条文に盛り込んで欲しい。口約束では信用ならんし、省令でだといつでも変えられる恐れがある。その上で、そこから生じる問題についてテッテ的に話し合って頂きたい。
完全に欠陥法案だった高プロも、「働く時間を決めるのは労働者」との規定が入れば骨格くらいは出来上がる。逆に、それを明記することに戸惑うなら、与党は単に働かせ放題を志向してただけ、とのそしりを免れまい。
凄く、大事なところだと思うよ。

「高プロ賛成」な人の4類型

高プロ法案の問題点は、専門家の方々の活躍によりかなり周知されてきました。また、本来高プロ的なものが求められた背景と、審議されている内容とがどれだけかけ離れているかも分かるようになってきました。
しかし、採決日と目される5月23日を前に、ニュースサイトやSNSで「高プロは素晴らしい」と言いたげな声がしつこく、しつこく、出て来ています。
ただ、大体見たかんじ、いくつかの類型に分かれるようです。ここではその「高プロ賛成のステレオタイプ」をざっとながめてみましょう。

Trollさん型

まず、野党をバカにしたいだけのネトウヨさんたち。どーでもいいことしか言わず、だいたい「ミンスガー」に話を落とすのですぐ分かります。Youtubeで稼げなくなって落ち込んでいるだけなので容赦なく罵倒してあげると喜ぶと思います。

学者さん型

次に、高プロとはこういう背景や理念から出て来たもので、即否定されるべきものではない。と主張したいだけの人。わりと実名の学者なんかにもいるのですが、その主張は現法案のグダグダさを全く弁護できていない。ていうか本当にその理念に沿った法案になっていればうちら、こんなに反対しないです。知識人がよくやる逆張り芸とはこういうものかー、と、物見遊山な気持ちで見物してあげるのがいいでしょう。すぐ支持されたとカンチガイするので投げ銭は推奨しません。

コンサルタント

三つ目は、高プロという話題にのっかって、「ぼくのかんがえるりそうのろうどう」を語りたい人です。経営や経済のプロの方が多いようです。自分の専門分野のことが話題になっていると、つい口をはさみたくなる気持ちは分かりますが、当然高プロ法案の内容とは全く違った話に行きます。結構いいこと言う人多いです。しかし今審議されている高プロ法案とは全くかけ離れていますので、丁寧にご退出願いましょう。やりかたはかまってちゃんを追い出すときとおなじです。

熱血社員型

最後に、これがたぶん一番の難敵でしょうが、働くことに生き甲斐を見い出し、賃金労働者としての権利を下から主張する者すべてを軽蔑してしまっている人たち。自分もかつてこれだったから気持ちはとても分かります。なので丁寧に説明しますと、今問題になっている高プロ法案は、そういう人たちを経営者がより食い物にできる法案です。適用されたからといって労働時間の縛りから解放されるわけでも、賃金が上がるわけでも、会社のしきたりから自由になれるわけでもありません。本来あなたがたこそ、この法案に反対しないと損する層なんですよ?と伝えたいのですが、なかなかこれがうまく行かない。
いずれにせよ、労働の質が変わって来たことで待望されたホワイトカラーエグゼンプションと、今審議されている高プロ法案とは、全くの別物になっている事実を直視することからしか、高プロ法案という話題について身のある話は出て来ないはずです。あなたが上に挙げた4類型に当てはまっていないか、冷静に考えてみることをお勧めします。

「労働生産性」をめぐって

この記事を見て唸ってしまったのね。
毎日フォーラム・あしたの日本へ:公益財団法人日本生産性本部理事長・前田和敬さん - 毎日新聞
日本の労働生産性は1970年からずーっと先進国ビリだったんだと!
少子高齢化の害がいよいよモロに数字に顕れるようになってきた今時代、「労働生産性を上げる」のは喫緊の課題だ。なので国会で働き方改革が審議されることに異論はない。てかもっと早くからやらなきゃならないことだった。
が、そこで審議されたのが「高プロ」であり「裁量労働制」だったことが問題なのよね。誰も「働き方改革」自体に異論があるわけではない。今のままでいいとは誰も思ってない。しかし立法事実自身がガセだった裁量労働制は当然のように見送りになったし、高プロの問題点についてはYahooニュースでの佐々木亮さんの分析に釘を刺す。多くの労組さえ過労死ラインの労働条件を呑んでいる今、維新あたりがやってる「高プロ適用の選択権を拡げよう」なる試みは机上の空論。彼らは与党に追随してるだけと見ていい。
だから、今回は「時間ではなく成果で労働を評価する」というデマワードに乗っかった人たちに呼び掛けたい。乗っかりたくて仕方なかったのは俺も同じだからだ。実際の「働き方改革法案」がそういうものではなかったことが問題だったわけで、高プロに反対することを「現状をよしとする無責任な態度」と思われたくないからだ。
書店員だった頃、担当棚を大胆に改革し、好き者の常連を多く掴んだ同僚がいた。常連を掴んだとはいえジャンルがジャンルで売上にそう繋がらなかったため、その同僚の「成績」は常に低かった。結果、上から疎まれたそいつは会社をやめ、店全体の売上は劇的にではないが確実に下がった。
この場合、「労働生産性」の観点から見てそいつの仕事はどうだったんだろう。売れ筋だけをテッテ的に入荷する原則に倣えば、そいつは確かにより多くの売上を得ることができただろう。ただそれはコミックコーナーにワンピばかり置くつまらん本屋と同じ売り方でしかなく、結果店の客からの評判を下げることにもなる。最終的にそれは店にとってプラスだったかどうか。
高齢者介護はどうか。営利で考えると介護事業というのは最初から破綻している。税金で賄い、被介護者が長生きすればするほど国庫の負担は増す。なので介護のプロ中のプロが被介護者をより快適に、より長生きさせる術に長けていたとしても、それは国家の利益にはならないのだから給与は頭打ちだ。市場競争する意義が最初からない。ならそんな事業をやめてしまえばいいとなるとどうなるかと言うと、要介護の親を抱えた労働者が在宅介護に追われなにもできなくなる。それは貴重な労働人口の手足を縛ることと同義だ。
この場合の「労働生産性」ってのは国としてどう考えればよいのか。
よーするに、最終的に売上と、人件費含めた収支ばかりに目が行ってると見えてこない「いい仕事」が、現場にはたーくさんあるんだよね。
働き方改革」言うなら、いい加減そういうところに光を当ててみません?
もう50年近く、海外に比べりゃクソみたいな労働生産性を誇って来た日本企業なんだから、改革言うなら抜本的に、いろんな角度から、見直さなきゃダメなんじゃない?
労働運動は今とんでもないフェイズにいるようで、「そうは言っても金がなければなにもできない」という中小企業に累が及ばぬように気を使っているらしい。例えば「最低賃金1500円」をぶち上げて来たエキタスは、同時に「中小企業に税金回せ」を必ず付け加えている。労働者の怒りを、雇い主ではなく国に向けようと涙ぐましい努力までしちゃってる、しなきゃならないのが今の労働運動。けどね。
50年近くも企業組織のありかたを考え直すことなく、ひたすら「売上」「人件費削り」ばかりに奔走することが経営だ、という雇い主ばかりなら、労働者の怒りはいずれその雇い主に向かうよ。あんたらの無能な経営のせいで、いくら働いてもなにも得られなかったのが今の日本なんだから。その責任まで「人件費削減」というかたちで部下に背負わせる?
本当に「改革」しなきゃならないのはどの層か。ちっとはまじめに考えてくれ。

#0701AKIHABARA

7/1、秋葉原で行われた都議会選自民党最終街宣で起きた騒ぎ。口々に「安倍やめろ」を叫んでた一大集団の「バック」を訝しむ者は多い。なんらかの組織が後押しとかなんだとか、それなりに名の売れてるライターまでがごにょごにょ言ってる。
が、組織なんてものはなくて、都議選で路上での応援演説から逃げ回っていた安倍が最終日だけは秋葉原でやると聞いた者たちが、ここぞとばかりにヤジりに行っただけである。
安倍出るという情報が駆け巡ったのは前日。口の悪い連中が「行っちまうか」みたいな話をしてたのがその夜。#0701AKIHABARA なるタグが出来、驚くほどの増殖を見せ、あれだけの大勢力になったのは結果論に過ぎない。
このテの現象は311後のなんちゃらとかのネット文化論にされがちだが、大事なのは
「あそこに居た有象無象は全員安倍やめろと怒っていた」こと。
これに尽きる。
会社が「◯◯先生を社を挙げて応援します(から投票しろ)」とか「誰々先生の集会に参加しろ」とかの、組織の拘束力を元に、本心では支持してるかどうかも胡乱な候補の応援に行かされる系の「動員」とは根本的に違う。みんな安倍に怒っていた。
組織票とか地盤とかで勝ち上がって議会で寝てる与党議員どもからすれば信じられない話かも知れないが、それほどに今安倍内閣は「恨み」を買ってる。その事実を抗議側は見事に可視化した。

高江が酷いことになっている。

報道特集の高江ルポが現時点決定版なのかな。

文字起こしはここ
本当に高江が酷いことになっている。絶対に今知っておかなければならないことなので一応まとめておく。
概要は大体上動画で分かるんだが、補足しておくことが数点。まずこうなった経緯。
1995年、米軍兵3名による12才の少女暴行事件が発生し、住民による反基地感情が爆発した。抗議集会には当時の沖縄県知事含め85000人もの県民が参加したという。これを受けて日米両政府は「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」を設置、折しも冷戦終結による米軍再編の機運もあって96年、世界一危険といわれた普天間基地の移設を日米両政府が同意する(SACO同意)。
普天間移設はそのまま辺野古の問題となり今に至るが、SACO同意では別項で北部訓練場の一部返還にも触れていた。3,987haの返還、海への出入りのため38haの土地及び121haの海域を提供。そこまではいいのだが「ヘリコプター着陸帯を、返還される区域から北部訓練場の残余の部分に移設する。」の一行が問題で、移設されるヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)は150人の住民がいる東村高江を取り囲むように配置されていたのである。返還面積は確かに多い。しかし以前は海辺の人里からは離れた場所にあったヘリパッドが高江直近に6箇所も現れることになる。
県民の怒りに後押しされ、沖縄の負担軽減を謳って交わされたSACO同意が、実際には県民の負担をより大きくしている。高江では早くから移設に対し国に意見書や抗議活動を行っていたらしい。しかし「十年くらい前から話が来なくなった。だからなくなったのかなと思っていたら工事が始まった」と高江の区長さんは番組内で話している。もちろん導入されたオスプレイの爆音も問題に輪をかけている。
次に民意の問題。2013年の安倍政権による辺野古移設決定を受け、沖縄県民は反基地、親基地で割れた。とされているが、2014年11月、県内移転反対の翁長知事が誕生。辺野古移転に同意していた前知事仲井真氏に10万票もの差をつけての圧倒的勝利だった。直後の2014年12月総選挙、2016年参院選でも辺野古移転賛成の自民候補は全敗。特に参院選では当時沖縄・北方担当相であった島尻安伊子までが負けている。「沖縄の民意」は県内基地移転反対であることをこれ以上ない結果で示している。
例えば原発の新設には、該当自治体の首長、及び県知事の許可が必要ということになっている。福島原発事故で生じた指定廃棄物の処分場をめぐり東北が紛糾しているのも自治体が抵抗を続けているからであり、かつ、それを中央政府は無視できないからだ。ところが今回、高江ヘリパッド工事は県知事、地元国会議員、立地区の区長誰も許可していないにも関わらず開始された。資材搬入が始まったのは参院選の結果が出たたった9時間後だったという。
国を変えたいならデモとかではなく選挙に出ろ、とありがちな意見言う人も、今の沖縄の反対運動にその論法は適用できない。選挙で示した民意が無視されているからだ。
抗議者たちの行為は合法の枠をはみ出している、などの批判も当たらない。工事側が過積載、違法車両の使用といった脱法行為を強行しているからだ。
そういった無法がなぜ、「沖縄なら許される」のか。日本国民すべてがそこを熟考する必要がある。太平洋戦争時国内唯一の地上戦が行われた沖縄。抗議者の多くはその戦闘のサバイバーである。米軍に火炎放射器で焼かれたおばあさんが、右翼を名乗る者のいやがらせに抗議しようとして逮捕、などという信じられないことが起きている。そのおばあさんらにわざわざ空襲警報のサイレンを聞かせるという下劣極まりないいやがらせが横行している。
機動隊員の「土人」発言に激昂する人がなぜ出るか。
これは沖縄に対する「差別」じゃないか、という声がなぜ上がるか。
日本国民すべてが理解する必要がある。解決のためにどうするか考えろとか以前の問題で、現状の理解すらされていない。何度も言うが、本当に酷いことになっている。